ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県五泉市、村松甲「猿田彦神社の愛宕庚申杉」(市指定)です!!

2023-03-16 18:30:55 | 巨樹・大木
 村松甲地区は、五泉市役所の南約7km、五泉市役所村松支所の東約1kmの所に猿田彦神社が有ります

 五泉市役所村松支所から大手通りを東へ、国道290線を左(北)へ、直ぐの下町信号を右(東)へ県道17号線です

 約500mの学校町2信号を右(南東)へ、細い住宅地の中を進むと

 猿田彦神社の赤い鳥居と目的のスギが見えました

 鳥居前に車を止めさせて頂きました

 猿田彦神社社殿です

 説明版です
  御堂入 愛宕山 庚申堂の由来
 世に庚申をまつるもの、現世にては無量の災害をまぬがれ、亦願として成就せざるはなし。
 柳々本朝の庚申を祭る由来は、摂津の国、難波の津に「上宮太子」四天王寺、御建立の砌、初めて天降りましませり。
 それより普く諸国に祭る所なり、爰に村松東藩、新室町裏に、年経る庚申塚あり、いつの頃より安置せるや、知る人更になし。
 正徳年中の頃に相墨氏ゆかりの仁なるよし、黄昏時湯灌の穢れたるものを、湿地の萱原へ捨てに行きし処。端正美麗の婦人位冠を正し一人佇み居て申するは、「汝此所へ不浄のものを捨てに来れり、然れども爰は清浄無垢の地にして後七・八十年も、越えぬ内に軒を連ねて繁華の地とならん、疾々他処へ持ち行くべし。是等の理義を知らしめん為め、爰に待っものなり」と云う。
 其時、右の仁、目を怒らし「其方何奴なればあらぬ事をいうて、人を欺くや少しも苦しからず、邪魔をするな」と支るを構わず頓にうち捨てたりし後、其の夜眠る事能わず、独り不思議なさに大小を差し、再度場所へ来り見るに、以前の婦人一人依然として在りて申すに、「汝輩此の穢を早々他へ持ち行くべし」という時に、彼の仁、大きに怒り、「狐狸の分際として何ぞ人をたぶらかす」と、刀を抜いて肩先より脇腹へかけて切落とせり。然れども暗夜にて、黒白も分からぜればそのままただちに帰り、翌日未明に死骸を改めんと尋ね行きしに、女の死骸にあらずして、自然石の塔切られてあり、能々見れば「庚申塚」の文字あり、是はおもいば忽ち目暗みて、前後を知らず。
 揶ありて正気となり、初めて庚申の霊験なる事を知り、頓て塚を築き奉りて現罪をまぬかれしめ賜ひと、誠心に侘び奉り、日ならずして塔を建立して其の身一代怠らず、信仰せしとなん。
 是老人の口碑に伝ふる処なり、今其の切目全く癒て、面に筋あるのみ、其頃より信仰するもの少なからず、霊験も亦日々に新なり。其後信者の協力にて。天保年間に御堂を再建し并て「北信妙見大菩薩道祖神」を相殿として今に至りて百四十餘年の久しきに垂んとす、御堂も亦敗壊におよび、此度御堂を新築せんと欲す、依て信仰者を糾合して講中を結びて祭日毎に聊か金を醸し。それぞれ良法を設けて造営に着手せんとす。
 冀くは四方の有志の諸君講中に御加入あらん事を願上奉り候。  以上
  昭和55年8月10日


 目的の愛宕庚申杉です

 案内板です
  愛宕 庚申杉
 この杉は、学校町より愛宕山の遊歩道の登り口にある。
 猿田彦神社(大正10年学校町より移転)の御神木として町民に親しまれて来ました
 樹齢 約450年 

 もう一枚案内板です
 愛宕神社の裏大門として大杉の下を参拝通路として使用していました。
 大正10年に庚申杉として親しまれて来ました。
 現在御神木として講中で奉って居ます。

 西側から、目通り幹囲5.5mの巨木です


 南西側から

 南側から

 愛宕神社への裏参道です

 では、次へ行きましょう 
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愛知県安城市、安城町拝木「明法寺のイブキ」(市指定)です!!

2023-03-16 06:32:00 | 文化財・樹木
 安城町拝木地区は、安城市役所の東南東約2kmのところ

 安城市役所前から県道45号線を南南西へ、市役所南信号を左(南東)へ

 約1.5kmの南安城駅東信号を斜め右へ、約300mで安城町清水信号の先


 県道78号線沿い左手に明法寺の案内板です

 明法寺の周りには駐車場が無いので、県道向かい側の安城市歴史博物館の駐車場に車を止めさせて頂きました


 境内入口です

 真宗大谷派 明法寺です

 鐘楼です

 手水舎です

 本堂です

 説明石碑です
   真宗大谷派 明法寺
 嘉禎元(1235)年親鸞聖人は関東より帰洛の途中、桑子の柳堂で説法された。この時聞法随喜し上人の弟子となった和田圓善は後に安城の地の念佛の道場を開いた。明法寺である。
 西本願寺にある国宝「安静御影」はかつて明法寺に奉安されていたと伝えられている。「方便法身尊形」は文亀元(1501)年本願寺とり下附されている。安城市指定の文化財である。
 この鬼瓦は、天明2(1782)年に再建された現在の堂宇を飾っていたものである。

 親鸞上人像です


 目的のイブキは、庫裏と本堂の間に裏庭に在りますので樹冠のみ見る事が出来ました

 説明版です
   市指定天然記念物 西明寺のイブキ 昭和50年3月13日指定
 明法寺は、塚本山安静院と号し、真宗大谷派に属します。
 開基は貞治3年(1364)に記された「三河念仏相承日記」に登場する、円善と伝えられます。
 それによると、建長8年(1256)に親鸞聖人の弟子の顕智が、念仏勧進のため三河の「権守殿」のもとに逗留し三河に浄土真宗をひろめました。権守は深く帰依し円善と号しました。円善の弟子は数多く、三河だけでなく北陸でも活躍しました。
 明法寺のイブキは寺の中庭にあるため、境内からは全貌を望むことはできませんが、屋根越しの樹高の上3分の1ほどが窺えます。
 イブキはヒノキの仲間で「柏眞」とも呼ばれ、冬になっても葉を落とさない常緑樹です。
 ヒノキやスギと異なるのは、幹がねじれて伸びていく点で、大きく育った姿はまるで彫刻作品のような迫力があります。この樹の枝を仏花に用いるために植えられたと言われています。
 明法寺のイブキも、明法寺を見渡すように幾重にもねじ曲がり、枝振りはやや東に傾いています。すぐ近くに迫った本堂の基礎を根が巻き込むようにして伸びる姿は、この樹の力強い生命力を感じさせます。
 市内のイブキでは、野寺の本證寺に次ぐ巨樹で、樹齢はおよそ400年と伝えられています。
   樹高   15.00m
   幹周    3.23m
   枝張り 南北 8.7m
       東西10.9m
 (平成28/2016年現在)
     安城市教育委員会


 お地蔵様です

 市指定史跡 中川覚右衛門墓碑の説明版です


 では、歴史博物館に戻りましょう

 家康と一向一揆の特別展が開かれています

 安城市歴史博物館入口です、中を覗くと大勢の見学者がいらしたので遠慮しました

 では、次へ行きましょう
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