天台宗 大本山 方広寺の続きです
境内南西側から奥ノ院へ行きましょう
手水舎です
半僧坊真殿への参道です
御不動様ですね
モクレン科のタイサンボクです。常緑高木、泰山木と書きますが北米原産の植物です、初夏に20cmにもなる白い花をつけ、香りが良いといいます
半僧坊真殿の拝殿です
向拝の龍の彫刻が見事です、上り龍と下り龍の一木彫刻は工匠岩五郎の作です
鰐口です
大きな横笛を模した奉納額です
西側の通路です
奥の院への参道になっています
半僧坊大権現説明版です
半僧坊大権現
正平5年(1350年)中国天台山での修行を終えられた開山さまは、正法の禅を伝えるために明州を船出、帰国の途につかれましたが途中、東シナ海に大暴風雨がおこり、ご乗船はいまにも難破しそうになりました。
このとき、眼光炯々たる一偉人が船首に出現し「われ、この船を守り、禅師を護り奉って必ず故国にお届けつかまつらん」といって船師を指揮し、無事に博多の港にお着けしました。
後に開山さまが、この方広寺えお創かれたときまた先の偉人が現われ「お弟子にして頂きたい」と懇願、開山さまから「汝はそのままで半ば僧である。あえて剃髪するに及ばず」とのお許しを得て開山さまに仕え末永く当山の鎮守として方広寺を守護されております。それが半僧坊大権現であります。
半僧さまのご神徳はあらたかで「厄難消滅・海上安全・交通安全・火災消除・その他」霊験を得る者多く全国に数十万の「半僧坊信者」があおります。
本殿を見ることが出来ました
本殿裏側の大岩に注連縄が巻かれています
湧水があるのでしょうか
冬の時期には枯れてしまっているようです
少し戻って奥ノ院へ行きましょう
シキミです、マツブサ科の常緑小高木です、果実が猛毒だそうです
枯れ沢を赤い欄干の橋で渡ります
ゆるく登ります
丁石のようです
舗装された山道なので歩き易くなっています
明治12年三月の常夜塔の柱が見えると間も無くです
奥に建物が見えて来ました
下から奥ノ院を見上げました
奥ノ院まで上がって来ました
奥へは登山禁止になっているようです
では、お参りして戻りましょう
手水舎から三重塔への参道(駐車場へ戻る道)です、赤い鳥居は稲荷神社がある様です
七尊菩薩堂です
駐車場下から方広寺を見下ろしました
三重塔です
説明版です
三重の塔
方広寺第二代管長間宮英宗老師の頃、大正12年(1923年)京都の実業家、篤志家山口玄洞氏の寄附により建立されたものです。
山口氏は大阪で繊維問屋を経営していて、第一次世界大戦中に財を成したが、方広寺第二代管長間宮英宗老師の忠告で好景気の内に商売を手びかえました。後に停戦と共にあちこちで倒産が相次ぐ中、素直に忠告を守った山口氏は独り難をまぬがれ、その後も社業は発展したといいます。
そうした故事から、この三重の塔は「倒産よけの塔」として、全国の財界人、経営者がよくお参りにこられています。
では、次へ行きましょう
境内南西側から奥ノ院へ行きましょう
手水舎です
半僧坊真殿への参道です
御不動様ですね
モクレン科のタイサンボクです。常緑高木、泰山木と書きますが北米原産の植物です、初夏に20cmにもなる白い花をつけ、香りが良いといいます
半僧坊真殿の拝殿です
向拝の龍の彫刻が見事です、上り龍と下り龍の一木彫刻は工匠岩五郎の作です
鰐口です
大きな横笛を模した奉納額です
西側の通路です
奥の院への参道になっています
半僧坊大権現説明版です
半僧坊大権現
正平5年(1350年)中国天台山での修行を終えられた開山さまは、正法の禅を伝えるために明州を船出、帰国の途につかれましたが途中、東シナ海に大暴風雨がおこり、ご乗船はいまにも難破しそうになりました。
このとき、眼光炯々たる一偉人が船首に出現し「われ、この船を守り、禅師を護り奉って必ず故国にお届けつかまつらん」といって船師を指揮し、無事に博多の港にお着けしました。
後に開山さまが、この方広寺えお創かれたときまた先の偉人が現われ「お弟子にして頂きたい」と懇願、開山さまから「汝はそのままで半ば僧である。あえて剃髪するに及ばず」とのお許しを得て開山さまに仕え末永く当山の鎮守として方広寺を守護されております。それが半僧坊大権現であります。
半僧さまのご神徳はあらたかで「厄難消滅・海上安全・交通安全・火災消除・その他」霊験を得る者多く全国に数十万の「半僧坊信者」があおります。
本殿を見ることが出来ました
本殿裏側の大岩に注連縄が巻かれています
湧水があるのでしょうか
冬の時期には枯れてしまっているようです
少し戻って奥ノ院へ行きましょう
シキミです、マツブサ科の常緑小高木です、果実が猛毒だそうです
枯れ沢を赤い欄干の橋で渡ります
ゆるく登ります
丁石のようです
舗装された山道なので歩き易くなっています
明治12年三月の常夜塔の柱が見えると間も無くです
奥に建物が見えて来ました
下から奥ノ院を見上げました
奥ノ院まで上がって来ました
奥へは登山禁止になっているようです
では、お参りして戻りましょう
手水舎から三重塔への参道(駐車場へ戻る道)です、赤い鳥居は稲荷神社がある様です
七尊菩薩堂です
駐車場下から方広寺を見下ろしました
三重塔です
説明版です
三重の塔
方広寺第二代管長間宮英宗老師の頃、大正12年(1923年)京都の実業家、篤志家山口玄洞氏の寄附により建立されたものです。
山口氏は大阪で繊維問屋を経営していて、第一次世界大戦中に財を成したが、方広寺第二代管長間宮英宗老師の忠告で好景気の内に商売を手びかえました。後に停戦と共にあちこちで倒産が相次ぐ中、素直に忠告を守った山口氏は独り難をまぬがれ、その後も社業は発展したといいます。
そうした故事から、この三重の塔は「倒産よけの塔」として、全国の財界人、経営者がよくお参りにこられています。
では、次へ行きましょう