ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県掛川市、伊達方「伊達方の大ヒイラギ」(県指定)です!!

2022-03-20 06:29:27 | 巨樹・大木
 伊達方地区は、掛川市役所の東北東約6kmの所

 県道415号線を東へ、東山口簡易郵便局の手前を右(南)へ

 逆川を渡って二つ目の十字路を左(東)へ

 道路の先左手に掛川市立栄川中学校が有ります

 中学校への道路の次の道路を左に入ると数件先の住宅の生垣に大きな説明版が有ります

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました


ヒイラギです

説明版です
 静岡県指定天然記念物
   伊達方の大ヒイラギ
所在地 掛川市伊達方1175-1
所有者 渡辺家
 ヒイラギは、モクセイ科の常緑小高木で、本州、四国、九州の山中に自生する。雌雄異株で10月ごろから11月ごろに白い小さな花を密生させ、淡い香りを発する。
 この老木には、ほとんどの葉にとげがなく、幼枝に少しとげ葉があるだけで、別の木のように見える。
 渡辺家の天文23年(1554)の記録に見えることから、樹齢400年以上に及ぶと考えられる。
根廻り   3.3m
樹高    7.9m
枝張り東西10.3m
   南北12.0m
昭和46年8月3日指定
  静岡県教育委員会
  掛川市教育委員会




良く解りませんがヒイラギと他の樹木が一緒になっているようです

南東側から

では、次へ行きましょう
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静岡県島田市、千葉「智満寺奥の院と十本杉(国指定)」です!!

2022-03-19 06:36:58 | 巨樹・大木
 智満寺は、島田市役所の北約6kmの所です

 境内回りの、クスノキや杉・イチョウを見て奥の院へ行きましょう

境内西側の薬師堂の前から山頂奥の院への登山道になっています


鳥居脇の説明版です
  智満寺の十本杉(国指定天然記念物)
 智満寺周辺には杉の巨木がうっそうと生い茂っています。中でも特に大きなものが十本杉と呼ばれ、昔から親しまれてきました。
 これらはいずれも、800年から1200年を経たものと推定されています。
名称 目通り太さ 高さ  伝承等
頼朝杉 9.7m 36m 源頼朝のお手植えという。(倒壊)
子持杉 台風で倒れたため現在は残っていない。
開山杉 開山広智菩薩のお手植えという。目通りが11mもあったが幹が折れ、現在は根元だけが残っている。
雷杉  8.5m 36m 木の形が雷神の怒りに似ている。
常胤杉 7.2m 30m 千葉介常胤のお手植えという。
経師杉 7.3m 36m 千葉太郎経師のお手植えという。
一本杉 8.5m 45m 本山中もっとも高い杉である。
盛相杉 7.8m 40m 盛相(行者)のお手植えという。
達磨杉 7.0m 30m 根が太くダルマに似ている。
大杉  9.5m 40m 自然に呼称された。
  (数字は指定当時)
1964(昭和39)年6月29日,国の天然記念物に指定されています。
   島田市教育委員会
*案内図を確認して行きます



奥の院へ行きましょう、登山道の注意書きです
  千葉山山頂奥之院へ登られる方へ
 静寂さと清浄な空気に包まれた山頂奥之院には阿修羅坊さまが住み、本尊千手観音さまを帰依する者を守護すると云われています。
 また、巨木の十本杉はすべて信仰の対象となっています。そのため奥之院は昔から不用な登山と女人の登山が禁制されていましたが、明治37年の日露戦争の際、女性たちの懇願によりその禁制が解かれました。
 日露戦争・太平洋戦争では命賭けの出征者とその御家族が武運長久・無事帰還を祈願されました。
 登山道は檀信徒の奉仕作業により守られています。(ランニング禁止)
 奥之院へ登山できること、健康であること等、感謝の念を持ってお参り下さい。
 尊い祈りの山、霊山ですから礼・拝の気持ちの無い方、静寂さを壊す不謹慎な方の登山はご遠慮下さい。
  智満寺 住職
*注意書きに従って、奥の院のある山頂まで600mほどですので山頂を目指しましょう


木段の参道を進みましょう

間も無く「頼朝杉」の案内板です、平成24年9月2日早朝に自然倒壊してしまったようです

倒壊した頼朝杉の倒壊株が残っています

参道に戻って進みます、右手に建物が見えて来ました


建物は日吉神社です

日吉神社の本殿の様です


白衣観音様の様です

注連縄の巻かれた杉の参道を先へ進みます

鳥居です

鳥居のすぐ先には「大黒天女」様です

ちょうど参道中間点です

中間点のすぐ上に「子持杉」(倒木)の案内板です

倒れているのは子持杉の幹でしょうか

かたわらの子持観音様です

先へ進みましょう

打出の子槌を持っていますので大黒様のようです

まだまだ山道を上って行きます

山頂が近づくと倒木が目立ってきました


赤い祠の観音様の様です

正面の登山道は倒木でふさがれています

ここから右に仮設道を行きます


山頂部を右側から巻くように登山道を進みます

また注意書きです、奥之院へ向かいましょう

少し下ると

杉の巨木です、これが十本杉の一つ「大杉」です

手水舎です

奥の院のお堂です、登山の安全を祈願して、十本杉の残り7本を見て回りましょう

案内板で「十本杉」の位置を確認しましょう

まずは山頂です、倒木に囲まれてしまっています

山頂から「大杉」を見ました

南側から

西側が正面ですね、根元には天然記念物標柱と石仏です

大杉の前の杉の大木ですが、この杉は十本杉には数えられていませんね


お堂の北側には十本杉の中で最大だった「開山杉」があったところにも倒木が有ります

お堂の前を通って西に進むと「雷杉」です、後方に見えるのは「常胤杉」

雷杉を西側から見ました

ここから下って「一本杉」へ行きましょう

「一本杉」が見えて来ました

下側から見あげました、十本杉の中で一番高い杉です


更に下って来ました「経師杉」です

下側から見あげました、ここから一度「一本杉」まで戻ります

一本杉からトラバース気味に東へ進むと「盛相杉」です

右側から見上げました、ここから山道を上って奥の院へ戻ります

奥の院手前から「達磨杉」の北東面が見えました

奥の院が見えました

正面から「達磨杉」です


すぐ山頂側に「大杉」です

では下山して、次へ行きましょう
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静岡県島田市、千葉「智満寺のクスノキ」です!!

2022-03-18 06:27:20 | 巨樹・大木
 千葉地区は、島田市役所の北約6kmのところ

 地区の北の端千葉山(標高496m)の南東面中腹に智満寺が有ります

 国道1号線藤枝バイパスの野田インターチェンジから県道217号伊久美元島田線を北へ

 ここから案内板に智満寺まで7kmです
 
 島田市立大津小学校を過ぎて左の市道に案内板に従って木津谷川を渡って進みます

 *県道は智満寺手前で細い砂利の山道になりますので、案内板に従いましょう

 新東名高速道路を上に見て木津谷川支流に沿って登ります

 新東名高速道路先の案内板です
 
 途中に「縁結びの杉」や「亀石」などの名所がありますが、今日は智満寺奥ノ院まで行きたいのでパスして進みます

 智満寺参道石段下に出ます

天台宗 千葉山 智満寺です

縁起です
  千葉山智満寺縁起
 智満寺は、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の古刹である。
 寺伝によると、神護景雲(767~770)年間、鑑真和上の法孫となる廣智は諸国巡行中、当山で千手観音を威得し
一寺を建立を発願した。
 宝亀2(771)年に、光仁天皇より行基作と伝えられる千手観音を賜り、智満寺を創建した。
 鎌倉時代には、山頂に小堂が建立され、当山の守護神として阿修羅坊大権現が祀られた。
 境内には、日吉山王権現も勧請され、山岳仏教である天台密教寺院の特色がうかがわれる。
 また、源頼朝や徳川家康などの武将が帰依すると同時に、諸堂の中興に尽力し、開運・武運長久の祈願所にもなっている。
 江戸時代に入り仁王門や鐘楼が建立され、現在の伽藍が形成された。
智満寺文化財一覧
1、本堂 天正17年建立 一棟 昭和41年 国指定・重要文化財
1、本尊木造千手観音厨子 慶長10年建立 一基 昭和41年 国指定・重要文化財
1、本尊木造千手観音立像 一躯 昭和25年 国指定・重要文化財
1、阿弥陀如来及び諸尊像刻出龕 一基 昭和25年 国指定・重要文化財
1、智満寺の十本杉 十本の内七本が現存 昭和37年 国指定・天然記念物
1、仁王門 江戸時代初期建立 一棟 昭和31年 静岡県指定文化財
1、中門 天正年間建立 一棟 昭和31年 静岡県指定文化財
1、薬師堂 天正年間建立 一棟 昭和31年 静岡県指定文化財
1、薬師如来厨子(薬師堂内)一基 昭和31年 静岡県指定文化財
1、元三大師厨子(本堂内)一基 昭和31年 静岡県指定文化財
1、木造元三大師(慈恵大師)坐像(本堂内) 一躯 平成22年 静岡県指定文化財
1、紙本墨書称讃浄土経(伝)奈良時代 一巻 昭和37年 静岡県指定文化財
1、金剛力士立像(仁王門内) 一対他三体 昭和59年 島田市指定文化財
   令和3年2月
   島田市教育委員会
   宗教法人 智満寺

参道石段です

参道石段左の滝です

石仏が並びます


千葉山案内図です

 駐車場は尾根を回り込んだ先です、舗装された第二駐車場に車を止めさせて頂きました


第二駐車場から登ります

山道ですね

石仏が迎えてくれます

島田市内を見下ろせます

沢の向側に本堂の屋根が見えて来ました

本堂下から階段脇のクスノキの巨木を見上げました

先ずは仁王門へ行きましょう

細い山道を進むと


仁王門前の石段にはスギの大木です

仁王門です

右に「あ」の仁王様(金剛力士像)です

左に「ん」の仁王様です

仁王門の説明です
 静岡県指定建造物
  智満寺 仁王門
 慶長年間、徳川家康によって造営されたもので、左右には木像金剛力士の立像一対が安置されている。
 構造は、木造和様寄棟造萱葺、間口8.4m、奥行5.5mである。


仁王門の左に目的のクスノキです

手前の杉の前から見上げました、目通り幹囲7.0mの巨木です


仁王門脇から

本堂へ行きましょう

石段の上に中門です

手水舎です



境内右端に鐘楼です

本堂です


静岡県指定建造物
  智満寺 元三大師厨子
 本堂に安置されている元三大師厨子で、寺の縁起によると、比叡山の僧楞厳院は元亀年間、法難をさけ元三大師自作の像を背負って千葉山に遁て来て、一庵を立てて楞厳院と称し像を安置した。
 構造は、木像宮殿造彩色、正面110.9cm、奥行75.7cm。

  千葉山智満寺 豆知識の掲示版です
宗派は 天台宗(総本山・比叡山延暦寺)です。
開創は 奈良時代の宝亀2(771)年です。
開祖は 広智上人です。鑑真和上の孫弟子にあたり多くの弟子がおり、経典書写では最澄や空海もたよりにされた方です。また、民衆からはその徳行から俗に菩薩と呼ばれました。
山号は 当初、宝亀山と言いましたが、源頼朝が家臣の千葉氏に当寺の中興を命じ、その千葉氏の功により千葉山となりました。
ご本尊は 千手観音(国の重要文化財)です。秘仏で本堂中央の宮殿にお祀りされています。千手観音様は慈悲深く、人々の悩みや苦しみをお救いになり,願い事をかなえてくださいます。源頼朝・今川氏、徳川家康等の武将も武運長久を祈願したことから出世開運のご利益はよく知られております。なお、ご本尊の開帳は60年に一度と言われ、前回は平成6年に開帳されました。
ご縁日は 17日です。特に1月17日は初観音の大祭です。
本堂は 桃山時代の天正17(1589)年に徳川家康により再建されてものです。茅の葺き替えは約15年ごとです。湿気や飛来する植物種子の成長などもあり、比較的短期間での葺き替えが必要となりました。
奥の院は 当山の山頂で火坊・開運の阿修羅坊さまをお祀りしております。所要時間は20~30分位いです。
十本杉は 多くは山頂・奥の院付近に点在します。頼朝杉は石鳥居の上の薬師堂の後方に見ることができます。
*頼朝杉は平成24年に倒壊してしまいました、いまは倒壊株を見ることができます。

智満寺の国指定石碑です
建造物 1、本堂附本尊千手観音厨子
 指定 昭和41年6月11日
彫刻 1、木像千手観音立像
   1、阿弥陀如来及諸尊像刻出合龍
 指定 昭和25年8月29日
天然記念物 1、智満寺の十本杉 開山杉・大杉・達磨杉・雷杉・常胤杉、経師杉・一本杉・盛相杉・子持杉・頼朝杉


トイレの影に仁王門と本堂の分かれ道から見上げたクスノキ、目通り幹囲6.6mの巨木です


本堂東側のスギの大木です

庫裏の入り口です


天然記念物標柱と説明版です
  智満寺の大銀杏 跡
 県の天然記念物に指定されていた大銀杏は目通り7m、高さ30m、の巨樹でした。枝葉も繁茂し、幹からは乳状の樹根が垂れ、「乳観音」として婦人からの信仰もありました。
 しかし、地中部分の根の腐りと空洞化によりその重みに耐えかねて平成12(2000)年6月30日、平穏な日でしたが昼前より傾き始め午後5時過ぎに支子を残し、谷方向へ倒れ約500年の樹齢を全うしました。
 現在は、世代交代した支子が成長中です。

支子(二代目)のイチョウです

大銀杏跡の左手奥に天満宮・稲荷社です

本堂裏側の一段ン高い所に湯屋姫権現の社です


本堂西側に薬師堂です

静岡県指定建造物
  智満寺薬師堂
 天正年間、藤枝の・師河村次郎右衛門は…信仰し、医術繁栄し御利益につながる。徳川家が本堂を再建するに際し、薬師堂宇を建立し、天正16年5月8日秘仏開眼法要を行った。
 構造は、和様寄棟造萱葺 5,4m、四面である

では、奥ノ院へ行って見ましょう
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静岡県焼津市、保福島「旭伝院のクロマツ」(市指定)です!!

2022-03-17 06:29:27 | 巨樹・大木
もう一件投稿させて頂きます

 保福島地区は、焼津市役所の西約4kmのところ

 県道30号線を西へ、焼津一丁目信号を左(南)へいちょう通りです

 焼津四丁目信号を右(西)へ、県道222号線青島焼津街道です

 道なりに進んで東海道本線と東海道新幹線を潜って左にカーブします

 間も無く豊田信号を右(北)へ、県道224号大富藤沢線です

 東名高速道路を潜るとほどなく豊田橋で瀬戸川を渡り

 最初の交差点を右(北東)へ真直ぐに進むと右手に旭伝院が北西向き参道であります
 
 道路沿いの駐車スペースを利用させて頂きました

北西向きに旭伝院参道です、右手に大きなマツが見えています

天然記念物標柱です
*1972年5月17日に焼津市指定文化財となりました。

山門です
*田中城に有った不浄門(死者を送り出す門)が移築されたそうです

山門を入ると六地蔵様です

南西向きに本堂です
*旭伝院は山号を田中山と称する曹洞宗の寺です、本尊は小さな延命地蔵尊だそうです。


本堂正面の墓地の中に目的のクロマツです

南東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です
*根廻り5.5m、樹高25m、枝張り20m、推定樹齢約600年
 このマツはクロマツで、市内一の古木です。東側の大枝が切り取られたため、枝張りはやや短いが、藤枝市大慶寺の「久遠の松」静岡県指定天然記念物に匹敵する大樹です。
*「久遠の松」については、このブログの2020年1月31日をご覧ください

南西側から見ました

*北西側にはお墓参りの方がいらっしゃいましたので遠慮しました

では、次へ行きましょう
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静岡県焼津市、大住「大井神社のマツ」(保存樹)です!!

2022-03-17 06:24:37 | 巨樹・大木
 大住地区は、焼津市役所の南西約4kmのところ

 県道222号青島焼津街道を西へ東海道本線と新幹線を潜り

 東名高速道路を潜ると直ぐに子土西信号を左(南)へ

 東名高速道路・東海道本線・新幹線を潜り直して更に南へ

 右側に圓泉寺が有りますので、境内の南側を右(西)へ入ります 

 東向きに大井神社が鎮座します、境内南側の道路脇に車を止めさせて頂きました


神社が見えて来ました

参道入口は田圃の中の鳥居です

神社名は書かれていませんが「神饌幣帛料共進指定社」です

境内に大きなマツが見えています

手水舎です

境内に二の鳥居です、額には大井神社となっています

目的のクロマツです

保存樹標識です、指定番号7ですね

拝殿です

本殿覆い屋です

説明版です
  焼津市大住473番地
   大井神社
1、由緒
 鎌倉時代元久2年(1205年)頃、源頼朝の臣石田富左衛門重成が伊豆より当地に移住して本社を鎮座奉斎せりと云い伝えられる。
 又、近隣の三右衛門新田・中新田・中根・大島・称宜島・土端の願いにより分社された。
1、祭神
 神社本殿
  彌都波能売命(ミズハノメノミコト)
  天照大御神
  菅原道真
 

西側から、目通り幹囲3.7mの大木です

南側から

南東側から


境内社です、左から磯部大神宮・津島神社・秋葉神社です

奥側には竜神大明神です

稲荷神社です

稲荷神社の前には蛇神社です

奥には氷室神社です

では、次へ行きましょう
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静岡県焼津市、大島「八幡宮のヤマモモ」(保存樹木)です!!

2022-03-16 06:56:41 | 巨樹・大木
*今日も続けて二件目を投稿させて頂きます 

 大島地区は、焼津市役所の南南西約6kmのところ

 県道416号静岡焼津線を南へ、下小田で県道は西(右)へ進みます

 しばらく西に進んで道原信号は斜め左(南西)へ、木屋川橋信号からは国道150号線に変わって更に南西に

 栃山川を渡ると間も無く大島信号です、斜め右(西)へ入って道なりに進むと

 上大島信号を右(北)へ、二つ目の十字路を左(西)へ入ると間も無く右手奥に八幡宮が東向きに鎮座します

 鳥居は南向きに建っていますので鳥居が見えました

 手前の墓地の駐車スペースに車を止めさせて頂きました



間も無く境内です

鳥居です

加列 村社 八幡宮です


水盤です

拝殿です

本殿覆い屋です

社殿の南側に目的のヤマモモです

注連縄の巻かれた御神木です

本殿前から、目通り幹囲3.9mの大木です

西側から、大きな洞になってしまっています

では、次へ行きましょう
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静岡県焼津市、下小田「下小田共同墓地のクロマツ」(保存樹木)です!!

2022-03-16 06:55:06 | 巨樹・大木
 下小田地区は、焼津市役所の南約4kmのところ

 県道416号静岡焼津線を南へ進みます

 県道31号焼津榛原線の交差点を東へ、すぐに県道31号線は北へ変えますが真直ぐに進みます

 下小田地区の東端近くの住宅地の中に共同墓地が有ります

 南側が入口になっていますので、前の道路に車を止めさせて頂きました



墓地を覆うように黒松です

保存樹木です、指定番号2です


南東側から

南側から

南西側から

西側から

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静岡県焼津市、焼津「須賀神社のクロマツ」です!!

2022-03-15 06:46:48 | 巨樹・大木
今日ももう一件投稿させて頂きます 

 須賀神社の有る焼津5丁目は、焼津市役所の南西約1kmのところ

 県道416号静岡焼津線を南へ、焼津5丁目信号を過ぎて次の信号の先に

 津波避難タワーが有ります


ここは海抜がわずか1.7mです

 すぐ南側に須賀神社が北東向きに鎮座します、鳥居は県道に面して東側に有ります

 駐車場が無いので、近くのスーパーマーケットに止めさせて頂きました


境内入口です

手水舎です

拝殿です

本殿です

拝殿脇から

西側から

南側から、目通り幹囲3.3mの大木です

境内社の稲荷社です

では、次へ行きましょう
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静岡県静岡市、駿河区小坂「日枝神社のクスノキ」です!!

2022-03-15 06:42:43 | 巨樹・大木
 小坂地区は、駿河区役所の南西約7kmのところ

 丸子池田線を南西へ、安部川を静岡大橋で右岸へ渡ります

 東海道本線と東海道新幹線を潜り鎌田信を左(南)へ県道366号線です

 道なりに進み、東名高速道路と国道150号線そして東海道新幹線を潜った先のT字路を右へ

 国道150号の小坂信号を通り越して、また東名高速道路の下を潜り直して道なりに進みます

 集落の中で安養寺の案内に従って右へ入ります

 安養寺山門のすぐ先に小坂日枝神社が南東向きに鎮座します

 参道脇に車を止める事が出来ました


安養寺山門です

すぐ先の右手に鳥居が見えて来ました

鳥居です

村社 日枝神社です、側面には神饌幣帛共進社の文字も見えます

鳥居下から参道右に目的のクスノキですが、手前の木々の枝が邪魔になってしまっています

西側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

参道奥側から見ました

参道東側には御堂が建っています

水盤です

拝殿です

神社等級認定証です、十一等級神社となっています


本殿です

拝殿前から参道を見ました

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静岡県静岡市、駿河区丸子芹ヶ谷「丸子谷津神社のクスノキ」(市指定)です!!

2022-03-14 06:21:13 | 巨樹・大木
 丸子芹ヶ谷地区は、駿河区役所の西南西約6kmのところ

 丸子池田線を南西へ、安部川を静岡大橋で右岸へ渡ります

 東海道本線と東海道新幹線を潜り鎌田信号を過ぎて、二つ目の信号から県道208号線です

 間も無く「東海道丸子宿」です

 静岡市立長田西小学校の先を南西に入って丸子川を渡った西側に丸子谷津神社が鎮座します

 しかし、住宅地の中を進もうとしましたが、普通車サイズの車が入りません

 手前のしずてつストアの駐車場に車を止めさせて頂いて歩きました 

 丸子川沿いの遊歩道(サイクリングロード)を北へ進むと

橋の西側に神社が見えて来ました

谷津神社です

鳥居です

鳥居脇から目的のクスノキを見ました

水盤です

拝殿です

珍しい二つ並んだ本殿です、左側が稲生神社、右側が谷津神社です

*谷津神社は、永禄9(1567)年に鎮座と伝えられ、古くは八津神社とされており、江戸末期に谷津神社と変更したそうです。
 ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)
*稲生神社は、ご祭神には農業神の「宇気持命」を祀っているそうです


正面からクスノキを見上げました

説明版です
  静岡市指定天然記念物
 丸子谷津神社のクスノキ
 指定年月日 昭和47年2月15日
 所在地 静岡市丸子字芹ヶ谷4790番地
  幹廻り 6.1m 幹直径 1.9m
  樹高 34m
  枝張り 北側12m 東南側28m
      東側14m
  樹齢 約1000年(推定)
 谷津神社のクスノキは樹勢もよく、静岡市の西南部では巨樹・古木として知られる重要のものです。
 クスノキは、クスノキ科に属する常緑の高木です。
 関東以南の暖地、特に海岸に多く分布し、静岡県においては、伊豆地方をはじめとして駿遠地方の暖地にも多く見られます。
 材は建築、造船、楽器、彫刻など広く用いられ、防虫剤や香料として樟脳(しょうのう)や樟脳油も作られます。
   平成5年6月
   静岡市教育委員会


本殿前から


境内社の津島神社です、階段は根の保護を考えたもののようです
*津島神社のご祭神は、猿田彦命です。(一般的に津島神社といえば厄病除けの須佐之男命を祀っています)


津島神社前から


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静岡県静岡市、葵区有東木「有東木白髭神社の大スギ群」(市指定)です!!

2022-03-13 06:27:07 | 巨樹・大木
 有東木地区は、静岡市役所の北約25kmのところ

 県道29号安倍街道で安部川左岸沿いを北へ進みます

 やがて県道29号線は梅ヶ島温泉昭和線と名前が変わります

 それまで安部川左岸を北上して来た県道が平野橋で右岸側へ

 また大川内橋で左岸側に戻ると約2kmで有東木への道を右斜めに入ります

 ここも「いろは坂」の様なつづれ折の道路を進むと


 山葵栽培発祥の地の石碑が有ります
  記念碑建立について
 山葵栽培は、今から遡ること約400年の昔、慶長年間に有東木沢の源流である「山葵山」に自生していたものを、ある時、村人が採集して村内の井戸頭という遊水地に栽培したところ、これが適地であり生長繁殖した。そこで村人達がこぞって栽培に勤み、やがて栽培法は各地に広められたので、ここ有東木を「山葵栽培発祥の地」という。
 慶長12年7月(1607)駿府城に入城した大御所徳川家康公に山葵を献上したところ、その珍味の程に天下の品と嘉賞し、ついに有東木から門外不出の御法度品とした。また徳川家の家紋が葵の紋であったことからもことさら珍重したと言われている。
 延享元年(1744)三島の代官斎藤喜六郎の命を受けた伊豆天城の住人板垣勘四郎が椎茸栽培の師としてこの地に派遣された。任務を終えて板垣は帰国に際し、庄屋が弁当籠に忍ばせた山葵の苗を密かに持ち帰り、栽培したのが伊豆の山葵栽培に始まりと言われており、者の語り草となっている。
 明治10年、有東木山葵の先覚者、望月重太郎の東京での国内博覧会入賞は、安部での山葵栽培を広める契機となり、更に昭和22年
頃から普及した平井熊太郎考案の畳石式田床及び栽培技術の開発により質量ともに向上し「安部の山葵」の名声は益々高まった。
 今日に至るまでには、元禄16年(1702)及び享保5年(1720)の大洪水をはじめ、幾多の台風災害等大自然の暴威にさらされた。しかし、その都度全力を傾注し山葵栽培の伝統を守るべく復旧に尽力した住民や石工達の労苦を忘れることはできない。
 時は流れ、ここに改めて先人の遺徳を忍び、特産品の山葵に対する感謝の念を後世に伝えるべく、平成の改元を期してこの記念碑を建立するものである。
   平成4年4月3日
 山葵栽培発祥之碑建設委員会

 山葵田を見ることができます

地区の案内板ですが、かすれてしまっています
 もう少し進んで左への道で集落の西側の尾根へ上がります

 白髭神社は集落を見下ろすように鎮座します、鳥居前の駐車場を利用しました


有東木集落を見下ろしました

沢には山葵田が作られています

説明版です
 わさびと民俗芸能の里 有東木
 「ここは、大昔、泥の海だった,そこにムギョドリ(セキレイ)がやって来て、尾をチョンチョンと動かして土を固めていた」有東木(うとうぎ)には、そんな昔話が伝えられています。
 また、有東木という地名も、「落人が大きな木のウロ(洞)の中に隠れて難を逃れ、やがてこの地に住み着くようになった。そのウロギがなまって、有東木と呼ばれるようになった。」という伝承に由来するとされています。

 標高およそ500m。山葵栽培発祥の地として知られ、山葵田と茶畑に囲まれた心安らぐ集落景観は、平成24年「ふじのくに美しき品格のある邑(むら)」にも登録されました。

砂防ダムの説明です、三基の砂防ダムで地区を土砂災害から守っています


白髭神社です

村社 白髭神社です


参道入口に杉の大木が見えています①

鳥居です

説明版です
 静岡市指定天然記念物
  有東木白髭神社の大スギ群
 指定年月日 令和2年9月1日
 現在地 静岡市葵区有東木580番地他
 幹周 4.3m~6.6m 樹高約48m
 推定樹齢 約500年
 白髭神社の大スギ群は、白髭神社の境内地に生える生育良好な10本のスギから成り立っている。
 大スギ群の中の最も太いものは、静岡市内で知られているスギの中でも最大級の大きさであり、静岡市を代表する樹木といえる。さらに、同規模のスギが10本生えている神社の社も大変珍しい。
 大正時代の地誌によると、有東木の歴史は500年と記されており。大スギ群の推定樹齢は同地区の歴史に匹敵すると考えられる。白髭神社からは集落を一望でき、大スギ群は有東木の歴史を見守ってきたといえよう。
   令和3年 静岡市教育委員会

参道石段から右手に三本のスギの大木です②③④

手水です

拝殿です

幣殿が無い形です

本殿です

本殿左側の境内社です

本殿右側の境内社です

更に右の境内社です

本殿右側の大木です⑤

本殿前から見上げると二本の大木が在ります・・・⑥

本殿左のスギが境内で一番太い目通り幹囲6.6mの杉です⑦


本殿前から

拝殿左側のスギの大木三本です⑧⑨⑩

では、次へ行きましょう
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静岡県静岡市、葵区俵峰「俵峰白髭神社のスギ」です!!

2022-03-12 03:12:55 | 巨樹・大木
 清水区三保の「伯良神社のクスノキ」が短かったのでもう一件投稿いたします

 俵峰地区は、静岡市役所の北約16kmのところ

 県道27号線安倍街道を北へ安部川左岸の沿って進みます

 新東名高速道路を見上げる様にして更に北へ

 大楠の在る郷島地区を過ぎて約2kmで県道から右の旧道?へ俵沢集落です

 俵沢を渡ってすぐを右(東)へ、俵峰まであと4kmです、賎機北小学校前を通って道なりに進みます

 いろは坂のようなつづれ折りの坂道を那ぼって行きます



 間も無く俵峰集落です、左側に神社の鳥居が見えます



 すぐ先の交差点には石仏や石塔が立ちます、ここに車を置かせて頂きました

少し進んで白髭神社が見えました、すぐ先の住宅前を神社へ向かいます

茶畑の先に神社の鳥居が見えて来ます

近付いて来ました

鳥居を潜ると社殿が見えて来ます

水盤です

拝殿です

本殿は覆屋の中に見る事が出来ました

拝殿右手の境内社です、三つの神棚が祀られています

左側の境内社です

社の間に大木が見えています

拝殿の左側にも大木が見えています

本殿左側に目的のスギの巨木です

拝殿と本殿(右側)の間から見上げました

北側から見ました


本殿左後ろ側の杉の大木です

では、次へ行きましょう
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静岡県静岡市、清水区三保「伯良神社のクスノキ」(保存樹)です!!

2022-03-12 03:07:57 | 巨樹・大木
 今日の投稿から、2022年2月26日の取材分です
 
 ここのところ温かく成って来て、花粉症の私には辛い時期になりました

 取材日も静岡県東部は「花粉が多い」天気予報になっていましたので

 前日から花粉症の薬を飲み始めて、取材を開始しました・・・では

 三保地区は三保の松原で有名な所、清水区役所の南東約3kmのところですが

 清水港を南に迂回しなければなりませんので意外と遠く感じました

 国道149号線を南へ、駒越東町信号を左へ県道199号線を左(北東側)へ入ると三保地区になります

 県道の正面に三保造船の大きな看板が見えます、清水三保郵便局を過ぎて灯台入口信号を右(東)へ入ります

 北側三つ目の路地を左(北)へ、普通車では道幅一杯でした

 細い路地を貫けると右手に目的のクスノキが見えました

 伯良神社境内が駐車場?になっていますので止めさせて頂きました

(グーグルのストリートビューではアパートが有ったようですが更地になっていました)

伯良神社(はくりょうじんじゃ)です

(羽衣伝説に出てくる「伯良」という名前の漁師の住居跡の建てられたそうです)

社の東に目的のクスノキです

保存樹標識です、指定番号 清第22号です

南東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

東側から

では、次へ行きましょう

*ちなみに羽衣伝説は

 世界各地にある伝説だそうです、日本では丹後・近江国風土記が有名ですが

 三保の松原の羽衣伝説は、世阿弥の謡曲「羽衣」からのようです、

 また、かぐや姫伝説と重なる部分もあるようです 
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静岡県小山町、須走「冨士浅間神社の木々」です!!

2022-03-11 06:28:30 | 巨樹・大木
 3月11日は、東日本大震災から11年になります、亡くなられた方の冥福を祈るとともに、防災についても考えなければなりません 

では、冨士浅間神社の大木を見て行きましょう

 浅間神社には「奉雷の杉」や「子授け夫婦杉」・「須走浅間のはるにれ」(県指定)・「根上りモミ」(市指定)等が在りますので見て行きます


参道入口です

冨士浅間神社です

参道右に「奉雷の杉」です

説明版です
  奉雷の杉
 推定樹齢350年で、境内の樹木で最も長寿の杉の一つ。
 平成30年夏、この木が落雷を引き受けてくれて御影で、神社や地域に大きな被害を与えなかった。
 落雷による枯れが少ないことから、雷という圧倒的な偉力に抗したのではなく、雷を奉り遵った=柔和に協和したと考えられ、奉雷の杉と呼ばれる。
 以来、その偉大さ、懐の深さに肖ろうと足を運ばれる方が多く見られる。
*境内で一番太い杉は、鳥居の側に在る目通り幹囲5.1mのもののようですが、写真を撮り忘れました

では、楼門を潜って進みます

楼門を潜ると左手に説明版です
 静岡県指定天然記念物
  須走浅間のはるにれ
 はるにれは北日本の山地に多い落葉高木。本県ではきわめて少なく、小山町では数本しか見当たらないが、当社境内林内には10本観察されている。
 当「須走浅間のはるにれ」は、その中の巨木で、根回り6m、高さ24.5m、枝張り東西28.1m、南北23.5m、樹齢は約500年といわれ、昭和38年に静岡県から天然記念物の指定を受けている。
 花期は、4月~5月、初夏には若葉の輝きに包まれ、目を楽しませてくれる。

左手奥に見えているので行って見ましょう

注連縄が巻かれています

天然記念物の石碑です

説明版です
 静岡県指定天然記念物
  須走浅間のハルニレ
1、根廻り 6.00m 目通り4.00m
1、樹高 24.50m
1、枝張り 東西28.10m 南北23.50m
1、樹齢 約500年
 ハルニレは北海道から九州まで分布しているが、本県では極めて少なく、当町nい数本しか見当たらない。そのうちで一番の巨木である。
1、所在地 駿東郡小山町須走127番地
1、所有者 冨士浅間神社
1、指定年月日 昭和38年2月19日
1、その他 この天然記念物を損傷すると県文化財保護条例第36条により罰せられます。
 昭和61年3月1日
   静岡県教育委員会
   小山町教育委員会



境内外側(南側)から見ました

外側の説明版です、内容は境内側のものと同じですね
 
拝殿前右の杉も注連縄の巻かれた御神木です

裏参道にも目的のスギが有ります

「子授け夫婦杉」です

説明版です
  子授け夫婦杉と貫通石
   貫通石奉納 中日本高速道路株式会社
 根が連なる杉は夫婦杉と呼ばれ、良縁・夫婦和合の御利益があるとされる。
 当社の夫婦杉は御祭神・木花開耶姫命の御神徳・子授けと安産を象ったが如き膨らみがあり、これに肖る祈りの場として根本に祠を設ける。
 祠は貫通石から成り、この石は新東名高速道路・谷ヶ山トンネル工事にて生じたもの、貫通石は、神話の一幕・神功皇后の段より安産を導く縁起物とされる。

裏参道の出口(駐車場側)に「根上がりモミ」です


南側から

説明版です
 小山町指定文化財(天然記念物)
  冨士浅間神社の根上りモミ
1、所在地 駿東郡小山町須走127番地
1、所有者 冨士浅間神社
1、指定年月日 平成3年5月1日
1、概要 根上り 4,6m
     目通り 3,1m
     樹高  約27m
     樹齢 約300年
 このモミは、約100年間の降雨による火山灰土の流亡により根上りになったものと考えられます。
 国内でもとても希少であり、学術上価値が高いと言われています。
 また、モミの根上り群に寄生するブナ、イヌシデ等の樹木は、樹齢約150年と伝わっています。
  平成28年8月1日
  小山町教育委員会


ヤドリギの説明版です
  浅間縁結びの木
 宿り木(やどりぎ)というのは、普通他の樹木に寄生する木をいう。
 この結び木は、宿ったというよりもむしろ根がらみの状態で、モミの大木にブナ・カシがしっかり結びあっている。
 その様は、男と女の結び付きを表象しているようである。
 当社の御祭神 木花開耶姫命様のご加護により、縁結び・安産・子育てのご幸運に恵まれるといわれています。

今日はここまでにして、国道138号線で山梨県へ篭坂峠を越えて山中湖岸を東へ国道413号線で神奈川県道志村を越えて埼玉まで一般道で帰りました、ではまたね~
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静岡県小山町、須走「冨士浅間神社」(世界文化遺産構成資産)です!!

2022-03-10 06:31:05 | 文化財・寺社
 3月10日は、第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)での、東京大空襲の日です、戦争によって一般人が大勢犠牲になったこと、いま、ウクライナに侵攻したロシア軍の問題についても考えさせられます、こんごの安全保障について考えなければいけません

 須走地区は、小山町役場の西約12kmのところ

 国道246号線を西へ、道の駅ふじおやまの手前の菅沼信号を右(北西)へ

 県道151号須走小山線を延々と登ります

 県道を登り詰めた正面に冨士浅間神社が東向きに鎮座します

 国道138号線側に駐車場が有りますので利用させて頂きました



駐車場の境内萬内図で確認しましょう、赤丸が現在位置ですね

索引です

説明版です、基本知識を学習しましょう
  冨士浅間神社
鎮座地 静岡県駿東郡小山町須走126
御祭神 
 主祭神 木花開耶姫命
 相殿神 大己貴命
     彦火火出見命
御由緒
 平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火した。
 当時の朝廷は逃げ惑う住人のため、富士山東面に位置するこの須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行した。
 すると、同年4月初申の日に噴火が収まった。
 この御神威を畏み、報賽するべく、平城天皇の時代大同2(807)年に鎮火祭の跡地・現在の御社殿の地に神様をお祀りしたことが、当社の創建と伝えられる。
 江戸時代、宝永の噴火では、神社と街は約3mの降灰の被害を受けるが、富士登山と交通の要衝として幕府より手厚い支援の下、街を埋めて灰の上に街を復興させ、神社は村民により灰が除去されて現在に至る。
 明治時代、逸早く自動車化が進んだ地域であり、登山安全と相まって、交通安全・道中守護としても一層の崇敬を集める。
 平成19(2007)年には、御鎮火祭1200年を迎え記念式年大祭を斎行。
 平成25(2013)年には、富士山の世界文化遺産登録に際し、その構成資産の一つとして登録された。
冨士山信仰
 霊峰・富士山は、古来より浅間大神が鎮座する神体山として、全国の登拝・修験者が最も尊崇する山の一つである。
 富士山本宮浅間大社(富士宮市)を総本宮とし、全国には約1300社の浅間神社が鎮座する。
 当社は、天正年間開道と伝えられる、かつての東口・いまの須走口登山道の起点として、東口本宮と尊称される。
 須走口は、富士山頂より真東に位置し、おおよそどの位置からでも御来光(日の出)を拝することが出来るのが特徴であり、須走の街からは朝陽で染まった縁起物の赤富士が見られる。
境内末社(六社合祀)
 日枝神社 高尾神社
 山神社  霧島神社
 琴平神社 社護神社
 恵比須大国社(別祀)
境外末社
 須走口9合目鎮座・迎久須志之神社
 須走口本6合目鎮座・胎内神社
 須走口5合目鎮座・古御嶽神社
 (御室浅間神社・雲霧神社 合祀)
 東富士演習場内鎮座・野中神社
 (旧 大日堂)
祭礼神事
 例大祭 5月5日
 開山祭 7月1日
 閉山祭 8月31日
 紅葉祭 11月上旬
「祈年祭・新嘗祭等の恒例祭」
では、東側の参道入口へ行きましょう

鎌倉往還の説明版です
  鎌倉往還
 鎌倉往還は、かつては、鎌倉道などと呼ばれ、幕府所在地の鎌倉から放射状に複数のルートがありました。
 由来については、現在のところ、源頼朝が鎌倉に幕府を開くに至る源平の合戦にその起源をおくといわれています。
 鎌倉時代に鎌倉幕府の御家人や坂東の武者達が、有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道であり、当時の御家人らが鎌倉と自領との往還に利用した道でもあります。
 当時から街道が担ってきた役割は軍用道路としての実質的な目的の他、政治や経済流通としての交易にも用いられ、地方に残る様々な遺物から文化や宗教等も急速に伝えられてことが明らかにされています。
 かつての鎌倉往還は、廃道となっていいたり、拡幅されたり付け替えられたものも見受けられ、また枝道も多くあることから正確なルートについては諸説あります。しかし、未舗装のまま現在に至り、当地のようにかつての雰囲気を偲ばせる箇所も一部に残存しています。
 当地の鎌倉往還は、真直ぐに籠坂峠・御坂峠を越え、甲斐源氏の国の中心、石和へ向かうルートをとっています。
 このように小山町須走は、古くから富士山北麓地域と駿東部を結ぶ交通の要衝として利用されていたことがわかります。
  

参道入口です

冨士浅間神社です、旧社格は縣社です


左には境内から流れる「信しげの滝」です

一の鳥居です、額の文字は「不二山」です

鳥居前参道左手に富士山の「火山弾」です、約1トン、この火山弾は地中の溶岩が噴火の為に空中へ吹き上げられ、落下の際に、酸化・冷却して出来たものです。

手水舎です

楼門(随身門・神門)です

楼門手前左右の岩の上に狛犬です

楼門説明版です
  楼門(御神門)
 二階建ての随身門を特に楼門と呼び上層の周囲に高欄付この縁を回らしている。
 御門の神様である櫛岩窓神(向かって右)・豊岩窓神(向かって左)が随身として配神されている。
 貞享2(1685)年、小田原城主稲葉丹後守が鳥居と共に楼門を修繕したと伝えられる。
 しかし、宝永の大噴火(1707年)に社殿と共に大破し、幕府へ再建の願いが出されている。
 現在の楼門は、明和4(1767)年、随身が寄進された当時のものと考えられる。


参道を進みましょう

参道右側の神馬舎です


こちらの境内末社には、事代主命(恵比寿さま)大国主命(大黒さま)が祀られています


こちらの境内末社には
 日枝神社:大山咋命 金山彦命 素戔嗚命 奥津彦命 奥津姫命
 山神社:大山祗命 火産霊命
 琴平神社:大物主命 水分命 水速賣命 市杵島姫命
 霧島神社:邇邇杵命
 高尾神社:穂見命
 社護神社:大己貴命 月読命
由緒 古い時代より当社境内には、日枝神社を始め多くの神社がそれぞれ祀られてきた。
 そして何度か神社の合併がなされ、昭和33年、現在のように6社がここに合併された。
 その中で、社護神社は最も古く本社の鬼門除とされていた。
 また、氏子崇敬者の信仰篤く「おしゃごつぁん」と称され、親しまれていた。
 毎年中秋名月の夜、神官によて祭典が執り行なわれている。

拝殿手前左にも手水舎です

拝殿です

本殿です

裏参道側から社殿を見ました

では、境内の木々を紹介していきます
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