音無町は、伊東市役所の西約1kmのところ
最誓寺山門を出て、南側の路地を西へ最誓寺墓地の南側です
音無神社は、最誓寺に向って東向きに鎮座しています
塀の先に音無神社の社叢が見えます
南東側の境内に音無神社の社號標です
東側の道路です
先ずはスダジイの大木です
こちらはタブノキです、東側の道路に面して、二本の大木が聳えます
境内入口です
手水舎です
正面に拝殿です
本殿です
説明版です
音無の森、頼朝八重姫伝承
曽我物語によれば、伊東の北の小御所に住んでいた若き日の頼朝は、伊東祐親の三の姫八重姫と結ばれて、二人の間に千鶴丸と名付けられた若殿が生まれました。
二人が愛を語った場所が、この音無の森だと伝えられています。
頼朝は、この対岸にあるひぐらしの森で、出合いの時を待って日ぐらし過ごしたといわれます。今はそのしの森に日暮八幡社があり、ひぐらし会館が建っています。
両方の森を結ぶ岡橋(左手に見える)の手すりには、頼朝と八重姫の姿が描かれています。
境内社の玉楠神社です
境内社の玉猫神社です
境内入口よりのタブノキです(説明版の1のタブの木)
天然記念物です
説明版です
市指定文化財(天然記念物)
音無神社のタブの木
タブの木は、海に近い暖地性の常緑高木で、クスノキ科に属し、別名イヌグスあるいはタマの木ともいう。わが国の中部以南から遠くは沖縄、中国南部にかけて自生する。
伊豆でも、巨大なものは珍しく、このように市街に巨樹が残っていることは、伊東がいかに温暖であるかを示す標本木(学術的)である。
1、高さ 12m、目通し4.10m
2、高さ 14m、目通し3.50m
指定 昭和43年6月7日
伊東市教育委員会
*2のタブの木は本殿裏側の物のようです
拝殿左側境内中央にあるスダジイが境内一番太い目通り6.3mの巨木です
音無神社の祭神であり、安産と縁結びの神豊玉姫命の見守る中、源頼朝と、伊東の領主である伊東祐親の娘八重姫が出会う。
頼朝と八重姫はこの音無の森で逢瀬を重ね、やがて二人には千鶴丸が誕生する。
祐親は平家を憚り、千鶴丸を稚児が淵へ沈めるが、秘かに遠方へ逃がしたとの説も伝わる。
音無神社伝承絵巻について
当、音無神社のご祭神は海神の娘、豊玉姫命(神武天皇御祖母)であります。創建は境内に繁茂する大樹の樹齢が示す如く計り知れません。
ご祭神が産殿の屋根も葺き終わらぬ内に産気づき、安産であったので、「安産」「育児」ひいては「縁結び」の神として崇敬集めて参りました。お産にかかわることから、暗闇を尊び11月10日漆黒の中で神事が執行されます。世に天下の奇祭とし「尻摘祭」の名で有名です。
当夜、余興として「尻相撲大会」が盛大です。
鎌倉の昔、伊豆に流浪の日々を送った源氏の頭梁,源頼朝と、地主領主、伊東祐親の娘八重姫とのロマンスが、この森でくりひろげられ、千鶴丸なる和子が誕生。平家の恩顧をうける祐親の列火の怒りに触れ、松川の奥深き「稚児が淵」に沈め害したと哀話を伝える。また異説に、密かに和子を助けまいらせ他領んい逃し、成長させたとする説もあって、歴史ロマンは多彩でもあります。
絵巻製作にあたっては伊東高校美術部や伊東市、玖須美区民等、多くのご協力、ご支援のあったことを感謝するものです。
平成25年3月17日
玖須美神社氏子総代会
音無神社奉賛会
山神社です
西側の松川です
伊東市の案内図です、右下に頼朝が日を過ごした「ひぐらしの森」は消防署の南側ですね
では、車に戻って次へ行きましょう
最誓寺山門を出て、南側の路地を西へ最誓寺墓地の南側です
音無神社は、最誓寺に向って東向きに鎮座しています
塀の先に音無神社の社叢が見えます
南東側の境内に音無神社の社號標です
東側の道路です
先ずはスダジイの大木です
こちらはタブノキです、東側の道路に面して、二本の大木が聳えます
境内入口です
手水舎です
正面に拝殿です
本殿です
説明版です
音無の森、頼朝八重姫伝承
曽我物語によれば、伊東の北の小御所に住んでいた若き日の頼朝は、伊東祐親の三の姫八重姫と結ばれて、二人の間に千鶴丸と名付けられた若殿が生まれました。
二人が愛を語った場所が、この音無の森だと伝えられています。
頼朝は、この対岸にあるひぐらしの森で、出合いの時を待って日ぐらし過ごしたといわれます。今はそのしの森に日暮八幡社があり、ひぐらし会館が建っています。
両方の森を結ぶ岡橋(左手に見える)の手すりには、頼朝と八重姫の姿が描かれています。
境内社の玉楠神社です
境内社の玉猫神社です
境内入口よりのタブノキです(説明版の1のタブの木)
天然記念物です
説明版です
市指定文化財(天然記念物)
音無神社のタブの木
タブの木は、海に近い暖地性の常緑高木で、クスノキ科に属し、別名イヌグスあるいはタマの木ともいう。わが国の中部以南から遠くは沖縄、中国南部にかけて自生する。
伊豆でも、巨大なものは珍しく、このように市街に巨樹が残っていることは、伊東がいかに温暖であるかを示す標本木(学術的)である。
1、高さ 12m、目通し4.10m
2、高さ 14m、目通し3.50m
指定 昭和43年6月7日
伊東市教育委員会
*2のタブの木は本殿裏側の物のようです
拝殿左側境内中央にあるスダジイが境内一番太い目通り6.3mの巨木です
音無神社の祭神であり、安産と縁結びの神豊玉姫命の見守る中、源頼朝と、伊東の領主である伊東祐親の娘八重姫が出会う。
頼朝と八重姫はこの音無の森で逢瀬を重ね、やがて二人には千鶴丸が誕生する。
祐親は平家を憚り、千鶴丸を稚児が淵へ沈めるが、秘かに遠方へ逃がしたとの説も伝わる。
音無神社伝承絵巻について
当、音無神社のご祭神は海神の娘、豊玉姫命(神武天皇御祖母)であります。創建は境内に繁茂する大樹の樹齢が示す如く計り知れません。
ご祭神が産殿の屋根も葺き終わらぬ内に産気づき、安産であったので、「安産」「育児」ひいては「縁結び」の神として崇敬集めて参りました。お産にかかわることから、暗闇を尊び11月10日漆黒の中で神事が執行されます。世に天下の奇祭とし「尻摘祭」の名で有名です。
当夜、余興として「尻相撲大会」が盛大です。
鎌倉の昔、伊豆に流浪の日々を送った源氏の頭梁,源頼朝と、地主領主、伊東祐親の娘八重姫とのロマンスが、この森でくりひろげられ、千鶴丸なる和子が誕生。平家の恩顧をうける祐親の列火の怒りに触れ、松川の奥深き「稚児が淵」に沈め害したと哀話を伝える。また異説に、密かに和子を助けまいらせ他領んい逃し、成長させたとする説もあって、歴史ロマンは多彩でもあります。
絵巻製作にあたっては伊東高校美術部や伊東市、玖須美区民等、多くのご協力、ご支援のあったことを感謝するものです。
平成25年3月17日
玖須美神社氏子総代会
音無神社奉賛会
山神社です
西側の松川です
伊東市の案内図です、右下に頼朝が日を過ごした「ひぐらしの森」は消防署の南側ですね
では、車に戻って次へ行きましょう