中荒井下三沢地区は、南会津町役場の南西約4kmのところ
南会津町役場前から国道121号線に出て、国道を西へ約800mで標識に従って左(南)の宇都宮方面へ
約3kmで男山酒造の手前、右側に消防の屯所のある横断歩道の先を左(東)へ入ります
約200m先の十字路右に
説明版が建っています
南会津町指定史跡 如活禅師仏塔並びに墳墓
昭和58年5月1日指定
1、所在地 南会津町中荒井字下三沢2391の1
2、面積 1140㎡(墓域)
3、由来 如活禅師の庵跡と伝え寛保元年(1741年)10月1日、禅師の没後、ゆかりの地として墓を建てた。
仏塔は、享保16年(1732年)に禅師が建立した。
*如活禅師(じょかっつぁま!)について
如活禅師は、黄檗宗の禅師で江戸時代、北は南部(現岩手県)南は九州、長崎と諸国を遍歴すると共に、南会津地方でも活躍した医僧で、仏教、医術、易、修験道にも造詣が深かった。
享保4年(1719年)当時の中荒井村を通った際に、眼病を治したのが縁で逗留し、念仏を勧め、優れた医術で人々を救ったとされ、以後黒澤、針生、永田に庵を結んで転々と移り、寛保元年(1741年)10月1日に中荒井で病死し、死期に及んで「われは臨済38世上龍下水如活禅師なり」と身分を明かしたという。
「史跡は、ここより400mの距離です。」
平成25年10月吉日 中荒井区
東へ移動しました・・・
電気柵の前に車を止めさせて頂きました
如活禅師の墳墓はこの奥です
電気柵を開けて進みます
鳥居と祠があります
更に進むと墳墓が見えて来ました
比高8mほどの墳墓です
説明版です
田島町指定史跡 如活禅師佛塔並びに墳墓
昭和58年5月1日指定
1、所在地 南会津町中荒井字下三沢2391の1
2、面積 1140㎡(墓域)
3、由来 如活禅師の庵跡と伝え寛保元年10月1日、禅師の没後、ゆかりの地として墓を建てた。
仏塔は、享保16年(1732年)に禅師の建立したもの。
田島町指定天然記念物 如活禅師墓地のイチイ
昭和58年5月1日指定
1、所在地 南会津町中荒井字下三沢2391の1
2、根まわり、約2.50m、・胸高周囲約2.73m・樹高20m・樹齢250年
*イチイは、サカキ、ヒサカキと共に神饌木として用いられるため、古来より神社、墓地、寺院、旧家の庭などに植えられた。従って、イチイの古木の巨木の存在は、その所在地の歴史を語る証在といわれている。
昭和59年10月1日 田島町教育委員会
*如活禅師については、前の説明版と同じなので省略させて頂きました。
*田島町は、平成18年(2006)3月20日に舘岩村、伊南村、南郷村と合併し、南会津町の一部となりました。
石段脇に木製の句碑です、「西行も 姿や蓮の 阿弥陀笠」何有
石段を上がります
正面に、目的のイチイの木です
如活禅師の墓です、「上龍下水如活禅律師」の文字が彫られています
南南西側から、幹に「町指定 天然記念物 イチイ」の札が掛けられています
南側に離れて見ました
南南東側から
北西側から
那須塩原市のつはぶき俳句会の吟行作品です
墳墓の手前右奥に
「摩訶毘盧舎那佛塔」です
では、次へ行きましょう
南会津町役場前から国道121号線に出て、国道を西へ約800mで標識に従って左(南)の宇都宮方面へ
約3kmで男山酒造の手前、右側に消防の屯所のある横断歩道の先を左(東)へ入ります
約200m先の十字路右に
説明版が建っています
南会津町指定史跡 如活禅師仏塔並びに墳墓
昭和58年5月1日指定
1、所在地 南会津町中荒井字下三沢2391の1
2、面積 1140㎡(墓域)
3、由来 如活禅師の庵跡と伝え寛保元年(1741年)10月1日、禅師の没後、ゆかりの地として墓を建てた。
仏塔は、享保16年(1732年)に禅師が建立した。
*如活禅師(じょかっつぁま!)について
如活禅師は、黄檗宗の禅師で江戸時代、北は南部(現岩手県)南は九州、長崎と諸国を遍歴すると共に、南会津地方でも活躍した医僧で、仏教、医術、易、修験道にも造詣が深かった。
享保4年(1719年)当時の中荒井村を通った際に、眼病を治したのが縁で逗留し、念仏を勧め、優れた医術で人々を救ったとされ、以後黒澤、針生、永田に庵を結んで転々と移り、寛保元年(1741年)10月1日に中荒井で病死し、死期に及んで「われは臨済38世上龍下水如活禅師なり」と身分を明かしたという。
「史跡は、ここより400mの距離です。」
平成25年10月吉日 中荒井区
東へ移動しました・・・
電気柵の前に車を止めさせて頂きました
如活禅師の墳墓はこの奥です
電気柵を開けて進みます
鳥居と祠があります
更に進むと墳墓が見えて来ました
比高8mほどの墳墓です
説明版です
田島町指定史跡 如活禅師佛塔並びに墳墓
昭和58年5月1日指定
1、所在地 南会津町中荒井字下三沢2391の1
2、面積 1140㎡(墓域)
3、由来 如活禅師の庵跡と伝え寛保元年10月1日、禅師の没後、ゆかりの地として墓を建てた。
仏塔は、享保16年(1732年)に禅師の建立したもの。
田島町指定天然記念物 如活禅師墓地のイチイ
昭和58年5月1日指定
1、所在地 南会津町中荒井字下三沢2391の1
2、根まわり、約2.50m、・胸高周囲約2.73m・樹高20m・樹齢250年
*イチイは、サカキ、ヒサカキと共に神饌木として用いられるため、古来より神社、墓地、寺院、旧家の庭などに植えられた。従って、イチイの古木の巨木の存在は、その所在地の歴史を語る証在といわれている。
昭和59年10月1日 田島町教育委員会
*如活禅師については、前の説明版と同じなので省略させて頂きました。
*田島町は、平成18年(2006)3月20日に舘岩村、伊南村、南郷村と合併し、南会津町の一部となりました。
石段脇に木製の句碑です、「西行も 姿や蓮の 阿弥陀笠」何有
石段を上がります
正面に、目的のイチイの木です
如活禅師の墓です、「上龍下水如活禅律師」の文字が彫られています
南南西側から、幹に「町指定 天然記念物 イチイ」の札が掛けられています
南側に離れて見ました
南南東側から
北西側から
那須塩原市のつはぶき俳句会の吟行作品です
墳墓の手前右奥に
「摩訶毘盧舎那佛塔」です
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