福島地区は、甘楽町役場の直ぐ北側の地区です、町役場の北約1kmのところに笠森稲荷神社が有ります
役場前から県道197号線を北東へ、約1.3kmの信号を左(西)へ
一時停止の変形十字路を更に西へ進むと右手に大きな木々の立ち並ぶ林が見えて来ます
境内東側に広い駐車場が有ります
南側の鳥居です
笹森稲荷神社の社號標です
山門前の境内にもケヤキの大木です
山門の二階には、眷属の狐の彫刻です
山門左手に杉の大木です
南東側から
東側から見上げました
かんら名木十選の認定証です
認定証
かんら名木十選
認定樹木 スギ
樹木名 笹森のスギ
所在地 福島1350
所有者 笹森稲荷神社
森の中で最も大きなスギで、参拝者を見守るように立っている。
幹には注連縄が張り渡されており、御神木の一つとなっている。
樹高37m、胸高周囲約3.3m、推定樹齢約300年の巨木。
平成13年3月 甘楽町
北側から
山門の直ぐ北側に手水舎です
ニノ鳥居です
拝殿です
本殿です
拝殿前左手にに神楽(舞)殿です
神輿舎です
境内社には狐の置物が並びます
山門の右手に笹森古墳の石室です
笹森古墳の説明版です
群馬県指定史跡 笹森古墳
甘楽町大字福島字笹森1350
昭和58年2月22日 指定
墳丘 全長約100m
前方部 幅約65m、高さ9m余
後円部 径約60m、高さ8m余
石室 全長約16m
玄室 長さ約7.2m、幅約2.4m、高さ約2.5m
築造年代 6世紀後半
この前方後円墳は雄川の右岸段丘に築かれ、全域が笹森稲荷神社の境内になっている。墳丘の南側は社殿の建設によって変形しているが、北側には二重の堀が残り、葺き石や埴輪も認められる。
前方部は、鏑川流域の他の前方後円墳と同じく西向きで、後円部とほぼ同じ高さまで発達した新形式である。
後円部の中段には、南側に両袖型横穴式石室の入り口があり鳥居が建っている。羨道は狭いが、奥行きは県内屈指の長さでこの地方の凝灰岩質砂岩の自然石で造られている。
なお、ここから北東400mに天王塚古墳(甘楽町指定史跡)がある。これは笹森古墳とは対称的で、後円部は大きいが、前方部は未発達の古式古墳(5世紀前半築造)である。
両古墳の埋葬者はもとより不明であるが、彦狭島王・射狭君などの説がある。
昭和62年3月 甘楽町教育委員会
本殿脇から西側の前方部です
東側境内から後円部です
では、今回の目的の巨木2本を見に行きましょう
役場前から県道197号線を北東へ、約1.3kmの信号を左(西)へ
一時停止の変形十字路を更に西へ進むと右手に大きな木々の立ち並ぶ林が見えて来ます
境内東側に広い駐車場が有ります
南側の鳥居です
笹森稲荷神社の社號標です
山門前の境内にもケヤキの大木です
山門の二階には、眷属の狐の彫刻です
山門左手に杉の大木です
南東側から
東側から見上げました
かんら名木十選の認定証です
認定証
かんら名木十選
認定樹木 スギ
樹木名 笹森のスギ
所在地 福島1350
所有者 笹森稲荷神社
森の中で最も大きなスギで、参拝者を見守るように立っている。
幹には注連縄が張り渡されており、御神木の一つとなっている。
樹高37m、胸高周囲約3.3m、推定樹齢約300年の巨木。
平成13年3月 甘楽町
北側から
山門の直ぐ北側に手水舎です
ニノ鳥居です
拝殿です
本殿です
拝殿前左手にに神楽(舞)殿です
神輿舎です
境内社には狐の置物が並びます
山門の右手に笹森古墳の石室です
笹森古墳の説明版です
群馬県指定史跡 笹森古墳
甘楽町大字福島字笹森1350
昭和58年2月22日 指定
墳丘 全長約100m
前方部 幅約65m、高さ9m余
後円部 径約60m、高さ8m余
石室 全長約16m
玄室 長さ約7.2m、幅約2.4m、高さ約2.5m
築造年代 6世紀後半
この前方後円墳は雄川の右岸段丘に築かれ、全域が笹森稲荷神社の境内になっている。墳丘の南側は社殿の建設によって変形しているが、北側には二重の堀が残り、葺き石や埴輪も認められる。
前方部は、鏑川流域の他の前方後円墳と同じく西向きで、後円部とほぼ同じ高さまで発達した新形式である。
後円部の中段には、南側に両袖型横穴式石室の入り口があり鳥居が建っている。羨道は狭いが、奥行きは県内屈指の長さでこの地方の凝灰岩質砂岩の自然石で造られている。
なお、ここから北東400mに天王塚古墳(甘楽町指定史跡)がある。これは笹森古墳とは対称的で、後円部は大きいが、前方部は未発達の古式古墳(5世紀前半築造)である。
両古墳の埋葬者はもとより不明であるが、彦狭島王・射狭君などの説がある。
昭和62年3月 甘楽町教育委員会
本殿脇から西側の前方部です
東側境内から後円部です
では、今回の目的の巨木2本を見に行きましょう