20150721
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(7)2003年のボリショイサーカス
2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/24 木 曇り
日常茶飯事典>ボリショイサーカス
午後、ボリショイサーカスを見に行く。蛍、花火、ボリショイサーカス、豊島園プールというのが、我が家の「夏の定番」である。蛍と花火はただで見られる。ボリショイサーカスは招待券で見られる。豊島園は共済会で安く買えるという理由で、20年間同じメニュー。
ここ数年「今年はいっしょに花火をみる最後かな」「いっしょにプールで泳ぐ最後の夏かな」と思いながらいっしょに過ごしてきて、ボリショイも何年か前に「これで最後かも」と、しみじみしながら見たのだが、娘が二十歳をすぎ、息子が中学3年になった今年もまた、いっしょに見ることになった。いっしょにでかけるのが好きな母子である。
娘は「教職課程介護体験」を受けるための健康診断があるからと大学へ行く。有明コロシアムの前で合流することになっていたので、自由席のB席招待券をA席指定席にランクアップする。娘がおくれてきても座れるように。
二人が保育園小学校のころは、この「ランクアップの千円、3人分3000円払ったら、帰りの電車賃がない」という状態だったことを思えば、ランクアップして、夕食も食べて帰れる程度に財布の中にお金が残っている現在の状況、貧乏度が「最底辺から少し上」くらいにはなっているのだ。
サーカスは、前半が犬や猫、熊の演技、目玉は空中ブランコ。後半が虎の演技、目玉がシーソーアクロバット。ブランコやアクロバットにハラハラし、犬や猫、熊の演技はかわいらしく、虎のガォーという吼え声はちょっとおそろしく、おもしろく見ていられた。私はキダムなどの「ミュージカル風サーカス」を見てみたいのだが、娘は「ミュージカルとかあんまり好きじゃないから、こういうサーカスだけの構成のほうがいい」という。
いっしょに夕ご飯を食べるつもりだったが、娘は友だちとご飯を食べる約束をしたからと、別れる。息子と汐留めシオサイトをひとまわりした。広場でオルガンを弾いている。広場に面した店から見えるので「ここで食べよう」と誘ったのに、息子は「こういう雰囲気は落ち着かないから」という。「あんた、こんなところで雰囲気に押されちゃ、将来宮中晩餐会に招かれたとき、堂々としていられないよ」と渇を入れたのだが、マックや牛丼屋じゃないと雰囲気に負けてしまう中坊クンである。
まあ、宮中が将来も存在しているとして(共産党も綱領を変えたし)招かれることはないからいいんだけどね。それで、スープストックというスープ専門店でスープだけ「腹の虫おさえ」に注文して、夕食は家に帰ってから残り物ですませた。
本日のひがみ:ボリショイ・アクロバットリーダーがほしいHP。キャノンワープロの読み出ししたい
2003/07/25 金 曇りのち雨
日常茶飯事典>ポストフェミニズム トークショウ
ビデオとSFJ3コマを終えて池袋へ。
7時から小森陽一と竹村和子の対談講演会があるというので、聴講券千円払う。6時45分まで、本をながめたり、椅子に座って雑誌「本とコンピュータ」を読んだ。立ち読みじゃなくて座り読みできる本屋が好き。でも、45分の間に興味があるところはあらかた読んじゃったから、買わなかった。すみませんね、貧乏人で。
8階コミュニティカレッジへ。客層は、堅そうなおばさんや、いかにも「お茶か駒場でゼミとってます」みたいな院生風か、どっちか。別にいいんだけどね。私だって「鏡開きもとうにすぎてカビが生えたモチのごとく堅そうな食えないおばさん」に見えているだろうから。
しゃべりは、竹村が話し出すと、小森が横からつっこむという進行。竹村の新編著『「ポスト」フェミニズム』小森の新編著『研究する意味』の宣伝を兼ねたトークショウなのだが、なかなかおもしろかった。
小森の「日本でもっともたくさん抗日戦争映画を見た少年」として育ったゆえ「抗日軍に取り囲まれ、銃で撃たれて蜂の巣にされる悪夢」を時々見るというトラウマが残った、という話。『小森陽一日本語に出会う』でもロシア語インターナショナルスクールのエピソードが出てくる。米原万里の父親は共産党幹部だったが、小森の父は何者?
竹村の「『タイタニック』の巧妙なアンチフェミニズム」解釈。労働者階級のデカプリオとブルジョアのお嬢様ローズの恋。ローズが労働者階級に近づいていったようにみせて、その実、タイタニックの日々を回想するローズは、有産階級の自分の地位を少しも失っておらず、結局彼女はなにひとつ失うことなく変わることもなかった。という解釈。この解釈「主人公には変わってほしい」という私の趣味と一致する。
現在の差別構造が「階層格差増大、貧困階層の再生産悪循環」に陥っているということへも言及されていたし、拡大家族、出入り自由の束縛なきゆるい結合家族、の可能性についても話が行ったところで、終わり。
質問タイムで「昔のリブ闘志」みたいなおばさんが質問したら、小森はさかんに「次はもっと若い人に質問してもらおう」と、お茶駒場院生風が座っているあたりに顔を向ける。「若い人たちどうですか」と水を向けたが、応答なし。次に質問したのは「若くないので、質問しづらいのですが」とツッコミをいれた「地方自治体男女参画事業推進課で働いています」みたいなおばさんだった。
若い人たち、どう見回しても「貧困階層の再生産悪循環」の中でのたうち回っているような人はいない。皆、おりこうそうな坊ちゃん嬢ちゃん。
竹村が指摘したように、上層では男女差別や人種差別はは昔ほど大きな抑圧や差別を生んでいない。優秀な女たち、優秀な有色人種は自分の能力でのし上がり、差別を受け付けない権利を手に入れることができる。問題は、貧困層ではよりいっそう弱い者が差別される構造から抜け出せないことだ。私だって、この講演会に1000円払えるくらいには、なった。世界水準からいえば、貧困層ではないのだろう。
小森は「最終的には、天皇制の問題にいきつく」と何度か言及して新自著『天皇の玉音放送』の宣伝もばっちり。
本を買ったらサインするということだったが、図書館で注文することにした。「おばはんより若い人」と、オバハン拒否!?の小森に印税はらわんぞ。
本日のひがみ:若くなくても読むフェミニズム
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20150712
この12年間代わり映えしなかったこと。
息子が「人生の長さ=彼女いない歴」であることと、娘が「結婚しない、またはしたくてもできない結婚適齢期女性」であることは、カワリがなかった。こういう時代、持参金をつけてやれる親(または、家の一軒くらい買ってやって、子守もしてやれる親)を持った女性なら早々に結婚相手を見つけられるのかも知れませんけれど。資産なし、年収なしの親ですからね。
相変わらず母子で仲良くおでかけできる、ありがたい「恋人いない娘と息子」です。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(7)2003年のボリショイサーカス
2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/24 木 曇り
日常茶飯事典>ボリショイサーカス
午後、ボリショイサーカスを見に行く。蛍、花火、ボリショイサーカス、豊島園プールというのが、我が家の「夏の定番」である。蛍と花火はただで見られる。ボリショイサーカスは招待券で見られる。豊島園は共済会で安く買えるという理由で、20年間同じメニュー。
ここ数年「今年はいっしょに花火をみる最後かな」「いっしょにプールで泳ぐ最後の夏かな」と思いながらいっしょに過ごしてきて、ボリショイも何年か前に「これで最後かも」と、しみじみしながら見たのだが、娘が二十歳をすぎ、息子が中学3年になった今年もまた、いっしょに見ることになった。いっしょにでかけるのが好きな母子である。
娘は「教職課程介護体験」を受けるための健康診断があるからと大学へ行く。有明コロシアムの前で合流することになっていたので、自由席のB席招待券をA席指定席にランクアップする。娘がおくれてきても座れるように。
二人が保育園小学校のころは、この「ランクアップの千円、3人分3000円払ったら、帰りの電車賃がない」という状態だったことを思えば、ランクアップして、夕食も食べて帰れる程度に財布の中にお金が残っている現在の状況、貧乏度が「最底辺から少し上」くらいにはなっているのだ。
サーカスは、前半が犬や猫、熊の演技、目玉は空中ブランコ。後半が虎の演技、目玉がシーソーアクロバット。ブランコやアクロバットにハラハラし、犬や猫、熊の演技はかわいらしく、虎のガォーという吼え声はちょっとおそろしく、おもしろく見ていられた。私はキダムなどの「ミュージカル風サーカス」を見てみたいのだが、娘は「ミュージカルとかあんまり好きじゃないから、こういうサーカスだけの構成のほうがいい」という。
いっしょに夕ご飯を食べるつもりだったが、娘は友だちとご飯を食べる約束をしたからと、別れる。息子と汐留めシオサイトをひとまわりした。広場でオルガンを弾いている。広場に面した店から見えるので「ここで食べよう」と誘ったのに、息子は「こういう雰囲気は落ち着かないから」という。「あんた、こんなところで雰囲気に押されちゃ、将来宮中晩餐会に招かれたとき、堂々としていられないよ」と渇を入れたのだが、マックや牛丼屋じゃないと雰囲気に負けてしまう中坊クンである。
まあ、宮中が将来も存在しているとして(共産党も綱領を変えたし)招かれることはないからいいんだけどね。それで、スープストックというスープ専門店でスープだけ「腹の虫おさえ」に注文して、夕食は家に帰ってから残り物ですませた。
本日のひがみ:ボリショイ・アクロバットリーダーがほしいHP。キャノンワープロの読み出ししたい
2003/07/25 金 曇りのち雨
日常茶飯事典>ポストフェミニズム トークショウ
ビデオとSFJ3コマを終えて池袋へ。
7時から小森陽一と竹村和子の対談講演会があるというので、聴講券千円払う。6時45分まで、本をながめたり、椅子に座って雑誌「本とコンピュータ」を読んだ。立ち読みじゃなくて座り読みできる本屋が好き。でも、45分の間に興味があるところはあらかた読んじゃったから、買わなかった。すみませんね、貧乏人で。
8階コミュニティカレッジへ。客層は、堅そうなおばさんや、いかにも「お茶か駒場でゼミとってます」みたいな院生風か、どっちか。別にいいんだけどね。私だって「鏡開きもとうにすぎてカビが生えたモチのごとく堅そうな食えないおばさん」に見えているだろうから。
しゃべりは、竹村が話し出すと、小森が横からつっこむという進行。竹村の新編著『「ポスト」フェミニズム』小森の新編著『研究する意味』の宣伝を兼ねたトークショウなのだが、なかなかおもしろかった。
小森の「日本でもっともたくさん抗日戦争映画を見た少年」として育ったゆえ「抗日軍に取り囲まれ、銃で撃たれて蜂の巣にされる悪夢」を時々見るというトラウマが残った、という話。『小森陽一日本語に出会う』でもロシア語インターナショナルスクールのエピソードが出てくる。米原万里の父親は共産党幹部だったが、小森の父は何者?
竹村の「『タイタニック』の巧妙なアンチフェミニズム」解釈。労働者階級のデカプリオとブルジョアのお嬢様ローズの恋。ローズが労働者階級に近づいていったようにみせて、その実、タイタニックの日々を回想するローズは、有産階級の自分の地位を少しも失っておらず、結局彼女はなにひとつ失うことなく変わることもなかった。という解釈。この解釈「主人公には変わってほしい」という私の趣味と一致する。
現在の差別構造が「階層格差増大、貧困階層の再生産悪循環」に陥っているということへも言及されていたし、拡大家族、出入り自由の束縛なきゆるい結合家族、の可能性についても話が行ったところで、終わり。
質問タイムで「昔のリブ闘志」みたいなおばさんが質問したら、小森はさかんに「次はもっと若い人に質問してもらおう」と、お茶駒場院生風が座っているあたりに顔を向ける。「若い人たちどうですか」と水を向けたが、応答なし。次に質問したのは「若くないので、質問しづらいのですが」とツッコミをいれた「地方自治体男女参画事業推進課で働いています」みたいなおばさんだった。
若い人たち、どう見回しても「貧困階層の再生産悪循環」の中でのたうち回っているような人はいない。皆、おりこうそうな坊ちゃん嬢ちゃん。
竹村が指摘したように、上層では男女差別や人種差別はは昔ほど大きな抑圧や差別を生んでいない。優秀な女たち、優秀な有色人種は自分の能力でのし上がり、差別を受け付けない権利を手に入れることができる。問題は、貧困層ではよりいっそう弱い者が差別される構造から抜け出せないことだ。私だって、この講演会に1000円払えるくらいには、なった。世界水準からいえば、貧困層ではないのだろう。
小森は「最終的には、天皇制の問題にいきつく」と何度か言及して新自著『天皇の玉音放送』の宣伝もばっちり。
本を買ったらサインするということだったが、図書館で注文することにした。「おばはんより若い人」と、オバハン拒否!?の小森に印税はらわんぞ。
本日のひがみ:若くなくても読むフェミニズム
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20150712
この12年間代わり映えしなかったこと。
息子が「人生の長さ=彼女いない歴」であることと、娘が「結婚しない、またはしたくてもできない結婚適齢期女性」であることは、カワリがなかった。こういう時代、持参金をつけてやれる親(または、家の一軒くらい買ってやって、子守もしてやれる親)を持った女性なら早々に結婚相手を見つけられるのかも知れませんけれど。資産なし、年収なしの親ですからね。
相変わらず母子で仲良くおでかけできる、ありがたい「恋人いない娘と息子」です。
<つづく>