20151217
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記12月(6)2003年の成人式写真
2003年三色七味日記12月の再録を続けています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
2003/12/23(火)
日常茶飯事典>成人式写真前撮り
朝、10時すぎに家を出て、12時半着。時間がないので、娘は乗り換える間に、駅弁を食べる。駅からすももさんの車で、ベルズへ。
1時からの予約で、娘の着付け開始。
着付けの間、すもも、えりえりとランチ。パスタの店。おなかの具合がまだよくないので、パスタじゃなくて、リゾットを頼んだが、とても濃い味のリゾットだった。すももさんに半分食べてもらう。
食べ終わってベルズにもどると、ちょうど着付けが終わっていたところだった。
とてもかわいい。ピンクの桜柄の着物に、シルバーに桜の帯。ブルーの帯締め。髪飾りはももさんからのプレゼントの造花。
着物を着るのは七五三以来の娘、「苦しい、歩けない」とぼやく。
写真スタジオで撮影。そのあと、ベルズのいろいろな場所でスナップ撮影。結婚のチャペルの中とか、ヨーロピアンスタイルというパーティ会場とか。
私もいっしょにいっぱい撮ってもらった。娘を成人式まで育てた母の勲章である。
娘は「着物にお金をかけるなんてもったいないから、その分の現金もらって旅行したい」と言ったのだが、私の気持ちとしては「私が親にしてもらったことは、娘にもしてやりたい」
だから、夫の反対にかかわらず七五三の着物も着せたし、成人式の着物も予約した。
夫が「世界に飢えた子供がいることを憂えるといいながら、七五三の着物を買うという矛盾が許せない」というのも、それは夫の「首尾一貫した思想」として、認める。
そして、私のやり方「常に首尾一貫せず、自分中心に世の中回わしていく」というのも、私の生き方。ゆえに、七五三も成人式も、夫ぬきに勝手にやる。
もっとも、七五三成人式にかぎらず、すべての家庭生活から降りている夫なのだから、成人式だけ「どのように娘の成人を祝いましょう」と相談する必要もない。
娘の晴れ姿をアヤ伯母に見てもらおうと、一番星ホームへ行く。蜜柑一家と待ち合わせ。
しかし、アヤ伯母は、今朝倒れて病院へ行ったという。ICUに入っており、病室の面会時間はすぎているというので、会えないままになった。
すもも一家、蜜柑一家と、娘のお祝いパーティ。「たつま」で夕食。
東京に戻ったのは、12時ぎりぎりになった。
本日のつらみ:まだおなかの調子が悪いので、リゾットを残した。全部食べたかったのに
2003/12/24(水)
日常茶飯事典>15年戦争レポート
朝、息子をおこすのを忘れてしまった。終業式だったのに。なんてこった。
風邪をひいたという連絡を担任にして、「通知票はあとで郵送」ということにしてもらった。親子して「べつに通知票ほしくないよねぇ」と、意見が一致した。
「お母さんは、ネットに夢中で、息子を学校にやるのを忘れてしまったって、どうよ」と、娘に叱られたが、ま、しかたがない。息子の終業式より、自分のネット。
アヤ伯母は、昨日の朝方、ろれつがおかしいので、ホームの人が病院へ連れて行ったら、病院で倒れた。倒れてから病院へ行ったのでは間に合わなかったかも知れないが、たくさんの老人を見ているホームの人の機転で、ろれつが回らなくなった時点で、これはおかしい、ときづいてもらったのが幸いだった。
アヤ伯母を蜜柑とすももが見舞う。
意識も取り戻し、検査中。脳内に出血。回復したとしても、半身麻痺が残るという。88歳まで、がんばって長生きをしてきたが、いろんな不自由をかかえて最晩年をおくることになるのかな。かわいそう。
クリスマスイブだが、最後の最後まで、娘はレポート提出が残っていて、日本史のレポートをしあげなければならない。
「日本史概説っていう授業だけど、先生が近代戦略史の専門家だから、ずっと日清日露から15年戦争の話だけしている。
わたし、これまで日本史って勉強したことなかったから、いろいろな話聞けて面白いんだけど、戦争の話しばっかりなんだ。やたらに戦争についてくわしくなった。利益線と主権戦とか。正露丸って薬、露西亜を征伐する征露丸だったって、知ってた?」などいいながら、結局「おかあさん、私が要点説明するから、ワープロ打ちをやって」ということになる。
娘が学校へ行ったので、「ケーキは明日作るから、今夜は普通のごはんにしよう」ということになり、イブディナーはなし。
本日のつらみ:イブは15年戦争レポート書き
2003/12/25(木)
日常茶飯事典>プリンター
夫から電話。プリンターをもってこい、というので、息子に荷物を持たせ、事務所へ届けに行く。
四街道さんのパソコンと両方にインストールする。ランでつなげば簡単なんだろうけど、だれもパソコンわかるひとがいないので、わけがわかラン。
結局、パソコンに関しては息子が一番ましで、インストールしてくれた。プリンターは四街道さんのXPにつないだ。
夜、ローストチキンやポテトサラダ、賞味期限切れの前に食べちゃわないと、またダメになるから、という理由で「鱒寿司」プラスというおかしな組み合わせの献立になったが、一応これがクリスマスディナー。
本日のつらみ: おなかがいっぱいになったので、娘が作ったケーキは、明日食べるということにした
<つづく>
~~~~~~~~~~~
20151217
昨日、大学ではお昼過ぎと夕方2度停電。事務所での停電は、エアコンが切れること、コピー機がつかえなくなることが、最大の困ること。パソコンはバッテリーで3時間停電までは仕事続けられます。晩方の停電で困ることは、トイレまでの曲がりくねった廊下、ゴミバケツやいらない机などが放り出してある真っ暗な廊下を通って行かなければならないこと。しゃがみ式、手で洗面器の水をくんで流す方式のトイレ、洗面器から水汲み出すのも手探り。
しかし、もっと困るのは宿舎の停電。昨晩、洗濯機に洗濯物を入れて5分もしないうちに停電。テイクアウトしてきたおかずをカセットボンベのコンロで煮直して食べようとおもっていたのだけれど、真っ暗な中で火を使うのは危険。電気ポットでお湯を沸かせないから、お茶も飲めない。水を飲んでパソコンのスイットを入れる。バッテリーは十分。パソコンの灯りで懐中電灯を引き出しから探し出して、冷蔵庫にしまってあった残り物の茹でカリフラワーを食べようかと、マヨネーズをかけました。ウン?だめになっている。そうだ、停電が続く当地の冷蔵庫を信用してはいけなかった。冷蔵庫は扉つきの食品棚とこころえなければいけなかったのでした。
16日夜8時半からはじまった停電、朝6時に目覚めたとき、まだ部屋の中はまっくら。6時15分うっすら明るくなった頃、電気回復。やれやれ。
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記12月(6)2003年の成人式写真
2003年三色七味日記12月の再録を続けています。
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2003/12/23(火)
日常茶飯事典>成人式写真前撮り
朝、10時すぎに家を出て、12時半着。時間がないので、娘は乗り換える間に、駅弁を食べる。駅からすももさんの車で、ベルズへ。
1時からの予約で、娘の着付け開始。
着付けの間、すもも、えりえりとランチ。パスタの店。おなかの具合がまだよくないので、パスタじゃなくて、リゾットを頼んだが、とても濃い味のリゾットだった。すももさんに半分食べてもらう。
食べ終わってベルズにもどると、ちょうど着付けが終わっていたところだった。
とてもかわいい。ピンクの桜柄の着物に、シルバーに桜の帯。ブルーの帯締め。髪飾りはももさんからのプレゼントの造花。
着物を着るのは七五三以来の娘、「苦しい、歩けない」とぼやく。
写真スタジオで撮影。そのあと、ベルズのいろいろな場所でスナップ撮影。結婚のチャペルの中とか、ヨーロピアンスタイルというパーティ会場とか。
私もいっしょにいっぱい撮ってもらった。娘を成人式まで育てた母の勲章である。
娘は「着物にお金をかけるなんてもったいないから、その分の現金もらって旅行したい」と言ったのだが、私の気持ちとしては「私が親にしてもらったことは、娘にもしてやりたい」
だから、夫の反対にかかわらず七五三の着物も着せたし、成人式の着物も予約した。
夫が「世界に飢えた子供がいることを憂えるといいながら、七五三の着物を買うという矛盾が許せない」というのも、それは夫の「首尾一貫した思想」として、認める。
そして、私のやり方「常に首尾一貫せず、自分中心に世の中回わしていく」というのも、私の生き方。ゆえに、七五三も成人式も、夫ぬきに勝手にやる。
もっとも、七五三成人式にかぎらず、すべての家庭生活から降りている夫なのだから、成人式だけ「どのように娘の成人を祝いましょう」と相談する必要もない。
娘の晴れ姿をアヤ伯母に見てもらおうと、一番星ホームへ行く。蜜柑一家と待ち合わせ。
しかし、アヤ伯母は、今朝倒れて病院へ行ったという。ICUに入っており、病室の面会時間はすぎているというので、会えないままになった。
すもも一家、蜜柑一家と、娘のお祝いパーティ。「たつま」で夕食。
東京に戻ったのは、12時ぎりぎりになった。
本日のつらみ:まだおなかの調子が悪いので、リゾットを残した。全部食べたかったのに
2003/12/24(水)
日常茶飯事典>15年戦争レポート
朝、息子をおこすのを忘れてしまった。終業式だったのに。なんてこった。
風邪をひいたという連絡を担任にして、「通知票はあとで郵送」ということにしてもらった。親子して「べつに通知票ほしくないよねぇ」と、意見が一致した。
「お母さんは、ネットに夢中で、息子を学校にやるのを忘れてしまったって、どうよ」と、娘に叱られたが、ま、しかたがない。息子の終業式より、自分のネット。
アヤ伯母は、昨日の朝方、ろれつがおかしいので、ホームの人が病院へ連れて行ったら、病院で倒れた。倒れてから病院へ行ったのでは間に合わなかったかも知れないが、たくさんの老人を見ているホームの人の機転で、ろれつが回らなくなった時点で、これはおかしい、ときづいてもらったのが幸いだった。
アヤ伯母を蜜柑とすももが見舞う。
意識も取り戻し、検査中。脳内に出血。回復したとしても、半身麻痺が残るという。88歳まで、がんばって長生きをしてきたが、いろんな不自由をかかえて最晩年をおくることになるのかな。かわいそう。
クリスマスイブだが、最後の最後まで、娘はレポート提出が残っていて、日本史のレポートをしあげなければならない。
「日本史概説っていう授業だけど、先生が近代戦略史の専門家だから、ずっと日清日露から15年戦争の話だけしている。
わたし、これまで日本史って勉強したことなかったから、いろいろな話聞けて面白いんだけど、戦争の話しばっかりなんだ。やたらに戦争についてくわしくなった。利益線と主権戦とか。正露丸って薬、露西亜を征伐する征露丸だったって、知ってた?」などいいながら、結局「おかあさん、私が要点説明するから、ワープロ打ちをやって」ということになる。
娘が学校へ行ったので、「ケーキは明日作るから、今夜は普通のごはんにしよう」ということになり、イブディナーはなし。
本日のつらみ:イブは15年戦争レポート書き
2003/12/25(木)
日常茶飯事典>プリンター
夫から電話。プリンターをもってこい、というので、息子に荷物を持たせ、事務所へ届けに行く。
四街道さんのパソコンと両方にインストールする。ランでつなげば簡単なんだろうけど、だれもパソコンわかるひとがいないので、わけがわかラン。
結局、パソコンに関しては息子が一番ましで、インストールしてくれた。プリンターは四街道さんのXPにつないだ。
夜、ローストチキンやポテトサラダ、賞味期限切れの前に食べちゃわないと、またダメになるから、という理由で「鱒寿司」プラスというおかしな組み合わせの献立になったが、一応これがクリスマスディナー。
本日のつらみ: おなかがいっぱいになったので、娘が作ったケーキは、明日食べるということにした
<つづく>
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20151217
昨日、大学ではお昼過ぎと夕方2度停電。事務所での停電は、エアコンが切れること、コピー機がつかえなくなることが、最大の困ること。パソコンはバッテリーで3時間停電までは仕事続けられます。晩方の停電で困ることは、トイレまでの曲がりくねった廊下、ゴミバケツやいらない机などが放り出してある真っ暗な廊下を通って行かなければならないこと。しゃがみ式、手で洗面器の水をくんで流す方式のトイレ、洗面器から水汲み出すのも手探り。
しかし、もっと困るのは宿舎の停電。昨晩、洗濯機に洗濯物を入れて5分もしないうちに停電。テイクアウトしてきたおかずをカセットボンベのコンロで煮直して食べようとおもっていたのだけれど、真っ暗な中で火を使うのは危険。電気ポットでお湯を沸かせないから、お茶も飲めない。水を飲んでパソコンのスイットを入れる。バッテリーは十分。パソコンの灯りで懐中電灯を引き出しから探し出して、冷蔵庫にしまってあった残り物の茹でカリフラワーを食べようかと、マヨネーズをかけました。ウン?だめになっている。そうだ、停電が続く当地の冷蔵庫を信用してはいけなかった。冷蔵庫は扉つきの食品棚とこころえなければいけなかったのでした。
16日夜8時半からはじまった停電、朝6時に目覚めたとき、まだ部屋の中はまっくら。6時15分うっすら明るくなった頃、電気回復。やれやれ。