大室古墳群の北西端の前方後円墳が「小二子古墳」です
南側の広場から「前橋市指定天然記念物 大室公園のコナラ」です
南東側から、後方に「小二子古墳」の墳丘が見えています
説明版です
前橋市指定天然記念物 大室公園のコナラ
指定年月日 平成23年3月29日
所在地 前橋市西大室町2142 大室公園
本コナラは、小二子古墳の南側で後二子古墳の西にある。コナラ、クヌギ、やムクノキからなる小さな林の南端に位置し、この株の南側は開けた草原になっている。
株は、地上から0.9mで3本に分かれ、中央の主幹は地上から2.7mでさらに2本に分れている。
幹周は3本の幹周の合計として610cm(252+215+143cm)、樹高21.5m、根周り8.82m、枝張り、東西25.7m、南北24.5m、であり、虫害の痕跡もなく樹勢は旺盛で葉の数・量とも多く、成長を続けているものとみられる。
この測定結果は、本件の記録からからみて、県内では幹周の最も大きなコナラに属すると思われる。本コナラが、現在まで存続できたのは、大室古墳群内にあって伐採を免れてきたためであろう。
コナラは、小二子古墳の周辺や大室古墳群の中に数多く存在しており、大室古墳はこの面でも貴重な場所であると考えられる。
なお、大室古墳は赤城山の山体崩壊による「流れ山」の存在と貴重な草本も含む平地林として、古墳群とともに保護されるべき存在である。
前橋市教育委員会
*コナラに関しては、このブログの2017年10月23日に「大室公園のコナラです」で紹介させて頂いております、その時にも各古墳も少しだけ紹介していました。
「小二子古墳」を「後二子古墳」の北西端から見て行きます
小二子古墳の後円部です
後二子古墳で表記した「史蹟 後二子古墳並小古墳」の標柱です、した3文字「小古墳」が小二子古墳の事です
北側から
西北西側から、墳丘に埴輪が並べられています
説明版です
~埴輪のデパート~ 国指定史跡 小二子古墳
小二子古墳は、全長38mと小規模ながらも、2段築成の前方後円墳です。
この古墳は流れ山と後二子古墳に挟まれたせまい空間に造られています。
後二子古墳と同時期に方向を揃えて造られていることから、後二子古墳とかかわりの深い人物の墳墓であると考えられます。
石室は、石を抜き去られたために破壊を受けていました。さいわい入り口部分は、壊されずに残されていて、石室のふさいだ状態がよくわかりませんでした。
石室の前からは、墓前祭祀に用いた土器や火を燃やした跡が見つかりました。こうした様子も復元されています。
小二子古墳からはたくさんの埴輪が発見されました。人物・馬・家・大刀などの形象埴輪や円筒埴輪は、大きく後円部と前方部の2つのグループに分けられ、設置されています。
西側から
前方部に並べられた盾や靫型(矢入れ)埴輪・馬などの象形埴輪です
馬や人物埴輪です
武人の埴輪も並んでいます
.後円部の上にも多くの靫型(矢入れ)埴輪や翳・大刀・鞆・朝顔形円筒埴輪などが並んでいます
説明版です
小二子古墳 (6世紀後半)
この古墳は、後二子古墳とともに「史跡後二子古墳並小古墳」の名称で史跡に指定されています。
墳丘の長さ38mの小前方後円墳で、後二子古墳と西の山の間に向きをそろえてはめ込むように造られています。
〇後円部の埴輪群
家形埴輪の周りに翳(さしば)が立ち、その外側に大刀・靫・鞆・盾が取り囲んでいます。
〇前方部の埴輪群
盛装の男子・武人・巫女・農夫等の人物や馬・盾・靫が並びます。
このような埴輪は、下段に置かれることが多く、前方部上に置かれたこの例は珍しいものです。
〇埴輪の復元
復元した埴輪の種類と数や位置は、下段の平坦面や周堀に崩落していたものから想定しました。
埴輪の位置と形の不確かな部分は色を薄くしてあります。
〇石室
石室は壊されていましたが、全長6m、奥壁部分で幅1.8m、高さ1.8mの横穴式石室とみられます。
石室の入り口は石で塞がれ表面は粘土で覆われていました。
〇墓前のまつり
後二子古墳と同じように、石室の入り口付近に焼土が二カ所あカ、儀式に使われた土器が出土しました。
石室入口です
南東側から
東南東側から後円部です
次は、南側の広場を下って南西側の古民家へ行きましょう
南側の広場から「前橋市指定天然記念物 大室公園のコナラ」です
南東側から、後方に「小二子古墳」の墳丘が見えています
説明版です
前橋市指定天然記念物 大室公園のコナラ
指定年月日 平成23年3月29日
所在地 前橋市西大室町2142 大室公園
本コナラは、小二子古墳の南側で後二子古墳の西にある。コナラ、クヌギ、やムクノキからなる小さな林の南端に位置し、この株の南側は開けた草原になっている。
株は、地上から0.9mで3本に分かれ、中央の主幹は地上から2.7mでさらに2本に分れている。
幹周は3本の幹周の合計として610cm(252+215+143cm)、樹高21.5m、根周り8.82m、枝張り、東西25.7m、南北24.5m、であり、虫害の痕跡もなく樹勢は旺盛で葉の数・量とも多く、成長を続けているものとみられる。
この測定結果は、本件の記録からからみて、県内では幹周の最も大きなコナラに属すると思われる。本コナラが、現在まで存続できたのは、大室古墳群内にあって伐採を免れてきたためであろう。
コナラは、小二子古墳の周辺や大室古墳群の中に数多く存在しており、大室古墳はこの面でも貴重な場所であると考えられる。
なお、大室古墳は赤城山の山体崩壊による「流れ山」の存在と貴重な草本も含む平地林として、古墳群とともに保護されるべき存在である。
前橋市教育委員会
*コナラに関しては、このブログの2017年10月23日に「大室公園のコナラです」で紹介させて頂いております、その時にも各古墳も少しだけ紹介していました。
「小二子古墳」を「後二子古墳」の北西端から見て行きます
小二子古墳の後円部です
後二子古墳で表記した「史蹟 後二子古墳並小古墳」の標柱です、した3文字「小古墳」が小二子古墳の事です
北側から
西北西側から、墳丘に埴輪が並べられています
説明版です
~埴輪のデパート~ 国指定史跡 小二子古墳
小二子古墳は、全長38mと小規模ながらも、2段築成の前方後円墳です。
この古墳は流れ山と後二子古墳に挟まれたせまい空間に造られています。
後二子古墳と同時期に方向を揃えて造られていることから、後二子古墳とかかわりの深い人物の墳墓であると考えられます。
石室は、石を抜き去られたために破壊を受けていました。さいわい入り口部分は、壊されずに残されていて、石室のふさいだ状態がよくわかりませんでした。
石室の前からは、墓前祭祀に用いた土器や火を燃やした跡が見つかりました。こうした様子も復元されています。
小二子古墳からはたくさんの埴輪が発見されました。人物・馬・家・大刀などの形象埴輪や円筒埴輪は、大きく後円部と前方部の2つのグループに分けられ、設置されています。
西側から
前方部に並べられた盾や靫型(矢入れ)埴輪・馬などの象形埴輪です
馬や人物埴輪です
武人の埴輪も並んでいます
.後円部の上にも多くの靫型(矢入れ)埴輪や翳・大刀・鞆・朝顔形円筒埴輪などが並んでいます
説明版です
小二子古墳 (6世紀後半)
この古墳は、後二子古墳とともに「史跡後二子古墳並小古墳」の名称で史跡に指定されています。
墳丘の長さ38mの小前方後円墳で、後二子古墳と西の山の間に向きをそろえてはめ込むように造られています。
〇後円部の埴輪群
家形埴輪の周りに翳(さしば)が立ち、その外側に大刀・靫・鞆・盾が取り囲んでいます。
〇前方部の埴輪群
盛装の男子・武人・巫女・農夫等の人物や馬・盾・靫が並びます。
このような埴輪は、下段に置かれることが多く、前方部上に置かれたこの例は珍しいものです。
〇埴輪の復元
復元した埴輪の種類と数や位置は、下段の平坦面や周堀に崩落していたものから想定しました。
埴輪の位置と形の不確かな部分は色を薄くしてあります。
〇石室
石室は壊されていましたが、全長6m、奥壁部分で幅1.8m、高さ1.8mの横穴式石室とみられます。
石室の入り口は石で塞がれ表面は粘土で覆われていました。
〇墓前のまつり
後二子古墳と同じように、石室の入り口付近に焼土が二カ所あカ、儀式に使われた土器が出土しました。
石室入口です
南東側から
東南東側から後円部です
次は、南側の広場を下って南西側の古民家へ行きましょう
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