音無町は、伊東市役所の西1kmほどのところ
国道135号(旧道)が市内で西に膨らんだところに面して
東南東向きに最誓寺が有ります
駐車場が無いので、北側に少し行った有料駐車場に車を止めました
*最誓寺は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公北条義時の縁の一つでもあります
山門です
曹洞宗 宝珠山 最誓寺です
縁起が書かれています
最誓寺縁起
開創 鎌倉初期、真言宗「西成寺」として建立される。
開基 北条氏二代の執権江間小四郎とその室八重姫の立願による。
由緒 源頼朝が伊豆流罪の折、八重姫との間に一子千鶴丸をもうけしが、平家の寵臣たる父伊東祐親の怒りに触れ「稚児が渕」に沈めしを、その菩提を弔うため創建さる。
変遷 慶長年間曹洞宗に改宗、寺号も最誓寺と改め現在に至る。
本尊 阿弥陀如来他に千鶴丸地蔵尊、閻魔大王奉祀さる。
*NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で演じる小栗旬の北条義時(江間小四郎)や新垣結衣さんの八重姫の名前が有りますね
山門を入ると左手に「伊東家墓碑」です
伊東市文化財史跡第一号
伊東家墓碑由緒
藤原鎌足十六代の後胤、狩野家継は伊東の庄に移り伊東祐隆と改め河津の庄を領した。長男祐家の他、二児をもうけたが妻に死なれ後妻を取りしが、その連れ子との間に生まれた祐継を嗣子(あととり)として伊東祐継(工藤祐経の父親となる)と名乗らせて、伊東の館におき、一方嫡流でる祐家の長子祐親(曽我五郎,十郎の父親)を河津の庄に追いやり河津次郎祐親とした。これがやがて伊東家騒動の始まりとなり、「仇討ち曽我物語」の発端となるのである。
これら一族の墓は東光寺及び東林寺に納められているが、東光寺はこの地より南東約0.5kmの所にあって、領主伊東祐隆の再興によって栄えたが、徳川時代に至り伊東家のおとろえるに同じうして江戸末期、ついに廃寺となり墓は、当最誓寺に移されまつられるようになって、久しく境内の木陰に苔むしていたものが、昭和34年本堂再建の時に整備供養され、市文化財の規定が設定されるや第一号として指定され,今後も永く一族の菩提を弔う為、護寺されるものである。
ちなみに当最誓寺は、今を去る850年前、源頼朝が伊豆流罪の折、祐親の娘八重姫と密通し一子千鶴丸をもうけたが、平家の流を汲む祐親の怒りにふれ、稚児ヶ淵(この裏を流れる松川上流)に沈められた後、八重姫が北条家家臣江間小四郎氏に嫁ぎしより,
許されて稚児菩提の為に頼朝と毎夜相見しこの音無の森に一宇を建立し、西成寺と名付けるに始まり、慶長元年、禅宗を改められ寺号も最誓寺となり今日に至る。
宝珠山 最誓寺 26世代
参道左手のお稲荷様です
本堂です
本堂の左手に目的のソテツです
本堂前から
説明版です
市指定天然記念物
最誓寺のソテツ
蘇鉄(ソテツ)は、九州から沖縄にかけて、主として海岸近くの岩場に自生し、鹿児島県佐田岬た内の浦町では、国の天然記念物に指定されている。ソテツ類は、恐竜のいた時代のような太古の昔を彷彿とさせる特異な形態をした常緑裸子植物の一種で、古くから各地の社寺や家庭で観賞用として植栽されている。
伊豆半島には、国の天然記念物に指定されている河津町字峰の正木家(徳川家康の側室「お万の方」の生家と伝わる)の「新町の大ソテツ」がある。
市内にも寺院境内を中心に植栽されたソテツを多く見るが、最誓寺のソテツは、市内で一番大きく、樹勢も旺盛である。
根廻 4.9m、目通 6.0m、樹高 5.8m
伊東市指定 昭和44年6月23日
令和2年3月 伊東市教育委員会
*静岡県内では、静岡市清水区松村の「龍華寺のソテツ」目通り6.0m(このブログ2022年1月15日投稿)と、
榛原郡吉田町片岡の「能満寺のソテツ」目通り5.0m(このブログ2021年12月8日)が
国指定天然記念物となっています
*新町の大ソテツについては、このブログ6日前をご覧ください
東側から
すぐ左には淡島尊堂です
では、すぐ西側の音無神社へ行きましょう
国道135号(旧道)が市内で西に膨らんだところに面して
東南東向きに最誓寺が有ります
駐車場が無いので、北側に少し行った有料駐車場に車を止めました
*最誓寺は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公北条義時の縁の一つでもあります
山門です
曹洞宗 宝珠山 最誓寺です
縁起が書かれています
最誓寺縁起
開創 鎌倉初期、真言宗「西成寺」として建立される。
開基 北条氏二代の執権江間小四郎とその室八重姫の立願による。
由緒 源頼朝が伊豆流罪の折、八重姫との間に一子千鶴丸をもうけしが、平家の寵臣たる父伊東祐親の怒りに触れ「稚児が渕」に沈めしを、その菩提を弔うため創建さる。
変遷 慶長年間曹洞宗に改宗、寺号も最誓寺と改め現在に至る。
本尊 阿弥陀如来他に千鶴丸地蔵尊、閻魔大王奉祀さる。
*NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で演じる小栗旬の北条義時(江間小四郎)や新垣結衣さんの八重姫の名前が有りますね
山門を入ると左手に「伊東家墓碑」です
伊東市文化財史跡第一号
伊東家墓碑由緒
藤原鎌足十六代の後胤、狩野家継は伊東の庄に移り伊東祐隆と改め河津の庄を領した。長男祐家の他、二児をもうけたが妻に死なれ後妻を取りしが、その連れ子との間に生まれた祐継を嗣子(あととり)として伊東祐継(工藤祐経の父親となる)と名乗らせて、伊東の館におき、一方嫡流でる祐家の長子祐親(曽我五郎,十郎の父親)を河津の庄に追いやり河津次郎祐親とした。これがやがて伊東家騒動の始まりとなり、「仇討ち曽我物語」の発端となるのである。
これら一族の墓は東光寺及び東林寺に納められているが、東光寺はこの地より南東約0.5kmの所にあって、領主伊東祐隆の再興によって栄えたが、徳川時代に至り伊東家のおとろえるに同じうして江戸末期、ついに廃寺となり墓は、当最誓寺に移されまつられるようになって、久しく境内の木陰に苔むしていたものが、昭和34年本堂再建の時に整備供養され、市文化財の規定が設定されるや第一号として指定され,今後も永く一族の菩提を弔う為、護寺されるものである。
ちなみに当最誓寺は、今を去る850年前、源頼朝が伊豆流罪の折、祐親の娘八重姫と密通し一子千鶴丸をもうけたが、平家の流を汲む祐親の怒りにふれ、稚児ヶ淵(この裏を流れる松川上流)に沈められた後、八重姫が北条家家臣江間小四郎氏に嫁ぎしより,
許されて稚児菩提の為に頼朝と毎夜相見しこの音無の森に一宇を建立し、西成寺と名付けるに始まり、慶長元年、禅宗を改められ寺号も最誓寺となり今日に至る。
宝珠山 最誓寺 26世代
参道左手のお稲荷様です
本堂です
本堂の左手に目的のソテツです
本堂前から
説明版です
市指定天然記念物
最誓寺のソテツ
蘇鉄(ソテツ)は、九州から沖縄にかけて、主として海岸近くの岩場に自生し、鹿児島県佐田岬た内の浦町では、国の天然記念物に指定されている。ソテツ類は、恐竜のいた時代のような太古の昔を彷彿とさせる特異な形態をした常緑裸子植物の一種で、古くから各地の社寺や家庭で観賞用として植栽されている。
伊豆半島には、国の天然記念物に指定されている河津町字峰の正木家(徳川家康の側室「お万の方」の生家と伝わる)の「新町の大ソテツ」がある。
市内にも寺院境内を中心に植栽されたソテツを多く見るが、最誓寺のソテツは、市内で一番大きく、樹勢も旺盛である。
根廻 4.9m、目通 6.0m、樹高 5.8m
伊東市指定 昭和44年6月23日
令和2年3月 伊東市教育委員会
*静岡県内では、静岡市清水区松村の「龍華寺のソテツ」目通り6.0m(このブログ2022年1月15日投稿)と、
榛原郡吉田町片岡の「能満寺のソテツ」目通り5.0m(このブログ2021年12月8日)が
国指定天然記念物となっています
*新町の大ソテツについては、このブログ6日前をご覧ください
東側から
すぐ左には淡島尊堂です
では、すぐ西側の音無神社へ行きましょう