気賀地区は、北区役所の有る地区です
天竜浜名湖鉄道きが駅の東側の県道320号細江舞阪線を北へ進んで
気賀四ツ角信号を左(西北西側)へ国道362号線です、間も無く右手の道路北側に細江神社が鎮座します
手前の路地を上って行くと駐車場入口です、社殿前の参道を越えて、境内の駐車場を利用させて頂きました
境内入口です
郷社 細江神社です
案内板です
御祭神 素戔嗚尊
寄稲田姫命
例祭日 7月第三土曜日
由緒
明応7年の大地震によって浜名湖は外海とつながり、その時の大海嘨により新居の角避比古神社(つのさくひこじんじゃ)は流没、しかし、御神壐は、奇跡的にこの気賀の地に着御された。里人は牛頭天王社として気賀の総う地氏神として祀る。以来、気賀のお天王さまと尊称し、7月の祇園祭りの船渡御は全国的にもめずらしい勇壮な祭りとなる。
細江神社
地図が有ります(社務所わき)
参道を進みましょう
手水舎です
二の鳥居です
拝殿です
本殿は屋根だけ見えました
境内東側の出入り口鳥居です
水盤です
境内東側に蘭草神社です
説明版です
藺草神社(いぐさじんじゃ)
宝永4年(1707年)の10月、遠州地方で大地震があり、押し寄せた高潮のため、浜名湖沿岸の田には塩が入り、稲は全滅の状態でした。
困り果てた村の庄屋達は、当時の気賀の領主近藤縫殿助用随公に、その苦境を訴えました。
領民のためを思う名君であった用随公は、今後の稲作の事を、領民と共に悩みました。
それからしばらくして、用随公は、大阪での会議で隣り合わせた豊後の国(現在の大分県)の領主松平市正に、領内の窮状を相談したところ、市正は、「ほう、それはお困りじゃな。では、余の領内の豊後nお藺草を植えたらどうじゃ。これは、塩に強いということでな」と言い、国元から琉球藺の苗を取り寄せてくれました。
大いに喜んだ用随公はこれを持ち帰り、領内の田に植えさせました。
これが浜名湖一帯の名産物、琉球藺の始まりです。その後琉球藺は周辺の各村に広まり藺草を使った畳表の整織は、冬の農家の副業として、この地方にを潤しました。
この藺草神社は、藺草をこの地方に初めて広めてくれた用随公の徳をたたえ造られたものです。
蘭草が植えられています
説明版です
七島藺(琉球藺・三角藺)
カヤツリグサ科 多年草
畳表の原料
茎は横走する太い根茎からでて、高さ1m以上となり、三角形で節がなく、基部には葉鞘に退化した葉が二、三個つく、夏から秋茎頂に花序を生じ、花序はよく枝分れ、枝の先端に花穂をつけ密に小穂を生じる。
夏から秋に刈り取って二つに割ってかをかし、畳表・蓆・編物など、種々の生活分野にわたって利用された。
一方イグサはイグサ科に属し茎が円形である。こちらも畳表に利用されている。
産地=薩南の七島 琉球地方
境内西側には多くの境内社が並びます、まずは稲荷神社参道です
稲荷神社です
左に天満宮の参道鳥居です
天満宮です
八幡神社の鳥居です
水盤です
八幡神社拝殿です
本殿です
拝殿軒下に恵比寿様です
西側境内出入口の鳥居です
では、境内の楠樹叢を見て行きましょう
天竜浜名湖鉄道きが駅の東側の県道320号細江舞阪線を北へ進んで
気賀四ツ角信号を左(西北西側)へ国道362号線です、間も無く右手の道路北側に細江神社が鎮座します
手前の路地を上って行くと駐車場入口です、社殿前の参道を越えて、境内の駐車場を利用させて頂きました
境内入口です
郷社 細江神社です
案内板です
御祭神 素戔嗚尊
寄稲田姫命
例祭日 7月第三土曜日
由緒
明応7年の大地震によって浜名湖は外海とつながり、その時の大海嘨により新居の角避比古神社(つのさくひこじんじゃ)は流没、しかし、御神壐は、奇跡的にこの気賀の地に着御された。里人は牛頭天王社として気賀の総う地氏神として祀る。以来、気賀のお天王さまと尊称し、7月の祇園祭りの船渡御は全国的にもめずらしい勇壮な祭りとなる。
細江神社
地図が有ります(社務所わき)
参道を進みましょう
手水舎です
二の鳥居です
拝殿です
本殿は屋根だけ見えました
境内東側の出入り口鳥居です
水盤です
境内東側に蘭草神社です
説明版です
藺草神社(いぐさじんじゃ)
宝永4年(1707年)の10月、遠州地方で大地震があり、押し寄せた高潮のため、浜名湖沿岸の田には塩が入り、稲は全滅の状態でした。
困り果てた村の庄屋達は、当時の気賀の領主近藤縫殿助用随公に、その苦境を訴えました。
領民のためを思う名君であった用随公は、今後の稲作の事を、領民と共に悩みました。
それからしばらくして、用随公は、大阪での会議で隣り合わせた豊後の国(現在の大分県)の領主松平市正に、領内の窮状を相談したところ、市正は、「ほう、それはお困りじゃな。では、余の領内の豊後nお藺草を植えたらどうじゃ。これは、塩に強いということでな」と言い、国元から琉球藺の苗を取り寄せてくれました。
大いに喜んだ用随公はこれを持ち帰り、領内の田に植えさせました。
これが浜名湖一帯の名産物、琉球藺の始まりです。その後琉球藺は周辺の各村に広まり藺草を使った畳表の整織は、冬の農家の副業として、この地方にを潤しました。
この藺草神社は、藺草をこの地方に初めて広めてくれた用随公の徳をたたえ造られたものです。
蘭草が植えられています
説明版です
七島藺(琉球藺・三角藺)
カヤツリグサ科 多年草
畳表の原料
茎は横走する太い根茎からでて、高さ1m以上となり、三角形で節がなく、基部には葉鞘に退化した葉が二、三個つく、夏から秋茎頂に花序を生じ、花序はよく枝分れ、枝の先端に花穂をつけ密に小穂を生じる。
夏から秋に刈り取って二つに割ってかをかし、畳表・蓆・編物など、種々の生活分野にわたって利用された。
一方イグサはイグサ科に属し茎が円形である。こちらも畳表に利用されている。
産地=薩南の七島 琉球地方
境内西側には多くの境内社が並びます、まずは稲荷神社参道です
稲荷神社です
左に天満宮の参道鳥居です
天満宮です
八幡神社の鳥居です
水盤です
八幡神社拝殿です
本殿です
拝殿軒下に恵比寿様です
西側境内出入口の鳥居です
では、境内の楠樹叢を見て行きましょう