ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン暮らし11月12月(1)ドタバタヤンゴン生活開始
ミャンマー出発前も、いろいろドタバタがありました。
・11月24日(火)
年内の最後の授業。課題をたっぷり出して、12月は休講になるから、1月の補講2日間に提出発表する、という授業開始時に学生に通達しておいたことを確認する。1月には補講を行う2日間の前の日に一時帰国して授業の翌日にはミャンマーに戻る、というアクロバット往復を行います。そのため、今回はビジネスマルチビザをもらいました。
・11月25日(水)
病院へ行って、医師の指示で採血検査。美容院へ行ってヘアカット。4カ月切らずにすむようにショートボブにしました。
夜は、お寿司。ミャンマーにも日本食店やすし店があるけれど、それほどおいしくもないのに高い、とぼやく母のため、送別会がわり兼息子の27歳誕生日1週間遅れの食事会として、寿司デリバリー。息子の好きな「マグロ尽くし」。おいしゅうございました。
・11月27日(木)
大慌てでスーツケースに荷物を詰め込む。もうわけわからず、何がどこに入ったかもわからず、とにかく詰め込む。きちんと整理整頓して詰めればあとが楽なのだとわかっているのに、それができないのはいつものこと。結局、さがしたけれど、何より必要な『旅の指さしミャンマー語』という本がどこかに潜り込んでしまって出てこない。衣類などは、みつからなくてもヤンゴンでシャツでもなんでも買えるけれど、日本人旅行者向けのミャンマー語の本、とても便利なのに、出てこない。
夕方、宅配便でスーツケースとキャリーバッグ成田空港あてに送り出す。
そのあと病院へ行って、検査の結果を聞きました。先生は「こんな体でミャンマーなんて絶対に反対です。感染症にかかったりしたら、危険ですよ。すぐに派遣元に連絡して、後任を探してもらいなさい」という。私も「早く後任をさがしてください」と前々から頼んではいますが、パリだロンドンだというならともかく、だれも行きたがる人がいないヤンゴンだから私が行くことになったのであって、おいそれと後任は見つからない。先生は「万が一のこともあるから、英文診断書を書いてあげます。病院にかかるようなことがあったら、必ず医師に診せてください」と、書いてくださった。このことは看護師さんだったくちかずこさんから、英文診断書を持参するようにというアドバイスを受けていて、とっくにやっておくべきことだったのです。
元気自慢のつもりでいたのに、自分の健康状態が悪化していることがわかって、落ち込む。
・11月27日(金)
娘息子に見送られて出発。背中のリュックにパソコンいれて、昨日詰め切れなかった残りのあれこれを詰めたらボストンバッグ2つ。さすらいの旅芸人といういでたちです。
空港でスーツケースを受け取り、計量してもらうと、スーツケースのひとつはエコノミー制限を2キロオーバーしているから、減らせといわれた。もう片方のキャリーバッグは12キロなので、詰めなおせと。両方足して計量したなら、飛行機に対する負荷は同じじゃないですかと言ってはみたものの、決まりだから係員の指示にしたがって、スーツケースをあけて、2キロ分を手荷物のボストンバッグに詰めなおす。このとき、キャリーバッグの鍵をつけ忘れ、空港に置いてきてしまった。
そんなこんなでイミグレーションを通ったのは予定時刻より30分遅れ。これまでエコノミーチケットばかりだったので、利用したことがなかったラウンジを利用していいと言われた。初めてラウンジに入った。貧乏性だから、搭乗開始まで20分しかないのに、セルフサービスのコーヒーをいただきました。せっかくなのに、なにも飲み食いしないのじゃもったいないと思ってしまったのが、運のつき。
慌てて搭乗し、座席まで行こうとして、パソコン入れたリュックをラウンジに忘れたことに気づきました。取りに戻ろうとしたら、いったん飛行機に乗ったら、もう出国したことになるので、出ちゃダメと。ラウンジの人に電話して、リュックを届けてもらいました。すぐに見つかり、離陸時間が遅れるなんてことにならなくて、よかったです。無料のコーヒーに浮かれている場合じゃなかった。反省。
空は晴れ。とても順調な8時間のフライトでした。座席がすいていたので、途中で3座席独占して昼寝。
2時間半の時差があるヤンゴンに、現地時間4時過ぎに到着。ボスが「疲れたので、夕食は外に出ないでミャンマーの米緬を取り寄せるけれど、どうしますか」というので、同じにしてもらう。おいしゅうございました。
<つづく>
ミャンマー出発前も、いろいろドタバタがありました。
・11月24日(火)
年内の最後の授業。課題をたっぷり出して、12月は休講になるから、1月の補講2日間に提出発表する、という授業開始時に学生に通達しておいたことを確認する。1月には補講を行う2日間の前の日に一時帰国して授業の翌日にはミャンマーに戻る、というアクロバット往復を行います。そのため、今回はビジネスマルチビザをもらいました。
・11月25日(水)
病院へ行って、医師の指示で採血検査。美容院へ行ってヘアカット。4カ月切らずにすむようにショートボブにしました。
夜は、お寿司。ミャンマーにも日本食店やすし店があるけれど、それほどおいしくもないのに高い、とぼやく母のため、送別会がわり兼息子の27歳誕生日1週間遅れの食事会として、寿司デリバリー。息子の好きな「マグロ尽くし」。おいしゅうございました。
・11月27日(木)
大慌てでスーツケースに荷物を詰め込む。もうわけわからず、何がどこに入ったかもわからず、とにかく詰め込む。きちんと整理整頓して詰めればあとが楽なのだとわかっているのに、それができないのはいつものこと。結局、さがしたけれど、何より必要な『旅の指さしミャンマー語』という本がどこかに潜り込んでしまって出てこない。衣類などは、みつからなくてもヤンゴンでシャツでもなんでも買えるけれど、日本人旅行者向けのミャンマー語の本、とても便利なのに、出てこない。
夕方、宅配便でスーツケースとキャリーバッグ成田空港あてに送り出す。
そのあと病院へ行って、検査の結果を聞きました。先生は「こんな体でミャンマーなんて絶対に反対です。感染症にかかったりしたら、危険ですよ。すぐに派遣元に連絡して、後任を探してもらいなさい」という。私も「早く後任をさがしてください」と前々から頼んではいますが、パリだロンドンだというならともかく、だれも行きたがる人がいないヤンゴンだから私が行くことになったのであって、おいそれと後任は見つからない。先生は「万が一のこともあるから、英文診断書を書いてあげます。病院にかかるようなことがあったら、必ず医師に診せてください」と、書いてくださった。このことは看護師さんだったくちかずこさんから、英文診断書を持参するようにというアドバイスを受けていて、とっくにやっておくべきことだったのです。
元気自慢のつもりでいたのに、自分の健康状態が悪化していることがわかって、落ち込む。
・11月27日(金)
娘息子に見送られて出発。背中のリュックにパソコンいれて、昨日詰め切れなかった残りのあれこれを詰めたらボストンバッグ2つ。さすらいの旅芸人といういでたちです。
空港でスーツケースを受け取り、計量してもらうと、スーツケースのひとつはエコノミー制限を2キロオーバーしているから、減らせといわれた。もう片方のキャリーバッグは12キロなので、詰めなおせと。両方足して計量したなら、飛行機に対する負荷は同じじゃないですかと言ってはみたものの、決まりだから係員の指示にしたがって、スーツケースをあけて、2キロ分を手荷物のボストンバッグに詰めなおす。このとき、キャリーバッグの鍵をつけ忘れ、空港に置いてきてしまった。
そんなこんなでイミグレーションを通ったのは予定時刻より30分遅れ。これまでエコノミーチケットばかりだったので、利用したことがなかったラウンジを利用していいと言われた。初めてラウンジに入った。貧乏性だから、搭乗開始まで20分しかないのに、セルフサービスのコーヒーをいただきました。せっかくなのに、なにも飲み食いしないのじゃもったいないと思ってしまったのが、運のつき。
慌てて搭乗し、座席まで行こうとして、パソコン入れたリュックをラウンジに忘れたことに気づきました。取りに戻ろうとしたら、いったん飛行機に乗ったら、もう出国したことになるので、出ちゃダメと。ラウンジの人に電話して、リュックを届けてもらいました。すぐに見つかり、離陸時間が遅れるなんてことにならなくて、よかったです。無料のコーヒーに浮かれている場合じゃなかった。反省。
空は晴れ。とても順調な8時間のフライトでした。座席がすいていたので、途中で3座席独占して昼寝。
2時間半の時差があるヤンゴンに、現地時間4時過ぎに到着。ボスが「疲れたので、夕食は外に出ないでミャンマーの米緬を取り寄せるけれど、どうしますか」というので、同じにしてもらう。おいしゅうございました。
<つづく>