今日も二件目です
龍禅寺町は、浜松市役所の南東約2kmのところ、浜松駅の反対側ですね
国道152号線を南へ、連尺信号を左(東)へ、まだ国道152号線です
遠鉄電車第一通り駅前を通ってすぐの板屋町信号を右(南)へ寺島町信号を斜め左へ
信号の先の三叉路を右へ、道路が右(南)へカーブすると
左手に大きなマツが見えます、前の道路脇に車を止めさせて頂きました
龍禅寺参道北側のマンションの駐車場の中に目的のマツです
北側から
説明版です
保存樹 浜松市
指定番号 浜松市保存樹田井5号
指定年月日 平成7年8月10日
樹種:クロマツ
樹高:27m、幹周:3.3m(指定時)
戦前から地域のシンボルとして愛され続けてきた龍禅寺のクロマツは、そのたくましく上に伸びる姿から戦禍で途方に暮れる市民に生きる勇気を与えたと言われています。
指定当時、浜松市内で指定している保存樹の中では、最も樹高の高い樹木でした。
のびのびと育った樹木が枝を広げ,行き交う人々をやさしく迎えてくれます。
南西側から
では、龍禅寺に行きましょう
山門です
高野山真言宗 龍禅寺です
六地蔵様です
六地蔵様由来の説明版です
手水舎です
役の行者様です
寬保3年癸亥年金剛日、別名慈雲尊者とも云い、奈良大峯山の開創僧である。
神変力を示し衆生を加護すると云われている。
本願主中田島村大石五郎日地七、西ノ江村三輪三郎右衛門の発願により佛工。
江戸西村和泉守藤原政時作となっている。
鐘楼です
龍禅寺の大梵鐘
文化11年(1824)2月に鋳造されてもので、鐘経1.2m、高さ2.0m、重さ1.3tのものです
歌碑が並んでいます
本堂です
弘法大師様ですね
太子堂です
地蔵堂です
延命地蔵(身代わり地蔵)
このお地蔵様は大地の母とか大地の蔵ということを意味し、お釈迦様入滅後56億7000万年して弥勒菩薩(未来仏)がこの世に現われるまでの間、人々の悩みや苦しみを救済する菩薩である。
延命地蔵は大地の堅固のように菩提心が堅固で、願をかけると自分が身代わりになって諸の苦しみ、さまざまな病苦を受けて下さり、それを打ち消すもので延命を授けて下さるお地蔵様です。
境内の南西側の熊野神社へ行って見ましょう
境内入口です、二つの鳥居が並んでいます
稲荷神社への鳥居です
福興稲荷です
熊野神社鳥居です
説明版です
由緒
龍禅寺町が往古市場村の・・・・・もはや里の人々は紀伊国牟婁郡熊野本宮より勧請し宮西の地に・・あり三所権現様と称へ、崇敬篤く、特に咳神様として信仰し、地方に広く開・・
元亀元年近衛関白・嗣公上野の草津より湯治の帰途龍岦瀘和り当神社に平癒を祈願ころ・・・余りにて全治して上洛する・・・・
云い伝えられ、宝永3年の地・・・・現在の地に・・・・薄くなってしまって読めません
手水舎です
熊野神社社殿です
社殿の右側にクスノキが在ります
クスノキです
保存樹木標柱です
南東側から
では、次へ行きましょう
龍禅寺町は、浜松市役所の南東約2kmのところ、浜松駅の反対側ですね
国道152号線を南へ、連尺信号を左(東)へ、まだ国道152号線です
遠鉄電車第一通り駅前を通ってすぐの板屋町信号を右(南)へ寺島町信号を斜め左へ
信号の先の三叉路を右へ、道路が右(南)へカーブすると
左手に大きなマツが見えます、前の道路脇に車を止めさせて頂きました
龍禅寺参道北側のマンションの駐車場の中に目的のマツです
北側から
説明版です
保存樹 浜松市
指定番号 浜松市保存樹田井5号
指定年月日 平成7年8月10日
樹種:クロマツ
樹高:27m、幹周:3.3m(指定時)
戦前から地域のシンボルとして愛され続けてきた龍禅寺のクロマツは、そのたくましく上に伸びる姿から戦禍で途方に暮れる市民に生きる勇気を与えたと言われています。
指定当時、浜松市内で指定している保存樹の中では、最も樹高の高い樹木でした。
のびのびと育った樹木が枝を広げ,行き交う人々をやさしく迎えてくれます。
南西側から
では、龍禅寺に行きましょう
山門です
高野山真言宗 龍禅寺です
六地蔵様です
六地蔵様由来の説明版です
手水舎です
役の行者様です
寬保3年癸亥年金剛日、別名慈雲尊者とも云い、奈良大峯山の開創僧である。
神変力を示し衆生を加護すると云われている。
本願主中田島村大石五郎日地七、西ノ江村三輪三郎右衛門の発願により佛工。
江戸西村和泉守藤原政時作となっている。
鐘楼です
龍禅寺の大梵鐘
文化11年(1824)2月に鋳造されてもので、鐘経1.2m、高さ2.0m、重さ1.3tのものです
歌碑が並んでいます
本堂です
弘法大師様ですね
太子堂です
地蔵堂です
延命地蔵(身代わり地蔵)
このお地蔵様は大地の母とか大地の蔵ということを意味し、お釈迦様入滅後56億7000万年して弥勒菩薩(未来仏)がこの世に現われるまでの間、人々の悩みや苦しみを救済する菩薩である。
延命地蔵は大地の堅固のように菩提心が堅固で、願をかけると自分が身代わりになって諸の苦しみ、さまざまな病苦を受けて下さり、それを打ち消すもので延命を授けて下さるお地蔵様です。
境内の南西側の熊野神社へ行って見ましょう
境内入口です、二つの鳥居が並んでいます
稲荷神社への鳥居です
福興稲荷です
熊野神社鳥居です
説明版です
由緒
龍禅寺町が往古市場村の・・・・・もはや里の人々は紀伊国牟婁郡熊野本宮より勧請し宮西の地に・・あり三所権現様と称へ、崇敬篤く、特に咳神様として信仰し、地方に広く開・・
元亀元年近衛関白・嗣公上野の草津より湯治の帰途龍岦瀘和り当神社に平癒を祈願ころ・・・余りにて全治して上洛する・・・・
云い伝えられ、宝永3年の地・・・・現在の地に・・・・薄くなってしまって読めません
手水舎です
熊野神社社殿です
社殿の右側にクスノキが在ります
クスノキです
保存樹木標柱です
南東側から
では、次へ行きましょう