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ぽかぽか春庭「2003年の文集つくり」

2015-12-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151212
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年三色七味日記12月(2)2003年の文集つくり

 2003年三色七味日記12月の再録を続けています。
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2003/12/03(水)
ニッポニア教師日誌>模擬授業

  午後、日本語教授法2コマ。
 模擬授業の2回目。それぞれ工夫した授業になっていて面白かった。

本日のひがみ:私の日本語教師になりたての頃より堂々としている教師ぶり


2003/12/04(木)
ニッポニア教師日誌>文集作り

 日本事情、作文2コマ。

 おおいそぎで近代現代史を駆け足。終戦後の分ができなかったが、試験には出すから、本を読んでおいて、ということで終了。あとは作文集の制作。毎年、もう作文集を作るのはやめようと思うのだが、できあがってみると、留学のいい記念になったかな、と自己満足。

本日の負け惜しみ:現代史は駆け足になったが、日本と自国の交流史発表で、多くのことを学べたという留学生に拍手


203/12/05(金)
日常茶飯事典>介護体験

 漢字、会話2コマ。

 娘は、介護体験のため足立区にある肢体不自由児の学校へ。今日は校内の見学など。来週マラソン大会のつきそい。

本日のつらみ:マラソンの伴走者ではなく、記録係になれてよかったと胸なでおろしている娘、太っていて走れない

2003/12/08(月)
ニッポニア教師日誌>年賀状の書き方

 漢字、作文2コマ。年賀状の書き方など。

 漢字のテキストに出ていた年賀状の文面を利用し、作文の時間に練習で書いてみる。ホームビジットしたお宅や指導教官へ、年賀状を出すように言う。「ただし、私の家には出さないで。返事を書くのたいへんだから」

本日のつらみ: 今年、私はタイムの喪中。うさぎでは喪中通知がだせないけれど、気持ちとしては、家族を失った喪中なのだ


2003/12/09(火)
ニッポニア教師日誌>ダンスでラポール

 漢字会話2コマ
 ジュンヨンさんは、12/11に韓国へ帰国するので、今日が年内最後の授業。趣味と実生活について話し合った。

 ジュンヨンさんは、趣味でエアロビやダンスをならった。韓国の運動会でも、子ども達のマスゲームやダンスの披露がある。このため、パクさんのクラスは学年で一番ダンスがうまいクラスとして有名になり、他のクラスの子どもたちは、みな「ジュンヨン先生のクラスはいいなあ、先生がダンスを上手に教えれれるから」と羨んだという。

 「ダンスをならったときは、仕事に役立つとか考えずに、自分の健康のため趣味のために習ったんですが、子ども達にいい影響をあたえられたし、ダンスを通じてこどもたちとほんとうに仲良くなれた」という。

 クラスで教えるとき、こどもの心を理解する方法はさまざまだ。ジュンヨンさんは、ダンスの練習をとおして、他のクラスにはない「私たちのクラスはダンスがうまい」という誇りを子ども達にあたえ、自信をつけさせた。それが他の教科の勉強にもいい影響を与えた。ラポールの見本のようなエピソードだった。

 北海道の荒れた中学校が「そーらん節」の踊りをとおしてよみがえったドキュメンタリーもあったが、踊りや歌は、クラスをひとつにまとめるために、本当にいい材料。

本日のそねみ:私のダンスは授業に役立たないが


2003/12/10(水)
ニッポニア教師日誌>最後の自慢話

 午前中、Aダンス。
 午後、日本語教授法2コマ。模擬授業3回目。皆、なれてきて、けっこううまく授業をこなしていた。

 「自慢じゃないけど自慢です」のコーナーは、特別コーナーで、2度目にやりたい人がとびいりでやる、ということにした。

 「○○さんがアルバイトしているサンシャイン水族館へ遊びに行ってきたので、報告します」という水族館のイベント報告あり、「私が取得した水難事故レスキュー員の資格について、取り方などを説飯します。まず、この資格は都道府県別に試験が行われるので、千葉県や神奈川県など、海がある県では取得が難しい。海での遠泳などが試験科目に加わります。埼玉県は海がないので、取りやすいので、資格が欲しい人は埼玉県で受験しましょう」などの報告あり。

 みな、自分の特技を報告するときは、楽しそうで生き生きしている。

本日のよそみ:水族館に行った報告「新婚の妻を連れて行きました」に、よそみしていた学生も「ナヌッ」と注目

2003/12/11(木)
ニッポニア教師日誌>日本事情試験

 日本事情作文2コマ。最終試験。

 作文と日本史。日本史は、ウーがカンニングしようとしたのを阻止。カンペなしでは39点しかとれなかったので、追試決定。
 点数はとれなくても、まじめに授業を受けて、まじめに試験を受ければ、良にするつもりだったのに、これでは「可」以外にだせない。

 留学生が「日本の歴史を学ぶ」ということを、私がどのようにとらえて授業をしてきたのか、一番日本語能力が低く、休みがちであったウーには伝わらなかったのだ。

 他の学生は「丸暗記して、正解をたくさんとることより、歴史を学ぼうとする意欲、自国との歴史をふりかえり、日本との交流史を知ることが大切」という私の方針を理解して試験に臨んだ。ウーは、先週も休んだし、試験を受ける際の注意事項も聞いていなかった。

 ひとりじゃ追試もつらかろうと、ランとバドにも追試を申し渡す。でも、あとで採点したら、バドはちゃんと点が取れていた。ただ、解答欄の書き方が正しくない部分があったのだ。

 作文試験の間に作文集にひとりひとりにコメントをつけた。人数が少ないからできたが、来年は30人では文集へのコメント書きも出来ないかも知れない。

本日のうらみ:点数じゃない、「歴史を知る」中で考えて欲しかったのに

2003/12/12(金)
ニッポニア教師日誌>入試

 会話、ビデオ3コマ。
 大学院の留学生入試が行われているというので、欠席者が多かった。
 ベンは、自分の入試ではなく、先週呼び寄せた奥さんを入学させるために手続きをしたり大忙し。今日も奥さんの入試につきそって、自分は授業を休んだ。


<つづく>
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20151212
 2003年も、ハイテンションはちゃりきの教師でした。
 2015年、いささかくたびれてきた老教師になりました。
 張り切り気持ちは12年前と変わりませんが、いかんせん、老体がついていかず、、、、。

 新学期の授業が始まりました。
 8日の授業は、先学期も日本語授業を受けた人のクラスだったので、1クラス30人以内に収まっているし、混乱は有りませんでした。

 しかし、問題は来週から始まるゼロスタートクラス。初めて日本語を習うクラス。最大54名補助椅子を入れても60名という教室に対して、学科長は120名までの登録を許可しました。この中から50名を選抜せよ、という。無理だ。

 まだ、日本語を習っていない学生にどうやって日本語試験をする?
 最初2回だけカタカナ授業を実施し、「月曜日に試験をするから週末にカタカナ50音を全部覚えてくること」と申し渡す。まだ書けない学生が多いだろうから、選択問題を半分にする。

 たとえば、鹿の絵にローマ字でShikaと書いておき、ツカ シカ シ刀」を出して、どれとが正しいか選ばせる。これだって、きっとむずかしいだろうと思います。
 私がビルマ文字の試験をされたら、○の上が切れているのと、下が切れているのと、右が切れている中、どれがKでどれがPか、と問われても、え~とっ、と、まごつくに違いない。

 そこで。カタカナテストだけではなく、「日本について関心を持っていること」というビルマ語作文を提出させて、ボスが120人分全部読み、判断してくれることになりました。私が「日本語をこれから始める学生に、日本語の試験をしても選べません」と強く抵抗した結果、老碩学に120枚の作文を読んでもらうことになったけれど、ボスは「当地の学生の日本への関心のアリ方を知る機会になる」と、引き受けてくれました。ありがたい。なんとか選抜できそうです。
コメント (6)
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