上後閑地区は、安中市役所の西北西約10kmのところ
安中市役所前から国道18号安中バイパスを左(南西)へ出ます
直ぐ先の国道18号線の高別当信号を右(北西)へ県道48号線です
道成りに進んで九十九川の花の木橋を渡ると県道216号線です
約1.9kmからは県道215号線となって後閑川の谷へ入って行きます
約5.5km道成りに進むと長源寺の案内板に従て右(北西)へ後閑川の支流の谷へ進みます、こちらが県道215号線です
谷間は花盛りです
谷の東側の県道を進みます
間も無く長源寺の参道入口前の駐車場に入りました
参道入口です
曹洞宗 青木山 元輪番 長源寺です
参道石段を上ると山門です
説明版です
青木山 護国院 長源寺由緒
当寺は、室町時代嘉吉3年(1443年)、信濃の国御嶽の城主「依田信濃守源政知」により創建された。
依田氏は嘉吉元年(1441年)信州より上州に進出し、当地の下後閑に後閑城を築城、以後、3代約100年間居城し当寺を庇護した。
当寺の開山は、曹洞宗総持寺52世「希明清良禅師」が迎えられ、当時新興宗派であった禅宗の教義を当地に伝えたのである。
以来「禅の修行道場」として数多の僧を輩出し、その教線は群馬・長野・新潟・栃木・埼玉など広範囲に渡っている。
徳川時代御朱印30石を賜り、寺有山林300余町歩、末寺門葉180余か寺を有する巨刹として世に知られる。
然るに文化元年山火事により堂宇ことごとく烏有に帰す。
その後檀信徒及び門派寺院協力して名刹の復興に力をそそぎ、現在の諸堂を再建した。
御本尊は釈迦牟尼如来・文殊菩薩・普賢菩薩像を安置し、他に曹洞宗開祖道元禅師ならびに螢山禅師・開山希明清良禅師他の像が奉安されている。
また、寺宝に「天狗の爪」「亀の尾の払子」などがある。
平成9年初夏 山主敬白
*山門東側にエドヒガンの大木が在ったのですが花が咲いていませんでした(日当たりの悪いせいか?)
苔むした石段を上ります
正面に本堂です
左手に鐘楼です
本堂前から境内の桜です
南側には紅シダレです
本堂裏側に廻りました
本堂裏手の桜です
大きさは山門脇の大木には遼に及びませんが、日当たりの良い斜面で綺麗な花を咲かせています
では、次へ行きましょう
安中市役所前から国道18号安中バイパスを左(南西)へ出ます
直ぐ先の国道18号線の高別当信号を右(北西)へ県道48号線です
道成りに進んで九十九川の花の木橋を渡ると県道216号線です
約1.9kmからは県道215号線となって後閑川の谷へ入って行きます
約5.5km道成りに進むと長源寺の案内板に従て右(北西)へ後閑川の支流の谷へ進みます、こちらが県道215号線です
谷間は花盛りです
谷の東側の県道を進みます
間も無く長源寺の参道入口前の駐車場に入りました
参道入口です
曹洞宗 青木山 元輪番 長源寺です
参道石段を上ると山門です
説明版です
青木山 護国院 長源寺由緒
当寺は、室町時代嘉吉3年(1443年)、信濃の国御嶽の城主「依田信濃守源政知」により創建された。
依田氏は嘉吉元年(1441年)信州より上州に進出し、当地の下後閑に後閑城を築城、以後、3代約100年間居城し当寺を庇護した。
当寺の開山は、曹洞宗総持寺52世「希明清良禅師」が迎えられ、当時新興宗派であった禅宗の教義を当地に伝えたのである。
以来「禅の修行道場」として数多の僧を輩出し、その教線は群馬・長野・新潟・栃木・埼玉など広範囲に渡っている。
徳川時代御朱印30石を賜り、寺有山林300余町歩、末寺門葉180余か寺を有する巨刹として世に知られる。
然るに文化元年山火事により堂宇ことごとく烏有に帰す。
その後檀信徒及び門派寺院協力して名刹の復興に力をそそぎ、現在の諸堂を再建した。
御本尊は釈迦牟尼如来・文殊菩薩・普賢菩薩像を安置し、他に曹洞宗開祖道元禅師ならびに螢山禅師・開山希明清良禅師他の像が奉安されている。
また、寺宝に「天狗の爪」「亀の尾の払子」などがある。
平成9年初夏 山主敬白
*山門東側にエドヒガンの大木が在ったのですが花が咲いていませんでした(日当たりの悪いせいか?)
苔むした石段を上ります
正面に本堂です
左手に鐘楼です
本堂前から境内の桜です
南側には紅シダレです
本堂裏側に廻りました
本堂裏手の桜です
大きさは山門脇の大木には遼に及びませんが、日当たりの良い斜面で綺麗な花を咲かせています
では、次へ行きましょう
そして、長源寺に行くきっかけはなんだったのでしょうか?よかったら教えて下さい。
あとひと月ほどしたらまた写真のような景色が見られるのが楽しみです。
素敵な写真をありがとうございました。