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ミンガラ春庭「ザ・レディ」

2015-07-05 00:00:01 | エッセイ、コラム


20150705
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ミャンマー事情(3)ザ・レディ

အောင်ဆန်းစုကြည်  ビルマ文字で、アウンサンスーチーと書いてあります。
 ミャンマー軍事政権下で、アウンサンスーチー女史の名を口にしただけで、秘密組織に密告され、逮捕される恐れがありました。そこで、人々はただ、「あの女性 ザ・レディ」とだけ呼ぶことにしました。
 あたりをはばかって「あの女性」と呼ぶ必要がなくなった現在では「、ビルマ語の女性敬称ドーをつけて、ドー・アウンサンスーチー(アウンサンスーチー女史)
略称「ドー・スーDaw Suu スー女史」と、呼ばれることも多いです。
  
 アウンサンスーチーさんは1945年、ビルマのラングーン(現ヤンゴン)で、アウンサン将軍を父とし、元インド大使キンチーを母として生まれました。インドの女子大学卒業後、イギリスのオックスフォード大学で学士号を受け、1972年、オックスフォードで出会ったイギリス人マイケル・アリスと結婚。息子ふたり、アレキサンダーとキムとともに、静かな家庭生活と研究生活なかに暮らしていました。
 1986年には京都大学で研究生活をおくるも、1988年、母親の病気介護のため帰国。以後、祖国にとどまりました。

 夫マイケルは癌に冒され、妻のもとで残りの月日を送りたいと希望しましたが、軍事政下でマイケルがミャンマーに入国することには制限が多く、また、スーチーがイギリスに出国した場合、ふたたびビルマに戻ることが許可されないとわかっていました。
 夫とは引き裂かれたままついに会うことかなわず、1999年にマイケル・スミスは死去。葬式にも参列できませんでした。

 2012年6月に、長きにわたった幽閉生活から解放され、スーチーは、国会議員となります。長年民主化運動の先頭にたってきたアウンサンスーチーは、国民からの絶大な信頼を得ています。しかし政府はミャンマー憲法を変え、外国籍の家族がいる者は、大統領になれない、と決定しました。2015年6月、この条項の改正を求めた案を否決。
 政府は、イギリスミャンマー二重国籍であったアウンサンスーチーの息子のビルマ国籍を剥奪した上、息子が外国籍であるから、スーチーに大統領被選挙権はない、としたのです。

 現在、少数民族ロヒンギャの問題に積極的な役割を果たそうとはしていないことによって、スーチー非難の声もあがっていますが、軍人出身のテインセイン大統領が政権を握っている以上、スーチー女史の政治活動は限定されたものになることは、わかっていることです。

 2012年に日本で公開された映画「ザ・レディ」は、リュック・ベッソン監督作品。ミシェル・ヨーがスーチーさんを演じました。
 映画は、引き裂かれても妻への支援をあきらめなかったマイケル・アリスを主人公としていました。



 映画『ザ・レディ』の冒頭、「ビルマ建国の父」アウンサン将軍(1915-1947)が、幼い娘にビルマの昔話を聞かせているシーンから始まります。迎えの車に乗って会議に出かけた父は、暗殺団によって銃殺され、娘は父に2度と会うことができませんでした。

 次のシーンは、スーチーの夫マイケル・アリス(1946-1999)が余命宣告を受ける場面。前立腺癌の進行により、早ければ数ヶ月、長ければ5年という診断でした。マイケルは双子の兄に「5年あれば、いろいろできる」と、妻への支援、学生への教育、息子二人の養育に意欲を示すのでした。

 アウンサンスーチーの生涯をもとにしたストーリーですが、メインは副題の「引き裂かれた愛」ですから、少女時代から成人するまでの伝記は割愛されています。
 スーチーは、大使となった母とともにインドに渡り、当地の女子大学で教育を受けたのち、オックスフォード大学に留学。1歳年下のマイケルと出会いました。

 1972年に結婚したふたりは、長男アレクサンダー、次男キムに恵まれ、マイケルは東洋文化学者として研究を続けていました。マイケルの双子の兄のアンソニー・アリスもチベット文化学者です。
 映画では、デヴィッド・シューリスが双子の両方を演じました。(シューリスはハリーポッターシリーズのリーマス・J・ルーピン役がよく知られていますが、深い愛情に満ちたスーチーの夫役もとてもよかったです)。

 スーチーを演じたのはミシェール・ヨー(楊紫瓊)。中国系マレーシア人で、元ミスマレーシア。バレリーナになるためにロンドンに留学していたので、英語ができるのは当然ですが、ビルマ語の演説シーンもとてもじょうずに聞こえました。(私はビルマ語ぜんぜんできないので、ほんとうに上手なのかどうかわからないのですが)。『宋家の三姉妹』での次女アイリン役もよかったですが、スーチーの冷静で強固な精神をよく表現していたと思います。

 アウンサンスーチーは、1988年に母キンチーの看病のためビルマに帰国。それ以後、一度出国すれば帰国が拒否され、二度と祖国に帰れない恐れがあるため、ビルマを離れることはありませんでした。
 マイケルはビルマ民主化にかける妻を理解し、支え続けます。自身が余命宣告を受けたのちも、妻の使命に殉じ、最愛の妻に会えない年月を耐えるのです。
 軍事政権によるスーチーの自宅軟禁は断続的に23年間(軟禁幽閉の合計は15年)に及びました。

 ビルマ民主化闘争は、学生や市民が虐殺迫害されるなど多くの犠牲者を出しましたが、1990年の選挙でスーチー率いる、国民民主連盟(NLD)が圧勝。しかし、軍事政権は国政をNLDに引き渡すことはせず、選挙結果を無視しました。

 マイケルは、「国際的に有名になれば、軍事政権もスーチーの命を奪うことはできなくなる」と考えて、スーチーにノーベル平和賞を与える運動を始めます。
 1991年にノーベル平和賞を受賞した際も、スーチーは自宅から出ることは許されず、受賞スピーチは息子が行いました。一家は、1995年のクリスマスに短い間ともに過ごすことができたのち、1999年3月にマイケル・アリスが癌の進行によって死去するまで、再会は許されませんでした。

 国際世論の非難もあり、何度か断続的に軟禁が解かれることがあったものの、完全な自由解放まで、自宅軟禁は23年にわたりました。
 現在アウンサンスーチーさんは、「外国籍の家族がいる者は~」という不合理な法律の改正を求めています。スーチーの息子達が保持していたビルマ国籍を剥奪したのは、軍事政権なのですから。

 ミャンマー(ビルマ)は、いくつもの少数民族が入り組んで暮らす、複雑な国勢です。さまざまな権力組織が入り乱れ、アウンサンスーチーさんへの誹謗中傷も絶え間なくわき起こります。日本での評判を見ただけでも、「夫のマイケル・アリスは東洋学の研究者、チベット学の教育者だというけれど、正式にオックスフォード大学の教員になったこともない。実は英国情報部の局員だったんじゃないか。スーチーはスパイの妻だ」という言説も流布しています。「スーチーは、ビルマを植民地にしたイギリスに魂を売った売国女だ」という論も見ました。

 大半が仏教徒であるビルマ族。イスラム教徒ロヒンギャ族。植民地時代にイギリス政府によりキリスト教徒化が行われた山岳地帯の少数民族。民族と宗教の対立は今なお根深い。

 ミャンマー軍事政権から民主化されたといっても、現大統領は軍人出身で軍事政権を引き継いでいます。日本の現政権は、2013年にビルマが日本に借りていた2000億円の円借款を返済不要とし、ミャンマー経済発展の利権を得ようと、経済界政界一体となって儲け話に血眼です。日本の経済人政治家が、利権を求めてハイエナのごとく群がっているようすが目に浮かびます。アウンサンスーチーの存在がこの利権獲得の邪魔になるなら、どんな悪口雑言もながすだろうと思います。

 素朴でだれにも親切であったミャンマ-の人々。これからは国をあげて「金儲け」に奔走する国になっていくのでしょうか。
 私がアウンサンスーチーさんを支持するのは、何度も軍事政権から「この国を出れば、自由に暮らせるし、家族ともいっしょにすごせる」と脅されても、祖国から離れなかったからです。私のような自分の身の回りの狭い範囲だけで損得勘定をするような人間には、思い及ばない、強い義務と誇りとが、彼女を祖国にとどまらせたのだ、と、映画を見て感じました。

 映画は、英仏合作であり、西欧視点での撮影です。だから、軍人ネ・ウィン将軍は思いっきり悪役に描かれています。迷信家で冷酷。また、アウンサン将軍を射殺する役の人は、あきらかに少数民族の顔つきをしていました。西欧側の偏見も多数はいっている映画ではありましたが、政治面だけでなく、家族を愛し家族との絆によって、非暴力の闘争を戦い抜いた女性の生き方を感じることができました。

 春庭のヤンゴンでの勤務。教室で政治がらみの話をすることは厳禁。日常生活でも、政治とは関わらないよう、注意深く行動しなければなりません。
 3月下旬1週間のヤンゴン滞在中も、下町の大通りで何のデモ行進かわからないけれど、バスの中からデモ隊を取り囲む警察だか軍だかにカメラを向けて撮ろうとしたら、バスの乗客に「よせ」と、注意を受けました。おっと、アブネー危ねー。日本のように、町を撮影するにも、気楽にぱちりとはいかない国でありました。

 もっともっとこの国ついて学ぶべきことはあるのですが、私の映画鑑賞ときたら、アウンサンスーチーを演じたミッシェル・ヨーと監督のリュック・ベンソンは、ロンドンのバレエ学校先輩後輩というのがおもしろいな、と感じる程度のヨタ話のほうが好きで、、、、はい、ちゃんと勉強しなければ。

<おわり>
コメント (4)
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