佐布里台3丁目は、知多市役所の南東約4kmのところ
知多市役所南から、名鉄常滑線の高架を潜って南東へ道成りに進みます
約2kmの「つつじが丘保育園東信号」を左(東南東)へ
約200mの「にしの台一丁目信号」を右(南)へ
約1,5kmの「梅が丘2丁目信号」を左(東南東)へ
坂道を下って登り返すと右手に「 佐布里緑と花のふれあい公園」が有ります
第一駐車場に入って公園を散策しました
公園案内図です
公園の丘の上への通路です
愛知用水神社の木々を見上げました
説明版です
佐布里梅と梅林
~佐布里梅の誕生~ 明治初期
明治時代の初め頃に、佐布里に住む鰐部亀蔵さんが、苦心して桃の木に梅を接木して生みだしました。
五輪で薄紅色の花が咲き、果肉が厚く核が小さいのが特徴で、酸味が強いので梅漬けや梅酢に最適な品種です。
~梅林の誕生~ 明治後期
梅は消毒や施肥の手間が少なく、畑のあぜ道でも栽培でき、特に「佐布里梅」は土質に適しており、鈴なりになるほど実をつけるため、収穫量も多く競って植えられました。
畑やあぜに植えられた梅の木々は、やがて「佐布里梅林」となりました。
~梅林の全盛~ 大正から昭和初期
愛知電鉄(現在の名古屋電鉄)が観光地として宣伝し、当時で年間7万人ほどの観梅客が訪れました。
佐布里梅林のほとんどは、「佐布里梅」で、2月末には佐布里一帯がうす紅色に染まりました。
梅林では梅まつりが開催され、茶屋や売店が出店され芸奴が出るなど賑わいを見せました。
~梅林の衰退~ 昭和中期
昭和34年の伊勢湾台風での倒木や、昭和35年頃から佐布里池の建設で水没し、佐布里梅林は、姿を消しました。
~梅林の復活~ 昭和後期から現在
佐布里池完成後の昭和40年代に、地域住民や愛知県の協力で梅の苗木が植えられ、今では佐布里梅を始め25種類、約6000本の梅が「佐布里池梅林」として復活しました。
2月中旬から3月中旬にかけ観梅を楽しめるようになり、知多市観光協会による梅まつりが開催されています。
南側から回って丘の上の梅林に出ました、まだまだ蕾ばかりです
ようやく1輪ずつ咲いている梅を見付けました
下から見えていた愛知用水神社(右)と愛知用水水利観音(左)です
境内のクスノキです
高松宮殿下・妃殿下御植樹碑です
梅の館を見下ろしました
説明版です
全国梅サミット友好の梅林
平成20年2月、全国梅サミットが知多市で開催されました。
これを記念し市民会議210円ゆめの会では、全国梅サミット協議会に加盟する自治体の皆様から梅の苗木をいただき、「全国梅サミット友好の梅林」をつくりました。
これからも「佐布里梅」をアピールし、末永く地域間の交流ができることを希望します。
平成21年2月
静岡県熱海市・奈良県奈良市・茨城県水戸市・群馬県安中市・埼玉県越生町・熊本県人吉市・東京都青梅市・和歌山県田辺市・神奈川県小田原市・神奈川県湯河原町・和歌山県みなべ町・福岡県太宰府市・愛知県知多市
一部の梅の花が咲いていました
茨城県水戸市の「月影」です
埼玉県越生町の「紅梅(べにうめ)」ですが赤くありませんね~
神奈川県湯河原町に「冬至」です
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熊本県人吉市の「竜狭小梅」です
群馬県安中市の「白加賀」です
散策道の脇に一輪咲いていました
梅の館まえの「ロウバイ」です
では、次へ行きましょう