ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県南会津町、中荒井下三沢「如活禅師墓地のイチイ」(町指定)です!!

2023-08-18 06:30:15 | 文化財・樹木
 中荒井下三沢地区は、南会津町役場の南西約4kmのところ

 南会津町役場前から国道121号線に出て、国道を西へ約800mで標識に従って左(南)の宇都宮方面へ

 約3kmで男山酒造の手前、右側に消防の屯所のある横断歩道の先を左(東)へ入ります

 約200m先の十字路右に

 説明版が建っています
    南会津町指定史跡 如活禅師仏塔並びに墳墓
      昭和58年5月1日指定
 1、所在地  南会津町中荒井字下三沢2391の1
 2、面積   1140㎡(墓域)
 3、由来   如活禅師の庵跡と伝え寛保元年(1741年)10月1日、禅師の没後、ゆかりの地として墓を建てた。
        仏塔は、享保16年(1732年)に禅師が建立した。
 *如活禅師(じょかっつぁま!)について
 如活禅師は、黄檗宗の禅師で江戸時代、北は南部(現岩手県)南は九州、長崎と諸国を遍歴すると共に、南会津地方でも活躍した医僧で、仏教、医術、易、修験道にも造詣が深かった。
 享保4年(1719年)当時の中荒井村を通った際に、眼病を治したのが縁で逗留し、念仏を勧め、優れた医術で人々を救ったとされ、以後黒澤、針生、永田に庵を結んで転々と移り、寛保元年(1741年)10月1日に中荒井で病死し、死期に及んで「われは臨済38世上龍下水如活禅師なり」と身分を明かしたという。
 「史跡は、ここより400mの距離です。」
     平成25年10月吉日   中荒井区

 東へ移動しました・・・

 電気柵の前に車を止めさせて頂きました

 如活禅師の墳墓はこの奥です

 電気柵を開けて進みます

 鳥居と祠があります

 更に進むと墳墓が見えて来ました

 比高8mほどの墳墓です

 説明版です
   田島町指定史跡 如活禅師佛塔並びに墳墓
     昭和58年5月1日指定
 1、所在地  南会津町中荒井字下三沢2391の1
 2、面積   1140㎡(墓域)
 3、由来   如活禅師の庵跡と伝え寛保元年10月1日、禅師の没後、ゆかりの地として墓を建てた。
        仏塔は、享保16年(1732年)に禅師の建立したもの。
   田島町指定天然記念物 如活禅師墓地のイチイ
     昭和58年5月1日指定
 1、所在地  南会津町中荒井字下三沢2391の1
 2、根まわり、約2.50m、・胸高周囲約2.73m・樹高20m・樹齢250年
 *イチイは、サカキ、ヒサカキと共に神饌木として用いられるため、古来より神社、墓地、寺院、旧家の庭などに植えられた。従って、イチイの古木の巨木の存在は、その所在地の歴史を語る証在といわれている。
    昭和59年10月1日  田島町教育委員会
 *如活禅師については、前の説明版と同じなので省略させて頂きました。
 *田島町は、平成18年(2006)3月20日に舘岩村、伊南村、南郷村と合併し、南会津町の一部となりました。

 石段脇に木製の句碑です、「西行も 姿や蓮の 阿弥陀笠」何有

 石段を上がります

 正面に、目的のイチイの木です

 如活禅師の墓です、「上龍下水如活禅律師」の文字が彫られています

 南南西側から、幹に「町指定 天然記念物 イチイ」の札が掛けられています

 南側に離れて見ました

 南南東側から

 北西側から

 那須塩原市のつはぶき俳句会の吟行作品です

 墳墓の手前右奥に

 「摩訶毘盧舎那佛塔」です

 では、次へ行きましょう


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