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ぽかぽか春庭「みんなの絆コンサート」

2012-10-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/10/10
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十二単日記2012秋(2)みんなの絆コンサート

 10月1日は、都民の日。都内の小中学校や役所はお休みになるところも多い。私は、ダンス仲間のミサイルママとみきさんが出演する「みんなの絆コンサート」に出かけました。台風一過の青空の下、暑さも戻った池袋。

 西口にある東京芸術劇場は、1年半かけて音響効果の改善やエスカレーター改修などを行って、リニューアルオープンしました。ミサイルママが出演するということに加えて、どんなふうに改修されたのかしら、という興味で出かけてきました。
 芸劇名物だった1階から5階まで一気に連続で上っていった大エレベーターは、「危険だから」という理由で、1~2階。2~5階に区切られていました。大エレベーター、私は好きだったけれど、安全管理がたいへんだったみたいです。
 エレベーターのほか、内部もいろいろな改修があったことはわかりましたが、割愛。

 ミサイルママは、オープニングの「としま未来祝典序曲」の合唱と、ラストの「としま未来へ」合唱に出演。豊島区が区制施行80周年となることを記念してのコンサートですから、オープニングのあとは、区長やら区議会議長の挨拶。こちらは型どおり。来賓挨拶は、名誉区民の狂言人間国宝、野村萬さんと、東京芸術劇場名誉館長の小田島雄志さんの祝辞。世阿弥を引用しての折り目正しい野村萬さんの話と、原稿などなしに軽妙洒脱な挨拶で観客を笑わせた小田島さんの話、スタイルは対照的でしたが、どちらも面白かった。
 
 フンバーディンク作曲のオペラ「ヘンゼルとグレーテル序曲」を坂本和彦指揮、東京音楽大学シンフォニーオーケストラの演奏で聞いたあと、さだファミリーが出演した歌のコーナーがありました。さだまさしの妹、息子、娘の3人が出演。七光り三人組?
 このファミリー出演のコーナーは、マイクの音がワンワンとした響きになって流れてしまい、え~、音響効果も改修したんじゃなかったの?と、思いました。オーケストラや合唱など、マイクを使わないときは良い響きと思ったのに、佐田玲子の歌やトーク、ただワンワンと響き、何をしゃべっているのか聞き取れず、歌詞も何歌っているんだかわかりませんでした。

 さだまさしの息子佐田大陸はバイオリン奏者、娘佐田詠夢はピアニスト。「一家で出演」は「絆」を冠したコンサートにふさわしいとの人選だったのでしょうが、耳の聞こえが悪い私には、歌もトークもぜんぜん聞き取れず、ビデオ出演のさだまさしのあいさつだけは聞き取れました。

 いっしょに出かけたともこさんコズさんは、佐田ファミリーのトーク、一部わかったところもあったとのことですが、内容は面白くともなんともなかったと、不評でした。不評の原因のひとつは、4時半に終了するはずのコンサートが「面白くもないトーク」のせいで30分近くオーバーしたことです。「自分たちだけのファミリーコンサートなら、どれだけトークを長引かせてもいいだろうけれど、こどもも出演する寄り合い所帯のコンサートなのだから、プロならきちんと自分の持ち時間を計算すべきだ」というのがトモコさんの評。さだまさしのコンサートでは「歌はCD買って聞いて下さい。コンサートはトークを聞かせるのがサービス」という方針らしいので、妹も「長くしゃべるのがお客さんへのサービス」と、勘違いしたのかも知れません。

 ミサイルママは、コンサート終了後の合唱団打ち上げには参加しないと言います。現在、健康のために「油もの断ち」を心掛けているミサイルママは、「打ち上げの居酒屋だと、どうしても揚げ物メニューが多いし、お酒も飲みたくないのでパスした」とのこと。60代突入後は、槍ヶ岳などへのひとり登山を続けるためにも、健康に気を配って生きることにしたのですって。
 ともこさんコズさんミサイルママと、駅ビルのレストランでで夕食。和食の店に入りました。

 私も健康のためにいろいろ「○○断ち」せねばならぬ身なのに、「カツオと野菜のバターソテー丼」というのを食べました。
 ドリンク200円をけちって定食にプラスせず、サービスの緑茶で2時間おしゃべり。

 来年度のダンスサークルの練習場所をめぐって、あーでもないこーでもない、と話し合いました。サークルの練習場所にしている文化センターが、来年度、改修工事のために1年間閉鎖になるので、他の場所を探さなければならないのです。東京藝術劇場の改修は、音の響きが生音はいいのにマイク音はイマイチでした。これはマイクの調整ミスかもしれません。文化センターの改修、バリアフリー化と耐震の工事ということなので、必要なインフラ整備なのかもしれませんが、その間、1年間わたしたちは、流浪の民となって、あちこちの区民会館だのなんとかホールだのを渡り歩くことになります。

 ミサイルママが歌った合唱曲「としま未来へ」は、「♪この町に生きるよろこび、命を誇り輝くように」と歌いあげているのですが、豊島区はいいわよ、池袋周辺の会社や店からの税収たっぷりあるから。どうも、我が住む区は文化事業にはお金をかけない方針らしく、社会教育団体に登録している我がジャズダンスサークルも、活動場所さえ見つからないというありさま。メンバー減少しても会費値上げはしない方針なので、低予算でのやりくりがうまくいきません。「この町に暮らすよろこび、愛としあわせ育てながら」という歌のように生きられたらいいのですが。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋のアリアコンサート」

2012-10-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/10/09
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十二単日記2012秋(1)秋のアリアコンサート

 9月30日と10月01日、二日続けて、友人の出演するコンサートに出かけました。
 9月30日は、ジャズダンスサークルの仲間、T子さんが参加する火曜会の、サークル創立30周年という記念のコンサートです。火曜会は、オペラアリアを歌うことを目標にしている女性たちのサークルです。
 台風17号が接近し日本縦断しそう、という天気予報が出ている日でしたが、出かけるときにはまだ日も出ていたので、気軽に家を出ました。

 60代以上の女性たちが、思い思いのドレスに身を包み、日頃の鍛錬を表現しました。
 最初は、全員による合唱。ディズニーソングを合唱曲にアレンジした曲のメドレー。シンデレラや白雪姫、眠れる森の美女からの歌。T子さんは、ラメが輝く紺色のロングドレスがよく似合って、すてきでした。
 第二部の重唱では、指導のバリトン先生とふたりで歌うオペラの重唱曲などのプログラムの中、T子さんは同じ苗字の女性ふたりで「五木の子守歌&中国地方の子守歌」を歌って、しっとりと聞かせました。
 
 間の休憩時間には、ホールのなかに用意されたサンドイッチとお茶をいただきながらの歓談。「素人の私たちの歌を聞きに来てくださって、ありがとう」というおもてなしです。
 落語の「寝床」では、長屋の住人一同は、ダンナから義太夫を聴かされるので、大弱り。なんとか聞かずにすむように言い訳をしたり、強制的に聞かされる段になると酔いつぶれたり寝込んだり。
 オペラのアリア、居眠りもせずちゃんと聞いていた観客を、せめてサンドイッチでもてなすというのは、「寝床」の教訓があるからでしょうか。私、オペラ好きですから、喜んで聞いておりましたが、せっかくですから、ハムサンドひとつよばれました。

 第三部のソロ。たしかに、「素人の私たち」ですから、音程を外す人有り、歌詞を一瞬忘れてしまう人有りという、台風17号到来の天候のごとく、嵐吹く内容の歌もありました。しかし、去年も同じコンサートを聞いたとも子さんの言によれば、嵐の吹きすさび方は去年のほうがずっとすごかった、今年の歌の嵐は、去年に比べればずっと風雨は弱かったということです。
 
T子さんは、衣裳を黄色のロングドレスに着替え、「フィガロの結婚」から、フィガロの恋人スザンナの歌「恋人よ早くここへ」を歌いました。音程もしっかりしていて、とても愛らしい美しい声で、恋人フィガロへ寄せる思いを歌い上げ、サンドイッチのおもてなしがなくても、来年もまた聞きたいと思える歌声でした。
 おひらきは、出演者と聴き手いっしょになっての「見上げてごらん夜の星を」の大合唱。

朗読ボランティアも続けているT子さん、他の人の歌の紹介をするナレーションもこなし、最後の挨拶も見事な活躍でした。

 T子さん、9月にはダンス発表と合唱発表。10月のソロの歌の発表が無事終わりました。このあとは心置きなく、英国旅行へ出発するそうです。私にもあこがれの湖水地方。ピーターラビットのふるさとへの旅、いいなあ。
 定年退職後も、朗読ボランティア、合唱の会、独唱の会、ダンスサークルでの活動。年に一度はご主人といっしょの海外旅行。うらやましいT子さんのシニアライフです。

 会が終了して外に出ると、強い雨。どうしようかな、と思いつつ、駅前の珈琲館でお茶して、秋のひとときを素敵な歌声に浸れた感想を、ともこさんやこずさんと語り合いました。ダンスサークルの仲間10人のうち、5人が各所の合唱サークルにも所属しています。

 ともこさんは、「市民オペラ」の発表会に参加申し込みをした、という話をしていました。現在所属している区民合唱団の指導の先生が、来年市民オペラの監督をなさる。オペラコーラスに一般公募があり、当初は「オーディションによる選考」があるとのことだったけれど、応募人数が予定に満たなかったらしく、応募者全員の採用が決定したそうです。

 話はつきませんでしたが、嵐模様の日曜日、店の人に「本日早めに閉店」と追い出されれました。雨はいっこうに弱まらず、花も嵐も踏み越えて帰宅。
 冬のソナタも春のプレリュードもいいけれど、秋のアリアもとても心に染みました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「劉抗・チョプスイ-シンガポールの日本兵たち」

2012-10-07 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/07
ぽかぽか春庭ブックスタンド>夏の読書(3)劉抗「チョプスイ-シンガポールの日本兵たち」

 夏の読書の中から一冊紹介。
 図書館や本屋にはおいてない本だと思うし、偶然見かけて手に取るということもないと思うので、紹介しておきたいのです。

中原道子『チョプスイ-シンガポールの日本兵たち』1990めこん
 シンガポールを占領した日本兵の姿のスケッチ36枚に、中原の解説がついた本です。



 翻訳と解説を手がけている中原道子は、アジア史家。早稲田大学名誉教授。VAWW-NETジャパンの副代表。埋もれたアジア戦史を掘り起こす中、劉抗(リュウ・カン)が1949年に出版した『チョプスイ-シンガポールの日本兵たち』を見つけました。劉抗は、現代シンガポールを代表する画家のひとりでした。 

 初版は1949年、シンガポールでの出版。英語版初版を手に入れた中原道子が劉抗に連絡を取り、1990年に日本語版の出版にこぎつけました。

 劉抗は、1911年生まれ。華僑の両親と共に旧英領マラヤに移住。上海で美術大学を卒業した後、パリ留学。サロン・ドートンヌ入選を果たして22歳で上海美術専科学校教授に就任。結婚後マラヤに戻るも、日本のシンガポール侵略のため、コーヒー屋経営、靴屋店員などで身を隠す。知識人階級は逮捕連行される恐れがあったからです。
 戦後はシンガポールの代表的な画家として活躍。

 サロン・ドートンヌにも入選した戦前の劉抗の絵がどんなものであったか、福岡アジア美術館で展示された絵を紹介します。下の一枚は、マチスに印象が似ているように思います。黄と赤のバランスがとても美しい。22歳のときの作品ですが、若々しい感受性にあふれています。

 劉抗「スリッパ」1930


 劉抗は、シンガポールの日本占領下で、友人一家は皆殺しにあい、同胞が次々と連行虐殺されるなか、自身も日本軍に逮捕連行されます。しかし、とっさに司令官の似顔絵を描いて贈り、肖像画を描くという約束によって生き延びるなど、ぎりぎりの中で日本軍の行動を見つめました。

 戦後、描き貯めた「日本兵士」の姿を3巻の画集として、1949年に出版しました。しかし、戦後のもののない時代なので、原本は失われ、中原が手に入れた英語版を含め、残部はごくわずかだったそうです。

 チョプスイとは、漢字で書くと「雑炊」。野菜や肉をこまかくきざんだ雑炊を、シンガポール華僑の中国語(客家語ハッカご)で発音すると、チョプスイ。
 戦時中に見たことを、整理整頓せずに、見たままをごたまぜに描きとったことなので、チョプスイ、というタイトルにしたのだそうです。

 36枚のスケッチの中には、No.8「もう一つの拷問」と題された絵があります。逮捕した人を大きな釜に裸にして入れ、熱湯にする。気を失ったら釜から出して水をかけて蘇生させ、また釜に入れる。兵士は、黙々と薪をくべています。命じられたら、それは天皇の命令ですから、釜の中の人が泣こうが叫ぼうが、兵士の役目は薪を燃やし続けることです。

 表紙に採用された絵は、No.6「人間サテ」
 「サテ」は、シンガポールの代表的な食べ物で、肉を串にさして焼いたものです。道ばたにコンロをおき、鳥や豚、牛肉を串にさして焼いて食べる庶民的な食べ物。

 画集は、右ページにスケッチ、左ページにある解説というページ構成です。左に描かれた劉抗の説明によると。
 「日本人は信じられないようなやり方で車の運転をした。ある日、軍用トラックが鋭く尖った鉄の棒を積んで走っていた。運転手は日本人であった。クアラ・ルンプールの最も混雑した通りのある角を曲がった。鋭い棒が通行人を突き刺した。まるでサテのように

 トラックのわきに突き出ている棒に、刺さった人の姿。1945年のスケッチです。


 シンガポールの占領中、日本軍が行った華僑虐殺は、日本軍側の記録によって氏名住所が記録されたものだけで、8,000名。大半は、記録もなされずにいきなり連行され、銃殺、絞殺、銃剣でのつきさしなど、あらゆる手段で虐殺し、華僑側発表の「行方不明者」の数は8万人。ここで、8千人と8万人では10倍の違いがあるじゃないか、この数はでたらめにちがいない、などと水掛け論をして何の意味があるのでしょうか。残された家族や友人には、「あの人が突然連れ去られて帰ってこなかった」という記憶が、戦後70年続いている、ということです。

 普通に暮らしていた人々が、ある日突然、「スパイの嫌疑」「日本軍に協力的でない」などの理由で逮捕されました。金品を要求する兵士に、お金の供出をしぶった、というだけで「日本軍に協力的でなく、スパイ」とされたのです。

 私が語彙論を教えていただいた先生は、昭南と名付けられたことを、「どうも、アジアの人と話すときは、困る」と言っていました。「自分が占領者を代表してしまうみたいで、居心地が悪い」シンガポールを日本軍が占領したあと、この地は昭南島と呼ばれていたのです。

 シンガポールが、かって昭南島と呼ばれていたことを知る人も少なくなりました。現在のシンガポールは、旅行者に人気のスポットで、毎年夏休みに訪れる人も数多い。シンガポールはアジアの中でも、日本人に友好的な国とされています。

 シンガポールの対日教育では、70年前の占領時代については「許そう、しかし忘れるな」という扱いをされています。しかし、私たち自身、許されていることに安住せず、「忘れるな」の部分を常に問い続けなければ、許される資格はありません。
 歴史の事実は事実として見つめていかなければならないのです。
 山本美香さんが、現代紛争地の真実を伝えようと命をかけたことと、過去の真実を掘り起こそうとすること、同じ精神だと思います。

 領土問題で日本中国韓国の関係が揺れています。
 中国の反日デモの多くは、「自国政府への反対デモや民主化運動などしたら、逮捕されてしまう」という国内事情によること、反日デモが一般大衆の不満のはけ口となっていること、などが再三報道もされて、そういう中国の事情を知る日本人も多くなりました。中国の反日デモに触発されたネット分子が「中国人を殺せ」などという書き込みをし、それが中国側にも報道されて、さらなる憎悪を招いた、というニュースもありました。冷静さを欠くあおりは、双方にとってなんの益もありません。

 冷静に歴史の事実を学び、未来への礎としなくてはならないと思います。
 中国はアメリカの新聞に意見広告を出したり、国連で演説をする、また政府の白書を9月26日に発表し、領土領有を主張するなど、強い態度に出ています。私が思い起こす歴史的なできごと。1950年代、毛沢東が大躍進政策に失敗し、中国全土に何千万人も餓死者が出たとき、毛沢東が行ったのは、台湾との紛争に国民の目を向けさせるための金門島砲撃でした。
 中国の政権交代が進み、習近平政権への移行が図られているおりの領土問題。なんだか、歴史を繰り返しているように思うのは、私が古い人間だからでしょうか。
 冷静に歴史を学んでいきたいです。

 「チョプスイ」は、アマゾン注文でも買えます。新本1890円 中古399~1004円。 
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「黄泉の犬・読書感想ひとくちメモ」

2012-10-06 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/06
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年7月~9月読書(3)黄泉の犬・読書感想ひとくちメモ

 夏休み読書、感想メモつづき。
 『黄泉の犬』を読んだあと、本好きのホークさんへのコメント返信に書いた文を再録します。
~~~~~~~~~~~
 2012-09-10 09:17:46
旅のスタイルは人それぞれだし、私は旅行社のお膳立てにそっくり乗ってしまうパック旅行だってそれなりに楽しめればいい、と、今では考えています。

昨年2011年には、旅行社のバスパックツアーにお一人様で参加し、「家族も友達もいない、かわいそうな人」という目で見られながら、黒部ダムを見て来ました。
旅してみれば、パック旅行でも定番観光でも、自分なりの楽しみ方が見つけられるし、それでいいと思うのです。

しかし、これまでの来し方を思うと、なかなかそういう旅を旅として受け入れられない自分がいました。

私たちは、旅のスタイルとして、決定的に小田実の「なんでも見てやろう」と藤原新也の「印度放浪」の影響を受けて育った世代です。小田実は少し前の世代にあたりますが、藤原新也は、ちょっと兄貴というくらいの、ほぼ同世代として、団塊世代には大きな存在でした。

単行本『印度放浪』が出た1972年、学生の私には当然単行本を買うお金がなく、図書館で借りたのだと思います。
今、文庫棚で確かめたら、私が持っていた文庫本は1984年初版の朝日文庫第3版で1986年発行のものでした。

1979年の夏、ケニアに出かけたときは、当然「印度放浪スタイル」の旅をするつもりで意気込んで出かけました。藤原の「西蔵放浪」も出版されていました。
サハラ砂漠南端にあたるケニア北部の沙漠地帯で、ヌーやらシマウマの死骸をあさるハゲコウの姿も見ましたが、とても「ヒトの死骸をあさる犬」には及ばない。

凡人の旅はただ「楽しかった」でいいとは思うのですが、私のケニア滞在1年間も楽しくすごしただけで終わりました。それでも、ケニア体験を何かしらの形でまとめたいなあと思っているうち「全東洋街道」(1981年)が出て、もう完全に私は「私如きのヤワな旅を記録することもない」という気になりました。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という、私たちの世代にとっては衝撃的だったキャプションと、印度の川で流されてきて引っかかった死体を食いあさる犬の写真。
これを 超える写真とキャプションがないなら、ものを書く価値などない、という気になった。

このごろ、ケニアですごしたあのゆったり時間が流れた日々をなつかしく思い出すのは、要するに私が年取ったということです。
今では、あの日々を記録しておくのも、それはそれで意味があるのではないかと思うようになりました。しょうもない青春のしょうもない1ページ。私がいて、私同様しょうもない夫がいたケニアの日々。

で、ケニアで出会った男と結婚して娘むすこをシングルハンドで育てる一生になり、いまだにパラサイトの娘むすこを食わせるために働く毎日となったっていうお粗末な一代記。

ようやく、定番観光やら小市民向け格安パックツアーだのに抵抗がなくなった。「印度放浪」の旅スタイルの呪縛から抜け出すのに、40年かかった、ということです。

きのう、藤原新也の『黄泉の犬』を読み終わったところなので、しばらく遠ざかっていた藤原新也を久しぶりに読みおえて、私たち、ほんとに影響されまくりだったなあと、振り返っていたところです。
~~~~~~~~~~~

 「黄泉の犬」は、2009年発行の文春文庫。1995~1996年「プレイボーイ」連載の「世紀末大航海」を改稿した2006年単行本の文庫化。それが100円本になったので、ようやく買って読んだ。なにも、100円になるまで3年またずに文庫化時点で読んだらいいじゃないか、と思うものの、仕事で直接使う以外の本は、定価で買えない習性が身についてしまって。

 『黄泉の犬』は、『印度放浪』から34年して書かれた「インド紀行完結編」というキャプションがついている。しかし、読者の関心の大きな部分を占めるのは、「世紀末大航海」が連載途中で唐突に連載中止となった「オーム真理教」カンケーの軋轢とはどんなことだったのか、という週刊誌的ゴシップ感覚によるものも含まれていたと思う。
 って、私がゴシップ好きというだけか。

 連載中止の理由は、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃)の長兄松本満弘と面談したことを掲載しようとした際、当初は雑誌掲載OKを出していた長兄から「掲載するな」という連絡を受けたため、と藤原は述べている。

 書くことにしていた内容は、この長兄が「水俣病患者として松本満弘と智津夫のふたりの名で申請を出したが、受け付けられなかった」ということ。その後の事実確認は、藤原自身では行っていない。事実関係の確認はないまま、この長兄の死によって、掲載反対者がいなくなった、として「松本智津夫水俣病罹患説」を含む内容が単行本収録となった。

 執筆の経緯はぬきにして、この「長兄の語る松本智津夫、水俣病罹患説」は、滝本太郎弁護士、現在は民主党議員となっている有田芳生らが批判をしている。
 「松本長兄が水俣病患者申請をした」ということについて、患者申請者の一覧に松本智津夫の名を確かめる事実関係の有無を確認することがほんとうに出来なかったのか、知りたい。「患者申請者の閲覧は、個人情報を守る」という役所の観点から難しいとは思うけれど。
 
 藤原は、水俣病患者申請が受け付けられなかったための、松本の国家へのルサンチマン」が皇居襲撃計画にまでつづく、と書く藤原の論があげる理由として「長兄から聞いた話」だけでは、たしかに論拠にならない。

 あとがきに、「松本満弘からの掲載不許可」を受けて「世紀末大航海」の連載そのものをやめてしまったことについて、自分が高校生のとき実家の旅館が倒産し、「世間の日陰者」として生活したことと、松本智津夫の兄弟であったために世間をはばかっていきるしかなくなった「犯罪者の家族」を重ね合わせて「記事差し止め」を決めた、と書いているが、2006年の単行本発行時点で、松本満弘本人は亡くなっていただろうけれど、他の多くの兄弟(松本智津夫は、6男3女の9人兄弟の四男)はまだ生きているので、この言い訳を聞くと、他の兄弟についてはどうでもよかったのか、というイジワルな感想も出てくる。

 「印度放浪」の34年目完結編という主旨の後半。自分の「旅」も自由な放浪でありたいと思ってアフリカへの旅に出た者のひとりとしては、30余年を隔てて感慨深く読みました。「高齢者放浪」を老後の生活にしたいと思っている身には「旅行社ツアーもいいけれど、放浪もねっ」という気になる。
 リュック背負って、ヒッチハイクを続け、のみシラミがつきものの安ベッドに泊まる旅を続ける体力をつけるほうが先決だけどね。

<つづく>
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ぽかぽか春庭ブックスタンド「新しい左翼入門&司馬遼太郎・読書感想ひとくちメモ」

2012-10-04 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/04
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年7月~9月読書(2)新しい左翼入門&司馬遼太郎・読書感想ひとくちメモ

 夏休み読書、感想メモ。

・松尾匡『新しい左翼入門-相克の運動史は超えられるか』
 左翼運動史を、明治の幸徳秋水あたりから現代までまとめ、問題点を取り出していく手際がよく、とてもわかりやすい。
 サヨクは、なぜ失敗を重ねてきたのか、この失敗を繰り返すこともないから、なぜ失敗したのかという失敗史を書いておく、という主旨に賛同。われわれは、失敗を重ねてきた。そして失敗から学んでいない。

・佐高信『司馬遼太郎と藤沢周平』
 佐高が、「司馬は嫌い」と、文句つけ放題。
 佐高が嫌いな無能経営者や無能政治家のほとんどが愛読書として『龍馬が行く』とか『坂の上の雲』をあげることに憤激し、これらの無能リーダーたちが私利私欲に走っているにもかかわらず、自分たちは「お国のために」何かやっているつもりになっているのは、司馬の小説を読んで、自分たちを正当化し、免罪符を与えられた気になったからではないか。司馬の小説こそが毒だったのではないか、とぶち上げています。晩年のエッセイ『この国のかたち』で書いていることは、ことごとく自分が小説で書いたことを否定しているじゃないか、と噛みついています。

 私は、司馬を読み始めたのが『この国のかたち』からだったし、短編以外には小説をほとんど読んでいないので、佐高の激高ぶりには与しないで「傍目」でこの本を読みました。佐高が同郷の藤沢周平をひいきするのはいいとして、「無能なリーダー」たちのバイブルになってしまったからといって、司馬をこき下ろすこともないんじゃないかしら。
司馬が松下幸之助と対談したことも、佐高は気に入らず、「松下なんかを高く評価する司馬は、それだけの小さい人間」と、怒りまくる。

 司馬は、自分の小説が誤読される恐れがあることを十分に知っていたと思う。だから、生きている間は『坂の上の雲』の映像化を許可しなかった。文章から映像になった場合、表層しか描かれず、この小説が「若い明治期の日本が、坂の上の雲を見つめてどこまでも歩いて行く」というように受け取られ、明治国家肯定、少なくとも日露戦争までの歩みの肯定と受け取られてしまいかねないことを懸念していました。

 司馬の死後、ようやく著作権者が映像化を許可。NHKが足かけ3年でドラマ化したのを見ると、司馬の懸念は見事に当たっていて、このテレビドラマを見た限りでは、日清日露までの明治は、ひたすら明るく元気で、「坂の上をめざして若者達が意気揚々と登っていく」、かのようになっていました。

 「司馬史観」への評価は一面だけでは語れないのではないかと思います。司馬の対談集『土地と日本人』のあとがき(1976執筆)などで、司馬は、「土地は公有にすべきだ」と述べており、それらも含めて評価したい。
 
・町田宗鳳『異端力-規格外の人物が時代をひらく』
 8/16「ヒマワリ映画」のコメント欄に書いた感想から。
「私の好きな宗教家のひとりである町田宗鳳は、座禅会を続けていて、宗派をこえた祈りのことばとして「ありがとう」を唱える、「風の会」という集会を行っています。
 何を思って黙祷したらわからいないという人がいたら、何はともあれ、いまある自分の命がたくさんの人々によって支えられてきたことに感謝して「ありがとう、ありがとう」と百万遍唱えたらいいんじゃないかというのが、町田の「ありがとう念仏」

 南無阿弥陀仏、でもなく、南無妙法蓮華経でもなく、般若はらみった~でもなく、「ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、、、」と唱えよと言う主張、いいと思います。同じ一つのことばを唱えて無心になると、脳波がα波になって心身リラックスでき、免疫力なども強くなることは、近年の脳の研究最前線でも証明されてきました。お念仏を唱えて声をだすこと、脳をリラックスさせるのは、「笑う門には福きたる」と同じくらい、疫学的根拠があったんですね。
 ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、、、、

<つづく>
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ぽかぽか春庭ブックスタンド2012年7月~9月

2012-10-03 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/03
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年7月~9月の読書(1)読書メモ

 アフガン、イラン、イラク、ウガンダなどの紛争地帯の真実を伝えるために、現地に赴き、市民の声、現場の叫びを伝えてきたジャーナリスト山本美香さん(1967-2012)が、アレッポでシリア内戦取材中に反政府軍と政府軍の戦闘で銃撃を受け、亡くなりました。

 地元の大学を卒業後、CS放送局のビデオ撮影とナレーションを担当して実力をつけ、2003年度の新聞記者協会ボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞しています。戦場ジャーナリストとして国際的に活躍していた記者でした。

 どうして、そんな危ないところに、と思う人もいるだろうけれど、現場から人々の声を伝え、事実を事実として報道することを使命としていた人に、「危ないところに行くな」と言うことはできません。ことに、イスラム圏では女性に対する取材は男性にはむずかしく、山本さんは、老人子どもや女性などの弱者に襲いかかる戦争についての取材を使命としていました。

 山本さんは防弾チョッキを身につけた上で、内戦の街を歩き、突然戦闘に巻き込まれたのです。至近距離からの銃弾は、防弾チョッキを突き抜けてしまいました。アサド軍の兵士が女性を狙って撃ったとしか思えない映像が残されています。反政府軍と行動を共にしていた女性ジャーナリストを狙って撃った殺人、卑怯です。
 
 有能な女性の悲しい最期でしたけれど、真実を報道する道が閉ざされないように願っています。
 (都留文科大学で1年後輩にあたる上杉隆の追悼文がよかった)

 テレビでのビデオ報道では、山本さんの報道だと気づかないまま、これまでも彼女が伝えた紛争地帯からのリポートを見てきました。「事実を伝えることで世界が変わる」と信じて報道してきた彼女へのせめてもの供養と思って、今まで読んだことなかった山本さんの著作、読みたいと思います。
・『中継されなかったバグダッド 唯一の日本人女性記者現地ルポ イラク戦争の真実』小学館、2003年
・『ぼくの村は戦場だった』マガジンハウス、2006年
・『戦争を取材する〜子どもたちは何を体験したのか』講談社、2011年
~~~~~~~~~~~~~~

 2012年7~9月の読書メモ(再読、再再読を含む)
 夏中ぐうたらとしていたので、あまりたくさんは読めませんが、有意義なものが多かったです。夏くらいは小説をたくさん読みたいとは思うのですが、小説を読み出すと一気よみしないと気がすまないので、なかなか手が出せず、短編集のみ。

読んだ順番は、順不同にて。
@は図書館本 ¥は定価で買った本 ・は、ほとんどBookoffの100円本、定価の半額本。
☆☆☆☆☆これを読まずに死ぬのは惜しい!あなたも絶対読むべきだ 
☆☆☆☆いい本です。あなたの趣味がどうあれ、お勧め  
☆☆☆私は読んでよかったけど、あなたの趣味は知らんので。 
☆☆お暇なときのお供にどうぞ 
☆他に読む本ないとき、読んで損はない 
無☆読まなくとも人生、大過なく生きてける

<日本語・日本語言語文化関連>
@沖森卓也(編)『語と語彙』2012朝倉書店☆☆☆
・子安宣邦(編)『国家(自己)像の形成-江戸の思想4』1996ぺりかん社☆☆☆
・安達史人『日本文化論の方法-異人と日本文学』2002右文書院☆☆
・梅原猛『日本学事始』集英社文庫☆☆
@見田宗介『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』2012岩波書店☆☆☆☆
@妹尾堅一郎『雷文化論』2007慶應義塾大学出版会☆☆☆
 
<評論・エッセイ、その他>
@町田宗鳳『異端力-規格外の人物が時代をひらく』2012祥伝社新書☆☆☆
@松尾匡『新しい左翼入門-相克の運動史は超えられるか』2012講談社現代新書☆☆☆
@ライト裕子『英国王7人が名画に秘めた物語-ロイヤルコレクション500年の歴史』2012小学館ビジュアル新書☆☆☆
¥中原道子『チョプスイ-シンガポールの日本兵たち』1990めこん☆☆☆☆
・和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』1996岩波文庫☆☆☆
・佐高信『司馬遼太郎と藤沢周平』2002光文社文庫☆☆☆
・司馬遼太郎『土地と日本人』1986中公文庫☆☆☆
・司馬遼太郎陳舜臣金達寿『歴史の交差点にて』1991講談社文庫☆☆☆
・藤原新也『黄泉の犬』2009文春文庫☆☆☆☆
・高倉健『旅の途中で』2006新潮文庫☆☆☆

<小説・戯曲・ノンフィクション>
・司馬遼太郎『一夜官女』1995中公文庫☆☆☆

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2012年9月目次」

2012-10-02 00:00:34 | エッセイ、コラム


2012年9月 目次

09/02 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十二単日記2012夏(1)踊るひまわり2012
09/04 十二単日記2012夏(2)原宿元気祭スーパーよさこい2012
09/05 十二単日記2012夏(3)秋桜
09/06 十二単日記2012夏(4)回転展望ランチ
09/08 十二単日記2012夏(5)箱根ガラスの森美術館
09/09 十二単日記2012夏(6)箱根駒ヶ岳
09/11 十二単日記2012夏(7)真珠の耳飾りの少女」
09/12 十二単日記2012夏(8)東京スカイツリーそらまち
09/13 十二単日記2012夏(9)「踊るひまわり、実演」

09/15 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>空に月、地に草、唇に歌-踊るために歌を覚える(1)唇に歌、アデル
09/16 空に月、地に草、唇に歌-踊るために歌を覚える(2)地に草-ホテル・カルフォルニア イーグルスvsなかにし礼超訳
09/18 空に月、地に草、唇に歌-踊るために歌を覚える(3)Let's rock-監獄ロック
09/19  空に月、地に草、唇に歌-踊るために歌を覚える(4)空に月-ペーパームーン

09/20 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>(1)アーティスト・アギー
09/22 シネマパラダイス>(2)幕末太陽傳・さよならだけが人生だ

09/23 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十二単日記2012年9月(1)シンデレラと牝鹿の謝肉祭・東京楽友協会交響楽団演奏会
09/25 十二単日記2012年9月(2)敬老夕食

09/26 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン教師日誌>20129月(1)ふるさとの方言&雅楽演奏披露・得意技発表会
09/27 ニッポニアニッポン教師日誌>20129月(2)柔道合気道変体仮名・得意技発表会
09/29 ニッポニアニッポン教師日誌>20129月(3)ハングル回文の歌・得意技発表会
09/30 ニッポニアニッポン教師日誌>20129月(4)夏の集中講義を終えて
コメント (2)
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