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ぽかぽか春庭「2003年のケニア同窓会」

2015-07-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150714
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(3)2003年のケニア同窓会

 2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/11 金 晴れ 
日常茶飯事典>ケニア同窓会

 ビデオと会話3コマこなして、6時から渋谷で、Goケニア同窓会。
 Go副社長大阪支社代表のポンドさん幹事で、1980年前後にケニアで知り合った10人が集まった。私が直接知っている人はポンドさんのほか、ブラックさんとマサさん。あとの人は知らなかった。ポンドさんが予定の6時より遅れて6時半から始めたので、きっちり8時まで2時間しかいられないシステムの店であわただしかった。
 あと知っている人はセベさんだが、彼は遅れてきて、ちょっとだけいて、さっさと帰ってしまった。セベさんはAA学院で西江雅之にスワヒリ語を教わった。セベさんからスワヒリ語を習った私は、スワヒリ語に関して、西江先生の孫弟子。言語学に関しては直接教わったけど。

 ドトールに移動して、コーヒーいっぱいでさらに2時間のおしゃべりタイム。私はほとんど聞き役で、マサさんがいちばんしゃべっていた。週刊タイムに記事を書いているという人、ポンドさんセベさんとAA学院の同級生という女性からも、もっと話を聞きたかったが、ふたりは先に帰ってしまい、ドトールには寄らなかった。

本日の飲み:生ビール2杯、コーヒー1杯

2003/07/12 土 晴れ 
日常茶飯事典>ホタル狩り

 午後、娘と息子はタイムをうさぎクリニックに連れて行く。普段に比べて食べなくなり、糞が小さくなったため。元気はいいので、腸の病気とかでなく、うさぎの持病の「毛球症」だろう。体の毛をなめるため、腸に毛玉が貯まるのだ。ときどき毛玉をとかす薬をあたえなければならない。
 その間、私はエアコン工事に立ち会う。

 夜、公園に蛍を見に行く。今年はこれまでの中で一番蛍の数が少なくて、あまりきれいじゃなかった。いつもは橋の上から飛び回る蛍が見られるのに、今年は橋に人がたまっていないので、あれっと思ったら、じっとながめていたいほど蛍がいなかったのだ。
 でも、まあ、蛍見物は、花火見物とならんで我が家恒例「無料夏のイベント」
 蛍をみると「ああ、夏だな」と季節感満喫。

本日のつらみ:蛍の光、足らず


2003/07/13 日 曇りのち雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『猟奇的な彼女』

 館内は超満員で、私と息子は座れたが、娘は座る椅子がない。「私は明日すいているときに見るから」と、娘はパソコンを届けに夫の事務所へ。

 韓国映画『猟奇的な彼女』。韓国映画を見るのは『西便制』以来。現代韓国を舞台にした映画を見るのは初めてだ。タイトルはすんごいが、英語タイトルは「My sassy girl」直訳すれば「生意気な女の子」にすぎない。
 韓国語で漢字の「猟奇的な」の意味は、「奇妙な、変わっている」だそう。それにこの映画の影響で「クールでかっこいい」という意味も付け加えられて若い人が使うようになったんだとか。映画が語意を変えた。

 「猟奇的」とタイトルがつけば、日本語の語感ではその後ろに殺人事件でもこなければおさまらないところだが、「猟奇的な彼女」とそのままの文字にしたのは配給会社の陰謀か。たしかに「生意気な女の子」というタイトルなら、こんな座る席もないほどの人気映画にはならなかったかもしれない。

本日のやっかみ:30年前のsassy girlは、男どもに毛嫌いされたぞ。もてなかった「生意気女」のやっかみ。

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201507014
 1979年に出会ったナイロビ同窓生たちと2003年に再会。なつかしかったけれど、この時、タカ氏は参加せず。
 ケニアで出会ってから35年。ナイロビで青春をすごした人々、どうしているでしょう。

 ナイロビで出会った人たちの中で、ミニーというケニア人がいました。日本人と結婚したけれど、ご主人は経営しているラーメン屋の仕事が忙しいから、奥さんの帰省に同行していませんでした。ケニアに向かう飛行機の中でことばを交わしたミニーと、ナイロビの町でばったり出会ったのでびっくりし、いっしょにいるケニア人男性を紹介してと頼んだら、「夫です」と言うのでまたまたびっくり。「え?ご主人は日本人なんでしょう?日本にいるんでしょう」と尋ねると、「日本にいるときは日本人が夫だけれど、今わたしはケニアにいる。ケニアにいるときは、ケニアの人といっしょに暮らす」と、悪びれた風もなく言う。

 「今現在いっしょに生活している人が家族であり、今現在、夜いっしょに寝る人が夫」という彼女の考え方を教わりました。
 家族観はひとぞれぞれであり、「夫婦が離れている場合、妻は夫のみを愛して貞節を守るが、夫は現地妻を持つのも自由勝手」という考え方をする地域もあれば、「離れているときは、それぞれが自由に暮らす」という夫婦の考え方もあるのだと知らされ、私は「日本の固定した文化の見方だけで判断してはいけない」ということを、ミニーから学びました。

 中世ヨーロッパで、十字軍に従事する士卒が、妻の身体に「貞操帯」をつけさせて、妻が決して他の男と肌をあわせることができないようにした、というのも、離れていたら浮気するのが横行していたからこそ、そういう発想が出てきたんでしたね。
 
 1年に一度だけ会うのを許された恋人達。牽牛さんは、その1年の間、浮気なんぞしなかったのでしょうね。まさか、牽牛は織り姫に貞操帯をつけさせていた?いやいや二人は心から愛し合っていて、、、、、わかりませんけど。

 1979年の夏のナイロビを飛び回っていた西江雅之先生が6月14日に亡くなりました。文化人類学者、旅行エッセイの名手などなど肩書きには収まりきれない先生でしたが、私には言語学の師匠。
 サバンナを吹く風のように、カリブ海の雲のように、自由に世界中を旅した西江先生、いっそう自由な魂となって、吹き渡ってください。合掌。
 先生は一学生のことなんぞ忘れているか、覚えていたとしても「君なんぞに合掌されても、なんの御利益もあげません」と、おっしゃると思いますが。

<つづく>
コメント (4)
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