新田市野井地区は、太田市役所の西北西約7km、太田市役所新田庁舎の北東約2kmのところ
太田市役所新田庁舎前から東へ進みます、新田庁舎東信号の丁字路を左(北)へ
約1.3kmの信号を右(東)へ、道成りに進んで次の信号を左(北)へ県道322号線です
間も無く左手に生品神社が南向きの参道で鎮座します
鳥居前に駐車場が有ります
太平記の里案内図です
生品神社の社號標です
手前の砂利の駐車場に、新田義貞公の像が有ります
説明版です
国指定史跡 新田荘遺跡
生品神社境内
所在地 群馬県新田郡新田町市野井640他
指定 平成12年11月1日
新田義貞が後醍醐天皇の綸旨を受けて、元弘3年(1333)5月8日、鎌倉幕府(北条氏)討伐の旗挙げをしたところが生品神社境内です。
昭和9年に建武の中興600年を記念して「生品神社境内 新田義貞挙兵伝説地」として史跡に指定されましたが、平成12年に「新田荘遺跡 生品神社境内」として、面積を広げて指定されました。
義貞が旗挙げを行った時はわずか150騎でしたが、越後の新田一族などが加わり、たちまち数千騎となった、15日間で鎌倉幕府を攻め落としたといわれています。
神社境内には、旗挙げ塚、床几塚があり、拝殿のまえには義貞が旗挙げの時に軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの木が保存されています。
現在では、義貞挙兵の故事にならい、毎年5月8日、氏子によって鏑矢祭が行われています。
平安時代に編集された「上野国神名帳」に「新田郡従三位生階明神」と書かれていることから、神社は平安時代には存在していたと推定されます。
平成13年7月
文部科学省
群馬県
新田町・・・*2005年3月28日に平成の大合併により新しい太田市となった
説明版のそばに「史跡 新田義貞挙兵伝説地」の標柱です
駐車所の西端に説明版にあった「床几塚」です
石碑です
社務所の後ろ(西)側に「挙兵塚」です
石碑です
参道を進みます、ニノ鳥居です
参道左手に手水舎です
三ノ鳥居です
参道左手には神楽殿(舞殿)です
参道右側には、説明版い有った新田義貞公が旗挙げの時に軍旗を掲げたクヌギの切株です
説明版です
神代木
此の木は櫟(クヌギ)なり、新田義貞公挙兵の際大中黒の旗を此の樹に掲げ戦捷うぃ祈願す。
爾来鬱蒼と繁茂せり、周囲二丈(6m)余、高さ十丈(30m)にたっす。明治37年6月9日白晝(日中)静穏の時大音響ありて倒れたり、依って其の一部を遺し滋に記念とす。
爾後春秋星霜90有余年風化に依り腐食朽壊の状なり、依って燻蒸処理をしポリウレタン系合成樹脂加工に依り脆弱破損部の強化修復をし最後シリコン材塗布に依り保存処理した。
同時に覆屋も新築して未来永劫後世に遺すものとす。
新田義貞公挙兵666年祭に際して
生品神社
かつて6mに及んでいた幹は、半分くらいの幹周で遺されています
参道左手には、石祠が多数集められています
拝殿です
本殿です
本殿左手には、冨士嶽浅間大神の石碑と祠です、後ろ側のブロックの建物は古御札納所です
では、次へ行きましょう
太田市役所新田庁舎前から東へ進みます、新田庁舎東信号の丁字路を左(北)へ
約1.3kmの信号を右(東)へ、道成りに進んで次の信号を左(北)へ県道322号線です
間も無く左手に生品神社が南向きの参道で鎮座します
鳥居前に駐車場が有ります
太平記の里案内図です
生品神社の社號標です
手前の砂利の駐車場に、新田義貞公の像が有ります
説明版です
国指定史跡 新田荘遺跡
生品神社境内
所在地 群馬県新田郡新田町市野井640他
指定 平成12年11月1日
新田義貞が後醍醐天皇の綸旨を受けて、元弘3年(1333)5月8日、鎌倉幕府(北条氏)討伐の旗挙げをしたところが生品神社境内です。
昭和9年に建武の中興600年を記念して「生品神社境内 新田義貞挙兵伝説地」として史跡に指定されましたが、平成12年に「新田荘遺跡 生品神社境内」として、面積を広げて指定されました。
義貞が旗挙げを行った時はわずか150騎でしたが、越後の新田一族などが加わり、たちまち数千騎となった、15日間で鎌倉幕府を攻め落としたといわれています。
神社境内には、旗挙げ塚、床几塚があり、拝殿のまえには義貞が旗挙げの時に軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの木が保存されています。
現在では、義貞挙兵の故事にならい、毎年5月8日、氏子によって鏑矢祭が行われています。
平安時代に編集された「上野国神名帳」に「新田郡従三位生階明神」と書かれていることから、神社は平安時代には存在していたと推定されます。
平成13年7月
文部科学省
群馬県
新田町・・・*2005年3月28日に平成の大合併により新しい太田市となった
説明版のそばに「史跡 新田義貞挙兵伝説地」の標柱です
駐車所の西端に説明版にあった「床几塚」です
石碑です
社務所の後ろ(西)側に「挙兵塚」です
石碑です
参道を進みます、ニノ鳥居です
参道左手に手水舎です
三ノ鳥居です
参道左手には神楽殿(舞殿)です
参道右側には、説明版い有った新田義貞公が旗挙げの時に軍旗を掲げたクヌギの切株です
説明版です
神代木
此の木は櫟(クヌギ)なり、新田義貞公挙兵の際大中黒の旗を此の樹に掲げ戦捷うぃ祈願す。
爾来鬱蒼と繁茂せり、周囲二丈(6m)余、高さ十丈(30m)にたっす。明治37年6月9日白晝(日中)静穏の時大音響ありて倒れたり、依って其の一部を遺し滋に記念とす。
爾後春秋星霜90有余年風化に依り腐食朽壊の状なり、依って燻蒸処理をしポリウレタン系合成樹脂加工に依り脆弱破損部の強化修復をし最後シリコン材塗布に依り保存処理した。
同時に覆屋も新築して未来永劫後世に遺すものとす。
新田義貞公挙兵666年祭に際して
生品神社
かつて6mに及んでいた幹は、半分くらいの幹周で遺されています
参道左手には、石祠が多数集められています
拝殿です
本殿です
本殿左手には、冨士嶽浅間大神の石碑と祠です、後ろ側のブロックの建物は古御札納所です
では、次へ行きましょう