2015129
ミンガラ春庭ミャンマー通信>2015ヤンゴン日記12月(7)ダウンタウンのももちゃんち再訪
日本の皆様におかれましては、25日には仕事納めをすませて、26日土曜日から1月3日まで9連休という会社も増えたとか。ま、それほどたっぷりではなくても、1月1日に働く人は平日よりは少ないでしょうし、年末年始に働く人は、そのあと代休とかがある。
当地ヤンゴンには年末もなく、31日まで授業だとぼやいておりました。ニューイヤーホリディは1月1日のみだ、なんでこう働き続けるのだと嘆いておりましたが、休みが1月1日のみ、なんて、そんなことはないのでありました、、、、ニューイヤーホリディは1月1日のみどころか、1月1日も祝日ではなく、平日。会社は仕事するし大学は授業する。晦日も正月も当地にはなし。当地の新年祝いは4月です。でも4月の水掛け祭りのときは、帰国していますから、休日関係なし。
衝撃!せめて1月1日だけは新年祝日なのかと信じてきたのに。
晦日も1月1日も平日で、当然代休もなし。
クリスマスイブイブの天皇誕生日に休めないのは仕方がないとして、1月1日が祝日にならないのは衝撃でした。
祝日はそれぞれの国の大事な日ですから、ミャンマーにはミャンマーの大事な日があります。国軍記念日3月27日です。って、土曜日だよ!!
てな具合で、日々の労働に励んでいる春庭です。
特に12月は当地では新学期開始。新入生は入ってくるし、科目登録はあるし、50人分の椅子しかない教室に120名まで登録させろというので、選抜試験をしなければならなかったし、毎日ブラック企業サービス残業の日々でした。残業しても残業手当などなく、欠勤するとその分の日給は差し引かれる、という勤務形態です。
さて、そんな過酷労働のなか、momoちゃんちに行ってきました。
9月にmomoちゃんのお宅におしゃましたことを書きました。本名はAzunmo(エイズンモー)さんですが、通称は「momo」さん。
9月に、約束しました。12月にヤンゴンに来たときは、momoさんと私でミャンマー語と日本語の相互教授をしましょう、と。
しかし、当地は12月が新学期。私は新学期立ち上げで多忙であったし、彼女も試験があったりで、ようよう27日に彼女の家に行くことになりました。
写真を撮らせてもらった、momoさんの家の居間。一番大事なのはお釈迦様おわす仏壇です。夜になると、お釈迦様後ろの光背が、ネオンサインみたいにぴかぴか光ってぐるぐる回るのです。

夜に電気がついてぴかぴか光る光背は、ミャンマー仏壇の標準装備。お店の片隅にもIT企業の事務所でもお役所でも、どこでも仏壇があります。

部屋のもう片隅には、「ナッ神」の像も。
来世によい生まれになることを願うお釈迦様。現世のことは、ミャンマーの土俗神である「ナッ神」にお願いする。日本の神仏習合とはことなり、仏と神は、全く別の存在として意識されており、「ナッ神」は仏とは別に現世利益のために信仰されています。

実を言うと、日本語とビルマ語の交換教授の約束、私にとって少々荷が重くなっていたのです。momoさんの希望は、土曜日か日曜日。下町のmomoさんの家で教えあう、ということだったのですが、やはり仕事を月-金でこなすと、土日はでかける気力もなく家で休むのが一番、という気になってしまいます。
そこで、東京の派遣元大学からヤンゴンに1年間の交換留学で来ている女子学生ふたりに、momoさんを紹介することにしました。大学学部1年次夏休みにショートステイ、学部3年か修士課程1年で1年間の交換留学生となることが、推奨されている、語学専攻の大学ですが、今回3年生で留学したのは同期8人のうちこの2名のみ。修士課程はなし。
交換留学生は、大学構内の女子寮に住み、必ずミャンマー人ルームメートと同室になります。ルームメートがなにくれとなく世話をしてくれるのですが、寮と大学校舎の往復だけでは、寮の外の世界に出て行く機会が少なくなります。
買い物などに行くのは、近場のレーダン市場でも間に合いますが、ミャンマー人の一般家庭を訪問し、ミャンマー語を話す機会が得られれば、語学留学の目的にとっても、利のあることです。
momoさんは、外国語大学ロシア語学科でロシア語専攻しているほか、フランス語、韓国語の交換教授もしています。中国語の交換教授は、中国人留学生が帰国してしまったので、今はおやすみ。そのかわり、これまで続けてきた日本語の勉強を強化したい、という希望を持っています。
ビルマ語を学びに来た留学生ふたりにとって、週に一度くらい寮の外の空気を吸うことがよい刺激になるだろうと思いました。
momoさんとの交換教授をふたりにお願いできないかと思い、27日にいっしょにmomoさんの家に行きました。ふたりは、momoさんと意気投合し、毎週日曜日に交換教授をする約束が整いました。
ふう、よかった。私が日本語を教える時間がない、となったら、9月にかわした約束を破ることになるし、どうしようと思っていたので、助かりました。
1時半から3時半まで、1時間交代で教え会う約束です。
momoさんのお母さんが、ミャンマーデザートをふるまってくれました。ココナッツミルクの甘い汁のなかに、春雨みたいなゼリーみたいなのが入っています。このおやつの名前をきくのを忘れました。

美人親子と並ぶのは気がひけますが。記念に。
部屋の壁には一面家族の写真が飾られていますが、アウンサン将軍とアウンサンスーチー女史の肖像も。NLD(国民民主連盟・National League for Democracy、NLD)支持者の家の標準装備です。

3時半にmomoさんの家を辞し、女子留学生と下町をぶらぶらと歩きました。インド人街と呼ばれるあたり。通りからはクミンやターメリックを使ったインドカレーの匂いも漂ってきます。

通りのチャイ屋で、ヨーグルトを飲んで一休みしました。インドヨーグルト飲料ラッシーは、濃くて甘い。

古ぼけたビルの間を通り抜けました。たぶん、英領時代からのビルが残されている。メンテナンスということをしないお国柄なので、どのビルも薄汚れ古びています。
たぶん、築80年100年という建物。日本なら文化財なのですが、ふつうに人が住んでいます。


寮の門限は6時というので、5時過ぎにはタクシーを拾いました。「私たち交換留学生は、きちっと門限を守ったり大学の規則を守らないと、次の交換留学生に不利なことになったり、私たち自身が留学中止に追い込まれたりしかねないので、品行方正規則遵守で暮らさなければならないんです」と、女子留学生はかなりきまじめな生活ぶり。
うん、週に1回下町に出かけるのはきっとよい留学効果をもたらすだろうと、安心しつつ帰宅しました。
<おわり>
ミンガラ春庭ミャンマー通信>2015ヤンゴン日記12月(7)ダウンタウンのももちゃんち再訪
日本の皆様におかれましては、25日には仕事納めをすませて、26日土曜日から1月3日まで9連休という会社も増えたとか。ま、それほどたっぷりではなくても、1月1日に働く人は平日よりは少ないでしょうし、年末年始に働く人は、そのあと代休とかがある。
当地ヤンゴンには年末もなく、31日まで授業だとぼやいておりました。ニューイヤーホリディは1月1日のみだ、なんでこう働き続けるのだと嘆いておりましたが、休みが1月1日のみ、なんて、そんなことはないのでありました、、、、ニューイヤーホリディは1月1日のみどころか、1月1日も祝日ではなく、平日。会社は仕事するし大学は授業する。晦日も正月も当地にはなし。当地の新年祝いは4月です。でも4月の水掛け祭りのときは、帰国していますから、休日関係なし。
衝撃!せめて1月1日だけは新年祝日なのかと信じてきたのに。
晦日も1月1日も平日で、当然代休もなし。
クリスマスイブイブの天皇誕生日に休めないのは仕方がないとして、1月1日が祝日にならないのは衝撃でした。
祝日はそれぞれの国の大事な日ですから、ミャンマーにはミャンマーの大事な日があります。国軍記念日3月27日です。って、土曜日だよ!!
てな具合で、日々の労働に励んでいる春庭です。
特に12月は当地では新学期開始。新入生は入ってくるし、科目登録はあるし、50人分の椅子しかない教室に120名まで登録させろというので、選抜試験をしなければならなかったし、毎日ブラック企業サービス残業の日々でした。残業しても残業手当などなく、欠勤するとその分の日給は差し引かれる、という勤務形態です。
さて、そんな過酷労働のなか、momoちゃんちに行ってきました。
9月にmomoちゃんのお宅におしゃましたことを書きました。本名はAzunmo(エイズンモー)さんですが、通称は「momo」さん。
9月に、約束しました。12月にヤンゴンに来たときは、momoさんと私でミャンマー語と日本語の相互教授をしましょう、と。
しかし、当地は12月が新学期。私は新学期立ち上げで多忙であったし、彼女も試験があったりで、ようよう27日に彼女の家に行くことになりました。
写真を撮らせてもらった、momoさんの家の居間。一番大事なのはお釈迦様おわす仏壇です。夜になると、お釈迦様後ろの光背が、ネオンサインみたいにぴかぴか光ってぐるぐる回るのです。

夜に電気がついてぴかぴか光る光背は、ミャンマー仏壇の標準装備。お店の片隅にもIT企業の事務所でもお役所でも、どこでも仏壇があります。

部屋のもう片隅には、「ナッ神」の像も。
来世によい生まれになることを願うお釈迦様。現世のことは、ミャンマーの土俗神である「ナッ神」にお願いする。日本の神仏習合とはことなり、仏と神は、全く別の存在として意識されており、「ナッ神」は仏とは別に現世利益のために信仰されています。

実を言うと、日本語とビルマ語の交換教授の約束、私にとって少々荷が重くなっていたのです。momoさんの希望は、土曜日か日曜日。下町のmomoさんの家で教えあう、ということだったのですが、やはり仕事を月-金でこなすと、土日はでかける気力もなく家で休むのが一番、という気になってしまいます。
そこで、東京の派遣元大学からヤンゴンに1年間の交換留学で来ている女子学生ふたりに、momoさんを紹介することにしました。大学学部1年次夏休みにショートステイ、学部3年か修士課程1年で1年間の交換留学生となることが、推奨されている、語学専攻の大学ですが、今回3年生で留学したのは同期8人のうちこの2名のみ。修士課程はなし。
交換留学生は、大学構内の女子寮に住み、必ずミャンマー人ルームメートと同室になります。ルームメートがなにくれとなく世話をしてくれるのですが、寮と大学校舎の往復だけでは、寮の外の世界に出て行く機会が少なくなります。
買い物などに行くのは、近場のレーダン市場でも間に合いますが、ミャンマー人の一般家庭を訪問し、ミャンマー語を話す機会が得られれば、語学留学の目的にとっても、利のあることです。
momoさんは、外国語大学ロシア語学科でロシア語専攻しているほか、フランス語、韓国語の交換教授もしています。中国語の交換教授は、中国人留学生が帰国してしまったので、今はおやすみ。そのかわり、これまで続けてきた日本語の勉強を強化したい、という希望を持っています。
ビルマ語を学びに来た留学生ふたりにとって、週に一度くらい寮の外の空気を吸うことがよい刺激になるだろうと思いました。
momoさんとの交換教授をふたりにお願いできないかと思い、27日にいっしょにmomoさんの家に行きました。ふたりは、momoさんと意気投合し、毎週日曜日に交換教授をする約束が整いました。
ふう、よかった。私が日本語を教える時間がない、となったら、9月にかわした約束を破ることになるし、どうしようと思っていたので、助かりました。
1時半から3時半まで、1時間交代で教え会う約束です。
momoさんのお母さんが、ミャンマーデザートをふるまってくれました。ココナッツミルクの甘い汁のなかに、春雨みたいなゼリーみたいなのが入っています。このおやつの名前をきくのを忘れました。

美人親子と並ぶのは気がひけますが。記念に。
部屋の壁には一面家族の写真が飾られていますが、アウンサン将軍とアウンサンスーチー女史の肖像も。NLD(国民民主連盟・National League for Democracy、NLD)支持者の家の標準装備です。

3時半にmomoさんの家を辞し、女子留学生と下町をぶらぶらと歩きました。インド人街と呼ばれるあたり。通りからはクミンやターメリックを使ったインドカレーの匂いも漂ってきます。

通りのチャイ屋で、ヨーグルトを飲んで一休みしました。インドヨーグルト飲料ラッシーは、濃くて甘い。

古ぼけたビルの間を通り抜けました。たぶん、英領時代からのビルが残されている。メンテナンスということをしないお国柄なので、どのビルも薄汚れ古びています。
たぶん、築80年100年という建物。日本なら文化財なのですが、ふつうに人が住んでいます。


寮の門限は6時というので、5時過ぎにはタクシーを拾いました。「私たち交換留学生は、きちっと門限を守ったり大学の規則を守らないと、次の交換留学生に不利なことになったり、私たち自身が留学中止に追い込まれたりしかねないので、品行方正規則遵守で暮らさなければならないんです」と、女子留学生はかなりきまじめな生活ぶり。
うん、週に1回下町に出かけるのはきっとよい留学効果をもたらすだろうと、安心しつつ帰宅しました。
<おわり>