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ミンガラ春庭「ヤンゴン日本祭り」

2015-12-27 00:00:01 | エッセイ、コラム


2015127
ミンガラ春庭ミャンマー通信>2015ヤンゴン日記12月(6)ヤンゴン・ジャパンフェスティバル
 
12月12日土曜日、在ミャンマー日本大使館、ヤンゴン日本人会などが主催する「Japan Pwe Taw ジャパンプゥエトー2015」(日本祭り2015)に出かけました。

 ボス夫妻が顔を出して大使館書記官などには挨拶すると言っていたので、私は行かなくてもいいかな、と思っていました。しかし、ヤンゴン情報を見ていると、スズキ君が和太鼓を演奏すると出ています。スズキ君は、派遣元大学の4年生。当地の外国語大学日本語学科で「日本語パートナー」という国際交流基金の事業に参加しています。
 日本文化披露のひとつとして「和太鼓演奏」を行う、というお知らせを見て、こりゃあ行かなくちゃと、午後3時過ぎにタクシーを拾う。

ジャパンプェトーポスター


 前回までは屋内で実施されていた日本祭りを、今回はホテルの庭を利用して屋外で行う、ということです。そのミャ・イェ-ッ・ニョ・ホテル、タクシーの運転手にホテル名を言っても私の発音では伝わらないし、地図をさしても、当地には地図リテラシー教育がないので、見方がわからない運転手が多い。とても入り組んだ道の奥にあるホテルに、ようよたどり着きました。

 ホテルのエントランスロビーでは、剣玉教室、水引制作体験、ゆかた着付け教室などが行われていました。

ゆかた着付け

ゆかた着てうれしい記念撮影

 
 ホテルの庭では、空手道場の演武が行われ、続けて剣道を習っている小学生たちの練習模範演技、よさこい踊りチームの演舞。よさこいはあまりじょうずではありませんでしたが、ミャンマー人たち、いっしょうけんめい日本の文化を体験しているのだな、と感じました。



 いよいよ和太鼓の番です。スズキ君に「私は和太鼓が好きなので、もう2年前になるけれど、池袋の公会堂で民俗芸能大会があったとき、秩父太鼓を聞きました。とても良かったですよ。高野社中というグループでした」と、話したら、なんとスズキ君は5歳から和太鼓を習い始めて、10歳からは、秩父高野社中で和太鼓修行を続けた人でした。海外演奏にも参加してきた本格派。
 高野社中の親方のもと、10年以上腕を磨いたというだけあって、見事な演奏でした。

あいさつするスズキ君(写真UP許可済み)


本格的秩父太鼓の披露には、道具も足りないということで、今回は八丈太鼓の演奏でした。

 帰りにタクシーを拾うのがまた一苦労でした。大通りに出れば拾えるかと、たしか、来るときタクシーはこっちから曲がってきたんだよなあ、という方向に歩いていったら、真っ暗な中、案の定、道を間違えたようでした。途中に交番があったので、おまわりさんに「え~ん、タクシーが拾えないよう、おうちへ帰りたいよう、ニャンニャン」と泣きつきました。ミャンマーのおまわりさん、困ってしまわないで、私といっしょにタクシーがつかまるまで、30分も道ばたに立っていてくれました。親切です。
 おまわりさんがようようつかまえてくれたタクシーは、これからジャパンフェスティバルに出かけるという客を乗せたタクシーでした。

 客がもう乗っているタクシーですから、私は助手席に。
 ミャ・イェ-ッ・ニョ・ホテルで客を降ろしたあと、ドライバーはカタコト英語でずっとしゃべり続け、私も無理矢理乗り込んだ義理もあるし、お話相手をつとめました。
 運転手が家族のことなど尋ねるので、娘と息子が日本で留守宅を守っている、なんて話をしました。娘さんは結婚しているかと聞かれたので、まだだと答えると、それなら、私がムコになろう。すぐ娘さんをヤンゴンに呼んでくれ、すぐに法律の手続きをするから、という。まあ、定番の話題でした。

 最後に迷子なりかけのオチがついたけれど、ジャパンフェスティバル、和太鼓もすばらしかったし、4時過ぎだとそれほど暑くもなく演舞も見ていられました。残念なことに、ヤンゴン市内の日本料理店が出店している屋台の食べ物は、4時過ぎにはほとんど売り切れで、まだ売っているのは、ブルーに染められた綿菓子の屋台だけでした。綿菓子はやっぱり白でしょう、と思って買わなかった。

 大勢の人々がジャパンフェスティバルに出かけてきた熱意、日本への熱い期待を感じました。

 庭での日本文化紹介を見るために集まっている人々


<つづく>
コメント (10)
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