千葉地区は、島田市役所の北約6kmのところ
地区の北の端千葉山(標高496m)の南東面中腹に智満寺が有ります
国道1号線藤枝バイパスの野田インターチェンジから県道217号伊久美元島田線を北へ
ここから案内板に智満寺まで7kmです
島田市立大津小学校を過ぎて左の市道に案内板に従って木津谷川を渡って進みます
*県道は智満寺手前で細い砂利の山道になりますので、案内板に従いましょう
新東名高速道路を上に見て木津谷川支流に沿って登ります
新東名高速道路先の案内板です
途中に「縁結びの杉」や「亀石」などの名所がありますが、今日は智満寺奥ノ院まで行きたいのでパスして進みます
智満寺参道石段下に出ます
天台宗 千葉山 智満寺です
縁起です
千葉山智満寺縁起
智満寺は、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の古刹である。
寺伝によると、神護景雲(767~770)年間、鑑真和上の法孫となる廣智は諸国巡行中、当山で千手観音を威得し
一寺を建立を発願した。
宝亀2(771)年に、光仁天皇より行基作と伝えられる千手観音を賜り、智満寺を創建した。
鎌倉時代には、山頂に小堂が建立され、当山の守護神として阿修羅坊大権現が祀られた。
境内には、日吉山王権現も勧請され、山岳仏教である天台密教寺院の特色がうかがわれる。
また、源頼朝や徳川家康などの武将が帰依すると同時に、諸堂の中興に尽力し、開運・武運長久の祈願所にもなっている。
江戸時代に入り仁王門や鐘楼が建立され、現在の伽藍が形成された。
智満寺文化財一覧
1、本堂 天正17年建立 一棟 昭和41年 国指定・重要文化財
1、本尊木造千手観音厨子 慶長10年建立 一基 昭和41年 国指定・重要文化財
1、本尊木造千手観音立像 一躯 昭和25年 国指定・重要文化財
1、阿弥陀如来及び諸尊像刻出龕 一基 昭和25年 国指定・重要文化財
1、智満寺の十本杉 十本の内七本が現存 昭和37年 国指定・天然記念物
1、仁王門 江戸時代初期建立 一棟 昭和31年 静岡県指定文化財
1、中門 天正年間建立 一棟 昭和31年 静岡県指定文化財
1、薬師堂 天正年間建立 一棟 昭和31年 静岡県指定文化財
1、薬師如来厨子(薬師堂内)一基 昭和31年 静岡県指定文化財
1、元三大師厨子(本堂内)一基 昭和31年 静岡県指定文化財
1、木造元三大師(慈恵大師)坐像(本堂内) 一躯 平成22年 静岡県指定文化財
1、紙本墨書称讃浄土経(伝)奈良時代 一巻 昭和37年 静岡県指定文化財
1、金剛力士立像(仁王門内) 一対他三体 昭和59年 島田市指定文化財
令和3年2月
島田市教育委員会
宗教法人 智満寺
参道石段です
参道石段左の滝です
石仏が並びます
千葉山案内図です
駐車場は尾根を回り込んだ先です、舗装された第二駐車場に車を止めさせて頂きました
第二駐車場から登ります
山道ですね
石仏が迎えてくれます
島田市内を見下ろせます
沢の向側に本堂の屋根が見えて来ました
本堂下から階段脇のクスノキの巨木を見上げました
先ずは仁王門へ行きましょう
細い山道を進むと
仁王門前の石段にはスギの大木です
仁王門です
右に「あ」の仁王様(金剛力士像)です
左に「ん」の仁王様です
仁王門の説明です
静岡県指定建造物
智満寺 仁王門
慶長年間、徳川家康によって造営されたもので、左右には木像金剛力士の立像一対が安置されている。
構造は、木造和様寄棟造萱葺、間口8.4m、奥行5.5mである。
仁王門の左に目的のクスノキです
手前の杉の前から見上げました、目通り幹囲7.0mの巨木です
仁王門脇から
本堂へ行きましょう
石段の上に中門です
手水舎です
境内右端に鐘楼です
本堂です
静岡県指定建造物
智満寺 元三大師厨子
本堂に安置されている元三大師厨子で、寺の縁起によると、比叡山の僧楞厳院は元亀年間、法難をさけ元三大師自作の像を背負って千葉山に遁て来て、一庵を立てて楞厳院と称し像を安置した。
構造は、木像宮殿造彩色、正面110.9cm、奥行75.7cm。
千葉山智満寺 豆知識の掲示版です
宗派は 天台宗(総本山・比叡山延暦寺)です。
開創は 奈良時代の宝亀2(771)年です。
開祖は 広智上人です。鑑真和上の孫弟子にあたり多くの弟子がおり、経典書写では最澄や空海もたよりにされた方です。また、民衆からはその徳行から俗に菩薩と呼ばれました。
山号は 当初、宝亀山と言いましたが、源頼朝が家臣の千葉氏に当寺の中興を命じ、その千葉氏の功により千葉山となりました。
ご本尊は 千手観音(国の重要文化財)です。秘仏で本堂中央の宮殿にお祀りされています。千手観音様は慈悲深く、人々の悩みや苦しみをお救いになり,願い事をかなえてくださいます。源頼朝・今川氏、徳川家康等の武将も武運長久を祈願したことから出世開運のご利益はよく知られております。なお、ご本尊の開帳は60年に一度と言われ、前回は平成6年に開帳されました。
ご縁日は 17日です。特に1月17日は初観音の大祭です。
本堂は 桃山時代の天正17(1589)年に徳川家康により再建されてものです。茅の葺き替えは約15年ごとです。湿気や飛来する植物種子の成長などもあり、比較的短期間での葺き替えが必要となりました。
奥の院は 当山の山頂で火坊・開運の阿修羅坊さまをお祀りしております。所要時間は20~30分位いです。
十本杉は 多くは山頂・奥の院付近に点在します。頼朝杉は石鳥居の上の薬師堂の後方に見ることができます。
*頼朝杉は平成24年に倒壊してしまいました、いまは倒壊株を見ることができます。
智満寺の国指定石碑です
建造物 1、本堂附本尊千手観音厨子
指定 昭和41年6月11日
彫刻 1、木像千手観音立像
1、阿弥陀如来及諸尊像刻出合龍
指定 昭和25年8月29日
天然記念物 1、智満寺の十本杉 開山杉・大杉・達磨杉・雷杉・常胤杉、経師杉・一本杉・盛相杉・子持杉・頼朝杉
トイレの影に仁王門と本堂の分かれ道から見上げたクスノキ、目通り幹囲6.6mの巨木です
本堂東側のスギの大木です
庫裏の入り口です
天然記念物標柱と説明版です
智満寺の大銀杏 跡
県の天然記念物に指定されていた大銀杏は目通り7m、高さ30m、の巨樹でした。枝葉も繁茂し、幹からは乳状の樹根が垂れ、「乳観音」として婦人からの信仰もありました。
しかし、地中部分の根の腐りと空洞化によりその重みに耐えかねて平成12(2000)年6月30日、平穏な日でしたが昼前より傾き始め午後5時過ぎに支子を残し、谷方向へ倒れ約500年の樹齢を全うしました。
現在は、世代交代した支子が成長中です。
支子(二代目)のイチョウです
大銀杏跡の左手奥に天満宮・稲荷社です
本堂裏側の一段ン高い所に湯屋姫権現の社です
本堂西側に薬師堂です
静岡県指定建造物
智満寺薬師堂
天正年間、藤枝の・師河村次郎右衛門は…信仰し、医術繁栄し御利益につながる。徳川家が本堂を再建するに際し、薬師堂宇を建立し、天正16年5月8日秘仏開眼法要を行った。
構造は、和様寄棟造萱葺 5,4m、四面である
では、奥ノ院へ行って見ましょう
地区の北の端千葉山(標高496m)の南東面中腹に智満寺が有ります
国道1号線藤枝バイパスの野田インターチェンジから県道217号伊久美元島田線を北へ
ここから案内板に智満寺まで7kmです
島田市立大津小学校を過ぎて左の市道に案内板に従って木津谷川を渡って進みます
*県道は智満寺手前で細い砂利の山道になりますので、案内板に従いましょう
新東名高速道路を上に見て木津谷川支流に沿って登ります
新東名高速道路先の案内板です
途中に「縁結びの杉」や「亀石」などの名所がありますが、今日は智満寺奥ノ院まで行きたいのでパスして進みます
智満寺参道石段下に出ます
天台宗 千葉山 智満寺です
縁起です
千葉山智満寺縁起
智満寺は、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の古刹である。
寺伝によると、神護景雲(767~770)年間、鑑真和上の法孫となる廣智は諸国巡行中、当山で千手観音を威得し
一寺を建立を発願した。
宝亀2(771)年に、光仁天皇より行基作と伝えられる千手観音を賜り、智満寺を創建した。
鎌倉時代には、山頂に小堂が建立され、当山の守護神として阿修羅坊大権現が祀られた。
境内には、日吉山王権現も勧請され、山岳仏教である天台密教寺院の特色がうかがわれる。
また、源頼朝や徳川家康などの武将が帰依すると同時に、諸堂の中興に尽力し、開運・武運長久の祈願所にもなっている。
江戸時代に入り仁王門や鐘楼が建立され、現在の伽藍が形成された。
智満寺文化財一覧
1、本堂 天正17年建立 一棟 昭和41年 国指定・重要文化財
1、本尊木造千手観音厨子 慶長10年建立 一基 昭和41年 国指定・重要文化財
1、本尊木造千手観音立像 一躯 昭和25年 国指定・重要文化財
1、阿弥陀如来及び諸尊像刻出龕 一基 昭和25年 国指定・重要文化財
1、智満寺の十本杉 十本の内七本が現存 昭和37年 国指定・天然記念物
1、仁王門 江戸時代初期建立 一棟 昭和31年 静岡県指定文化財
1、中門 天正年間建立 一棟 昭和31年 静岡県指定文化財
1、薬師堂 天正年間建立 一棟 昭和31年 静岡県指定文化財
1、薬師如来厨子(薬師堂内)一基 昭和31年 静岡県指定文化財
1、元三大師厨子(本堂内)一基 昭和31年 静岡県指定文化財
1、木造元三大師(慈恵大師)坐像(本堂内) 一躯 平成22年 静岡県指定文化財
1、紙本墨書称讃浄土経(伝)奈良時代 一巻 昭和37年 静岡県指定文化財
1、金剛力士立像(仁王門内) 一対他三体 昭和59年 島田市指定文化財
令和3年2月
島田市教育委員会
宗教法人 智満寺
参道石段です
参道石段左の滝です
石仏が並びます
千葉山案内図です
駐車場は尾根を回り込んだ先です、舗装された第二駐車場に車を止めさせて頂きました
第二駐車場から登ります
山道ですね
石仏が迎えてくれます
島田市内を見下ろせます
沢の向側に本堂の屋根が見えて来ました
本堂下から階段脇のクスノキの巨木を見上げました
先ずは仁王門へ行きましょう
細い山道を進むと
仁王門前の石段にはスギの大木です
仁王門です
右に「あ」の仁王様(金剛力士像)です
左に「ん」の仁王様です
仁王門の説明です
静岡県指定建造物
智満寺 仁王門
慶長年間、徳川家康によって造営されたもので、左右には木像金剛力士の立像一対が安置されている。
構造は、木造和様寄棟造萱葺、間口8.4m、奥行5.5mである。
仁王門の左に目的のクスノキです
手前の杉の前から見上げました、目通り幹囲7.0mの巨木です
仁王門脇から
本堂へ行きましょう
石段の上に中門です
手水舎です
境内右端に鐘楼です
本堂です
静岡県指定建造物
智満寺 元三大師厨子
本堂に安置されている元三大師厨子で、寺の縁起によると、比叡山の僧楞厳院は元亀年間、法難をさけ元三大師自作の像を背負って千葉山に遁て来て、一庵を立てて楞厳院と称し像を安置した。
構造は、木像宮殿造彩色、正面110.9cm、奥行75.7cm。
千葉山智満寺 豆知識の掲示版です
宗派は 天台宗(総本山・比叡山延暦寺)です。
開創は 奈良時代の宝亀2(771)年です。
開祖は 広智上人です。鑑真和上の孫弟子にあたり多くの弟子がおり、経典書写では最澄や空海もたよりにされた方です。また、民衆からはその徳行から俗に菩薩と呼ばれました。
山号は 当初、宝亀山と言いましたが、源頼朝が家臣の千葉氏に当寺の中興を命じ、その千葉氏の功により千葉山となりました。
ご本尊は 千手観音(国の重要文化財)です。秘仏で本堂中央の宮殿にお祀りされています。千手観音様は慈悲深く、人々の悩みや苦しみをお救いになり,願い事をかなえてくださいます。源頼朝・今川氏、徳川家康等の武将も武運長久を祈願したことから出世開運のご利益はよく知られております。なお、ご本尊の開帳は60年に一度と言われ、前回は平成6年に開帳されました。
ご縁日は 17日です。特に1月17日は初観音の大祭です。
本堂は 桃山時代の天正17(1589)年に徳川家康により再建されてものです。茅の葺き替えは約15年ごとです。湿気や飛来する植物種子の成長などもあり、比較的短期間での葺き替えが必要となりました。
奥の院は 当山の山頂で火坊・開運の阿修羅坊さまをお祀りしております。所要時間は20~30分位いです。
十本杉は 多くは山頂・奥の院付近に点在します。頼朝杉は石鳥居の上の薬師堂の後方に見ることができます。
*頼朝杉は平成24年に倒壊してしまいました、いまは倒壊株を見ることができます。
智満寺の国指定石碑です
建造物 1、本堂附本尊千手観音厨子
指定 昭和41年6月11日
彫刻 1、木像千手観音立像
1、阿弥陀如来及諸尊像刻出合龍
指定 昭和25年8月29日
天然記念物 1、智満寺の十本杉 開山杉・大杉・達磨杉・雷杉・常胤杉、経師杉・一本杉・盛相杉・子持杉・頼朝杉
トイレの影に仁王門と本堂の分かれ道から見上げたクスノキ、目通り幹囲6.6mの巨木です
本堂東側のスギの大木です
庫裏の入り口です
天然記念物標柱と説明版です
智満寺の大銀杏 跡
県の天然記念物に指定されていた大銀杏は目通り7m、高さ30m、の巨樹でした。枝葉も繁茂し、幹からは乳状の樹根が垂れ、「乳観音」として婦人からの信仰もありました。
しかし、地中部分の根の腐りと空洞化によりその重みに耐えかねて平成12(2000)年6月30日、平穏な日でしたが昼前より傾き始め午後5時過ぎに支子を残し、谷方向へ倒れ約500年の樹齢を全うしました。
現在は、世代交代した支子が成長中です。
支子(二代目)のイチョウです
大銀杏跡の左手奥に天満宮・稲荷社です
本堂裏側の一段ン高い所に湯屋姫権現の社です
本堂西側に薬師堂です
静岡県指定建造物
智満寺薬師堂
天正年間、藤枝の・師河村次郎右衛門は…信仰し、医術繁栄し御利益につながる。徳川家が本堂を再建するに際し、薬師堂宇を建立し、天正16年5月8日秘仏開眼法要を行った。
構造は、和様寄棟造萱葺 5,4m、四面である
では、奥ノ院へ行って見ましょう