智満寺は、島田市役所の北約6kmの所です
境内回りの、クスノキや杉・イチョウを見て奥の院へ行きましょう
境内西側の薬師堂の前から山頂奥の院への登山道になっています
鳥居脇の説明版です
智満寺の十本杉(国指定天然記念物)
智満寺周辺には杉の巨木がうっそうと生い茂っています。中でも特に大きなものが十本杉と呼ばれ、昔から親しまれてきました。
これらはいずれも、800年から1200年を経たものと推定されています。
名称 目通り太さ 高さ 伝承等
頼朝杉 9.7m 36m 源頼朝のお手植えという。(倒壊)
子持杉 台風で倒れたため現在は残っていない。
開山杉 開山広智菩薩のお手植えという。目通りが11mもあったが幹が折れ、現在は根元だけが残っている。
雷杉 8.5m 36m 木の形が雷神の怒りに似ている。
常胤杉 7.2m 30m 千葉介常胤のお手植えという。
経師杉 7.3m 36m 千葉太郎経師のお手植えという。
一本杉 8.5m 45m 本山中もっとも高い杉である。
盛相杉 7.8m 40m 盛相(行者)のお手植えという。
達磨杉 7.0m 30m 根が太くダルマに似ている。
大杉 9.5m 40m 自然に呼称された。
(数字は指定当時)
1964(昭和39)年6月29日,国の天然記念物に指定されています。
島田市教育委員会
*案内図を確認して行きます
奥の院へ行きましょう、登山道の注意書きです
千葉山山頂奥之院へ登られる方へ
静寂さと清浄な空気に包まれた山頂奥之院には阿修羅坊さまが住み、本尊千手観音さまを帰依する者を守護すると云われています。
また、巨木の十本杉はすべて信仰の対象となっています。そのため奥之院は昔から不用な登山と女人の登山が禁制されていましたが、明治37年の日露戦争の際、女性たちの懇願によりその禁制が解かれました。
日露戦争・太平洋戦争では命賭けの出征者とその御家族が武運長久・無事帰還を祈願されました。
登山道は檀信徒の奉仕作業により守られています。(ランニング禁止)
奥之院へ登山できること、健康であること等、感謝の念を持ってお参り下さい。
尊い祈りの山、霊山ですから礼・拝の気持ちの無い方、静寂さを壊す不謹慎な方の登山はご遠慮下さい。
智満寺 住職
*注意書きに従って、奥の院のある山頂まで600mほどですので山頂を目指しましょう
木段の参道を進みましょう
間も無く「頼朝杉」の案内板です、平成24年9月2日早朝に自然倒壊してしまったようです
倒壊した頼朝杉の倒壊株が残っています
参道に戻って進みます、右手に建物が見えて来ました
建物は日吉神社です
日吉神社の本殿の様です
白衣観音様の様です
注連縄の巻かれた杉の参道を先へ進みます
鳥居です
鳥居のすぐ先には「大黒天女」様です
ちょうど参道中間点です
中間点のすぐ上に「子持杉」(倒木)の案内板です
倒れているのは子持杉の幹でしょうか
かたわらの子持観音様です
先へ進みましょう
打出の子槌を持っていますので大黒様のようです
まだまだ山道を上って行きます
山頂が近づくと倒木が目立ってきました
赤い祠の観音様の様です
正面の登山道は倒木でふさがれています
ここから右に仮設道を行きます
山頂部を右側から巻くように登山道を進みます
また注意書きです、奥之院へ向かいましょう
少し下ると
杉の巨木です、これが十本杉の一つ「大杉」です
手水舎です
奥の院のお堂です、登山の安全を祈願して、十本杉の残り7本を見て回りましょう
案内板で「十本杉」の位置を確認しましょう
まずは山頂です、倒木に囲まれてしまっています
山頂から「大杉」を見ました
南側から
西側が正面ですね、根元には天然記念物標柱と石仏です
大杉の前の杉の大木ですが、この杉は十本杉には数えられていませんね
お堂の北側には十本杉の中で最大だった「開山杉」があったところにも倒木が有ります
お堂の前を通って西に進むと「雷杉」です、後方に見えるのは「常胤杉」
雷杉を西側から見ました
ここから下って「一本杉」へ行きましょう
「一本杉」が見えて来ました
下側から見あげました、十本杉の中で一番高い杉です
更に下って来ました「経師杉」です
下側から見あげました、ここから一度「一本杉」まで戻ります
一本杉からトラバース気味に東へ進むと「盛相杉」です
右側から見上げました、ここから山道を上って奥の院へ戻ります
奥の院手前から「達磨杉」の北東面が見えました
奥の院が見えました
正面から「達磨杉」です
すぐ山頂側に「大杉」です
では下山して、次へ行きましょう
境内回りの、クスノキや杉・イチョウを見て奥の院へ行きましょう
境内西側の薬師堂の前から山頂奥の院への登山道になっています
鳥居脇の説明版です
智満寺の十本杉(国指定天然記念物)
智満寺周辺には杉の巨木がうっそうと生い茂っています。中でも特に大きなものが十本杉と呼ばれ、昔から親しまれてきました。
これらはいずれも、800年から1200年を経たものと推定されています。
名称 目通り太さ 高さ 伝承等
頼朝杉 9.7m 36m 源頼朝のお手植えという。(倒壊)
子持杉 台風で倒れたため現在は残っていない。
開山杉 開山広智菩薩のお手植えという。目通りが11mもあったが幹が折れ、現在は根元だけが残っている。
雷杉 8.5m 36m 木の形が雷神の怒りに似ている。
常胤杉 7.2m 30m 千葉介常胤のお手植えという。
経師杉 7.3m 36m 千葉太郎経師のお手植えという。
一本杉 8.5m 45m 本山中もっとも高い杉である。
盛相杉 7.8m 40m 盛相(行者)のお手植えという。
達磨杉 7.0m 30m 根が太くダルマに似ている。
大杉 9.5m 40m 自然に呼称された。
(数字は指定当時)
1964(昭和39)年6月29日,国の天然記念物に指定されています。
島田市教育委員会
*案内図を確認して行きます
奥の院へ行きましょう、登山道の注意書きです
千葉山山頂奥之院へ登られる方へ
静寂さと清浄な空気に包まれた山頂奥之院には阿修羅坊さまが住み、本尊千手観音さまを帰依する者を守護すると云われています。
また、巨木の十本杉はすべて信仰の対象となっています。そのため奥之院は昔から不用な登山と女人の登山が禁制されていましたが、明治37年の日露戦争の際、女性たちの懇願によりその禁制が解かれました。
日露戦争・太平洋戦争では命賭けの出征者とその御家族が武運長久・無事帰還を祈願されました。
登山道は檀信徒の奉仕作業により守られています。(ランニング禁止)
奥之院へ登山できること、健康であること等、感謝の念を持ってお参り下さい。
尊い祈りの山、霊山ですから礼・拝の気持ちの無い方、静寂さを壊す不謹慎な方の登山はご遠慮下さい。
智満寺 住職
*注意書きに従って、奥の院のある山頂まで600mほどですので山頂を目指しましょう
木段の参道を進みましょう
間も無く「頼朝杉」の案内板です、平成24年9月2日早朝に自然倒壊してしまったようです
倒壊した頼朝杉の倒壊株が残っています
参道に戻って進みます、右手に建物が見えて来ました
建物は日吉神社です
日吉神社の本殿の様です
白衣観音様の様です
注連縄の巻かれた杉の参道を先へ進みます
鳥居です
鳥居のすぐ先には「大黒天女」様です
ちょうど参道中間点です
中間点のすぐ上に「子持杉」(倒木)の案内板です
倒れているのは子持杉の幹でしょうか
かたわらの子持観音様です
先へ進みましょう
打出の子槌を持っていますので大黒様のようです
まだまだ山道を上って行きます
山頂が近づくと倒木が目立ってきました
赤い祠の観音様の様です
正面の登山道は倒木でふさがれています
ここから右に仮設道を行きます
山頂部を右側から巻くように登山道を進みます
また注意書きです、奥之院へ向かいましょう
少し下ると
杉の巨木です、これが十本杉の一つ「大杉」です
手水舎です
奥の院のお堂です、登山の安全を祈願して、十本杉の残り7本を見て回りましょう
案内板で「十本杉」の位置を確認しましょう
まずは山頂です、倒木に囲まれてしまっています
山頂から「大杉」を見ました
南側から
西側が正面ですね、根元には天然記念物標柱と石仏です
大杉の前の杉の大木ですが、この杉は十本杉には数えられていませんね
お堂の北側には十本杉の中で最大だった「開山杉」があったところにも倒木が有ります
お堂の前を通って西に進むと「雷杉」です、後方に見えるのは「常胤杉」
雷杉を西側から見ました
ここから下って「一本杉」へ行きましょう
「一本杉」が見えて来ました
下側から見あげました、十本杉の中で一番高い杉です
更に下って来ました「経師杉」です
下側から見あげました、ここから一度「一本杉」まで戻ります
一本杉からトラバース気味に東へ進むと「盛相杉」です
右側から見上げました、ここから山道を上って奥の院へ戻ります
奥の院手前から「達磨杉」の北東面が見えました
奥の院が見えました
正面から「達磨杉」です
すぐ山頂側に「大杉」です
では下山して、次へ行きましょう