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ぽかぽか春庭「白米ごはんライス」

2014-07-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/07/10
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(7)白米ごはんライス

 定番質問のつづき。
<質問1> 
 お米と白米、ライスの違い。ミルク、牛乳の違いは何ですか。
<回答1>
 和語、漢語、外来語によって同じものを指し示すことがあります。しかし、同じものを指し示していても、それぞれの意味の違いがあります。
 農家で牛の乳房を絞る時は「乳しぼり」と言います。牛の乳(ちち)。それを製品化して、紙パックやビンにつめると「牛乳」と呼びます。レストランや喫茶店で飲むグラスに入った飲用物を注文するときは「ミルクください」と頼みます。製品化される前「牛の乳」、製品化「牛乳」、洋風の飲み物として「ミルク」。

 小さい昔ながらの宿泊施設。やど(宿)、はたご(当て字は「旅籠」)。部屋数が多くなり温泉などを備えたところは旅館。西洋風の部屋に客を泊め、木造より近代的ビルの建築になるとホテル。

 田に生えている植物は、稲。その種子だけ取ると「モミ(籾)」。籾を精米すると「米」。コメのうち、もみ殻(ぬか)を全部取り去ったのが「白米」。玄米や白米を蒸したりゆでたりしたら、ごはん。と、呼びます。水分が多ければ粥。
 炊き上がったご飯を洋食として客に供するときは、皿の上に盛り付け、「ライス」と呼ぶ。英語は、稲、籾、白米、すべてriceですが、農業国日本では、経済文化の基本であるコメに対してもきめこまやかに、名前を変えます。アラビア語に、ラクダを表す単語が500以上あるのと同じ。自分たちの文化にかかわり深いものは、細かく細分して名づけが行われる。

 同じものを和語漢語外来語で言い換えた語があるのは、それぞれに異なる意味があるからですが、ファッション用語は、同じものであっても、名前だけが変わる場合もあります。新しい名前にしたほうが、新しいファッションに思えるからです。「チョッキ、ベスト、ジレ」「ズボン、スラックス、パンタロン、パンツ」など。もっとも、ファンション関係者にいわせればジレとベストは大違い、なのでしょうけれど。


 「漢字とひらがなと、どちらで書けばいいですか」という質問がきたときは、「ひらがな」で書いても、同音異義語が無く、誤解されるおそれのない語は、できるだけひらがなでかくのが私の方針。たとえば「えんそく遠足」や「えんぴつ鉛筆」は、同音語がないので、ひらがな、かたかなで書いても誤解される心配が少ない。けれど、分かち書きをしない場合、単語の区切りを示すために、あえて漢字をつかうことがあります。「おはよう」と書いても「お早う」と書いても、誤解されないだろうけれど、ニュアンスは異なります。「わたし、ワタシ、私」どの表記を採用するかは自由です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ひらがなカタカナと変体仮名」

2014-07-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/07/09
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(6)ひらがなカタカナと変体仮名

 日本語教師志望の日本人学生質問の定番つづき。
せ質問1> 
 なぜ、日本には平仮名とカタカナがあるのですか、使い分けは?
<回答1>
 日本の仮名文字は、漢字(真名文字)から作られた文字です。漢字は、一画一画をきちっと書く楷書体、早くかけるように続け字で書くのが行書体。さらに簡略にくずして書くのが草書体です。草書体をさらに簡略に崩し、日本語の音韻にあてはめて、ひとつの音節にひとつの草書体を当てはめたのが、草かなです。
 カタカナは、漢字の一部分をとって、日本語の音節の発音にあてはめました。

 ひらがなカタカナが定着する以前には、漢字を用いて日本語の発音を表す「万葉仮名」が用いられました。例を挙げます。
 額田王「茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流=あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる」
 「不見みず」のように、漢文を取り入れた表記もあり、「武良前野むらさきの」のように、訓読みを組み合わせた表記もあります。やがて「武」の草書体が草仮名「む」となり「良」の草書体が草仮名「ら」として定着していきました。 

 草仮名は、字体がしだいに定まり「平仮名」として定着しました。主に女性たちが、和歌や手紙、日記をかくために用い、片仮名は、僧侶などが漢文の経文に日本語の助詞を書き加えて意味を分かりやすくするために用いていました。男性は漢字を用いて漢文で正式な文書として書いていましたが、『土佐日記』のように男性がひらがなの文章を書くことも多くなっていきました。紀貫之が「自分は女性である」として『土佐日記』を書いたのは、当時ひらがなは女性がつかうものと思われていたからです。)

 現代仮名遣いでは、漢字熟語は漢字で、和語はひらがなおよび漢字の訓読みで表記する。用言の送り仮名や助詞はひらがな。外来語と動植物名、擬音語擬態語は、原則カタカナで書くことを基本としています。

 なぜひらがなカタカナの両方を使うかというと。政府は、最初は漢字とカタカナのみ使う予定でした。しかし民間では「漢字+ひらがな」の方が普及し、政府(文部省)が、ひらがなをあとおいで承認したため、当初の「カタカナが正式な表記である」という姿勢を崩せなかったためです。明治政府は、公式文書は漢字とカタカナを用いて表記しました。
 また、たくさん存在した仮名文字を整理して、教育用にひとつの音節に仮名はひとつのみ採用しました。1900(明治33)年のこと。

 次の文字、なんと読むでしょうか。

 そばやの看板やのれんによく出てくる文字です。
 江戸時代の蕎麦屋の「そ」には、現代仮名表記の「曽→そ」ではなく、本来は、「楚→上記のれんの文字の真ん中の字」が使われていました。

 今でも、老舗の蕎麦屋は「生楚者」というのれんがかかっています。(今できの蕎麦屋は、「生そば」のことを「ナマソバ」と言ったりするので、もう老舗の味も通用しないのでしょうけれど)。
 楚者の仮名文字が使えなくなったので「そば」にしたのですが、頑固な昔ながらの蕎麦屋の看板は、今も看板やのれんには、現代仮名文字の「そば」でなく「生楚者(を崩した仮名文字)」を用いているのです。、

 当初、明治政府は、漢字カタカナ表記を公文書の書体とし、学校教育も1年生にはカタカナから教え始める教科書を用意しました。「ハナ ハト マメ、、、」
 しかし、明治期後半に言文一致運動が起こり、江戸戯作などで用いられていた表記、「漢字ひらがな」が言文一致の表記として一般に普及したので、国定教科書もひらがな教育に力を入れるようになりました。

 公文書は、漢字カタカナ表記とする、という表記法は、昭和前期まで変わりませんでした。昭和後期以後、公文書も漢字ひらがなになりました。1946~1951に行われた国語表記改革で、通常文は「漢字+ひらがな」を基本とすることになりました。

 明治政府が1900年に排除した仮名文字は、「変体仮名」と呼ばれています。
 変体仮名は、検索すればたくさんのサイトがあるので、明治のはじめまで使われてきたたくさんの仮名文字を見ることができます。

 ほんとうは、別のサイトを紹介したいのですが、サイトURLに、規制語が含まれていて、UPできなくなるので、この語が含まれていないサイトURLを。
http://www.benricho.org/kana/

<つづく>
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ぽかぽか春庭「桃太郎のお話を話して」

2014-07-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140707
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(5)桃太郎のお話を話して

 学生の質問、おお、こんなことを質問されて、私もあらためて考える時間がとれてよかった、と思うような質問もありますが、たいていは、毎年同じことを聞かれる定番質問です。
 まずは、定番の質問の例を。同じような質問を毎年されて、答えるのが面倒な場合、検索せよと、突き放す。授業で必要なことがらについては、めんどうでもいちいち答える場合もありますが。

<質問1>
 十八番には「おはこ」という読み方がありますが、どうしておはこと言うんですか。
<回答1>
 ネットにつながるケータイ電話を持っているなら、まず、検索してください。ネットの辞書に語源が掲載されています。

 いまどきは、たいていの語の読み方、意味、語源までが検索すれば調べることができます。学生には、まず検索せよ。検索しても載っていなかった場合、書いてあってもよく理解できなかった場合に教師に質問せよ、と言っています。教師は「歩く辞書」ではないので、ネット検索程度でわかることなら、自分で調べなさい、と。
 以上は、突き放した場合。次は、毎年出る同じ質問に、毎回あきもせず答えている場合。

<質問2>
 話という漢字には話(はなし)と話し(はなし)という送り仮名の違いがありますが、何が違うのですか? 終わりと終りも。
<回答1>
 文部科学省の「現代かなづかい」に準拠してお答えします。
 動詞は、活用語幹を漢字の読みに当て、活用語尾(後ろにつく付属のことばにより形が変わる部分)をひらがなで書くことが原則です。
 「話す」は、はなサない、はなシて、はなス、はなセば、など、「はな」は変わらない部分(語幹)です。変わる部分はひらがなで表記します。
 しかし、自動詞他動詞を区別するために、変化しない部分をひらがなで表記する場合もあります。
 自動詞「終わる」は、おわリます、、おわル、おわレば、と活用し、「おわ」が活用語幹です。しかし、「終る、終て、終れば」と表記した場合、他動詞「終える」も「終る、終て、終れば」となり、区別がつきません。そのため、「お」だけを漢字の読みに当て、終わる、終える 終えれば、終われば、と表記し、自動詞他動詞の混乱がないように書きます。

 「終わり」は、動詞の連用形(日本語教育では「マス形」と呼ぶ)が、名詞になった語です。(連用形名詞)。名詞は形が変わらないので、「終わり」と書いても「終り」と書いても「終」と書いても、誤解は生じないと思われるのですが、動詞との整合性のために「終わり」と表記します。

 「話し」は動詞のときの活用語尾「す」の連用形を送り仮名として表記しています。名詞の「話(はなし)」は、送り仮名表記がなくても意味の混乱がないので、「話」を「はなし」と読んでもいいのです。すなわち、「桃太郎のお話」の「話」は名詞であり、おばあちゃんが桃太郎について話し、子供たちは喜んだ」の「話し」は、動詞です。


 こんなことを毎年毎年、繰り返して教えています。いいかげん、小学校でも中学校でも国語現代表記について、きちんと指導してほしい、と思うのですが。国語の先生は、指導書片手に「このときの主人公に気持ちは、どうだったでしょうか。1,こわかった2,さびしかった、3,はずかしかった。」なんていう指導はするけれど、「話し」と「話」の区別は教えないのです。ちなみに、こんな指導しかできなかったというのは、40年前は中学校国語教師だった春庭ですけれど、、、。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ろりめく・ラ行の和語」

2014-07-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
2017/07/06
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(4)ろりめく・ラ行の和語

 日本語学概論で日本語音節について教授するとき、また、日本語教育概論で、日本語表記指導と発音指導についての話をする際に、日本語の音韻と音節文字の話から始めます。
 日本語の音節確認として行うのが「シリトリ」です。
 シリトリは、日本語の音韻を音節によって分け、ある語の最後の音節(語尾音節)を次の語の最初の音節(語頭音節)用いて新たな語を言ってつなげていく遊びです。

 日本語母語話者なら、保育園や幼稚園の年長さんになれば、この遊びに参加できます。シリトリ、リンゴ、ゴリラ、ラジオ、オリガミ、ミカン、、、、あ、ンがついたからおしまい。
 「しりとりでンがつくと負けになるのはどうして」という発問に、日本人学生たち「ンで始まることばがないから」と、こちらは比較的容易に答えることができます。(チャドの首都ンチャメナを、地図によってウンジャメナと記載している場合、ンで始まる語はゼロ)

 「では、しりとりをして絶対に相手を負かす方法をしっている人」というと、こちらはなかなか出てこない。

 しりとりのルール。名詞に限る。1単語として認定されているものに限る。ただし、複合語として1単語になっている語は認める、というのがあります。「黒い馬」は、形容詞「黒い」と「馬」の2語だからダメですが、「黒馬」は1語だからOK。同じ語を二度言ったら負け。片仮名の語が長音で終わる場合、長音の前の音をとる。「サッカー」は、「ー」の前のカをとる。年齢が小さい人とやる場合は、濁音半濁音は、清音にして続けてもかまわない、

 年齢が上の人とやる場合、ひらがな2文字のみで行うルール、3文字のことばのみでやるルール、5文字以上(できるだけ長い語がよい)、というルールでやったりすると、難易度があがります。

 では、高難度バージョンで。続けてください。外来語OKですが、人名は除く。
 東京特許許可局→久里浜医療センター重度アルコール依存症患者→じゃこうねずみ→民主主義国家直接民主制→イザイホー記録映画→伽藍堂文庫閲覧室→つんでれ漫画愛好会→一蓮托生→ウルトラバージンオイル→ルーズベルトゲーム、、、なんていうぐあいに、できるだけ長い語をくりだしてつなげていくと、おもしろいですよ。

 では、逆に、2文字のみしりとり。相手の言った2文字を逆にして言い返すのがこつ。こつ→釣り→りす→掏り→理科→狩り→リマ(ペルーの首都です)→まり→リド(ベネチアの島)→どろ→濾紙→城→濾過→夏炉→ロマ(ジブシー族の自称)→麻呂→六→黒→ロト(宝くじ)→トロ→ロハ→針→リハ→春→瑠璃→り、り、、、、、

 ここまで来ると、わかるでしょう。相手をまかすには、相手にラリルレロが語頭に来るように、何がきても、語尾の音をラ行音にする。これが、シリトリ勝利のこつです。紙の辞書を見れば一目瞭然。日本語の語彙は、ア行カ行サ行までで、辞書全ページの半分を占めています。ラ行はごく少数ページで終わっています。
 ラ行のことばは、漢字語彙またはカタカナ語彙(外来語&和製カタカナ語)です。 

 日本語母語話者の学生に、「ラ行の語で、本来の日本語、和語であることばを探しなさい」という課題を出します。
 辞書を引いてみてください。

 栗鼠もラッコも、駱駝やライオンと同じように、外国から来た動物名です。
 花の名の「りんどう」はどうか。りんどうは、和名は「えやみぐさ(疫病草)」。おそらく、病気のときにその根などを煎じて薬草として利用したという名残の名前でしょう。りんどうの根茎を咬むと非常に苦く、中国で熊の胆よりさらに苦いという意味の「竜の胆嚢」=竜胆」いう名がつき、それが漢字とともに日本に入ってくると、和語の「えやみ草」はという名はすたれてしまい、中国名がなまってリンドウになりました。

 「らうたし」という古語を見つけてきた学生がいました。しかし。惜しい。らうたし(ろう)+痛しという複合語で、もともと「労」は、漢語由来のことば。本来の和語ではありません。「楽をする」の「らく」というのも、「楽」が漢語です。
 ろれつが回らぬ、というときの「ろれつ」は、大陸および半島渡来の雅楽の調子を表す「呂律」がなまった語。
 
 こうして、ラ行で始まる和語は、一般的な辞書の中には見つからない、という結論を得てシリトリは終わるのです。

 ところが。
 今年、「先生、ろりめく、というのがありました」と報告してきた学生がいました。ろりめく?ははあ、ロリコン(ロリータコンプレックス)からできた、いまどきのネット用語だな、と検討をつけました。一般的な国語辞書には載っていません。

 しかし、しかし。広辞苑(第二版)を調べたら載っていたのです。
 学生には、次のように返信しました。
<回答>
 「ろりめく」(動詞)広辞苑には出ています。「恐怖・心配などのために落ち着かず、興奮しているさま」
1603(慶長8)年に日本イエズス会が刊行した日本語ポルトガル語の辞書「日葡辞書(にっぽじしょ)」に掲載されていました。他の文学作品などには使用例が見つからないので、ポルトガル人あるいはスペイン人宣教師の耳にこの言葉が残ったというものの、どのように使われていたのかは不明。室町末期のある地方では使われていたのだと思われる。日葡辞書には「ろりろり」も載っています。


 15世紀16世紀に書かれた日本語文書のどれを見ても「ろりめく」の用例はなく、日葡辞書だけに掲載されていた、というのは、あるいは、ポルトガル人宣教師が何か別の語と発音を聞き間違えた、という可能性もあるし、宣教師が住んでいた一地方の方言ということも考えられます。どう考えても、「ろりろり」には和語の匂いがないのです。
 もし、京都近辺で使われていた一般的な語彙ならば、何かしらの文献に登場してもよいところ。まったく用例が出てこない、というのは奇妙に感じられます。

 どなたか、日葡辞書が編纂された16世紀初頭の文献で、「ろりめく」が登場する文章をご存知の方がいたらご教授ください。
 毎期、留学生にはその出身国のことばや文化について、何かしら新しいことを教えてもらえるます。日本人学生からは、その出身地の方言や若者言葉を新しく知ることができます。
 今期、日本人学生から「ろりめく」という古語を教えてもらい、とてもうれしく思っています。
 語彙がふえました。ろりめく、という語を知らないで一生すごしたところで、少しも困らないとは思いますが、せっかく広辞苑第二版に載っていたことば、知らないよりは知っていたほうが、ずっとよい。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「ぜんぜんいい」

2014-07-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/07/05
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問にこたえて(3)ぜんぜんいい

 春庭が担当する日本語教授法クラスの日本人学生に、日本語と日本語教育に関して質問をだしてもらい、回答したものを転載しています。
 gooブログのコメントにも質問がよせられましたので、お答えします。

くちかずこさんの質問
 全然美味しいというような、全然の後に否定語が来なくても良いと言う使い方、本来、元々正しい用法だったとのブログ記述があり、夫は自分の辞書を開いて正しくないと反論(くちこに)しています。
さて、春庭さんの見解は如何でしょう?

<回答>
 日本語教育においては、今のところ、「現代において規範的とされている日本語を教える」ということになっているので、「あまり」と「ぜんぜん」は、必ず文末が否定になる、と教えている教科書がほとんどです。

例)みんなのにほんご9課 たなかさんは、インドネシア語がわかりますか。いいえ、ぜんぜんわかりません
例)げんき3課 わたしはぜんぜんテレビをみません。本をよみますか。いいえ、あまり読みません。

 大学のサークルなどに入っていて、日本人学生との接触が多い学生は、日本語の会話を聞き、「先生、テストのとき、コーヒーをぜんぜん飲みます、は、×でした。でも、日本人の学生は、ぜんぜんいいよ、ぜんぜんだいじょうぶ、と言います」と、聞きかじってきた日本語表現を確認しにきます。
 とくに、若い人たちに「ぜんぜんおいしい!」のたぐいの表現は多用されています。全然の肯定表現について、さまざまな解説が出されていますが、まずは「広辞苑」での説明を見ましょう。(広辞苑4版)

全然(名詞)まったくその通りであるさま。すべてにわたるさま。「全然たる狂人」
全然(副詞)①すべての点で、すっかり。「全然、君にまかせる」
 ②下に打消の言い方や否定的意味を伴って、まったく、まるで「全然わからない「ぜんぜん駄目だ」
 ③(俗な用法として、肯定にも使う)まったく、非常に「全然、同感です」


 以上のように、全然には、もともと肯定の用法があります。明治文学の例として、よく出されるのが、夏目漱石です。
『坊つちやん』1906年4月のホトトギス掲載時。「一体生徒が全然悪るいです。」
芥川龍之介 『羅生門』1915年11月。「これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。」     」

 私たちは、昭和後期(1945以後)の日本語を「現代日本語」として扱っています。現代日本語においては、「ぜんぜん」は、否定を伴って用いられるのが一般的であり、国語教育でも、そのように取り扱われていました。

 昨今の若者用法で、「ぜんぜん、いいよ」のたぐいが増えたことについて、ほとんどの辞書では「俗用」として掲載しています。
 日本語教育の立場では、ほとんどの辞書に、正式な用法として肯定表現が記載され、小学校の国語教育においても「ぜんぜんいい」は、ぜんぜんOK,と先生が話すようになるまでは、日本語学習者に「全然+肯定」を教えません。

 しかし、留学生が「ぜんぜんいい、を使ってもいいですか」と、質問してきたとき春庭は、「教科書のテストのときは、×にします。若い学生と話すときは、ぜんぜんいい、は、ぜんぜんOK!」と話します。

 国語教師が言語変化に対して保守的な考え方の人が多いのに対して、言語学を学んだことのある日本語教師は、「言語は常にうつりかわるもの」という考え方が身についてしまっているので、「変化ジョートー」と、受け止める人が多いのです。
 で、くちかずこさんからの質問、春庭は、ぜんぜんいいと思いました。みなさま、日本語に関して疑問質問があれば、お寄せください。どんな質問もぜんぜんOKです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「スープを飲む薬を飲む息をのむ」

2014-07-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
2017/07/05
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(3)スープを飲む薬を飲む息をのむ

 日本語の色彩名詞は、中国から染色法などが伝わる以前は、色を白黒赤青に分類していた。現代でいう緑色や灰色やは「アオ」に分類されたので、現代でも緑色の葉を青葉、緑色のリンゴを青りんご、灰色の毛並の馬をアオウマという、という講義のあと)
<質問1>
 青、赤→「青い、赤い」と、形容詞になる。なぜ、緑→*みどりい ピンク→*ぴんくい と、言わないのか。
 私の祖母は「青信号」を「みどり」と言う。昔の人は、緑を青と呼んでいたのにも関わらず、少なからず矛盾を感じた。

<回答1>
 古代色彩名の白黒赤青は形容詞が成立しています。さらに、黄色、茶色も、きいろいちゃいろいが成立しています。しかし、色彩名詞としての成立が遅かった「緑」「紫」などは、名詞としての用法があるのみで、形容詞としてはまだ成立していません。
 いずれ「みどりい」「むらさきい」という形容詞が成立していくでしょう。、外来語色彩名詞もむろん、まだ形容詞になっていません。しかし、百年後には、ぴんくい、おれんじい、などが成立しているだろうと推測されます。

 発光ダイオードが発明される前、青色を発色するライトは存在しなかった。そこで、国際的な信号では、安全進行すすめ:緑色のライト。危険:黄色のライト。止まれ:赤い信号が用いられた。緑色の信号を「青信号」と呼んでいたのだが、実際には緑色であったために、現代的な色彩感覚をもつ人は「あれは、青ではなく、緑色なので、私は、緑信号と呼ぶ」と考えた人もいた。しかし、その人々も青葉をみどり葉にしたり、青りんごをみどりりんごということはほとんどなかった。次回、おばあさんにあったとき、緑色のりんごをなんとよんでいたか質問してください。


<質問2>
 「知らん」「分からん」の「ん」とは文法的に何ですか?
<回答2>
 「知らぬ」「わからぬ」の「ぬ」は、国文法では否定の助動詞。日本語文法では「動詞の否定形」です。「ん n」は、「ぬ nu」のうちの「u」が脱落して発音変化したものです。

<質問3>
 「水を飲む、息をのむとはいうけど、現時点では、車をのむ、ビルをのむとはいわないよね」と先生はおしゃっていましたが、「津波がビルをのみこんだ」などという際、使用されていると思うのですが、それはまた違うのでしょうか。
<回答3>
 初級では、実際に口のなかに飲み込む動作のみを扱う。口の中で咀嚼せずに体内に摂取するのが「飲む」
 「津波がビルを飲み込む」は、擬人法を含む比喩表現です。中級上級クラスになると、比喩表現も扱いますが、初級の学習者にはそこまで教えません。
 また、日本語では「薬を飲む」という連語(コロケーション)が成り立っています。古来の薬は煎じて液体で摂取したからです。薬が錠剤やカプセル剤になっても、薬を噛まずに摂取するので、「薬を飲む」という連語はかわりません。一方英語では「クスリ」と「飲む」は連語にならず、薬を摂取するという「take medicine(薬を取る、)」という連語になっています。

 日本語では「スープを飲む」と言います。体内への摂取において、気体液体は「飲む」咀嚼する固体は「食べる」です。英語では、カップに口をつけて摂取するのは「飲む」。スプーンを使って口に入れるのは「食べる」。したがって、「eat soup(スープを食べる)」と言います。
 ほかにも、連語の違いは、言語によってさまざまです。
 「息をのむ」は、「おどいろて、呼吸を止める状態」をいう慣用表現です。「涙をのむ」は、口惜しさ悲しさを我慢するときの慣用表現。実際に涙を口に入れなくてもよい。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「あなたはかわいそうです」

2014-07-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
2017/07/03
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(2)あなたは、かわいそうです

<質問>
 おいしい→おいしそうvsかわいい→*かわいそう
 おいしい「おいしそう」と、言えるのに、かわいいは、「かわいそう」というと、違う意味になるのは、なんでですか。

<回答>
 留学生がよく言い間違える失敗というのがあります。「日本語失敗の定番」というやつです。様態をあらわす「~そう」を教えると、うれしがってなんにでも「~そう」をつけて日本語表現に励む留学生。
 「あの人、おもしろそうです」「コンビニ○○のロールケーキ、おいしそうです」これらはOK。

 留学生が日本人女子学生に「あなたは、とてもかわいそうです」と、言ったら、おこられました、褒めたのに、どうして?
 日本語教師志望の日本人学生に、この「留学生の誤用定番」を話すと、みな「そりゃ、怒るよ」「あなたは、かわいい、と言うつもりだったんじゃないの?」という感想が返ってきます。

 留学生の発話「あなたは、かわいそう」は、どのように考えた結果なのでしょうか。まず、「~そうです」の意味を確認しましょう。

 日本語教師は「~そうです」の使用法について、リンゴを手にもって、「このりんご、まだ、食べていません。おいしいですか、おいしくないですか。わかりません」と、言ったあとで、「このりんごは赤いです。このリンゴは、おいしいでしょうか」と、眺めつつ、「おいしそうです」という新しい表現を言います。今の時期ならさくらんぼを使ってもよし、バナナでもなんでもOK。キャンディだったり、クッキーでも。絵カードを使うこともあるし、実物を用いて、練習のあと、学生に配ることもあります。

 食べる前で、味がわかっていないときに、見た目などから推測して表現するのが、様態の「~そうだ」です。「おいしそうです」は、味を知らないうちに発する言葉です。
 靴屋へ行って、靴を買おうと思います。くつを履いてみる前に、見た目で「このくつは、小さそうです」と、言うことができます。見た目だけでの判断です。試着して履いてみます。実際に自分の足より小さかったとき、「この靴は小さそうです」ではなく、「この靴は小さいです」と言う。

 「おいしい」という形容詞の語尾「イ」を取って、「そう」を付け加えることにより、見た目だけの判断が表現できます。
 本当にやさしい人かどうかわからなくても「あの人は、やさしそうです」と、推測を述べることができます。
 「~そう」の意味、文法概念がわかったら、「このかばん、丈夫そうです」「この辞書は、便利そうです」「あの人は意地悪そうです」などの練習。「おいしい」などはイ形容詞、「丈夫な」は、ナ形容詞として扱います。(ナ形容詞は、古典文法では形容動詞)

 動詞にも使う場合は、使える語が限定されます。「あの人、お金がありそうです」は、見た目でお金のあるなしを判断した表現としてOK。
 しかし、「あの人、人の2倍はごはんを食べそうです」は、推測様態ですが、「あの人、もうすぐごはんを食べそうです」は、「まもなく、その動作をするだろう」という場面にしか使えません。動詞の「~そうです」は、その動きが切迫していることを表現するからです。「ろうそくが、消えそうです」「木が、たおれそうです」「船が、しずみそうです」これらは、目で見て、まもなくその動きが実現するであろうことを推測しています。
 状態を表す動詞では、切迫した動きでなくても言えます。「あの人は、しばらく日本に住みそうです」

 ここまで、「~そうです」の、「形容詞+そうです」と「動詞+そうです」の意味の違いについて確認すると、日本人学生、「動詞と形容詞で~そうですの意味のちがいがあるなんで、これまで考えたこともなかった」と言います。そうです。母語話者は、自然に身に着けてきたことなので、いちいち使い分けを考えたりしません。

 しかし、留学生は、ひとつひとつ文型を覚えなければならないのです。ときに「かわいそう」などの誤用も生じます。
 留学生は、どうして女子学生に「かわいそう」と言ったのか。留学生は、女子学生を見て、「かわいい」と思ったのです。しかし、ほんとうにこの女子学生が女性として中身も「かわいい」性格であるのか、そこまではわかりません。ただ、見た目の判断からのみ、そう思ったのです。

 日本語の先生は、食べて味見をする前に、食べ物の味について表現するときは「このリンゴはおいしいです」ではなく「このりんごはおいしそうです」と、教えました。この女子学生とまだつきあってもいないうちに、見た目だけで判断するのですから、そうだ、「あなたは、かわいそうです」
 留学生は、先生に教わったとおりに、文法的にまちがいをせずに表現したのです。
 ところが、女子学生は「私は、かわいそうなんかじゃないっ!」と、怒り出しました。

 「おいしいは、おいしそうと言えるのに、どうしてかわいいは、かわいそうと言えないのでしょうか」、日本人学生には、まず辞書をひけ、と言います。
 この場合は、古語辞典をひかせます。昨今の電子辞書、英和和英漢和古語広辞苑から百科事典のたぐいまで搭載されています。

 以下は、紙の古語辞典をひいた、引用です。
・三省堂古語辞典(1版1980)「かはゆし」
①恥ずかしい。おもはゆい②可愛そうだ。気の毒だ。いじらしい。③かわいらしい。
・岩波古語2版1975)<かははゆし(皮映ゆし)
①恥ずかしさで顔がほてる。②見るにしのびない③かわいそうで見ていられない④つらい⑤可憐だ。かわいい

 「かわいい」は、もともと、「気の毒だ、あわれた、はずかしい」という意味でした。しかし、平安時代に「見ていると、こちらが恥ずかしくなるくらい愛らしくすばらしい=かわいい」という意味が派生しました。

 現代語の「かわいい」は、古語の意味のうち「見ていると、こちらが恥ずかしくなるくらい愛らしくすばらしい」という意味が残存したものなのです。しかし、「~そう」をつけた「かわいそう」は、古語の意味のうち「気の毒だ、同情すべきだ」という意味が固定して残存しました。

 したがって、現代語の「かわいい」に「~そう」をつけてしまうと、もとの意味と異なってしまいます。

 では、留学生はどう発話すればよかったのでしょうか。「あなたは、かわいい」と、見た目を直接言うか、「~らしい」をつけた「あなたは、かわいらしい」にしておけばよかったのです。
 「名詞+らしい」は、推量を述べる「どうもあの人は詐欺師らしい」という場合と、「見た目、そのものの性質を持っている」という意味の「あの子は、ほんとに子供らしい小学生だ」「先生は教師らしい服装で教壇に立ってください などのようにふたつの意味があるので、またまた留学生にとっては難関なので、まあ、ここは「あなたは、かわいい」一本にしぼって教えましょう。

 おいしいは「おいしそう」と、言えるのに、かわいいは、「かわいそう」というと、違う意味になるのは、なんでですか。という質問に対して、これだけの回答をしても、日本人学生、「へぇ!」と思う学生もいるし、「なんのことやら」と、興味を持たない学生もいます。

 いいんです。実際に日本語教師になったとき「彼女に、あなたはかわいそう、と言ったらおこられた。どうして?」と、聞いてくる留学生に、必ず出会うから。その時になって、どうしてか、と考えればいい。そのとき「ああ、学生時代に日本語教授法の教師がそんなこと説明していたっけなあ」と、思い出して、もう一度勉強してくれれば。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「同音異義語について」

2014-07-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
2017/07/01
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(1)同音異義語について

 愛想ふりまきつつあくまでも低姿勢で「ボスのおおせのままに」と、へいこらしていたほうが、ずっと生きやすいのはわかっています。わかっちゃいるけど、上司にたてつき「あんたの言うこと、私はなっとくできぬ」と言ってしまうのは、性分ですから治らない。

 今期もボスと、日本語をめぐって論争をしてしまいました。今後仕事がやりづらくなることはわかっているけれど、かまうもんか、あと半年でおさらばする出講先だもんで。言いたいこと言って、発つ鳥あとをにごしております。

 ボスと「日本語観」「日本語教育観」が異なります。
 日本語初級のテストで「コーヒーを おみます」と書いた答案。ボスは「正答とせよ」と主張する。外国人の彼は「日本語は道具だから、話が通じればそれでいい」と考える。会話をしていて「コーヒーを おみます」と言ったとしても、それは「コーヒーを 飲みます」と言ったのは推測できるのだから、正答でいい、と、教授はおっしゃる。

 私は、日常のコミュニケーションの場で、日本語母語話者が日本語学習者のつたない日本語を推測しつつ受け止め、相手の言わんとすることを理解しようとつとめるのは当然のことと考えます。日常の会話で「コーヒーを おみます」と、外国人が言っても、「飲みたいのだろう」と推測できます。
 しかし、筆記試験の答案において、「コーヒーを おみます」を正答とするのなら、筆記試験などしないで、会話試験だけやればいいと思う。ボスがひとりひとりの学生のコミュニケーション能力を、数時間かけて測定すればよい。

 それを、試験作成も実施も、非常勤講師に丸投げしておいて、試験の採点において自分の日本語観によって、私の採点をくつがえそうとする。
 オーソドックスな日本語というものがあり、それを教科書で教えているなら、その到達度をチェックするのは教師の役割のひとつ。
 「コーヒーを おみます、も日本語として正答にせよ」というなら、日本語母語話者としても、日本語教育者としても、納得しかねる。

 ボスは、「スラブ語日本語対照研究」の研究者。日本語教育の専門家ではない。彼の研究分野おける業績に対しては、私も敬意を持ちます。しかし、彼の日本語観に私が同調しなければならない、という義理はない。

 彼は、「日本語はひらがなだけで表記して、なんの問題もない。理由は、かって漢字表記を採用していた韓国語はハングルだけの表記に変え、ベトナムはアルファベット表記にかえても何の問題もなかったから」と、主張する。
 「あしたこうえんへいきますか」ときかれて、公園なのか講演なのか、判断できなかったら、聞き返せばいいだけだそうです。

 まず、事実として、韓国のハングル表記の問題点を把握していないことは、彼の勉強不足だと思います。
 漢字教育をしなくなって以来、同音異義語の区別ができなくなり、そのために重大な事故さえ起ったことを、彼はまったく知らないか、知っていてもたいしたことはない、と考えているのだろうと思います。

 同音異義語による判断ミス。たとえば、今回のワールドカップで、韓国チームは負けました。しかし韓国語をハングル表記すると、「連敗」と「連覇」はどちらも「연패 ヨンパ」で、まったく同じ表記です。テレビ中継でも新聞の見出しでも、ハングック、ヨンパ!と見ただけでは、勝ったのか負けたのかわからないのです。

 スラブ語日本語の対照研究に関しては権威かもしれませんが、韓国語の同音異義語問題に関しては、私のほうが知っている。
 彼は、「日本語を全部ひらがな書きにしても何の問題も生じない。韓国がハングル表記にしたのだから」と、平気で言ってしまう。その浅薄な日本語観に、日本語言語文化の中に身をおいてきた者としてがまんがならない。そういう言語観の持ち主にである彼と、試験の採点という、彼にとっては「つまらぬこと」で、対立してしまいました。

 私の強みはただひとつ。「生意気で扱いにくい非常勤講師」と思われたところで、来年はどうせお役御免になる年齢なので、言いたいことは言ったれや、と開き直っているところ。
 言っておきます。

 今後浅薄な文部官僚が出てきて「漢字教育が若い学生にとって負担だ」と旗振り始めることがあろうとも、日本語における漢字かな併用表記を変えることなかれ。ワープロがこれだけ発達した現代で、すべての漢字表記にルビを振るのもたやすくなったのだし、漢字表記をしたうえで、かなルビをふればよい、のです。

 漢字教育は時間も手間もかかるのですが、1300年にわたる言語文化の根幹を捨ててしまうことはない。紫式部も清少納言も、漢文教育をしっかり身に着けたうえで最高の仮名文学を書くことができたのです。

 以下は、日本語と日本語教育に関して、私が学生の質問に答えた回答です。今期の学生、メール質問をせっせと書いてきます。授業中に質問されたことに口頭で回答することは毎回やっていますが、口頭での回答は右耳から入って左耳へ抜けてしまう学生も多い。メールで質問させて、メールで返信した上で公開すると、文字情報として残ります。
 昨今の学生は、音声入力などの方法もあって、文字を入力するのは、140字のつぶやきか友達への絵入メールだけなので、文字を読む時間をできるだけ多くさせるためにも、このメール回答はよい方法だと思っています。

 以下は、学生への回答メールです。
<質問>
 日本語には同音異義語が多いと思うが、他言語でも同音異義語というのはあるのか(多いのか)。
例)こうえん→公園、公演、講演、後援
かんしょう→鑑賞、観賞、干渉、感傷、完勝など


<回答>
中国語では四声があるし、母音や子音の数もことなるので、日本語では同じ発音の語でも、元の中国語では同じ発音ではありません。四声を無視して書いてみても、公園はゴンユァン(gong・yuan)であり講演はジィァンヤン(jiang・yan)で、発音が異なっています。

 韓国語は日本語より母音の数が多いので、日本よりは同音語が少ないとはいうものの、四声がないので、中国語のようには同音異義語を区別できません。朝鮮語韓国語をすべてハングル文字表記(日本でいえば、すべての文章をカナ表記にしたと同じ)ために、同音異義語の区別ができない人が増えており、さまざまな弊害が出てきています。

 漢字教育をまったく受けていない子供が成人した結果、たとえば、司馬遷の史記(사기サギ)のつもりで「私は史記を知っている나는 사기를 알고 있다」と書いたら、史記を同音語の「詐欺사기サギ」と間違われ、「お前は詐欺師か」とののしられた、という話があります。また、「同情」という意味で書いた文字「동정(トンチョン)」を、同音の童貞「동정(トンチョン)」と誤解して喧嘩になるなど、問題が続出しました。

 韓国語では、同じ発音の文字が同じ音素文字ハングルで表記されるために、誤解が乗じやすいのです。捕鯨포경ポキョンを論じているつもりが、包茎ポキョン포경を話題にしたと思われたりなど。笑い話で済む話ならいいですが、防水(방수 バンス)と、放水(방수 バンス:水を減らすこと)を間違えたために、重大事故が発生したという事例もあります。

 英語の同音語(homonym)もたくさんありますが、つづり字も同じで発音も同じという語は少ないです。つまり、日本語は発音が同じでも漢字表記が異なっているので、文章の上の誤解が少ないのと同じく、英語はスペリングが異なるの文章で書いた時の誤解はありません。

~~~~~~~

 韓国内でも富裕層は家庭教師や塾の教育で漢字教育を子弟に行い、公教育だけの層は漢字を知らず、昔の識字層と無文字層のように国民が二極化していくだろうという評論家もいます。

 韓国内に漢字教育の復活を望む声もありますが、むずかしいでしょう。公教育の場では、「中国由来の漢字よりも、朝鮮韓国オリジナルの文字であるハングルのほうが誇り高い文字である」という論調が主流派だからです。

 ついでに、言っておくと。日本語のひらがなは草仮名から成立し、片仮名は漢字の一部をとって成立しました。仮名文字が成立して以後、庶民は仮名文字を学び、とくに江戸時代には寺子屋などで学んで、人口の半数は識字層となりました。近代国家成立以前に、民衆が高い識字率をもっていたこと、世界史のなかでも特異なことです。

 一方、朝鮮韓国では、識字層のみが漢文によって記録をつづけ、古代朝鮮語を記録した文章が国内には残されていません。15世紀に世宗の命によりハングル文字が発明されましたが、16世紀にはおおやけの場でのハングル使用が禁止され、民衆へのハングル普及もほそぼそとしたものでした。民衆にハングル表記が大々的に普及したのは、福澤諭吉門下の井上角五郎らの努力があってのことです。

 韓国の人々がハングル文字に誇りを持つことは、よいことだと思います。しかし、2000年にわたって漢字文化圏の中で自国文化をはぐくんできたことを忘れてしまう、あるいはなかったことにしてしまうことはありません。

 日本は、日本語の中にたくみに漢字文化をとりいれて、独自の言語文化をはぐくみました。多くのヨーロッパ地域で、フェニキアに発生したフェニキア文字(アルファベット)を受け入れて自国語の表記に用いているからといって、フェニキア文化に屈したなどと思っていないように、漢字を使用したからといって、漢字文化に屈していることにならず、自国文化に誇りをもっていてよい。

 漢字を用いている私は、中国文化も日本文化も同じように尊敬すべき文化だと思っています。仮名文字だけで文章を書いたほうが、自国文化を高く評価していることになる、などとは思いません。

 以下、今期の学生が寄せた日本語、日本語教育に関する質問を紹介し、春庭が学生に回答したメール文を転載します。
 毎期、同じような質問がよせられることもあるし、「お、これはひとつ学生に教えられた」と、うれしくなる質問もあります。

<つづく>
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