20151226
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2015ヤンゴン日記12月(5)ヤンゴンボクシングデイ
ボクシングデイというのは、クリスマスの翌日、家で食べたごちそうの残り物を、使用人のために箱(ホックスBox)に箱詰めにする(Boxing)することですって。
もともとは、クリスマスミサの翌日に、教会が貧しい人たちのために残り物を与える、聖ステファノ(聖人ステファン)の祝日。英連邦キリスト教圏で盛んな行事だということですが、英語圏でもキリスト教圏でもない日本、そもそも使用人なんぞいる家庭はごく少ないでしょうし、一般的には流行らなかった行事です。ハロウィーンはあっというまに大はやりになったのに。
当地は、英領時代に少数民族をキリスト教に改宗させて軍人として採用し、ビルマ民族対策としていた経緯があるので、大多数を占める仏教徒にとって、キリスト教徒は、対イスラム教徒よりは軋轢が少ないですが、政治的宗教的になにかと微妙な間柄です。
仏教が国教(に準ずる宗教)である当地。満月の日に行われる仏教行事日は祝日になっています。そして、イスラム教キリスト教にも配慮して、イスラム正月とクリスマスも祝日になります。
クリスマス25日金曜日は祝日で、大学も休み。しかし、年末は12月31日まで仕事です。
日本でクリスマスが国民行事として定着したのは、もともと冬至を祝う古くからの感覚があったからです。冬至は、短くなってきた太陽の生命力がこの日に復活し、だんだん活力を取り戻すめでたい日。ゲルマン民族の冬至の祭りも、キリスト教と結びつくことで、冬至祭りがイエス様の誕生日となったのであって、冬至を祝う感覚は、日本もキリスト教圏も同じ。
春夏秋冬ではなく、乾期暑季雨期の三つである当地には、当然「冬至」は無縁です。街中にはクリスマスツリーをデコレイトしている店もあったし、用品店には赤いサンタ服を売っている店もありましたが、町全体としては、クリスマス、カンケーネー、の感じ。こどもたちへ、サンタさんがプレゼントを運ぶという習慣もきかない。
そもそも子供の誕生日には、両親揃ってお寺にお参りをして僧侶に寄進をするのが誕生日祝いです。誕生日の人は、周囲の人に感謝をこめて、贈り物をする。イエス様の誕生日なら、イエスさまが、「みんなぁ、2000年ものあいだ、私をしんじてくれていて、ありがとさん」と、信者の家にプレゼントを配っていくのが筋、と思うんじゃないかな。
私にボックス詰め合わせをプレゼントしてくれるありがとさんの方はいませんでしたけれど、私は、ボス夫人にお手玉授業のお礼としてシルク布地をプレゼントしました。
ミャンマーシルクを買いたかったのですが、店がわからなかったので、輸入タイシルク専門店で。
いつもロンジーをすてきに着こなしているボス夫人に、どんな色が好みかわからないので、オレンジ系、ブルー系、パープル系の3着分を買い、選んでもらったところ、ブルー系がいちばんすてきとおっしゃったので、ブルーをプレゼント。ボス夫妻は、24日夜、日本へ帰国。
私は残ったパープル系で、当地の衣装であるロンジーを作ることにしました。今年たくさん働いた、自分にごほうびです。
24日昼休みに、大学近くのレーダン市場で買い物。夕食用のカリフラワーやみかんを購入。インドネシアのバティック柄コットンが目に入ったので、これも買いました。あとでシルクといっしょに、ロンジー縫製の店で仕立ててもらおうと思います。
24日夜は、イブだろうとなんだろうと恒例の停電。宿舎に帰ったら自分の部屋のドアもわからないようなまっくらけ。守衛さんがライターをつけて鍵穴の位置を教えてくれました。
1時間たっても電気回復せず、パソコンのバッテリーも緊急連絡用にとっておかなければなりませんから、8時すぎ、なにも食べずに寝てしまいました。午前2時に目がさめたので、カリフラワーを茹でて、みかんといっしょにたべました。なんとヘルシーなダイエットディナー。
ロンジー履いてもくっくりわかるおなかのポンポコリンが。すこしはへこむといいのだけれど。
25日は、当地の教会にクリスマスミサ見学に行こうかなあと思っていました。
でも、午前中ずっと停電で、休日にしかする時間がない洗濯なのに、洗濯機は電気なしでは回ってくれず、電気回復まで待つことにしました。午後1時間ほど電気が回復したので、その間に洗濯。洗濯干し終わったら、また停電。
出かける気分じゃなかったのですが、こういうとき、停電で信用おけない冷蔵庫には白菜とキャベツの残り物しか入っていない。料理気分も失せてしまいました。
こんなときありがたいのは隣のMICTパークです。最先端のIT企業が集まっているところですから、隣近所がいっせいに停電しても、自家発電のジェネレーターが働き出す。思った通り、MICTパークには電気がついていました。しかし、カンティーンの食堂はみな休業中。キングカフェだけ皆川夫妻が店にいましたが、それは今日のクリスマス休業中に、店の前をレンガで舗装するため。工事人たちはクリスマス関係なく働いていました。
キングカフェに明日土曜日のランチデリバリーを頼んでインセイン通りへ。
MICTパークインセイン通り側の出口の向かい側にある「タイポット」という焼き肉屋が開店していて、賑わっていました。
家族連れや友人グループでいっぱいの店内でひとり焼き肉。カセットコンロの鍋の中央はジンギスカン焼き肉、そのまわりにお湯をはってこちらはスープ煮にして食べる。
一人前は10000チャット1000円で食べ放題。ただし、日本人の味覚からいうと、牛肉豚肉は固すぎて、いくら食べ放題でも、噛んでいる歯が疲れる。まあまあなのは鶏肉と魚、いか、えび。しかし、「あ、しまった、醤油瓶もってくるんだった」と、思いました。焼き肉のたれは、ナンプラーっぽいのに唐辛子入れたたれと、ケチャップにチリソースいれたのと。むしろ塩だけで食べたいと思いましたが、ここで食べるという気もなく寄ったので、「塩、ください」というミャンマー語も出てこない。英語はまったく通じない。もしかしたら、タイ語がわかる店員がいたのかもしれませんが。
私がまごまごしているとみて、店員のひとりが焼く係を引き受けてくれて、私は食べる専門になりました。やさいをたっぷりたべたかったのだけれど、彼は肉のほうがごちそうだと信じていて肉のブッフェに取りに行こうとしたので、必死に単語を頭にうかべて「ンガー(魚)、チェッター(トリ肉)」と叫ぶ。。彼は理解して、英語表記ではButterfishと書いてあった、よくわからない魚を持ってきてくれました。
食べ放題だとついつい「モトとらなきゃ」という気分になる私。おなかいっぱい食べましたとも。
店内には50年代60年代ポップスがかかっていて、私にはなつかしい、「カラーに口紅」とか、「オブラディオブラダ」とかいっしょに口ずさみながら食べました。女性歌手がカバーしている日本語の「上を向いて歩こう」がかかったので、カラオケがわりに歌いました。すみっこのテーブルでひとりカラオケのバーサンのうた、だれも聞いちゃいないので、ヘーキ平気。
宿舎への帰り道。MICTパークの中には守衛さんしかいないので、上を向いて歩こうを歌いながら帰りました。
♪ 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く ひとりぼっちの夜
悲しみは星のかげに 悲しみは月のかげに、、、
ららら、クリスマスの夜は満月。秋のスーパームーンを見逃したけれど、クリスマスムーンもとっても大きい。ヤンゴンの夜空に煌々と月明かり。
上を向いて歩こう!
ボクシングディのプレゼントは、箱づめでなくメールで届きました。娘が日本でオトート君のために作ったクリスマスケーキ。いつも母と3人だったのに、母がいないから、小さめのスポンジケーキを土台にしたけれど、生クリームはいつもと同じ量だったから、やたらにクリームが分厚く塗られたケーキになった、という品。私には、目のごちそうです。
<つづく>
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2015ヤンゴン日記12月(5)ヤンゴンボクシングデイ
ボクシングデイというのは、クリスマスの翌日、家で食べたごちそうの残り物を、使用人のために箱(ホックスBox)に箱詰めにする(Boxing)することですって。
もともとは、クリスマスミサの翌日に、教会が貧しい人たちのために残り物を与える、聖ステファノ(聖人ステファン)の祝日。英連邦キリスト教圏で盛んな行事だということですが、英語圏でもキリスト教圏でもない日本、そもそも使用人なんぞいる家庭はごく少ないでしょうし、一般的には流行らなかった行事です。ハロウィーンはあっというまに大はやりになったのに。
当地は、英領時代に少数民族をキリスト教に改宗させて軍人として採用し、ビルマ民族対策としていた経緯があるので、大多数を占める仏教徒にとって、キリスト教徒は、対イスラム教徒よりは軋轢が少ないですが、政治的宗教的になにかと微妙な間柄です。
仏教が国教(に準ずる宗教)である当地。満月の日に行われる仏教行事日は祝日になっています。そして、イスラム教キリスト教にも配慮して、イスラム正月とクリスマスも祝日になります。
クリスマス25日金曜日は祝日で、大学も休み。しかし、年末は12月31日まで仕事です。
日本でクリスマスが国民行事として定着したのは、もともと冬至を祝う古くからの感覚があったからです。冬至は、短くなってきた太陽の生命力がこの日に復活し、だんだん活力を取り戻すめでたい日。ゲルマン民族の冬至の祭りも、キリスト教と結びつくことで、冬至祭りがイエス様の誕生日となったのであって、冬至を祝う感覚は、日本もキリスト教圏も同じ。
春夏秋冬ではなく、乾期暑季雨期の三つである当地には、当然「冬至」は無縁です。街中にはクリスマスツリーをデコレイトしている店もあったし、用品店には赤いサンタ服を売っている店もありましたが、町全体としては、クリスマス、カンケーネー、の感じ。こどもたちへ、サンタさんがプレゼントを運ぶという習慣もきかない。
そもそも子供の誕生日には、両親揃ってお寺にお参りをして僧侶に寄進をするのが誕生日祝いです。誕生日の人は、周囲の人に感謝をこめて、贈り物をする。イエス様の誕生日なら、イエスさまが、「みんなぁ、2000年ものあいだ、私をしんじてくれていて、ありがとさん」と、信者の家にプレゼントを配っていくのが筋、と思うんじゃないかな。
私にボックス詰め合わせをプレゼントしてくれるありがとさんの方はいませんでしたけれど、私は、ボス夫人にお手玉授業のお礼としてシルク布地をプレゼントしました。
ミャンマーシルクを買いたかったのですが、店がわからなかったので、輸入タイシルク専門店で。
いつもロンジーをすてきに着こなしているボス夫人に、どんな色が好みかわからないので、オレンジ系、ブルー系、パープル系の3着分を買い、選んでもらったところ、ブルー系がいちばんすてきとおっしゃったので、ブルーをプレゼント。ボス夫妻は、24日夜、日本へ帰国。
私は残ったパープル系で、当地の衣装であるロンジーを作ることにしました。今年たくさん働いた、自分にごほうびです。
24日昼休みに、大学近くのレーダン市場で買い物。夕食用のカリフラワーやみかんを購入。インドネシアのバティック柄コットンが目に入ったので、これも買いました。あとでシルクといっしょに、ロンジー縫製の店で仕立ててもらおうと思います。
24日夜は、イブだろうとなんだろうと恒例の停電。宿舎に帰ったら自分の部屋のドアもわからないようなまっくらけ。守衛さんがライターをつけて鍵穴の位置を教えてくれました。
1時間たっても電気回復せず、パソコンのバッテリーも緊急連絡用にとっておかなければなりませんから、8時すぎ、なにも食べずに寝てしまいました。午前2時に目がさめたので、カリフラワーを茹でて、みかんといっしょにたべました。なんとヘルシーなダイエットディナー。
ロンジー履いてもくっくりわかるおなかのポンポコリンが。すこしはへこむといいのだけれど。
25日は、当地の教会にクリスマスミサ見学に行こうかなあと思っていました。
でも、午前中ずっと停電で、休日にしかする時間がない洗濯なのに、洗濯機は電気なしでは回ってくれず、電気回復まで待つことにしました。午後1時間ほど電気が回復したので、その間に洗濯。洗濯干し終わったら、また停電。
出かける気分じゃなかったのですが、こういうとき、停電で信用おけない冷蔵庫には白菜とキャベツの残り物しか入っていない。料理気分も失せてしまいました。
こんなときありがたいのは隣のMICTパークです。最先端のIT企業が集まっているところですから、隣近所がいっせいに停電しても、自家発電のジェネレーターが働き出す。思った通り、MICTパークには電気がついていました。しかし、カンティーンの食堂はみな休業中。キングカフェだけ皆川夫妻が店にいましたが、それは今日のクリスマス休業中に、店の前をレンガで舗装するため。工事人たちはクリスマス関係なく働いていました。
キングカフェに明日土曜日のランチデリバリーを頼んでインセイン通りへ。
MICTパークインセイン通り側の出口の向かい側にある「タイポット」という焼き肉屋が開店していて、賑わっていました。
家族連れや友人グループでいっぱいの店内でひとり焼き肉。カセットコンロの鍋の中央はジンギスカン焼き肉、そのまわりにお湯をはってこちらはスープ煮にして食べる。
一人前は10000チャット1000円で食べ放題。ただし、日本人の味覚からいうと、牛肉豚肉は固すぎて、いくら食べ放題でも、噛んでいる歯が疲れる。まあまあなのは鶏肉と魚、いか、えび。しかし、「あ、しまった、醤油瓶もってくるんだった」と、思いました。焼き肉のたれは、ナンプラーっぽいのに唐辛子入れたたれと、ケチャップにチリソースいれたのと。むしろ塩だけで食べたいと思いましたが、ここで食べるという気もなく寄ったので、「塩、ください」というミャンマー語も出てこない。英語はまったく通じない。もしかしたら、タイ語がわかる店員がいたのかもしれませんが。
私がまごまごしているとみて、店員のひとりが焼く係を引き受けてくれて、私は食べる専門になりました。やさいをたっぷりたべたかったのだけれど、彼は肉のほうがごちそうだと信じていて肉のブッフェに取りに行こうとしたので、必死に単語を頭にうかべて「ンガー(魚)、チェッター(トリ肉)」と叫ぶ。。彼は理解して、英語表記ではButterfishと書いてあった、よくわからない魚を持ってきてくれました。
食べ放題だとついつい「モトとらなきゃ」という気分になる私。おなかいっぱい食べましたとも。
店内には50年代60年代ポップスがかかっていて、私にはなつかしい、「カラーに口紅」とか、「オブラディオブラダ」とかいっしょに口ずさみながら食べました。女性歌手がカバーしている日本語の「上を向いて歩こう」がかかったので、カラオケがわりに歌いました。すみっこのテーブルでひとりカラオケのバーサンのうた、だれも聞いちゃいないので、ヘーキ平気。
宿舎への帰り道。MICTパークの中には守衛さんしかいないので、上を向いて歩こうを歌いながら帰りました。
♪ 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く ひとりぼっちの夜
悲しみは星のかげに 悲しみは月のかげに、、、
ららら、クリスマスの夜は満月。秋のスーパームーンを見逃したけれど、クリスマスムーンもとっても大きい。ヤンゴンの夜空に煌々と月明かり。
上を向いて歩こう!
ボクシングディのプレゼントは、箱づめでなくメールで届きました。娘が日本でオトート君のために作ったクリスマスケーキ。いつも母と3人だったのに、母がいないから、小さめのスポンジケーキを土台にしたけれど、生クリームはいつもと同じ量だったから、やたらにクリームが分厚く塗られたケーキになった、という品。私には、目のごちそうです。
<つづく>