20151209
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴンの寺(3)ダラの蛇寺
9月にバイクタクシーでめぐったヤンゴン市の川向こう、ダラ地区とトワンティ村。何カ所もお寺ばかり参拝したので、どれがどの寺だか、写真をみてもわからなくなってしまったのもあります。
最初に行ったダラ地区のお寺

蛇寺は、池の中にあり、水上寺になっていました。

蛇の餌売り。池の鯉にも餌を与えるのが「生き物供養」の功徳になる。人々がちゃんと功徳を積めるように、鯉のエサ(パンの耳)を買うまでついてきて離れません。

どんな小さな村でも、「むっつ、村々鎮守さま」みたいなお寺があるのですが、小さなほこらなんぞが鎮守になっている日本に比べ、村ごとの仏塔は、とても立派。
トワンティ村の焼き物工房を訪れたときも、壺を天日干ししている向こうに、村の仏塔が輝いていました。

私のミャンマー仏教理解は、まだまだ浅くて、表層的なことしかわかっていません。
原始仏教が分裂したとき、戒律をゆるくとらえて変更可能とした大衆部の大乗仏教と、あくまでも戒律をまもることをもって僧の本文とする上座部仏教に分かれました。そのため、ミャンマーの僧侶は、今も不妻帯、不金銭、午後の飲食禁止などの戒律を守っています。ただし、ミャンマーの僧は、清浄な肉なら食べてよいし、金銭を持たないと言っても、短期出家者などはごくふつうにケータイでおしゃべりしたり、金銭がなくては出来ない行動もしています。
輪廻転生が続く限り生の苦しみが続く。
、釈迦牟尼は、生の苦しみは輪廻の中にいる限り続く、永遠に続く輪廻から逃れる方法が出家、解脱である、と教え諭しました。
無明を断ち輪廻から解脱する方法は、戒律の厳守、瞑想の修行。上座部仏教では、僧は、この方法により、解脱をとげる。
男子は、一生に一度は出家の期間を持ちます。それで功徳が積まれる。
でも、出家が一番いいというのなら、短期出家で1週間ほど修行するより、いっそ仏教徒全員が本格的に出家すれば、全員が解脱でき、輪廻転生の苦しみは終わることになりませんか。
短期出家期間以外にも、在家信者達は「来世がよいものになるように」と、功徳を積もうとします。功徳を積めば、来世は今よりちょっとはいいステージにいけるかもしれない。けれど、来世がよいものになるように功徳を積むと言うことは、輪廻のくりかえしを現時点では肯定することになる。そこがわかりません。
経済発展が著しいミャンマーでは、高給取りもいれば、不動産や株利殖などで資産家も続々増えており、有力な僧侶は、不動産の寄進、高級車の寄進などもどしどし受けているそうです。エリート僧侶は、前世で功徳を積んだから現世で高僧となれたのだから、このような高額寄進を得る資格があり、どんな贅沢も「前世の功徳」のおかげ、という考え方に、まだなじめません。
日本の大乗仏教は、原始仏教からは大きな変更が加えられ、空海らが導入した密教も、中国で変容を遂げた仏教のひとつでした。鎌倉仏教でさらに変わる。
現在の僧侶は妻帯もするし、恋愛もする。
ホテルのテレビで、ワクワクジャパンというテレビ局から、月9の『5→9(5時から9時まで)〜私に恋したお坊さん〜』を放映する、という予告を見ました。山ピー演じるお坊さんが石原さとみに恋する、というドラマらしいですけれど、こういうストーリーを当地で放映してだいじょうぶかしら、と、思います。僧侶が恋愛するなんて、とんでもない破戒行為ですから。
もし、ドラマをミャンマーの人が見ても、山ピーを僧侶とは思わないのでだいじょうぶなのかもしれません。髪そってないし、袈裟は着ているけれど、夕ご飯も食べるし、破戒だらけ。 ドラマを見ているかぎりでは、山ピーは、なにひとつ僧侶らしい姿をみせていません。
はい、日本の僧侶とは、葬式しきるマスターオブセレモニー=MCのことであって、修行を積み功徳を積んだ僧侶ではないのですから。千日回峰とか、本格修行のお坊さん、ごくわずかです。
上座部仏教が、釈迦時代に決められたことを2500年間守っていることのもうひとつ。女性は出家できないこと。
ヤンゴンの町のなか、お寺でも、ピンクの僧衣をきて髪を剃っている女性修行者を見かけますが、女性は出家することができないので、修行はしてよいけれど、身分は一段と下、というところは、私には納得できないところ。
この先、ミャンマー仏教について、さらに学ぶ折があるかもしれません。どうも、「ゆる~い」大乗仏教が身についている私は、日夜釈迦に祈りを捧げ、僧に供物を届け、1羽100チャット払って小鳥を放生し、池の鯉に餌をやり、、、などの功徳を積む当地の勤勉なる仏教だと、たちまち落ちこぼれてしまいそうです。
<おわり>
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴンの寺(3)ダラの蛇寺
9月にバイクタクシーでめぐったヤンゴン市の川向こう、ダラ地区とトワンティ村。何カ所もお寺ばかり参拝したので、どれがどの寺だか、写真をみてもわからなくなってしまったのもあります。
最初に行ったダラ地区のお寺

蛇寺は、池の中にあり、水上寺になっていました。

蛇の餌売り。池の鯉にも餌を与えるのが「生き物供養」の功徳になる。人々がちゃんと功徳を積めるように、鯉のエサ(パンの耳)を買うまでついてきて離れません。

どんな小さな村でも、「むっつ、村々鎮守さま」みたいなお寺があるのですが、小さなほこらなんぞが鎮守になっている日本に比べ、村ごとの仏塔は、とても立派。
トワンティ村の焼き物工房を訪れたときも、壺を天日干ししている向こうに、村の仏塔が輝いていました。

私のミャンマー仏教理解は、まだまだ浅くて、表層的なことしかわかっていません。
原始仏教が分裂したとき、戒律をゆるくとらえて変更可能とした大衆部の大乗仏教と、あくまでも戒律をまもることをもって僧の本文とする上座部仏教に分かれました。そのため、ミャンマーの僧侶は、今も不妻帯、不金銭、午後の飲食禁止などの戒律を守っています。ただし、ミャンマーの僧は、清浄な肉なら食べてよいし、金銭を持たないと言っても、短期出家者などはごくふつうにケータイでおしゃべりしたり、金銭がなくては出来ない行動もしています。
輪廻転生が続く限り生の苦しみが続く。
、釈迦牟尼は、生の苦しみは輪廻の中にいる限り続く、永遠に続く輪廻から逃れる方法が出家、解脱である、と教え諭しました。
無明を断ち輪廻から解脱する方法は、戒律の厳守、瞑想の修行。上座部仏教では、僧は、この方法により、解脱をとげる。
男子は、一生に一度は出家の期間を持ちます。それで功徳が積まれる。
でも、出家が一番いいというのなら、短期出家で1週間ほど修行するより、いっそ仏教徒全員が本格的に出家すれば、全員が解脱でき、輪廻転生の苦しみは終わることになりませんか。
短期出家期間以外にも、在家信者達は「来世がよいものになるように」と、功徳を積もうとします。功徳を積めば、来世は今よりちょっとはいいステージにいけるかもしれない。けれど、来世がよいものになるように功徳を積むと言うことは、輪廻のくりかえしを現時点では肯定することになる。そこがわかりません。
経済発展が著しいミャンマーでは、高給取りもいれば、不動産や株利殖などで資産家も続々増えており、有力な僧侶は、不動産の寄進、高級車の寄進などもどしどし受けているそうです。エリート僧侶は、前世で功徳を積んだから現世で高僧となれたのだから、このような高額寄進を得る資格があり、どんな贅沢も「前世の功徳」のおかげ、という考え方に、まだなじめません。
日本の大乗仏教は、原始仏教からは大きな変更が加えられ、空海らが導入した密教も、中国で変容を遂げた仏教のひとつでした。鎌倉仏教でさらに変わる。
現在の僧侶は妻帯もするし、恋愛もする。
ホテルのテレビで、ワクワクジャパンというテレビ局から、月9の『5→9(5時から9時まで)〜私に恋したお坊さん〜』を放映する、という予告を見ました。山ピー演じるお坊さんが石原さとみに恋する、というドラマらしいですけれど、こういうストーリーを当地で放映してだいじょうぶかしら、と、思います。僧侶が恋愛するなんて、とんでもない破戒行為ですから。
もし、ドラマをミャンマーの人が見ても、山ピーを僧侶とは思わないのでだいじょうぶなのかもしれません。髪そってないし、袈裟は着ているけれど、夕ご飯も食べるし、破戒だらけ。 ドラマを見ているかぎりでは、山ピーは、なにひとつ僧侶らしい姿をみせていません。
はい、日本の僧侶とは、葬式しきるマスターオブセレモニー=MCのことであって、修行を積み功徳を積んだ僧侶ではないのですから。千日回峰とか、本格修行のお坊さん、ごくわずかです。
上座部仏教が、釈迦時代に決められたことを2500年間守っていることのもうひとつ。女性は出家できないこと。
ヤンゴンの町のなか、お寺でも、ピンクの僧衣をきて髪を剃っている女性修行者を見かけますが、女性は出家することができないので、修行はしてよいけれど、身分は一段と下、というところは、私には納得できないところ。
この先、ミャンマー仏教について、さらに学ぶ折があるかもしれません。どうも、「ゆる~い」大乗仏教が身についている私は、日夜釈迦に祈りを捧げ、僧に供物を届け、1羽100チャット払って小鳥を放生し、池の鯉に餌をやり、、、などの功徳を積む当地の勤勉なる仏教だと、たちまち落ちこぼれてしまいそうです。
<おわり>