先崎地区は、佐倉市役所の西北西約9kmのところ
佐倉市役所は、歴博や二度紹介させて頂いている佐倉城跡の東側です
佐倉市役所東側の国道296号成田街道を北北西へ、佐倉城跡の台地を下ります
約200mの「市役所下」信号を左(西)へ、道成りに進みます
約2.6kmで国道は右へそれますが、そのまま直進し左へ大きくカーブして進みます
約2.3kmで「八千代・印西・国道296号線⇒」の標識に従って信号を右(北西)へ
約600mの「臼井台」信号で、右からの国道296号に合流し、更に北西へ進みます
約1.2kmの「上座」信号を右(北)へ、約1.9kmで三叉路は左(北西)へ
約900mの称念寺前の三叉路を右(西)へ、約400mの先崎地蔵尊前で左(西)へ
間も無く右手に鷲神社参道の案内板がありますので斜め右(北西)へ
東向きの鷲神社境内入口です
右手の道路を進んで、境内北側の道路脇の広場に車を止めさせて頂きました
鷲神社社號標です
鳥居です
鳥居は佐倉市有形文化財指定されています、文面には・・・
鷲神社の鳥居は、江戸時代中期の寛文13年(1673)に建立された石造の鳥居です。
鷲神社別当正覚寺の住職・定宥が建立主となり、江戸深川の石屋五郎兵衛が製作しました。
明神鳥居の形式を持つ鳥居の大きさは高さ388cm、横幅577cmを測り、市内にある石鳥居の中で最大級です。
参道右手に境内社の祠が並びます
保存樹林説明版です
保存樹 佐倉市指定第17号 昭和48年3月1日
区分 樹林
名称 鷲神社境内木
樹種 ケヤキ、イチョウ、モミ、アカガシ、スギ、スダジイ、ヤマザクラ
所在地 先崎1580
樹齢 ケヤキ約1000年(選定時)
その他の木約300~400年(選定時)
伝来等 承平7(937)年に安産の神を祀り神社が創立された。
その際植えられたと推定されるケヤキの巨木を中心に、中世末期(戦国時代頃)に植えられた境内木と共に大切に管理保存されている。
管理責任者 鷲神社氏子総代
令和6年5月 佐倉市
拝殿は、南向きに建っています
立派な本殿です
説明版です
佐倉市指定文化財
鷲神社の本殿・鳥居・ケヤキの大樹
鷲神社の開創は「佐倉風土記」によると「承平7年(937)7月7日、慈恵僧正、朱雀帝の勅を奉じ、来りて此の神を祀る」とあります。
本殿は、天保15年(1844)建立されたもので大工棟梁は立石菊右衛門藤原元隆(八千代市下高野)、柱や本殿四面の彫刻は星野理三郎政一(群馬県勢田)の手によるもので、大江山鬼退治を題材としています。
建立にあたては、近隣の八千代市や印旛村などの人々から奉納金を募ったもので、神社に対する信仰の広がりがうかがわれます。
鳥居は、寛文13年(1673)定宥が建立したもので、作者は深川の石屋五郎兵衛です。
鳥居の形式は明神式で、石造の鳥居としては市内では比類のない大きなものです。
境内にあるケヤキ(二レ科)にお大樹(樹高16m、目通り幹囲6.3m)は、当社開創と共に植えられたものと考えられ、応永年間(1394ー1428)の神社の火災により被害を受けた形跡があります。
市内においてはこのような古木は珍しく、学術上からも貴重な資料といえます。
本殿・鳥居 昭和53年 7月26日指定
ケヤキの大樹 昭和37年12月22日指定
昭和63年3月31日 佐倉市教育委員会
*表記の「群馬県勢田」は「勢多」だと思われます、現在の前橋市周辺の市町村ですね
もう一枚の説明版は、佐倉市民文化資産「先崎鷲神社の神輿及び御輿渡御」です
拝殿の南側に目的のケヤキの大樹です、南側から
「御神木」石柱が根元にあります
東側から
北東側から
佐倉市指定天然記念物 鷲神社のケヤキの大樹」の標柱です、側面の文面には説明版とほぼ同様の内容が記されています
北側から
北西側から、神社の火事による被害と思われる、幹の中央部が枯れています
境内西端には石碑が並びます
では、次へ行きましょう
2024・12・11・13・10
佐倉市役所は、歴博や二度紹介させて頂いている佐倉城跡の東側です
佐倉市役所東側の国道296号成田街道を北北西へ、佐倉城跡の台地を下ります
約200mの「市役所下」信号を左(西)へ、道成りに進みます
約2.6kmで国道は右へそれますが、そのまま直進し左へ大きくカーブして進みます
約2.3kmで「八千代・印西・国道296号線⇒」の標識に従って信号を右(北西)へ
約600mの「臼井台」信号で、右からの国道296号に合流し、更に北西へ進みます
約1.2kmの「上座」信号を右(北)へ、約1.9kmで三叉路は左(北西)へ
約900mの称念寺前の三叉路を右(西)へ、約400mの先崎地蔵尊前で左(西)へ
間も無く右手に鷲神社参道の案内板がありますので斜め右(北西)へ
東向きの鷲神社境内入口です
右手の道路を進んで、境内北側の道路脇の広場に車を止めさせて頂きました
鷲神社社號標です
鳥居です
鳥居は佐倉市有形文化財指定されています、文面には・・・
鷲神社の鳥居は、江戸時代中期の寛文13年(1673)に建立された石造の鳥居です。
鷲神社別当正覚寺の住職・定宥が建立主となり、江戸深川の石屋五郎兵衛が製作しました。
明神鳥居の形式を持つ鳥居の大きさは高さ388cm、横幅577cmを測り、市内にある石鳥居の中で最大級です。
参道右手に境内社の祠が並びます
保存樹林説明版です
保存樹 佐倉市指定第17号 昭和48年3月1日
区分 樹林
名称 鷲神社境内木
樹種 ケヤキ、イチョウ、モミ、アカガシ、スギ、スダジイ、ヤマザクラ
所在地 先崎1580
樹齢 ケヤキ約1000年(選定時)
その他の木約300~400年(選定時)
伝来等 承平7(937)年に安産の神を祀り神社が創立された。
その際植えられたと推定されるケヤキの巨木を中心に、中世末期(戦国時代頃)に植えられた境内木と共に大切に管理保存されている。
管理責任者 鷲神社氏子総代
令和6年5月 佐倉市
拝殿は、南向きに建っています
立派な本殿です
説明版です
佐倉市指定文化財
鷲神社の本殿・鳥居・ケヤキの大樹
鷲神社の開創は「佐倉風土記」によると「承平7年(937)7月7日、慈恵僧正、朱雀帝の勅を奉じ、来りて此の神を祀る」とあります。
本殿は、天保15年(1844)建立されたもので大工棟梁は立石菊右衛門藤原元隆(八千代市下高野)、柱や本殿四面の彫刻は星野理三郎政一(群馬県勢田)の手によるもので、大江山鬼退治を題材としています。
建立にあたては、近隣の八千代市や印旛村などの人々から奉納金を募ったもので、神社に対する信仰の広がりがうかがわれます。
鳥居は、寛文13年(1673)定宥が建立したもので、作者は深川の石屋五郎兵衛です。
鳥居の形式は明神式で、石造の鳥居としては市内では比類のない大きなものです。
境内にあるケヤキ(二レ科)にお大樹(樹高16m、目通り幹囲6.3m)は、当社開創と共に植えられたものと考えられ、応永年間(1394ー1428)の神社の火災により被害を受けた形跡があります。
市内においてはこのような古木は珍しく、学術上からも貴重な資料といえます。
本殿・鳥居 昭和53年 7月26日指定
ケヤキの大樹 昭和37年12月22日指定
昭和63年3月31日 佐倉市教育委員会
*表記の「群馬県勢田」は「勢多」だと思われます、現在の前橋市周辺の市町村ですね
もう一枚の説明版は、佐倉市民文化資産「先崎鷲神社の神輿及び御輿渡御」です
拝殿の南側に目的のケヤキの大樹です、南側から
「御神木」石柱が根元にあります
東側から
北東側から
佐倉市指定天然記念物 鷲神社のケヤキの大樹」の標柱です、側面の文面には説明版とほぼ同様の内容が記されています
北側から
北西側から、神社の火事による被害と思われる、幹の中央部が枯れています
境内西端には石碑が並びます
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