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ぽかぽか春庭「スネップ&雇い止め」

2013-03-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>新語旧語(5)スネップ&雇い止め

 新しいことを覚えてもすぐ忘れてしまう脳となって久しく、書き留めておかないと同じことを何度も娘に尋ねて、「それ、昨日も聞かれて答えた!」なんて叱られます。私が娘にきくのは、お笑いタレントやアイドルイケメンの名とかですが。
 最近覚えた新片仮名語、スネップ。アントニオさんのブログ訪問して教わりました。スマップなら知っていたけれど。

 2012年の半ば頃から提唱してきた造語というから、できたてほやほやと言っていいでしょう。造語作成者は、玄田有史(労働経済学・東大教授)らで、「Solitary Non-Employed Persons」(孤立無業者)の頭文字をとってSNEPなんですって。
 定義は、「20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚者。就業していない。家族以外の人と2日連続で接していない人々」

 2012年の日本社会に、すでに100万人いて、ますます増殖中。ひとしきりニートが話題になりましたが、厚生労働省の定義では、15〜34歳の年齢層の非労働力人口の中から学生と専業主婦を除き、求職活動に至っていない者=若年無業者。

 労働環境は、ますます弱者に厳しい状態で、大手企業には「追い出し部屋」という労働者を自主退職に追い込むための部署が公然とできていて、「キャリア支援センター」とか、「事業開発部」などという名になっているのだそうです。どんな事業を開発するのかというと「自分自身の再就職先をさがす」という事業だって。上司と折り合いが悪い人なんかだと、優秀な成績をあげた翌年には追い出し部屋へ転籍、なんてこともあるそうで、定職を得たからと言って安心はできないという時代になったみたいです。

 定職正社員の内定を得られない大学生の比率は、2011年度卒業生で68%だったけれど、それは見かけの比率で、最初から就活をあきらめてバイトを続けることにした学生などは含まれていない。実質50%くらいの内定率だろうと思います。「大学は出たけれど」という戦前の映画がありましたが、生き甲斐を持って働ける場を提供できない社会を作ってしまったのは、私たち世代の責任だろうと思います。

 3月1日にテレビのニュースを見ていたら、契約労働者の話題が出ていました。総務省の労働力調査によると、「正社員」にあたる「無期雇用者」は3712万人だったのに対して、契約期間が定められた「有期」の雇用者は1410万人で、雇用者全体のおよそ4人に1人が期間の限られた仕事に就いていることが分かったと報道していました。
 「有期」の雇用者の内訳は、契約期間が1年を超える人が885万人、1か月以上1年以下の「臨時雇」が439万人、▽1か月未満の「日雇」が86万人となっています。

 動労契約法が2012年夏に変わり、2013年4月から施行されます。有期雇用契約労働者を5年を超えて雇う場合、本人の希望により無期雇用(つまり正社員)への転換を企業に義務付けるという法改正です。一見、正規雇用への転換を図るかのような法改正なのですが、実際に適用された場合、契約年数が満5年になる前に雇い止めを受けて解雇される契約労働者が増えるのではないかと懸念されます。

 もちろん、「法を改正した」と言う側は、「労働者保護のための法律だ。企業が契約社員を簡単に切ることができないハードルを設けてある」と説明しています。しかし、人を安く使い倒そうとしか考えていない企業であるなら、うまいすり抜け方法を考え出すにきまっています。たとえば、同じ業務に対して人を変えて新しく雇うことができない、という法をかいくぐる方法は、いくらでもあり、文面上で業務を変えるのはどうにでもできます。

 社会が不安定になり、人々に不安感が蔓延する社会となった場合、「自分だけは不自由していないし、安定した暮らしを営んでいける」と、安心してはいられないんだよ、とお金持ちに言ってやらねば。
 社会が不安定になれば、いつどこで何が暴発しても不思議はなくなる。金持ちだから安全で安定した暮らしが続く、とは限らない。と、脅しておきたい。みなが安心して暮らせる社会を目指さないでいることのツケは、いつか自分のクビを締めることになるよ。

 いかに人減らしをしていかに人件費を安上がりにして会社が儲かるようにするか、ということばかり追求してきた現代社会に所属してきて、電気が足りなくなったらみんな困るでしょう、困らないためにはどんどん電気を作ってどんどん消費しましょう、という社会をみなで容認してきました。

 原発の後片付けが済んでいないのに、「社会の景気をよくするために必要」というかけ声がかかれば、国民は「再稼働」をぶち上げる政権を選ぶことがわかった。
 ほら、株価が上がったじゃないか、と、次は「普通に戦争できる普通の国」にしたい人が、武器輸出を容認する。

 景気がよくなると言っても、一部の金持ちがますます儲かるだけで、底辺にいる私の暮らしはさっぱりよくはならない。
 「もっと景気をよくしてもっと儲けるためには、原発も武器輸にも農業を破壊するTPPにも賛成しなければならない」のだとしたら、私は今より貧しい暮らしになるとしても耐えられるから、一部の金持ちが儲かるだけの政策はやめてもらいたい、と叫びます。というか、ずっと貧乏なままだったから、たいして生活に変わりはないけれど、ますますジャンクフードのヤケ食いでもっと太るだろうとは思う。

 アメリカでは低所得層ほどジャンクフードを食べてぶくぶくに太り、高収入者ほど健康に気を配った生活をしていてスリムボディを保っており、太った人というのは、貧乏人の証拠だそうですが。日本もそうなってきたみたい。
 今日もジャンクフードをヤケ食いです。割れせんべい一袋とか、100円ショップのピーナッツチョコ一袋とか。

 食べなきゃいいんですけれどね。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「バタフライ」

2013-03-09 00:00:01 | エッセイ、コラム

2013/03/09
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>新語旧語(4)バタフライ

 「てふてふ」はもう使われず、現代っ子たちには「ちょうちょ」も日常生活からは縁遠くなったという昨今。いちばん身近なのは「バタフライ」かもしれません。

 さて、「バタフライ」と聞いて、一番最初に思い浮かんだことは何ですか。

1 水泳の泳法 バタフライ
2 オペラ、マダムバタフライ
3 女性の下着 全裸の女性を撮影するとき、ヘアが見えないように、前貼りをする布地
4 バタフライ効果 butterfly effectとは、カオス力学をわかりやすく解説するひとつの例。ある場所での蝶の羽ばたきが、そこから離れた場所の将来の天候に影響を及ぼすという例にあらわれるような、通常なら無視できる小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象をさす。
 
5 ウエイトトレーニングのひとつ  機械に手をかけ、両手両足を広げ、次に真ん中にとじ合わせることを繰り返す運動。うん、テレビで見たことあるな。ジムシーンでウォーキングマシーンに主人公が乗っていて、たいていそのとなりでやっている。 
6 卓球洋品  卓球ラケットなどのブランド。卓球の全日本チャンピオン選手であった田舛彦介が、1950年の引退と同時に創立。 
7 地雷 空から蝶のようにひらひらと舞い落ちてくるタイプの対人地雷。
8 歌、ポップス  マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、木村カエラらが歌う歌。私が知っているのは、チャラの「スワローテイル・バタフライ」のみ。
9 コンドーム バタフライ模様のおしゃれな健康生活用品。テレビでも見たことないな。
10 店 喫茶店、美容室、レストラン、ダイビング用品店など、あらゆる分野の店にこの名がつけられている。 
11 マンガ  かなりコアなマンガファン。相川有の作品『バタフライ』の愛読者

 「あなたの一番の愛読書を一冊あげてごらん、あなたがどんな人なのか、あててみせよう」とか言われるように、「バタフライ」で、どれを一番先に思い浮かべたかで、どんな人かわかるのか。
 う~ん、春庭? 
 1~4の順に思いついた。息子娘が学校時代には水泳部で、今も水泳大会のテレビ録画をよく見るので、泳法の名が一番身近。

 5以下は、知らなかった。9番、、、、見たことございませんわ。縁遠かった製品なので、オホホホホ、、、、なんて気取る柄ではないが、過去も今も縁遠い製品だったってのは確かである。カトリックでしたから、、、、ウソです。罰当たり。
 カトリックの世界では、神父司祭たちが同性愛だの少年愛だのにはまり込んでいるっていう、法王以外はみんな知っていた事実につき、ついにバチカン内部では処理できなくなったので、パパは引退してしまった。たいへんだね。カトリックも。その点、日本じゃ奈良平安時代から少年愛は寺で堂々と行われておりました。高僧に寵愛される「お稚児さん」になるのが、寺での出世の第一歩だった。

 と、バタフライ一語で法王引退話になり、しかもどんな高級な話題も下世話に落とさずにはおかないってのが春庭なんです。
 さて、これで春庭がどんな奴か、わかった?
 でも、あなたがどんな順番で思いつこうと、あなたがどんな人柄なのかは、、、わからん。

 「蝶」ということばにまつわる「ことば蘊蓄」これでおわり。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ちょうちょ」

2013-03-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/03/07
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>新語旧語(3)ちょうちょ

 (承前)「万葉集」には、蝶を詠んだ歌がない、というのも、やはり「魂の運び手」としての蝶を名指しで記録することは忌まれていたからなのでしょうか。夜あかりに集まる蛾のほうは、「ひひる」「火取り虫」として記録されています。

 『魏志倭人伝』には卑弥呼の使者が魏に朝貢し、倭錦(わにしき)という日本の野蚕の織物を献上したという記録があります。野生の蛾を集め、繭から繊維をとることが卑弥呼の時代にもすでに行われていて、機織りがなされていたことがわかります。
 東北の蚕神の「おしら様」、繭が白いところから「おしらさま」なのだろうと思っていましたが、ひらひら飛ぶ蛾の「おひら」様であったかもしれません。

 沖縄の「てびらこ」も、蝶も蛾も含めての語と思われます。沖縄の古い民俗では、蝶は祖霊として大切にされ、祖霊の意思を問うシャーマンのみに蝶の文様の着物が許されたそうです。蝶は霊であり、死と結びつく忌むべきものと思われていました。沖縄よりさらに台湾よりの宮古や八重山などでは、蝶の訪れは吉祥で、蝶は神霊。どちらも、蝶を人を超えた尊い存在と見なしていました。
 
 古代中国の「胡蝶の夢」、ギリシアのプシュケー伝説など、洋の東西、蝶と魂は結びつけられてきました。ギリシア哲学を導入したイスラム神秘主義においても、火に飛びこんで焼かれた蝶は、迷妄を離れて本来の人間としてよみがえった境地の象徴「ファナ」となるという教えがあるのだそうです。

 蝶→卵→幼虫→さなぎ→蝶、という循環は、世界中で変化と再生の象徴になっていたことだろうと思います。サナギということばも、古代日本では重要なものでした。
 東京国立博物館で出雲大社展を見たとき、出土品の銅鐸がたくさん並べられていました。その説明だったと思いますが、銅鐸は古語では「さなぎ」と呼ばれていた、と在りました。

 11世紀末から12世紀頃に日本で成立した漢字事典「類聚名義妙」に「鐸」の和語として、オホスズ、ヌリデ、サナギと書かれています。「サナギ」というのは、銅鐸の形が蝶の蛹に似ているところからの命名かと思います。江戸時代まで、銅鐸は「佐名伎さなぎ」と呼ばれていました。明治時代以後は「銅鐸どうたく」

 「さなぎ」は、古事記の出雲神話で、オオクニヌシの魂であるスクナヒコナが「さなぎ=ヒムシの皮、鵝」を着て表れたと書かれています。
 これも、蝶が魂を運ぶことのひとつの表れだろうと思います。

 『万葉集』の和歌には蝶の歌はありませんが、漢詩には表れる、と紹介しました。
 平安初期。嵯峨天皇時代の『文華秀麗集』に蝶の漢詩が出てきます。蝶の群舞を漢詩にしています。音楽の響きなしに自ずから舞っているとしていますので、現実の蝶が野原に舞っているようすを詠んだのかもしれませんが、平安時代に盛んに上演された舞楽の「胡蝶」の光景から作られたのかもしれません。

 嵯峨天皇の漢詩『舞蝶』
 数群胡蝶飛乱空(数群の胡蝶空に飛び乱れ)
 雑色紛紛花樹中(雑色粉々なり花樹の中)
 本自還元不因響(本自弦管の響の因らず)
 無心処々舞春風(無心にして処々春風に舞う)

 『万葉集』には無かった蝶。八代集(古今集、後撰集、拾遺集、後拾遺集、金葉集、詞花集、千載集、新古今集にも「蝶」は登場しません。『古今集』にわずかに「蝶」が詠まれています。思い惑う魂の象徴としての蝶、恋しい人に見せてはいけないものとしての蝶です。
 「散りぬれば後はあくたになる花を 思い知らずもまどう蝶かな」僧正遍照
 「こてふ(胡蝶)にも似たるものかな花薄 恋しき人に見すべかりけり」紀貫之 

 鳥は、「てう→チョウ」という音読みが伝わったのちも、「とり」という訓読み(和語)が使われ、神々や霊や魂を運ぶ乗り物として「天鳥船」という名も残りました。鳥を音読みで使う熟語として日常語であったのは「鳥目ちょうもく(=銭)くらい。同じ空飛ぶものであり、霊魂に関わると意識されたのに、「とり」は和語が残ったのに対し、「かはひらこ」は、地方の方言にしか残らず、中央の語は「てふ」だけになってしまったのは、なぜなのか、まだわかりません。ことばの栄枯盛衰は、まこと諸行無常の響きあり。

 平安後期に後三条・白河・堀河の3代に使えた大江匡房の蝶の歌は、荘子の「胡蝶の夢」をふまえてのものと思われます。
 「百とせの花にやどりて過ぐしてき この世は蝶の夢にぞありける」大江匡房  

 平安末期から鎌倉にかけては、藤原定家の日記『明月記』や鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』などに、蝶の群舞が不吉とされる記述があり、やはり、蝶の出現は、特別なもの、という意識が残されています。

 人をも御神輿をも恐れなかった平家は、紋章のひとつとして「丸に揚羽蝶」を用いました。いつから平氏がこの紋を用いだしたのか、歴史に詳しくない私は知らないのですが、忠盛清盛の頃から平家公達が直衣直垂の模様として柄にし、後世、平氏末裔を称する武家の家紋となったようです。蝶を恐れた定家などの公家に対して、武家としての強い意志を感じます。定家などは、平氏の蝶紋を見るたびに滅びを予感したのかも知れません。

 蝶の出現が恐れられた平安末期から鎌倉への変動期、民謡俗謡の歌詞を記録した『梁塵秘抄』(後白河法皇が1180年前後(治承年間)に編集)にある神歌(巫女達が歌ったものであろう)のひとつ。
よくよくめでたく舞うものは 巫(こうなぎ)小楢(こなら)葉車の胴とかや
八千ごま蟾(ひきがえる)舞手くぐつ 花の園には蝶小鳥


 白拍子や巫女たちが、神の言葉の伝達として謡うのが神歌。この神歌に出てくる「花の苑には蝶小鳥」も、人の魂を運ぶものとしての「蝶」の観念が残されているように思います。この歌を採録した治承年間といえば、おごれる平氏のおごりのまっさかりのころ。平清盛の妻の妹滋子(健春門院)が後白河上皇との間に産んだ高倉天皇、次いで清盛の娘徳子が高倉帝との間に産んだ安徳天皇が即位したころです。
 この歌を料紙に書き写す後白河上皇は、目の前にひらひらと舞う花の園の蝶を目の当たりにしつつ、魂の行方をじっと見つめていた、そんな気もする巫女の歌と舞です。

平家の紋所のいろいろな蝶


 室町以後になれば、蝶は紋章だけでなく、衣裳の図柄として盛んに染められもし、縫い取りもされます。東京国立博物館の能衣裳や小袖打ち掛けが並んでいる部屋その他衣裳博物館などには、蝶の模様が舞い踊り、刀の鍔にも蝶の模様が施されています。

 さて、現代のちょうちょ。
 かってはどこにでも飛び交っていたモンシロチョウさえ、現代の子ども達には縁遠いものになっているのだとか。
 多摩動物園の昆虫館は、大温室の中に舞う蝶を見ることができます。ここで昆虫採集はできませんけれど、蝶の舞う姿を子どもに見せたいなら、いいかも。本当は、もちろん親子で蝶々を追いかけて虫取り網を振り回せる場所に行けるのが一番いいけれどね。

 以上、春庭の「ちょうちょ」つれづれでした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「てふてふ」

2013-03-06 00:00:01 | エッセイ、コラム

国会図書館所蔵「千虫譜(上)より アゲハと蛾」

2013/03/06
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>新語旧語(2)てふてふ

 仕事柄、新旧のことば、外来語などへのアンテナは張っているつもりですが、どうにも感度の悪いアンテナなので、ことばの達人たちの言語感覚の鋭さに驚かされてばかりいます。

 蝶ちょうという語、ごく普通のことばとして使っていて、特別なことばと思ったことはありませんでした。
 湯沢質幸『古代日本人と外国語』を読んで、飛鳥時代以前から奈良平安初期の日本がどのように漢字文化を受け入れてきたか、ということについて、ずいぶんと知識が広がりましたが、ひとつひとつの語についてのアンテナ感度が上がったわけではなく、ひとつひとつ教わるたびに、ああ、そうなのか、と感心しています。
 
 司馬遼太郎の『歴史の世界から』に所収の「蝶への思い」というエッセイを読んで、あらためてことばへの鋭敏な感覚を持つ人への感嘆の思いを深めました。
 司馬は、蝶のなかでモンシロチョウが一番好きだと述べ、「蝶」には和語が伝わっていない、と書いています。

 「私は、蝶という詞が、上代日本人にとって外国語であることが気になっている。蝶、音はテフ。テフという古い中国語の音は、蝶がその翅をにわかに昼返すような飛び方をするところからきている。
 人間の暮らしの中にありふれて存在しているこの鱗翅目の昆虫をよぶのに、わざわざ外来語を使ったという上代日本人というのは、どういう事情によっているのであろう。しかも、上代日本語ので蝶をどう言うのか、言葉が伝わっていないのである
。」(初出:季刊アニマ1976年4月)

 司馬は、万葉集事典を確認して万葉集の中で蝶を詠んだ和歌はひとつもなく、万葉集にわずかに出ている漢詩の中に「庭には新しき蝶(テフ)舞ひ」などの句が出てくるのみと言います。
 しかし、司馬は、「古語、和語が標準語として伝わらなかった」ことを述べるのみで、方言については言及していません。

 司馬にならって古語辞典を確認してみれば、蛾の古称として「比々流ひひる」があります。日本書紀には、持統天皇六年に越前の国司が「白き比々流を献れり」と書かれています。漢文で書かれた日本書紀ですから、テフ蝶々であるなら、「蝶」と書いたとおもわれますので、「白き比々流」は、大きな白い蛾であったのかとも思われます。

 また、平安時代に編纂された漢和辞典である『新撰字鏡』には、蝶(ちょう)の古名として「かはひらこ」という語が出ているのだそう。(新鮮字鏡が手元にないので、孫引きですみません)

 この「かはひらこ」は、方言として残存している地方があり、江戸時代の方言集には、わが故郷上州(群馬県)と野州(栃木県)で、「かわびらこ」と呼んでいたというのです。知りませんでした。「ちょうちょ」以外には聞いたことがありませんでしたので。

 万葉集に詠まれている虫は、秋に鳴く虫の総称として蟋蟀(こほろぎ)が出てきます。また、蛍も詠まれています。しかし、平安時代になっても、清少納言は『枕草子』に、趣がある虫の一つとして「てふ蝶」を上げるのみ。『枕草子』(223段)に、中宮定子のことばとして「みな人の花や蝶やと急ぐ日も わが心をば君ぞ知りける」と書かれていますが、清少納言自身が蝶を愛でたり形の美しさを誉めたりという文章はありません。

 ♪ちょうちょ、ちょうちょ菜の葉にとまれ、菜の葉に飽いたら、桜にとまれ、と春になればまっさきに歌っていたのに、昔は「ちょうちょう」を「テフテフ」と書いたということを習ったあとも、「テフ」が音読みであって訓読みはない、と言うことに気づきませんでした。

 「山」は、訓読み「やま」、音読み(古代中国音)「サン」、現代中国語では「シャン」。「花」は訓読み「はな」、音読み「カ」、現代中国語では「ファ」と、留学生への漢字教育でも解説してきたのに、蝶の古代日本語発音「テフ」も現代発音「チョウ」も音読みであることに気づかなかったのです。

 現代中国語では、チョウは蝴蝶(hudieフーディー)で、古代中国語の「テフ」と言う発音は、現代では「ディー」と変化していることがわかります。また、古代日本語でちょうちょのことを「胡蝶こちょう」と言ったと同じく、現代中国語でも「蝴蝶」で、蝶は西域からもたらされたものとして意識されていることが分かります。

 これは、中国においても長らく蝶は「霊魂」と結びつけられて神聖視タブー視され、漢王朝が崩壊して南北朝時代になるまで、蝶は宮廷の詩文や絵画、文様とすることを避けられてきたという歴史があるからです。荘子の「胡蝶の夢」も、「胡蝶=異国の蝶、西域から来た蝶」としているのは、蝶が特別な虫であり、現代中国語でも「蝴蝶」なのだと思います。
 
 春になれば、野にも畑にも蝶が飛び交い、縄文時代にも弥生時代にもちょうちょを目にしないことはなかったと思うのに、なぜ和語として残っていないのでしょうか。
 アイヌ語にはいろいろな方言がありますが、蝶については、マレウレウ「ma(泳ぐ)rewrew(とまりとまりする)」というそうです。ひらひら飛んで、葉の上でとまる、蝶の生態をよく捉えた命名だと思います。

 さて、蝶テフという発音が日本に伝わる前、蝶はどのように見られ、どのように命名されていたのでしょうか。
 世界中の古代神話で、空飛ぶ鳥や蝶は「魂を運ぶもの」として見られてきました。日本神話にも、日本武尊が亡くなると、白い鳥になって天翔けていった、という伝説が書かれています。

 蝶が魂を運ぶという意識は古代日本にもあって、蝶がことばとして口に上ることを忌む風習があったのではないか、「神」の名を直接口にすることがはばかられたのと同じに、人の魂の表れである蝶をことばにして話題にしてはいけなかったではないかと想像されます。

 以下、日本語「蝶」について調べたことをいくつか。

 標準語が定められたのは、明治時代。上田万年らが中心となって、制定されました。全国から徴兵された兵士が、軍隊に於いて統一した言語で号令がかけられるよう、また、全国に広がっていく学校教育において、教科書を統一するために、標準語が必要とされました。
 このとき、蝶は表記は「てふ」発音は「ちょう」として、教科書に載りました。

 明治以前には、それぞれの地方の方言ではお互いに話が伝わらず、謡曲のうたいのことばで会話した、などという逸話も残っています。
 蝶の呼び名も各地で異なっていました。江戸時代には、花譜や虫譜など、博物誌を編纂する大名も多く、多くの博物誌が美しい植物画昆虫画とともに残されています。
 『倭訓栞』は、1777~1887(安永6~明治20)年の百年をかけて編纂された百科事典で、全3編からなり、前編には古語・雅語、中編には雅語、後編には方言・俗語を収録しています。

 『倭訓栞』にも、蝶は、「てふ」であるとして、この発音は、音読み、つまり古代中国の呼び方であると紹介しています。その上で、各地の方言の紹介もあります。
 関東・南奥州では「てふま」、津軽では「かにべ」あるいは「てこな」、越後では「ふまつべったら」、信濃では「あまびら」、西国では「ひるろう」、伊勢では「ひいろ」。
 ひるろう、ひら、ひいろ、へら、などは、古語の「比々流ひひる」から伝わった「蛾も含む、野を飛ぶ虫の総称」であろうと思います。

 『重修本草綱目』では、古歌に「からてふ」というとした上で、さらに詳しく各地の蝶の呼び名を挙げています。京都では「ちょてふ」、江戸では「てふてふ」といい、野州(群馬・栃木)では「かわびらこ」あるいは「てふてふばこ」
 沖縄では「てびらこ」

 以下、次回に解説。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「青い鳥さんの辞書あそび」

2013-03-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/03/05
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>新語旧語(1)青い鳥さんの辞書あそび

 青い鳥さんが日常生活をブログに綴っているのを読み、最近通信講座で介護保険事務の勉強を始めたと書いていらしたので、ほんとうに感心しました。
 2008年、手術後の治療中に首から下がまったく動かなくなるという重篤な状態になり、一時期は唯一の意思伝達方法だった「まばたき」さえ出来なくなったというつらい日々でした。
 しかし、4年間の治療と周囲の人々の献身的な看護介護を受けて、青い鳥さんは驚異的に回復し、昨年の息子さんの結婚式には、車椅子に座って出席できるまでになりました。
 今月は、自分の足でひとりで立つことができた、といううれしいニュースをブログにかいていました。

 それだけでも立派なことだと感服していましたが、今年は2月に初孫さんの誕生。次の願いは、お孫さんを自分の力で抱っこすること、いっしょに遊ぶこと。きっとこの願いも実現するまでがんばる青い鳥さんだろうと思います。
 さらに、今年は通信講座での勉強開始。サボれればどこまでもサボっていたい私は、すごいなあと見上げるばかり。
 そんな青い鳥さんの一番の理解者であり、常に見守ってくれたというお父様を,お孫さん誕生の20日後に亡くされて、悲しみもありますが、青い鳥さんはきっと悲しみも乗り越えて行かれることと思います。

 青い鳥さんの日常生活の中、夜12時にヘルパーさんが帰宅してしまったあと、眠れないとき、「春庭さんに教わった過ごし方」として、ケータイの辞書機能を使って「辞書のことばを読んでいく」というのをやっておられるそうです。

 「0時にヘルパーさんが「おやすみなさい」と言って帰られます。
その後の私は、部屋の豆電球の中で、布団にもぐったまま横向きになり、携帯電話の国語辞書を開き、言葉遊びをします。あ・ああ、から初めて、やっと、あな、まで行きました。
一文字、一言、クリックしながら、言葉の意味を読んでいきます。
友人の春庭さんの辞書遊びをヒントに私もやってみようと思い、やり始めました。
なかなか楽しいです。知らない言葉が沢山出て来ます
。]

 春庭は、しばらく遠ざかっていた辞書あそび。久しぶりに「知らないことばさがし」をやってみましょう。
 知らないことばに出会うと、ほんとに「へぇ、こんな日本語あったんだ」と思います。今、試みに辞書をパッと開いて、そのページに知らない語があるかどうか、チェックしてみました。あります。あります。国語辞書の真ん中あたりを開けてみたら「ち」のページ。 「褫奪ちだつ」はぎとること。とりあげること。例文「官位を褫奪する」
 知りませんでした。

 パッと辞書の前半のほうを開けてみると「き」の欄。「躬行(きゅうこう)」自分みずから行うこと。「実践躬行」
 後半を開けてみると、「ひ」の項。「蓖麻(ひま)」唐胡麻とうごまに同じ。蓖麻子油は知っていても、蓖麻=唐胡麻は、知りませんでした。蓖麻子油と唐胡麻はまったく別物と思っていました。

 茅葺きの屋根は「茅」という名の植物があるのだと思い込んでいたことを、01/19「20012-2013冬のアート散歩(9)向井潤吉記念館」に書きました。
 茅だけでなく、物知らずなHAL、知らない言葉が辞書開くたびに見つかります。近頃の学生、知らないことばがあると、すぐに電子辞書やインターネットで、そのことばを調べます。でも、紙の辞書のいいところは、調べようとしたことばのほかに、そのページにある語が目に入ることです。
 
 「舟行」と「舟航」の意味の違いを確認しようとして、隣の隣に出ていた「秋毫しゅうごう」という語をはじめて知りました。「毫も違わない」は、ほんのわずかの違いしかなくてほとんど同じ、という意味で用いていましたが、「秋毫」は知りませんでした。
 このところ「辞書全読」をやっていませんでした。青い鳥さんの「深夜の辞書読み遊び」を知って、私も「辞書あそび」を復活させようと思いました。

 春庭→青い鳥さん→春庭、こんなふうにお互いに影響し合って生きていける。九州と東京、離れた場所に暮らしていて、普通なら出会うこともなかった人と、ネットで出会い、影響し合える。これもすてきな友だち関係と思います。
 青い鳥さんと出会えて、ほんとうによかったです。
 辞書遊び、続けていきましょうね。

<青い鳥カレンダーの青い鳥3月の詩>
淡い春野日差しが
ピンク色に頬染めながら
柔らかな風に吹かれて
まだ寒空に
小さく小さく 膨らんで行く
木々の小枝に無数の蕾をつけ
花開くとき
小鳥たちのさえずりと
貴女が奏でる
優しいメロディーのバイオリン
ハーモニーとなり微かに聞こえます
青々とした宙を自由に飛び回ろう
しぼんでしまった夢や希望を
もう一度膨らまそう
誰もいなくなった花薗の中で
居眠りしながら
バイオリンの優しいメロディーに
心癒されよう
春が奏でる優しいバイオリンに
貴女を思う


<つづく> 
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ぽかぽか春庭「ひなの歌」

2013-03-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
近代美術館工芸館の雛

鹿児島寿蔵(1898~1982) 「紙塑人形 延寿雛」 紙塑 1957年

2013/03/03
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>春のうた(2)ひなの歌



<雛の句>
・昼の灯の二階に上がる雛の店   高浜虚子 
・菱餅や己れ憫れむ棚飾り     石塚友二
・夢色の雛のあられと膨れつつ   石塚友二
・水軍の古墳見てきて雛の酒    角川源義
・立ち雛の面輪匂ひて眉目あり   水原秋桜子
・碧空に山するどくて雛祭り    飯田蛇笏
・明るくてまだ冷たくて流し雛   森澄雄
・流し雛見えなくなりて子の手とる 能村登四郎
・折り上げてひとつは寂し紙雛   三橋鷹女
・雛飾る手の数珠しばしはずしおき 瀬戸内寂聴
・雪道を雛箱かつぎ母の来る    室尾再生
・葛城の雨脚はやし雛の夜     有馬朗人
・雛の間の更けて寂しき畳かな   高浜年尾


近代美術館工芸館の人形は、どれも美しく魅力的です。
鹿児島寿蔵 紙塑人形 さぬのちがみのおとめ 1960


<雛の歌>
・古雛をかざりひ ゝなの繪を掛けしその床の間に向ひてすわりぬ 長塚節
・はうらつにたのしく酔へば帰りきて長く坐れり夜の雛の前 宮柊二
・い寝よとぞ母は言へども孤りして雛にむかひてわが少女遊ぶ 宮柊二
・雛飾る部屋の暗さよ人形の白き顔にはほくろのなくて 栗木京子


 春庭が子どもの頃母といっしょに飾っていたのも、こんな形の藤娘の舞踊人形でした。もちろん、こんな人間国宝級の高級なのじゃなかったけれど。


<ネットでみつけた回文短歌の「雛」>
・なびく髪 目緩みし我が子 ねだるカルタ 猫かわし見る 夢磨く雛
(なびくかみ めゆるみしわがこ ねだるかるた ねこかわしみる ゆめみがくひな)

母子の人形もすてき

 春庭が作った回文短歌「雛」(仮名遣いは、いいかげんです)
・ミルク飲み人形 飾りて 雛も無ひ 照り咲かうよ 金に身の包(くる)み 
(みるくのみ にんきよう かさりて ひなもなひ てりさかうよ きんにみのくるみ)

 戦後のもののない時代に、それでも両親がなんとか飾り上げたわが家の雛段でした。毎年、母と三姉妹でひな壇を飾るのが楽しみだったけれど、一番上の御殿の内裏びな人形は、妹の初節句祝いの雛。私の雛は、「胡蝶」「藤娘」などの舞踊人形のみ。私は大事な遊び相手のミルク飲み人形も飾りました。御殿に立てた金屏風は日に照り、私の人形も金色に身をくるんでいました。昭和三十年代の田舎家の雛祭りです。

空模様を見上げる粋な女性の姿
大林蘇乃「西銀座昼の月」1962年

こちらは、デパートで売り物の展示
ちょっとそっぽを向き合っているように並んでいたので、ぱちり
女雛は何をすねてちょこっと横を向いているのかしらね。


・雛千体並べし観光地の川に紙雛そっと流れて三月 春庭
・柔らかき三月の光浴びそめてひいなの顔は亡き姉の顔 春庭

<おわり>



コメント (6)
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ぽかぽか春庭「明治の春」

2013-03-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
東御苑の十月桜

2013/03/02
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>春のうた(1)明治の春

 必ずしも明治年間に作られた短歌ばかりではありませんが、イメージとしての「明治の春」です。

<明治の春>
・立ち渡る霞をみれば足引きの山にも野にも春は来にけむ 樋口一葉
・わたつ海の波のいづこに立ち初て果なくつゝむ春の霞ぞ 同
・見し花のかげ消えてゆく春山のゆふがすみこそ心ぼそけれ 同
・故郷にかへる心やいそぐらん友も待ちあへぬ春のかりがね 同
・のどかなるとこ世の春にかへるらん雲路に消ゆる天つかりがね 同
・つれづれと雨ふりくらす春の日の夕べはわきてのどけかりけり 同
・何事のおもひありやと問ふほどの友得まほしき春のよの月 同
・春浅き園の若草若ければおふしもたてよつみはゆるして 同

花蘇芳

・その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春の美しきかな 与謝野晶子
・清水へ祇園をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美しき 同
・春三月柱(ぢ)おかぬ琴に音立てぬ触れしそぞろの我が乱れ髪 同
・人かへさず暮れむの春の宵ごこち小琴にもたす乱れ乱れ髮 同
・くれの春隣すむ画師うつくしき今朝山吹に声わかかりし 同
・春をおなじ急瀬さばしる若鮎の釣緒の細うくれなゐならぬ 同
・下京や紅屋が門をくぐりたる男かわゆし春の夜の月 同
・春の宵をちひさく撞きて鐘を下りぬ二十七段堂のきざはし 同
・春の小川うれしの夢に人遠き朝を絵の具の紅き流さむ 同
・ゆく水に柳に春ぞなつかしき思はれ人に外ならぬ我れ 同
・きけな神恋はすみれの紫にゆふべの春の讚嘆のこゑ 同
・そと祕めし春のゆふべのちさき夢はぐれさせつる十三絃よ 同
・経はにがし春のゆふべを奧の院の二十五菩薩歌うけたまへ 同

道ばたのたんぽぽ

・戸な引きそ戸の面は今しゆく春のかなしさ満てり来よ何か泣く 若山牧水
・春や白昼日はうららかに額にさす涙ながして海あふぐ子の 同
・誰ぞ誰ぞ誰ぞわがこころ鼓つ春の日の更けゆく海の琴にあはせて 同
・海の声そらにまよへり春の日のその声のなかに白鳥の浮く 同
・海あをし青一しづく日の瞳に点じて春のそら匂はせむ 同
・春の海ほのかにふるふ額伏せて泣く夜のさまの誰が髪に似る  同
・いづくにか少女泣くらむその眸のうれひ湛えて春の海凪ぐ 同
・煙たつ野ずえの空へ野樹いまだ芽ふかぬ春のうるめるそらへ 同
・春の夜や誰ぞまた寝ぬ厨なる甕に水さす音のしめやかに 同
・天地の春たけなはに遠地こちと蛙鳴く野や昼静かなる 同

府中の森の紅梅

・春雨のふた日ふりしき背戸畑のねぎの青鉾なみ立ちてけり 伊藤左千夫
・なぐさみに植ゑたる庭の葉広菜に白玉置きて春雨のふる
・春雨の夜を一人居り心ぐく歌思へどもまとまりかねつ

・春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕 北原白秋
・かくまでも黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし 同
・ゆく水に赤き日のさし水ぐるま春の川瀬にやまずめぐるも 同
・白き犬水に飛び入るうつくしさ鳥鳴く鳥鳴く春の川瀬に 同
・我が内障眼すべないたはり日も暗し春早き外に土旋風巻く 同
・春田中ねもごろ人のいふ聴けばげんげは遅し菫いま咲く 同
・春浅み背戸の水田のみどり葉の根芹は馬に食べられにけり 同
・春といへどまだ寒むからし茨の葉に面寄する馬の太く嚏る 同


芭蕉庵へ行く途中の小名木川ぞいの散歩道に咲くアロエの花


<三月の句>
・いきいきと三月生まる雲の奥 飯田龍太
・三月やモナリザを売る石畳 秋元不死男
・三月の花の明かりや在原寺 角川源義
・三月の鳩栗羽を先ず飛ばす 石田波郷
・三月の声のかかりし明るさよ 富安風生
・三月やともかく越えて来たる日々 稲畑汀子
・三月や崩れて崖の匂いつつ 坪内稔典



佐保姫の春
佐保姫の糸染め掛くる青柳を吹きな乱りそ春の山風 平兼盛『詞花集』
佐保姫の霞の衣ぬきをうすみ花の錦をたちやかさねむ  後鳥羽院『後鳥羽院御集』

・三月の春今生れなんとし佐保姫あなたも産みを苦しむか 春庭
・佐保姫の糸染め縫うて山肌の薄緑にぞけむりし明け方 春庭

<つづく>
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