中荒井桑木原地区は、南会津町役場の南西約4kmのところ
南会津町役場前から国道121号線に出て、国道を西へ約800mで標識に従って左(南)の宇都宮方面へ
約3kmで男山酒造の先を左(東)へ入って、神社の裏側に車を止めさせて頂きました
西側に廻って旧中荒井分校の校舎です
窓にはサッシ、入口にはシャッターが設置されています(民間工場や倉庫として使用された時期に設置されたもの)
北側にはトイレが有る様なので、南側が教室として使用されていたようです
説明版です
旧荒海小学校中荒井分校
明治5年(1872)8月3日、太政官令布された学制により、同6年に旧糸澤村龍福寺境内に糸澤小学校として荒海地区最初の小学校が創立された。
・明治11年:渡部半平居宅を借受け小学校開設。
・明治12年:中荒井分教室新築。
・大正13年:渡部平助氏の寄贈により、御真影奉安庫新築落成す。
・大正15年:旧校舎取払い、新校舎の新築。
・昭和34年9月、中荒井、糸澤、荻野分校を荒海小学校に統合する。従って、9月30日を以て、中荒井分校は廃止となる。
・昭和37年12月、これまでの汽車通学からスクールバスによる通学となる。「出展:荒海小学校百年誌」
・旧校舎は、企業の生産工場・倉庫等に活用された。
*旧校舎は、平成28年3月1日付で南会津町景観重要建造物指定第1号となる
併せて敷地内の「百年櫻」も景観重要樹木指定第1号となる。
平成30年10月吉日 中荒井区
南西側から目的のシダレザクラです
南側から
説明版です
荒海小学校・旧中荒井分校の「さくら」
位置 南会津町中荒井字桑木原1088番地
種別 シダレザクラ(エドヒガン)
樹高 約10m
胸高周り 2.3m
枝張り 東西13.5m
南北12.7m
標準開花時期 4月下旬頃
樹齢 約115年
植栽の経緯 この地は、かつて旧中荒井分校の跡地であり、教育制度の改革、改変等の長い歴史の中で、記念となるべきものとしての樹木として、また景観樹として国の花として親しまれている「さくら」を植栽し、集落のシンボルとしてきたもので、現在は、この貴重な「さくら」を「百年ザクラ」として愛おしみ維持保護に務めているところです。
ここに立つと、かつて小学生が元気な声を響かせていた頃が懐かしく思い出されて来ます。
平成26年4月吉日 中荒井区
東側から
北側から
西側から見ました
校舎の北側には西向きに子安地蔵堂です
説明版です
子安地蔵堂
南会津町西町出身の漢詩人・杉原夷山(すぎはら・いざん)が編纂した「中荒井村史」には、子安地蔵堂の縁起が書かれている。
それによれば、興意法親王(こうい・ほう・しんのう、江戸時代初期の皇族)が慶長17年(1612)当地を訪れた。親王は、弘法大師が彫った、地蔵菩薩を心から祈っていたら、安産の御利益が授けられた。
そこで、南会津町川島南照寺の修験が、御堂を造立し、子安地蔵菩薩を安置した。安産守護の霊験は、あまねく近郷近在に知れ渡り、多くの参詣者が訪れたとある。
平成30年10月吉日 中荒井区
軒下の額と由来の説明版です
では、次へ行きましょう
南会津町役場前から国道121号線に出て、国道を西へ約800mで標識に従って左(南)の宇都宮方面へ
約3kmで男山酒造の先を左(東)へ入って、神社の裏側に車を止めさせて頂きました
西側に廻って旧中荒井分校の校舎です
窓にはサッシ、入口にはシャッターが設置されています(民間工場や倉庫として使用された時期に設置されたもの)
北側にはトイレが有る様なので、南側が教室として使用されていたようです
説明版です
旧荒海小学校中荒井分校
明治5年(1872)8月3日、太政官令布された学制により、同6年に旧糸澤村龍福寺境内に糸澤小学校として荒海地区最初の小学校が創立された。
・明治11年:渡部半平居宅を借受け小学校開設。
・明治12年:中荒井分教室新築。
・大正13年:渡部平助氏の寄贈により、御真影奉安庫新築落成す。
・大正15年:旧校舎取払い、新校舎の新築。
・昭和34年9月、中荒井、糸澤、荻野分校を荒海小学校に統合する。従って、9月30日を以て、中荒井分校は廃止となる。
・昭和37年12月、これまでの汽車通学からスクールバスによる通学となる。「出展:荒海小学校百年誌」
・旧校舎は、企業の生産工場・倉庫等に活用された。
*旧校舎は、平成28年3月1日付で南会津町景観重要建造物指定第1号となる
併せて敷地内の「百年櫻」も景観重要樹木指定第1号となる。
平成30年10月吉日 中荒井区
南西側から目的のシダレザクラです
南側から
説明版です
荒海小学校・旧中荒井分校の「さくら」
位置 南会津町中荒井字桑木原1088番地
種別 シダレザクラ(エドヒガン)
樹高 約10m
胸高周り 2.3m
枝張り 東西13.5m
南北12.7m
標準開花時期 4月下旬頃
樹齢 約115年
植栽の経緯 この地は、かつて旧中荒井分校の跡地であり、教育制度の改革、改変等の長い歴史の中で、記念となるべきものとしての樹木として、また景観樹として国の花として親しまれている「さくら」を植栽し、集落のシンボルとしてきたもので、現在は、この貴重な「さくら」を「百年ザクラ」として愛おしみ維持保護に務めているところです。
ここに立つと、かつて小学生が元気な声を響かせていた頃が懐かしく思い出されて来ます。
平成26年4月吉日 中荒井区
東側から
北側から
西側から見ました
校舎の北側には西向きに子安地蔵堂です
説明版です
子安地蔵堂
南会津町西町出身の漢詩人・杉原夷山(すぎはら・いざん)が編纂した「中荒井村史」には、子安地蔵堂の縁起が書かれている。
それによれば、興意法親王(こうい・ほう・しんのう、江戸時代初期の皇族)が慶長17年(1612)当地を訪れた。親王は、弘法大師が彫った、地蔵菩薩を心から祈っていたら、安産の御利益が授けられた。
そこで、南会津町川島南照寺の修験が、御堂を造立し、子安地蔵菩薩を安置した。安産守護の霊験は、あまねく近郷近在に知れ渡り、多くの参詣者が訪れたとある。
平成30年10月吉日 中荒井区
軒下の額と由来の説明版です
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