ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県美郷町、本堂城回本堂町「星山清水のヒバの木(ネズコ)」(町指定)です!!

2022-08-16 14:06:00 | 巨樹・大木
 本堂城回本堂町は、美郷町役場の北約1.5kmのところ

 県道11号角館六郷線を北へ、二つ目の信号を左(北西)へ進みます

 集落の中に、星山清水の案内板や菅江真澄の道の標柱が建っているところを左(南)へ

 突き当りに星山清水があり本堂城回自治会館の駐車場です

 本堂城回自治会館です、雨が強く降っていたので暫く雨が弱まるのを待ちました


目的のヒバの木(ネズコ)です

 星山清水越しに北西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 星山清水案内板です
  星山清水
 この集落の入り口にあたる場所に位置し、本堂城回湧水群の代表的な清水です。
 清水脇にそびえたつヒバの木は、この清水をゴクゴク吸い上げて育つた名木だろうとご近所の方はおっしゃいまう。
 「水の秘めたる力」湧水散策は思考力低下や不安な気分を軽減させ、心理的なリラックス効果をもたらすチカラがあると考えられる。

 雨に濡れて黒光りしています

 根元の文化財標柱には「ヒバ」の文字だけでした

 星山清水等の案内板です、城下町の清水案内図(星山清水付近にあと6か所の清水があるようです)と菅江真澄の遊覧記「月の出羽道 仙北郡二十」の絵図です「枝垂桧の名木」の文字がみられます、1820年代(200年前)すでに大木だったようです
 
“ヒバ”はヒノキ科アスナロ属に属するアスナロとその変種ヒノキアスナロという樹木の両者を指し、これらはいずれも日本固有の植物です。
ヒバは、暗い林内のように日光があまり当たらない環境でも芽を出し生きながらえることができますが、大きく生長するためには日光を浴びる必要があります。ヒバの稚樹は枝を広く張りだして日光を取り入れながら生長します。

やがて林内の環境変化により十分に日光があたるようになると、著しく生長を始めます。ヒバは100年生以上のものを伐採・利用することが多く、一方でスギやヒノキは50年生以上で伐採・利用されることを考えると、成長に長い年月を要することがわかります。
ゆっくりと長い年月をかけて成長するヒバの寿命は一般的に300年といわれています。(東北森林管理局のHPより)

クロベ(黒檜、𣜌(木へんに鼠)、学名:Thuja standishii)は、日本特産のヒノキ科常緑高木。別名はネズコ。ゴロウヒバ、クロベスギ、クロビとも呼ばれることがある。日本の本州と四国にのみ自生する。樹皮は赤褐色で艶がある。葉は鱗状葉で、花は、雌雄異花で藍色、5月頃に咲く。球果は黄褐色である。
 鼠子の名は材色が鼠色なため、木偏に鼠をつけた当て字でネズコと読ませていたようです。
 ネズコはヒノキ科の樹木で、樹皮がヒノキの皮に似た薄黒い色をして剥げ落ちるような形であり、木の葉の色が黒い杉のようなので、別名をクロベ(黒桧)と呼びます。ネズコ材の感触は天然スギに似ています。ネズコの材質はサワラとほぼ同じ程度で神代杉のような色をし、ベイスギと非常によく似ています。収縮率が小さく狂いが少ない反面、光沢には乏しく強度も弱いので構造材には不向きです。(ウィキペディアより)
 美郷町観光情報センターのHP名木・古木では「ネズコ」、現地には「ヒバ」と表記されていましたので、ネットで調べてみましたが、ヒバなのかネズコなのかわかりませんでした


 駐車場南端には「本堂城回小学校之跡」の石碑が有ります

では、次へ行きましょう
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秋田県美郷町、金沢東根柳田「柳田のユリノキ(チューリップツリー)」(町指定)です!!

2022-08-16 06:29:00 | 巨樹・大木
 金沢東根柳田地区は、美郷町役場の南南西約3kmのところ

 県道11号角館六郷線を南西へ、畑屋郵便局の手前の信号を左(東南東)へ

 間も無く右手に住宅と白い農業ハウスの間に大きな木が立っています

 先の交差点を鋭角に戻るように右へ住宅手前を南に入って車を止めさせて頂きました

 南東側から

 南側から

 南側から幹を見上げました


 南西側から、目通り幹囲6.3mの巨木です


 離れて見ます

 西側から

 文化財標柱です「チューリップツリー」とだけ彫られています

*ユリノキは、、モクレン科ユリノキ属に属する落葉高木の1種で、高さ45メートルに達することもある大きな木であり、特徴的な形の葉をもつ。花期は晩春から初夏、オレンジ色の斑紋をもつ黄緑色の花が上向きに咲く。北米東部原産であるが、日本を含む世界各地で植栽されている。
 「チューリップ(のような花)をつける」ことから、チューリップツリーやチューリップノキ、ウッコンコウジュ(鬱金香樹; 鬱金香はチューリップの漢字名)との別名もあ。また花が蓮の花を思わせることから、レンゲボク(蓮華木)ともよばれ、葉の形が特異であり、これに由来するハンテンボク(半纏木)、グンバイボク(軍配木)、ヤッコダコノキ(奴凧の木)、クラガタノキ(鞍形の木)、サドルツリーとの別名もある。
 ユリノキは明治時代初期に日本へ持ち込まれた。萌芽力旺盛で成長が早く、樹形がよいため、街路樹や公園樹として世界各地で植栽されている。日本では街路樹として11万本以上が植えられており、特に関東、東北地域に多い。
 数の上では東京都内が最も多く、岩手県盛岡市内も特に多いことで知られ]、葉に斑が入るものや、枝が横に広がらないものなどの品種が作出されている。東京国立博物館本館前には、ユリノキの巨木がある。ユリノキをモデルとした「ユリノキちゃん」が、東京国立博物館の公式キャラクターとされている。(ウィキペディアから一部抜粋です)


 北西側から


 北北西側から見上げました

 少し離れて見ました

では、次へ行きましょう
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秋田県美郷町、金沢上石神「善巧寺のイチョウ」です!!

2022-08-15 18:43:00 | 巨樹・大木
 ここからは、2022年7月19日取材分です

 朝から雨が降る天気になりました、時々強く降る中の止み間に取材を始めました

 秋田県仙北郡美郷町は、平成16年(2004)に郡南部の千畑町・六郷町・仙南村が合併し発足した、人口約18千人、町役場は旧千畑町役場庁舎に有ります

 金沢上石神地区(旧仙南村)は、美郷町役場の南約8kmのところ

 県道11号線を南へ、赤城信号で左へ国道13号線を南へ進みます

 道路標識の金沢へ左斜めの道路に入ります

 道路が南を向くと道路標識に石神で左(東)へ

 次の一時停止標識で右(南)へまた一時停止が有りますが道成りに南へ

 まもなく右手に善巧寺が有ります、訪問時は境内が工事中でした
 (Googleマップのストリートビューでは境内は杉の木立の中に在りましたが伐られてしまっています)

 (車中泊していた道の駅美郷(旧「雁の里せんなん」から2020年4月1日変更)の北東約1kmのところです) 

 方便山 善巧寺です

 本堂です

 目的のイチョウは境内南端に有ります(東側から)

 東側から見上げました

 「仙南村指定 銀杏 仙南村教育委員会」の標柱です

 北側から、目通り幹囲6.6mの巨木です

 西側から

 乳柱が沢山出ていました

では、次へ行きましょう
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秋田県大仙市、神宮寺「宝蔵寺の大ケヤキ」(県指定)です!!

2022-08-15 12:02:00 | 巨樹・大木
 神宮寺地区は、大仙市役所の北西約6kmのところ

 国道13号線を北へ秋田市方面へ向かいます

 かつての神岡町に入って左(南)へ県道67号線です

 JR奥羽本線(秋田新幹線)の線路を神宮寺陸橋で越えた神宮寺小学校信号を右へ

 次の交差点を左(南西)へ水路沿い一方通行を進みます

 一時停止の交差点で左(南東)へ

 間も無く右手に宝蔵寺の参道が北東向きに開きます

 ふるさと秋田ー歴史と文化探訪・いにしえの羽州コースの標柱です

 参道へ車のまま入って広い駐車場に入りました

 参道正面には地蔵堂です、右へ曲がります

 杉並木に参道を進みます

 参道左手に目的の大ケヤキです

 東側から、目通り幹囲10mの巨木です

 北側から

 西側から


 天保の飢饉供養碑と大槻(欅)の標柱です
  文面は
 天保4年(1833)は巳年の飢渇といってひどい飢饉で、秋田領内では52000人の餓死者が出たと言われ、この碑は付近の餓死者を供養するため神宮寺郡方役屋の蔵方小西総太が、弘化2年(1845)に建てたものである。
 この欅は樹高35m、胸高周囲10m、樹枝は直径約28mのほぼ円形を為しており、樹齢はおよそ500年といわれる。
 古刹宝蔵寺と合わせて古い歴史を物語る名木である。
 

 天保飢饉供養塔です
 
 南側の墓地の中から

 南側には、戊辰戦争戦没者の墓です。
 文面には
 慶応4年(明治元年)明治の新政府連合軍と奥州同盟軍が戦い、ここには政府軍に属していた秋田・長崎・平戸・新庄藩出身で、主として向かいの姫神山系一帯で戦死した12名が埋葬されている。

 観音堂の様です

 手水舎です

 鐘楼です
 
 大きな本堂です

 本堂前から大ケヤキを見ました

 では、次へ行きましょう
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秋田県由利本荘市、猟師町「超光寺・乳下がりのイチョウ」です!!

2022-08-15 06:31:07 | 巨樹・大木
 猟師町は、由利本荘市役所の北西約1kmのところ、子吉川の左岸側です

 大門公園前を北へ進み、左側3つ目の道路を左(西)へ入ります

 突き当りに超光寺の山門が在ります

 右(北)へ入った左手に参拝者用駐車場が有りますので利用させていただきました


 山門です

 真宗大谷派 光明山 超光寺です

 山門を潜って参道を進むと左手に鐘楼です

 正面に東向きで本堂です、ご本尊は阿弥陀如来だそうです

 参道右手庫裏の前に目的のイチョウです

 南側から、目通り幹囲5.7mの巨木です

 本堂前南西側から

 西側から

 北側から

 北東側から

 東側から見上げました

 名前の「乳下がりのイチョウ」の通り幹の周りに多くの乳柱を見る事が出来ました

 では、次へ行きましょう
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秋田県大仙市、協和境下台「唐松神社の御神木杉三本とイチョウ」です!!

2022-08-14 18:42:33 | 巨樹・大木
 協和境下台地区は、大仙市役所の北西約25kmのところ

 国道13号線を秋田市方面へ向かいます

 上淀川橋の次の信号上淀川信号を左(西)へ、すぐ突き当りを右(北)へ道成りに進み

 奥羽本線(秋田新幹線)の踏切を越えて、境集落の中に参道入口が開いています

 北側を回り込む様にして境内の駐車場に入りました

 学びをナビする大仙市の文化財マップです、真ん中下側に「日暮の一本杉」が載っています

 東北東向き参道入口の一ノ鳥居です

 唐松神社社號標です

 参道を進みましょう

 二ノ鳥居です

 参道は杉並木になります

 参道には大きな注連縄を巻かれた杉の巨木が三本並んでいます

 県指定天然記念物標柱です「唐松神社の杉並木」

 奥側の二本です

 手前の一本を北西側から

 参道南側の二本を西側から

 参道右側のスギを南西側から

 駐車場から三本を見ました

 唐松山天日宮の入り口です(後で回りました)

 赤い鳥居が二つ並んでいます

 説明版です
  秋田県指定
 有形文化財(建造物)
  唐松神社奥殿 一棟 昭和48年12月11日指定
 有形文化財(工芸)
  木造獅子頭 一頭 昭和50年4月10日指定
 天然記念物
  唐松神社のスギ並木 昭和48年12月11日指定
   所在地 仙北郡協和町境字下台86・91番地
   所有者 唐松神社・唐松山天日宮
 唐松神社奥殿 
  唐松神社は古くから女性の信仰をあつめ、延宝年間(1673~80)山頂より現在地に移建された。
  拝殿の中に置かれている奥殿は、一間社流造、屋根は杮葺きで、四隅には丸柱を用い、三方に高欄付きの廻し縁、正面に6段の階段をつけている。この建物は、斗栱や軸部などの構造技法、簡素ながら優美な装飾などから、室町末期の建造と考えられる。
 木造獅子頭
  獅子頭は、唐松神社に古くから伝来したもので、全体は黒漆塗、口と眼の周りは朱塗で、室町時代末期の様式を伝えている。
  本県で最も古い獅子頭である。
 唐松神社のスギ並木
  スギ並木は、唐松神社の二の鳥居から社殿にいたる参道の両側にあり、推定樹齢約300年、樹高45m、最大のものは目通り幹囲4.3mである。
  延宝8年(1680)藩主佐竹義処の時代に参道の両側にスギを植えたといわれ、県内でみられる数少ない杉並木の代表的なものである。

 もう一枚の説明版です
   唐松神社
 唐松神社は、古くから子宝・安産祈願の神社として広く崇敬されています。
 社殿は、手前の拝殿とその奥の本殿が一棟となった造りで、本殿の中に県指定有形文化財の奥殿があります。
 拝殿と本殿の建築年代は江戸時代中期(18世紀中頃)、奥殿は室町時代末期(16世紀後半)と推定されています。
 拝殿正面の向背の内側にはには、彫刻を施した梁などの部材が複雑に組まれ、柱に両端に突き出た木鼻には獅子が彫刻されています。奥殿は、屋根が杮葺き、丸柱で、三方に高欄付きの縁がまわり、正面に六段の階段が付いています。向拝内部の梁には、牡丹唐草を彫刻し彩色を施した優美な装飾が見られるなど、全体的に江戸時代の技術や装飾を今に伝える県内の代表的な神社建築の一つです。
 参道の杉並木は県指定天然記念物であり、延宝8年(1680)に藩主佐竹義処が植えたと伝えられていますが、並木の中の特に太いものは延宝8年以前からの天然杉と言われ、樹齢400年以上と推定される巨木も混じっています。
 また唐松神社には県指定有形文化財の木造獅子頭が伝えられています。これは神社に伝わる神楽に使われたものと言われ、室町時代末期(16世紀後半)の製作と推定されています。
   秋田県教育委員会
 
 手水舎です

 奥側の三ノ鳥居です

 参道右側には山の神様です

 唐松山権現社です

 左側には土木建築の神様です

 参道左側のイチョウが目通り幹囲5.0mの巨木です



 境内社が並びます

 手の神様です

 奥には土俵が有ります
 
 参道から一段下がった社殿です

 社殿左奥の松の大木です

 境内南端のスギの大木です

 次は唐松山天日宮です

 参道を戻って、鳥居を南へ入ります

 池の中島に西向きに社殿が有ります

 では、次へ行きましょう

 
 
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秋田県大仙市、協和中淀川木暮狐森「日暮の一本杉」(市指定)です!!

2022-08-14 12:30:34 | 巨樹・大木
 大仙市は、平成17年(2005)3月22日に、大曲市と仙北郡6町1村(神岡町・西仙北町・中仙町・協和町・南外村・仙北町・太田町)が合併し発足しました。旧役場には仙北市支所が置かれています。
 総人口は、約79千人と県内各自治体共に過疎化が心配されています
 市内を秋田自動車道や国道13号線・奥羽本線(秋田新幹線)が南北に走り、大曲地区の雄物川河原では大曲花火大会が開かれます。
 
 協和中淀川小暮狐森地区は、大仙市役所の北西約22kmのところ

 国道13号線を秋田市方面へ向かいます

 旧協和町に入って、上淀川橋信号を左(北西)へ国道341号線です

 奥羽本線(秋田新幹線)の高架を潜って、淀川を渡る淀川橋の手前を左へ入ります

 国道に並行するように西へ進み約4kmの秋田自動車道の・・・

 手前右側の畑の中に目的の一本杉が見えます道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から、秋田自動車道の協和インターチェンジ南側の淀川を渡る橋が見えています

 南東側から
 
 南南東側から
 
 天然記念物標柱です、説明書きが有ります
   大仙市指定文化財
    日暮の一本杉
  平成17年3月1日指定
 中淀川地区に生育するスギで、昭和51年(1976)には「協和町保存の木」に選定された。
 目通り幹囲7.2m、樹高26mに達し、側枝が大きく発達し独特の樹形を作りあげており遠方からもよく目立つ。
 菅江真澄の紀行文「月の出羽路」に「・杉・一本杉」の巨木として紹介されている。
 何度も落雷があったと言われているが、びくともしない推定樹齢300年以上の巨木である。
    大仙市教育委員会

 南側から

 南南西側から

 南西側から


 南側から太い幹を見上げました


 東側から


 東北東側から

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秋田県秋田市、雄和女米木「高尾神社里宮の大杉」(市指定)です!!

2022-08-14 06:42:16 | 巨樹・大木
 雄和女米木地区は、秋田市役所の南南東約20kmのところ

 (雄和市民センターの南南東約5kmです)

 国道13号線を南へ、四ツ小屋入口信号を右(南東)へ、県道9号秋田雄和本荘線です

 県道が南に向き左にJR奥羽本線よつごや駅前を過ぎて岩見川を越え南へ進みます

 日本海東北道の高架を潜って、雄物川が近くなってきます、雄和駐在所前の信号を右(西)へ

 雄物川を水沢橋で左岸側へ、「街道の松」の手前で県道はクランクしながら南東へ進みます

 県道が南を向いた、国道341ごう線との交差点を右(西)へ、間も無く女米木橋を左(南)へ

 道成りに進むと、右側に南東向きに高尾神社里宮の参道入口の赤い鳥居が有ります

 すぐ先の道路(国道341号線旧道)脇に車を止めさせて頂きました

 高尾神社社號標です

 天然記念物標柱です

 説明版です
   里宮の大杉
 高尾神社は、霊亀元年(715)すなわち奈良時代初期に創建されたといわれ、里宮と高尾山頂に本宮がある。
 この里宮境内の大杉がいつごろ植えられたかはつまびらかではないが、征夷大将軍坂上田村麻呂が、戦勝を祈願して植えたものと伝えられる。
 またその時の武将が軍船を川岸の杉に繋いだのがこの大杉であるとの説もある。
 現在、女米木田んぼの東のはずれを流れる雄物川は、悠然とこの高尾山麓を流れていたのかもしれない。
 樹齢は1000年以上、たぐいまれなる堂々たる大杉は御神木として広くあがめられている。
    平成17年 秋田市教育委員会
 
 鳥居の左手には庚申塔などの石塔が並びます

 鳥居を潜ると右に目的の大杉です

 南西側から、目通り幹囲6.2mの巨木です

 西側から

 参道左側にも杉の大木です(北側から)

 すぐ先には特徴的な杉です、計り方によっては巨木サイズですね

 西側から

 長い参道を進みましょう参道は社殿前まで車で入る事ができます

 手水舎です

 鐘楼が有ります

 社殿です

 では、次へ行きましょう

 

 

 
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秋田県秋田市、雄和相川「街道の松・三本」(市指定)です!!

2022-08-13 12:16:02 | 巨樹・大木
 雄和相川地区は、秋田市役所の南南東約13kmのところ

 (雄和市民サービスセンターの南東約2.5km)

 国道13号線を南へ、四ツ小屋入口信号を右(南東)へ、県道9号秋田雄和本荘線です

 県道が南に向き左にJR奥羽本線よつごや駅前を過ぎて岩見川を越え南へ進みます

 日本海東北道の高架を潜って、雄物川が近くなってきます、雄和駐在所前の信号を右(西)へ

 雄物川を水沢橋で左岸側へ、更に県道9号線を雄物川に沿う様に南東へ

 高野集落手前で県道を右に分け、集落内の道路を道成りに進み銅屋集落を過ぎた・・・

 道路左に目的の「街道の松」が在ります前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 西側から

 説明版です
   街道の松
 この松並木は文政年代(1818~1831)に、相川の徳右衛門家ゆかりの正治郎氏の篤志によって、五穀豊穣と通行人の安全を祈念して植えられたものと伝えられている。
 往時は、道路の両側に数十本あって見事な松並木を形成していたが、現在は三本を残すのみとなり、大切に保存されている。
 ここから先の相川野は、かつてはつつじの名所としてその名を県下に知られていた。
 俳人・石井露月は、その一面のつつじが原を晩年の句に鮮やかに詠んでいる。
   野花ゆく 耳にきのふの 峡
 平成17年 秋田市教育委員会

 文化財標柱です

 そばには庚申塔が並びます

 南側から、目通り幹囲3.3mの大木です

 南東側から


 道路向かい側にもう一本の松です

 北側から

 東側から


 更に南東側にもう一本の松です

 東側から

 南側から

 では、次へ行きましょう

 

 
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秋田県秋田市、四ツ小屋小阿地「白山八幡神社のケヤキ二本」(保存樹)です!!

2022-08-13 06:30:31 | 巨樹・大木
 四ツ小屋小阿地地区は、秋田市役所の南南東約8kmのところ

 国道13号線を南へ、四ツ小屋入口信号を右(南東)へ、県道9号秋田雄和本荘線です

 まもなく県道が南に向き左にJR奥羽本線よつごや駅が有ります

 直ぐ先の信号を左(東)へ、駅の南側の踏切を渡ります、間も無く正面に大きなケヤキが見えます

 白山八幡神社が東向きに鎮座します、南側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側の参道入口です

 鳥居です、懸額には白山と八幡が並記されています 

 参道南側のトチノキの大木です

 参道北側のメタセコイアです


 上水道記念碑と感謝の碑です


 境内社です

 拝殿です

 軒下の額も、八幡宮と白山宮が並びます


 本殿です
 
 説明版です
   白山八幡神社
1、所在地 秋田市四ツ小屋小阿地字坂ノ下7
1,祭神 八幡大神
     白山比咩大神
1,由緒 創建の年代は不詳であるが、安永3年(1774)9月、寛政5年(1793)9月、文化元年(1804)、文政2年(1819)等の社殿改築の棟札が残されている。
 なお、年代は不詳であるが、堀井三郎右衛門の氏神であった八幡大神、鈴木孫作の氏神であった白山比咩大神を合祀されたと伝えられている。
 社殿に張る幕に、秋田藩主佐竹家の家紋である五本骨の扇がしるされているが、佐竹家との深い関連があったものと推考される。
 また、明治21年に奥宮を新造した際、神を安・した。
   平成元年10月
   秋田市制百周年記念四ツ小屋実行委員会
 (明治21年の項目は、本殿を新築し、拝殿内に祀られていた神体を遷座したことが書かれています)

 社殿南側から二本のケヤキを見ました

 手前のケヤキを東側から

 保存樹標柱が倒れています、(にれ科)と昭和49年10月11日  62号の文字が確認できます

 北側から目通り幹囲5.0mの巨木です

 南西側から

 南側から

 奥のケヤキを北東側から

 北側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 南側から

 南東側から

 二本を南側の公園から見上げました

 北側にもケヤキが有ります、そばに以前は目通り幹囲6,5m・5.9mの巨木が有ったようですが・・・

 では、次へ行きましょう
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秋田県秋田市、豊岩豊巻「豊平神社のケヤキ」(保存樹)です!!

2022-08-12 18:34:28 | 巨樹・大木
 豊岩豊巻地区は、秋田市役所の南約8kmのところ

 県道56号秋田天王線を南へ道成りに進み、雄物川を秋田大橋で左岸側に渡ります

 大森山動物園信号を左(東側)へ県道65号寺内新屋雄和線です

 JR羽越本線を陸橋で越えて、道成りに進んで南を向くと豊巻バイパスとなります

 道路右側に豊岩小・中学校右の案内板が有ります、右(西)へ進むと

 正面に赤い鳥居が見えて来ました、参道入口脇に車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 鳥居を潜ると参道左に目的のケヤキです

 保存樹標柱です、ケヤキと参道のスギが指定されているようです

 東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 南側から

 西側から

 北側から

 
 狛犬です

 参道左の大きな石碑は列格記念碑です
  
 内容は・・・巨杉森列し高岡清幽なる所祠殿あり、これわが豊平神社なり、祭神の聖徳太子を主神とし、尊像は太子の自作なりと伝え、地方屈指の古社なり、中世安東李林の守護神となり、近世にいたるに赤田是山和尚霊夢にゆかりて祠堂を再建せり、由来神徳あきらかにして、大方の崇敬浅からず。
 然るに明治初年無各社に指定せられ、以て今に及べり、郷閭皆以て憾とし、村長武藤喜市郎氏列格の議を出願せり、息一郎氏また先君の遺志を招き誠心事に当たり、総代田口佐治右衛門氏これを援けて大いに祭祀維持のたからを豊かにし嚮住益にはからかす、これをもって遂に官の聴く所となり、大正10年6月7日村社列格の恩命に欲し、次いで指定神社となるを得たり。一郷和楽以てその恵澤に感孚す。
 仰祭神聖徳太子は我が国文化の権化にして、その功徳世に治きは皆人の知る所なり、あたかも今歳は太子の死後1300年にあたり、全国みな遺徳を欽仰するに際し、本社列格の典を挙ぐ、当に是れ上神慮に対へ下民心によろこぶと言う可く洵に稱揚す可き美事くり茲に郷人相謀り碑を建てそのこと功を述べ神霊のたたえとあわせ併勒してこれを永遠に伝う。
   対象10年8月21日  泰城 小林謙吉 篆額選並書  倉田鹿峰刻・・・と有ります
 *自郷の神社が列格出来なかったことがどんなに悔しかったことか、又、列格出来たことの嬉しさが見て取れますね

 参道右手の境内社です

 参道を進みます

 手水舎です

 石段下のスギの大木です

 石段を上がって参道を振り帰りました

 拝殿です

 本殿です

 拝殿前のスギの大木です

 境内南側から、ケヤキを見下ろすように見ました

 では、次へ行きましょう





 

 

 
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秋田県秋田市、新屋表町「天龍寺のケヤキ」です!!

2022-08-12 12:17:32 | 巨樹・大木
 新屋表町は、秋田市役所の南南西約5kmのところ

 県道56号秋田天王線を南へ道成りに進み、雄物川を秋田大橋で左岸側に渡ります

 新屋歩道橋を過ぎて三つ目の信号を右斜めに戻るように入ると県道65号線です

 間も無く左カーブの外側に天龍寺が在ります

 向かい側に駐車場が有りますので利用させて頂きました

 山門前石段です

 境内にはケヤキの樹幹が見えています

 山門です

 正面に本堂です

*曹洞宗の寺院ですが、ネットで詳しく調べられませんでした

 左手に六地蔵様です



 庫裏の裏側の墓地の外周にはケヤキの大木が並びます

 中には枯れた幹も見られます

 本堂の裏側に廻って来ました、目的のケヤキです

 南東側から

 東側から、目通り幹囲6.3mの巨木です

 北東側から

 北側から

 北西側から見ました


 では、次へ行きましょう
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秋田県秋田市、上新城五十丁「眞山神社のケヤキ」(保存樹)です!!

2022-08-12 06:34:13 | 巨樹・大木
 上新城五十丁地区は、秋田市役所の北北東約8kmのところ

 国道7号線を北へ、相染こ線橋北信号を右(東)へ、羽越本線の踏切を越えて、先の三叉路は左へ

 県道231号上新城土崎港線を道成りに進みます、上新城に入って秋田秋田自動車道の高架をくぐると

 新城川に沿って進みます、上新城郵便局を過ぎると次が五十丁集落です

 集落の東端に眞山神社が西向きに鎮座します、境内には上五十丁公民館が有ります

 参道入口脇に車を止めさせて頂きました

 狛犬です

 保存樹標柱には「けやき(にれ科)」とあります

 境内社です

 拝殿です

 北側には社務所を兼ねて地域の公民館です


 本殿です
  眞山神社(しんざんじんじゃ)

鎮座地 秋田市上新城五十丁字大木前
祭神  瓊瓊杵命、天照皇大神、大己貴命、少彦名命、応神天皇、菊理比姫命、金山彦命、香土神、日本建命、中津比売神
祭礼日 5月5日
由緒  創立年代不詳なれども明治44年7月29日、字小林村神明社、字中山無各社八幡神社、字小林無各社三嶽神社、字若宮村社八幡神社、字堂ノ前無各社香土神社及び字瀧の下無各社堂殿神社、字雷電無各社神明神社を合併した。
 字瀧ノ下無各社瀧本神社、字堂ノ前無各社小又神社、字高ノ屋無各社神明社、字堂ノ前村白山神社を合併す。
  *秋田県神社庁のホームページより、各合併された神社の神々が多くの祭神となっています



 公民館から拝殿への渡り廊下に先に目的のケヤキが見えました

 北東側から、目通り幹囲7.5mの巨木です

 北側から

 北西側から

 渡り廊下脇から

 では、次へ行きましょう
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秋田県秋田市、仁別自然休養林「森の巨人たち100選、めおとスギ」です!!

2022-08-11 18:56:50 | 巨樹・大木
 仁別自然休養林は、秋田市役所の北東約17kmのところ

 県道26号線の二丁目橋信号を左(北)へ県道233号土橋港秋田線を道なりに進みます

 千秋トンネル通りの信号を右(東)へ千秋トンネルを潜り、千秋城下町信号で県道28号秋田岩見船岡線に出て

 JR羽越本線の高架を潜って間も無く手形山崎町信号を左(北)へ県道15号秋田八郎潟線です

 道成りに進んで、からみでん信号を右(北)へ県道15号線が曲がります

 やがて秋田自動車道の高架を潜るころ、旭川沿いを走るようになり東へ向かいます

 道成りに進むと旭川ダム公園の手前、仁別自然休養林への入り口です

 案内図です(入口部分が省略され過ぎています)目的地の仁別森林博物館まで、まではまだ9kmありますね

 ここから仁別林道です、道成りに旭川の谷を縫って進みます

 大きなモニュメントです、まだ5kmあるようです

 広い駐車場です

 先に進んで、仁別森林博物館入り口です

 仁別森林博物館です

 蒸気機関車です

 説明版です
 この蒸気機関車は、大正10年(1921年)にアメリカ・フィラデルフィアのボールドウィン社で製作され、北海道の留辺蘂営林署の森林鉄道で木材運搬用として活躍していましたが、昭和42年(1967年)の仁別森林博物館開設時に秋田営林局(現東北森林管理局)が譲り受け、展示しているものです。
 森林鉄道による木材運搬は、昭和40年代前半でトラック輸送の切り替えられましたが、蒸気機関車は、明治末期から昭和20年代前半までは木材輸送の花形的存在でした。
 けん引重量35t、けん引貨車10台、積載量一台約5.5㎥(一列車約55㎥)
 *この蒸気機関車の同型機が、林野庁森林技術総合研修所林業機械化センター(群馬県沼田市根利町根利・写真左側)と中部森林管理局木曽森林管理署の赤沢自然休養林内(長野県木曽郡上松町、写真右側)にそれぞれ1台保管されています。
  

 杉の丸太の展示です
  天然秋田杉の樹皮 
 膚名 ・ 樹皮の特徴 ・ 材質
 松膚 樹皮の形が松の皮に似ており、柔らかく折れやすい ・ 材質は柔らかい
 赤膚 樹皮の色が朱赤色であり、薄くはがれる ・材質は赤身が多く堅い
 白膚 樹皮に白粉がおびている ・ 良質木が少なく材の色も白っぽい
 黒膚 樹皮がひもを並べたような溝になっている ・ 成長はよいが製材すると黒く変色するものがある
 網膚 樹皮が網目のような形をしている ・ 色調がよく柾割として重用される
 離膚 外皮が縦に離れ上の一部分だけ幹についている ・ 材質はふつうだがねじれのものがある

*いままで気にも留めていませんでしたが、注意して樹皮も観察したいと思います

 秋田県仙北郡五城目町馬場目国有林きく石です

 清酒の仕込み樽です

 先ほどの駐車場へ戻って「めおと杉」へ


 歩いて行きましょう

 務沢駅跡の標柱です

 大きな池があります

 スイレンの花が綺麗に咲いています

 車道から遊歩道への入口です

 めおと杉まで240mです

 落石や倒木が邪魔をしています

 橋を渡ります


 川の流れは穏やかですね

 遊歩道を進みます

 右手の林の中に大きな幹が見えました

 特異な形は目的の「めおと杉」です

 東へ回り込むように進んで

 めおと杉への入り口からめおと杉を見ました

 広場入口から

 正面から見上げました

 森の巨人たち100選の表示版です
 No15「めおとスギ」
 ■樹種 / スギ
 ■推定樹齢 / 200~300年
 ■樹高 / 36m
 ■幹周 / 12m
 林野庁/ 秋田市仁別自然休養林保護管理協議会
     巨樹・巨木保護中央協議会

 説明版です
  めおとスギ
 この木は「森の巨人たち100選」に選ばれた天然秋田スギです。
 200年以上たったものと推定されます。
 新しい2本のスギが立派に育ち根元の古い根株が腐れたものです。
 山仕事をする人達は、このような形の木を山の神木とし祀ったものです。
  樹高 右方 35m(女木)
     左方 37m(男木)
  幹回り   12m
 
 右側から

 左側から

 自然休養林の中には多くの樹種が見られますので、少しうろうろしてみます

 めおと杉の路です

 トチノキです

 秋田スギ成因の説明1です
 秋田スギの天然林は実生(みおい)、立条(りつじょう)および伏条(ふくじょう)によって、すでに林の中に生えていた小さい若木が、その上にかぶさっていた草や木が倒れて、十分な日光を受けるようになると旺盛な成長をはじめて、現在のような林に生育したものと想像されます。
 この付近のスギは、母樹の根元に近いところから出た枝が積雪などによっておし下げられ、地面に接したところから発根して独立の林木として成長したものと思われます。これを伏条といっております。
 
 2です
 立条は、根元にある枝が直立してできたもので、長年の間主木(親木)から養分をうけていたが、立木が伐採されるとこんどは地中の養分を親木の根から直接うけて、一人前に成長したものです。
 従って伏条のように自分の根を持っていないのが通常であります。

 トチノキに説明です
 一般の中腹以下の肥沃地に生育する木で高さ30m胸高直径2mもの大木になることがある落葉高木です。
 6月中旬頃、白い穂状の花を新しい枝に枝につけ、実は加工して食用とするほか、材は家具、机、盆などに利用されます。
 街路樹として有名なパリのマロニエはこの木のことですが、わが国でも街路樹として植えられています。


 森の木々を見ました 

 では、次へ行きましょう
 
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秋田県秋田市、太平黒沢「勝手神社のスギ」です!!

2022-08-11 12:01:06 | 巨樹・大木
 太平黒沢地区は、秋田市役所の東北東約11kmのところ
 
 県道26号線の二丁目橋信号を左(北)へ県道233号土橋港秋田線を道なりに進みます

 千秋トンネル通りの信号を右(東)へ千秋トンネルを潜り、千秋城下町信号で県道28号秋田岩見船岡線に出て

 JR羽越本線の高架を潜って県道を東へ道なりに進み、日本海東北道の下を潜り

 三吉神社総本宮一ノ鳥居手前の信号を右(東)へ、まだまだ県道28号線です
 
 間も無く太平駐在所を過ぎると太平集落をよけるように南へ県道が廻り更に東へ

 低い丘の様な登りの先で下り始めた道路左手に鳥居が見えて来ます

 鳥居前の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 村社 勝手神社の社號石碑です

 説明版です
   勝手神社由緒略記
 社名  勝手神社
 祭神  受髪神 天照大神 宇迦魂神
 鎮座地 秋田市太平黒沢字払川23番地
 例祭日 春4月6日宵宮祭 7日例大祭
     秋9月7日宵宮祭 8日例大祭
由緒 神社の創建は古く、かつては金峰山勝重寺とも称し、鎌倉時代御家人上杉安房守、古山内采女之助が法力館にこもるとき、軍神として大和国吉野勝手明神を勧請したと伝えられる。
 その後、明暦2年(1655)4月には森沢に金根宮として遷され、寛文6年(1666)7月には本願人渡辺主殿助、綱田野半左衛門、当村弥左衛門らが相議て、その地より再び遷宮をして現在地に建立されたものである。
 この間、城代家老戸村十太夫は特に崇敬の念が篤く、十六の御尊体を寄進したと云う。
 また神殿の中には古い仏頭が納められており、一に運慶の作と今に伝えられている。
 明治5年(1872)には村社に列格されたが零落著しく、明治8年1月に再建される。
 明治42年(1909)11月に館越鎮座の神明社と稲荷鎮座の稲荷神社を合祀する。
 昭和58年8月には、本殿、幣殿、舞堂の屋根を全て銅板葺に改修し、翌年8月には大鳥居が再建されて現在に至る。
 本社は氏子に崇敬も篤く村中こぞって参詣もあとを断たないが、文化年中には、秋田藩主佐竹義和公はじめ、那珂通博、菅江真澄、淀川盛品らの武士から文人墨客の参詣宗・があり、近代には農林大臣町田忠治らの参詣もあった。
 古くより勝手明神として崇められ、勝利成功の神格を有することから特に武家に信仰されてきたものである。
 また男児、女児いずれも子守の神として心身健康を守護し給う神とされている。
 境内に樹齢約300年の杉並木の存し神苑一層の荘厳さを極めている古社である。
古儀伝承(特殊神事) 春秋の祭典には飯の外に火食を断ち、生汁を調することが古例であったほか、たくあんがっこ、おぼこ餅を神前に供するものである。
 氏子中に男子が生まれると弓矢奉納し、女子の出産には菖蒲を植えるのが習わしである。
 氏子中の黒沢部落は其の特産地として当地でも稀なるものであるが、産土勝手明神の授け給える技術として、これを信奉して、この生業を他郷にて営むことを固く戒められてきたものである。
社家 社家は一明院法印光善、番場伊賀守、周防守と棟札にみえており、現在は番場氏が宮司を司さどっている。
境内神社 大山祇神社、金山彦神社、菅原神社に三社を祀り、俗に三宝荒神とも称される。
    昭和60年4月7日
    黒沢部落


 参道石段です

 狛犬です

 石段の左手に目的のスギです、手前の幹は途中で折れて、寄生木が大きくなっています

 南東側から、目通り幹囲7.9mの巨木です

 東側から

 北東側から

 北側から

 参道を進みましょう

 右に境内社です

 参道右手のスギの大木です

 参道は建物(社務所?)の建物の真ん中を抜けて行きます

 更に石段が続きます、赤いコーンがあるのは参道脇のスギの根が石段を動かしたための安全対策です

 ここにも狛犬です

 手水舎です

 社殿です

 境内には境内社のほかに石塔や石灯篭が並んでいます

 では、次へ行きましょう


 
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