ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県阿南市、加茂町龍山「太龍寺参道の杉と守護の大杉」です!!

2024-07-26 12:48:20 | 巨樹・大木
 加茂町龍山地区は、阿南市役所の西南西約15kmです

 *JR牟岐線桑野駅近くの国道195号線の「阿南市桑野町」信号からの説明とさせて頂きます

 国道195号線を西へ、道成りに進みます

 阿世比トンネルを貫けて約700mに「大龍寺6km⇑」の標識がありますが、「歩きへんろ大龍寺7km⇒」と「加茂・県道28号線⇒」の標識に従って信号を右(北)へ

 約2.3kmで大龍寺への林道入口です

 四国自然歩道案内板です、深山幽谷のへんろみちコースです

 林道入口から約3.5kmで海抜320m附近の広い駐車場に入ります

 駐車場からは、二輪車以外は一般車侵入禁止になっています、入れる二輪車も1km先の仁王門迄です

 カーブの所に目立つバクチノキのようです



 道路脇の斜面にテンナンショウの仲間の群落です

 道路脇にスギの大木が目立ってきます

 風致保安林の案内板です、仁王門までもう少しです

 道路奥に仁王門が見えて来ました

 仁王門を潜ると、ケヤキの古木です

 北舎心殿分岐の根上がり状の杉の大木です

 まもなく境内入口です、建物が奥に見えるところに合体木と思われる杉の大木です

 四国霊場第21番大龍寺です

 納経所の前を進むと

 石段の上にまた仁王門です

 仁王門手前を左に入ると、下側の通路脇にスギの大木です

 本堂側に続く通路脇にスギの大木が見えます

 目的の「守護の大杉」です

 根元から見上げました

 説明版です
   守護の大杉
 境内を風雨雪から守る自然の巨杉の中では最も巨大です。
 威風堂々と御本尊様をお護りしております。
   樹令  600年
   樹高   48m
   幹廻    6m

 上側から見ました

 多宝塔北側の斜面にスギとヒノキが並んで立っています

 異株同根です、杉の根とヒノキの根が絡み合っています

 では、納経所に寄ってから駐車場に戻って

 次へ行きましょう



 2024・6・11・9・30
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徳島県阿南市、加茂町龍山「四国八十八ヶ所第21番・太龍寺(たいりゅうじ)」です!!

2024-07-26 06:31:06 | 四国八十八霊場
 加茂町龍山地区は、阿南市役所の西南西約15kmです

 太龍寺へ行くには、南西側の「道の駅鷲の里」脇のから大龍寺ロープウェイ鷲の里駅(海抜約50m)から101人乗りのゴンドラで、太龍寺の南側の太龍寺駅(海抜約460m)まで一気に行ってしまうのが一般的ですが

 歩き遍路が利用する遍路道の山路は車では行けませんので、太龍寺の職員さんたちが使う林道を経由して行くことにしました

 *JR牟岐線桑野駅近くの、国道195号線の「阿南市桑野町」信号からの説明とさせて頂きます

 国道195号線を西へ、道成りに進みます

 約6.3kmに「大龍寺6km⇑」の標識がありますが、「歩きへんろ太龍寺7km⇒」と「加茂・県道28号線⇒」の標識に従って信号を右(北)へ


  約2.3kmで太龍寺への林道入口です

 四国自然歩道案内板です
   四国のみち(四国自然歩道)
    ◀深山幽谷のへんろみちコース▶延長10.5km
 ●太龍寺(21番札所)
 当山は、弘法大師三度の登山修行によって建立されたといわれた因縁深い寺である。
 神武天皇東征のとき、この地に通夜した折、舎心の石盤に五寸の神像が天降り霊水が湧き太龍の守護によって、常住した古事から当山の称号が生まれたと伝えられる。
 明治27年に火災にあったが、今なお境内に千古の老杉が茂り、本堂、大師堂、多宝塔、求聞持堂等の荘厳な姿を残している。


 林道を西へ約500mからは、マイクロバスも通行禁止に成っています

 更に林道を進むと、途中から登り下りで一方通行になり、つずら折りの所には切り返しをしないと抜けられない所もあります

 林道入口から約3.5kmで海抜320m附近の広い駐車場に入ります

 駐車場からは、二輪車以外は一般車進入禁止になっています、入れる二輪車も1km先の仁王門迄です

 寺まで1000mです

 参道が右にカーブしています

 この先左にカーブですが、上から降りて来る車に驚きました、寺の職員さんですね

 寺まで600mです

 寺まで400mです

 すぐ先に、四国のみちの道標です

 急な坂道の所で、下から登って来た、寺の職員さんに「車に治って行きませんか?」と声を掛けて頂きましたが「もう少しなので歩きます」とお断りさせて頂きました

 道路脇に石仏です、ここでまた下から登って来た車が急な坂道をアクセルべた踏みで上がって行きました、冬道路が凍ったら無理ですね~

 また石仏です

 道路奥に仁王門が見えて来ました

 仁王門です

 仁王門前の石仏は六地蔵様ですね

 祠です

 仁王門を潜ると、石仏の前に二輪車駐車場です

 大日如来像です

 寺まであと200mです

 境内入口です

 四国霊場第21番大龍寺です

 四国自然歩道の案内板です

 六角堂です

 護摩堂です

 納経所前を更に進みます

 説明版です
   大龍寺
 当山は、舎心山常住院大龍寺と称し、四国霊場八十八ヶ所の第21番札所で、古来より西の高野と呼ばれている。
 弘法大師24歳の時の著作として有名な”三教指帰”に「19歳の時、阿国太龍嶽に登り、虚空蔵求聞持の法を修し・・・」とあり、境内より南西方向へ600mの”南の舎心”が正に大師御修行の史跡である。
 青年時の大師の思想形成に多大な影響を及ぼした当山は、大師信仰の歴史の中で重要な位置を占めている。
     四国のみち 環境省 徳島県

 石段の上にまた仁王門です

 仁王門を潜ると手水舎です

 更に急な石段を上がります

 本堂や大師堂のある境内に上がりました

 相輪橖です

 弘法大師様です

 池の中には弁才天堂です

 本堂です

 正面です

 説明書きです   

 大師堂へ行く前に多宝塔へ行きましょう

 多宝塔です

 説明書きです

 東側から見上げました

 相輪橖まで戻って大師堂へいきましょう

 中興堂です、中には石塔が並んでいます

 大師堂です

 説明書きです

 では、参道の木々を見て行きましょう


 
 2024・6・11・9・00


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徳島県阿南市、山口町森国「榊神社のクスノキ群」です!!

2024-07-25 19:00:53 | 巨樹・大木
 山口町森国地区は、阿南市役所の西南西約10kmのところ

 *JR牟岐線桑野駅近くの国道195号線の「阿南市桑野町」信号からの説明とさせて頂きます

 国道195号線との交差点「阿南市桑野町」信号を右(西)へ、国道195号線です

 約3.1kmで「⇐22番札所 平等寺3km」の標識の南側に榊神社が南向きに鎮座します

 消防屯所のすぐ先を左に入って、大きなクスノキの脇を通って境内に車を止める事が出来ました

 南側から境内入口です

 鳥居です

 鳥居東側に注連縄の巻かれたスギの大木です

 拝殿です


 本殿です

 拝殿西側手水舎の後ろ側のクスノキです

 西側から、目通り幹囲6.2mの巨木です
.
 北側に大きな穴があるのは、大枝が折れたあとです

 境内西端のクスノキです、こちらも目通り幹囲5m程(目測)が有ります

 もう一本は、本殿北西側国道近くのクスノキです

 南東側から、こちらにも細い注連縄が巻かれています

 北東側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう




 2024・6・11・8・05

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徳島県阿南市、桑野町鳥居前「桑野天神社千代の大杉」(市指定)です!!

2024-07-25 12:30:06 | 巨樹・大木
 桑野町鳥居前地区は、阿南市役所の南西約8kmのところ

 *JR牟岐線桑野駅近くの国道195号線の「阿南市桑野町」信号からの説明とさせて頂きます

 約4,7kmの国道195号線との交差点「阿南市桑野町」信号を過ぎて約100mで右(西)へ

 一ノ鳥居が見えました

 鳥居を潜って更に進むと境内へ入ります

 東向きのニノ鳥居前に上がって来ました

 境内北側には「中野地区協議会多目的集会所」です

 集会所前に車を止めさせて頂きました

 手水舎です

 井戸のようです

 ニノ鳥居です

 ニノ鳥居の後ろに目的の「千代の大杉」です

 北東側から

 南東側から、細い注連縄が巻かれています

 南側から、樹高23m、目通り幹囲5.7mの巨木です

 石段上から見ました

 拝殿です


 拝殿後側の木々の間に本殿です

 説明版です
   天神社 旧郷社
        阿南市桑野町鳥居前7
 主祭神   菅原道真公 境内地1404坪
 主要建物  本殿、幣殿、拝殿、祓殿、旅殿、倉庫、舞台
 春祭    3月25日   ・夏祭  (旧)6月8・9日
 例大祭  10月第4、土、日・新嘗祭   11月25日
 社日    春・秋
 境内社   蛭子神社・天照皇大神宮・金比羅神社・山神社八坂神社
 飛地境内社 二宮神社・愛宕神社
 由緒
 天徳年中9月創立。当社は延喜元年菅原筑紫へ下向の御時、海上風波烈しくなり故桑野村東の入海渚近く御船を泊し給う、是今の橘港なり。
 特に怒涛弥荒み海上険悪なるに依り、陸に上がらせ給いしも、租闊なる海士の苫屋のみにて、御興を入させ給うべき家もなく、磯部の岩上今に事跡として存する「トントン岩」に暫し憩われ給いて後、草庵を訪わせ一夜を明かせ給う。
 是れ今の梅谷寺にして当社の別当寺なり。
 かくして浪漸く静まりになりしかば、順風に帆をあげて筑紫に入らせ給う。
 右の由緒により天徳年中9月天満宮を勧請し、桑野村総氏神として尊崇す(当時今の橘町桑野村大字桑野内原を以て其氏子区域とせり)。
 文明15年武田国守となるに及び崇敬殊に厚く、慶長年間社殿を再建し、以後例とせしが、明治年間社の建築は氏子之れをなすこととせり。
 明治3年10月9日天神社と改称し、郷社に列せられる。特殊神事として天神社神代踊があったが、中絶せり。
 天神社所蔵棟札に、「正徳3年9月7日 再興太政威徳天満宮御宝殿」、「享保16年9月6日 再営 天満宮」、「寛延3年9月6日 再興 天満大自在天神御社」、「寛政6年12月 再興 天満大自在天神宮御宝殿」、「文化5年8月6日 再興 太政威徳天満宮社殿」、「天保14年8月19日 再興 太政威徳天満宮御宝殿」、「明治2年7月9日 再宮 天満宮」がある。
 当社の式年大祭は、25年目毎に斎行し、氏子以外近郷信仰者が集り一週間以上大祭続く。
 近くは昭和26年斎行2日間各末社より、御輿5台供奉し神幸式、境内では余興盛大に執行す。
 天神社境内石段横の大杉は市の天然記念物になっている。
   天神社千代の大杉(阿南市文化財として指定)
 桑野天神社境内に空に聳える老樹千代の大杉の由来。
 昔、菅原道真公、筑紫へ下向の際、海上風波強く、桑野村入海近く船を泊す。
 是今の橘港なり、浪高く海穏ならざるにより遂に上陸せられ、御駐在すべき家もなく、海辺の岩上に暫く憩い、それより一草庵、今の梅谷寺を訪れて、一夜をここに明かせり。翌朝に至り、海上漸く浪静まり、帆を順風に揚げて筑紫へ渡航した。
 この由緒に依り、天徳年中天満宮勧請せられ桑野郷の総氏神として奉斎せる。
 其の当時記念として植樹の由伝う。
   天神社千代の大杉を詠みて  文政9年戌年9月
        伊勢神宮大夫源
   いむひつる むかしの程も しのはれて 見るもたふとし 空のほおすぎ
                 正六位 斎藤普春

 説明版にあった蛭子神社です
 境内社の左が金比羅社と右側は名前薄くなってしまっていてが読めませんでした

 では、次へ行きましょう



 2024・6・11・7・50
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徳島県阿南市、長生町北内「王子神社・長正の暖地性樹林」(県指定)です!!

2024-07-25 06:38:11 | 文化財・樹木
 長生町北内地区は、阿南市役所の西約5kmのところ
 
 阿南市役所南側の県道23号線を西へ、約500mで信号を右(北西)へ、県道130号線です

 約700mの「富岡新橋」手前の信号を左(南西)へ、桑野川右岸堤防上の道路です

 約800mで右(北西)へ、桑野川の「宝橋」を渡ります

 道成に桑野川沿いの土手下道を約900mで右手に泉八幡宮です

 更に土手下道を約1kmで丁字路を右(北北西)へ、道成りに約800mで丁字路を右(北西)へ

 約600mで丁字路を右(北北東)へ

 間も無く道路左に王子神社が東向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 水盤です

 拝殿です

 本殿です

 説明版です
   天然記念物
     長正の暖地性樹林
       昭和31年2月7日指定
 指定の理由 10数種の暖地を代表する樹木が群生し、見事な自然の樹林である。
 説明    見事な樹林と自然の植林がそのまま保存せられた代表的社叢として学術上の意義が深い。
 保存上の注意すべき事項 ・樹木に傷をつけないこと ・煙草のすいがらをすてないこと
     阿南市教育委員会・徳島県教育委員会

 境内社が並びます

 五角柱の五神名地神塔です

 *コメントで「神が宿るところ」様から名前を教えて頂きましたので、変更いたしました
 *徳島藩では、五神名地神塔を祀る信仰が藩の主導で広まった。徳島城下にある富田八幡宮の祠官・早雲古宝が寛政元年(1789)に藩主蜂須賀治昭に進言したのが始まりとされ、各村浦では五角柱の地神塔を奉斎し、庄屋が斎主となって春秋の二回、五穀豊穣を祈願した。塔の造立と祭儀は大江匡弼の『春秋社日醮儀』に従って行われたと考えられている。
      (以上、ウィキペディア一部抜粋です)

 拝殿東側のイチョウです

 注連縄の巻かれたケヤキです

 カシノキです

 境内西側のモミノキです

 境内北側に回って来ました

 ホルトノキの巨木は枯れてしまって小さくなっています

 では、次へ行きましょう




 2024・6・11・7・20
コメント (2)
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徳島県阿南市、長生町露木「泉八幡宮のクスノキ」です!!

2024-07-24 18:32:10 | 巨樹・大木
 長生町露木地区は、阿南市役所の西約3kmのところ

 中大野町北傍示地は、阿南市役所の西北西約7kmのところ

 阿南市役所南側の県道23号線を西へ、約500mで信号を右(北西)へ、県道130号線です

 約700mの「富岡新橋」手前の信号を左(南西)へ、桑野川右岸堤防上の道路です

 約800mで右(北西)へ、桑野川の「宝橋」を渡ります

 道成に桑野川沿いの土手下道を約900mで

 右手に泉八幡宮が南向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 境内南西側約100mに一ノ鳥居が南西向きに建っています、後方の樹叢が泉八幡宮です

 泉八幡宮の社號標です

 ニノ鳥居です

 境内入口東側に目的のクスノキです

 境内南西端にも大きな木が見えます

 境内に入って北西側から 

 北側から

 案内板です
   クスノキ クスノキ科
 常緑高木(暖地)
 3本の葉脈が目立ち、春から夏にかけて新葉になり、古い葉は紅葉して落ちる。
     阿南市巨樹保存会

 東側から見上げました

 境内南西側の境内社です

 境内社脇に立っているのはタブノキです

 タブノキの案内板です
   タブノキ クスノキ科
 常緑広葉樹(暖地)
 山地や海岸部に自生する。八丈島では樹皮を黄八丈の染めに用いる。
     阿南市巨樹保存会
 
 モミノキです

 案内板です
   モミ マツ科
 針葉高木
 日本固有種。主に内陸の谷間や湿潤な緩い傾斜に生育する。幹は直立し、枝は水平に伸びる。
      阿南市巨樹保存会

 カヤノキのようです

 説明版です
   泉八幡宮縁起
         本庄協議会・総代会
 創建年次不詳。白鳳期673年頃この地入河山に鎮座すると伝わる。
 天喜 2年(1054)、再建する
 寛治年間1090年頃、隆禅寺の鎮守神となり、神事を行うのは別当として隆禅寺この地にあったと言われる支院泉福寺であった。
 文和 3年(1354)、地頭職橘氏清原氏連署文書に「在所八幡宮前」の文言あり、すべてに八幡宮があったことが読み取れる。
 永和 2年(1376)、大原・上荒井・大谷・明谷・本庄五ケ村の産土神となる。
 天文 2年(1533)、四国管領細川持隆、本庄城主清安芸守乗真に命じ社殿を上葺する。
 元亀 2年(1571)、三好長賢(長慶弟)名で社殿の上葺が行われる。
 文録 5年(1596)、泉福寺僧快尊、藩祖蜂須賀家政の支援を得る。蜂須賀家の長久、氏子繁栄を願い氏子と共に社殿を新たに建立する。竹原庄五社惣社にふさわしい欅造りの見事な建築であったと伝わる。
 享保 8年(1723)、外、五ケ村氏子、上葺、鳥居、灯籠、狛犬奉納する。
 明和 8年(1771)、祭囃子出来る。
 安永 4年(1775)、拝殿左右随神奉納する。
 安政 元年(1854)、馬場先石灰岩自然石の灯籠建つ。
 明治 3年(1870)、八幡神社と改称なる。
 大正12年(1923)、境内入口玉垣奉納する。
 昭和 5年(1930)、境内入口大鳥居、灯籠奉納する。
 昭和15年(1940)、だんじり新調する。
 昭和24年(1949)、惣蔵神社外八社(小神さん)境内遷座する。
 平成 元年(1989)、祇園囃子、青年拍子30年ぶりに復活する。
 平成 4年(1992)、打ち子女子参加。例祭10月第3日曜日とする。
 平成10年(1998)、本庄歌舞伎、村芝居、カラオケ等で親しまれた。農村舞台、旅殿建替える。苔むし時代を示す凝灰岩の石段改修する。
 平成17年(2005)、地盤半分下げ石段拡張、小神さん八社合祀し、社殿新たに建立する。馬場開設する。鳥居、玉垣新たに奉納する。
 平成30年(2018)、「浦安の舞」60数年ぶりに復活する。
 令和 3年(2021)、宗教法人「泉八幡宮」と改称する。
       令和3年1月吉日

 三ノ鳥居です

 手水舎です

 石段を上がります

 拝殿前から下の境内を見下ろしました

 拝殿です

 本殿です

 では、次へ行きましょう



 2024・6・11・7・00
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徳島県阿南市、中大野町北傍示「楠木神社のクスノキ」です!!

2024-07-24 12:30:55 | 巨樹・大木
 「道の駅公方の郷なかがわ」で車中泊して、朝早くから取材を開始です、南西約3km桑野川に南面して阿南市役所です

 中大野町北傍示地は、阿南市役所の西北西約7kmのところ

 阿南市役所南側の県道23号線を西へ、約500mで信号を右(北西)へ、県道130号線です

 約2.2kmの「⇐持井・県道22号線」の標識に従って信号を斜め左(南西)へ、阿南勝浦線です

 道成に約4.1kmで信号を右(北)へ、道成りに右にカーブして約200mを左(北北東)へ入ります

 約100mで左側住宅の脇に大きな樹冠が見えます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 目的のクスノキです

 鳥居です

 楠木神社の社です

 社に覆いかぶさるようにクスノキです

 東側から、太い幹を見上げました

 西側から、樹高15m、目通り幹囲5.7mの巨木です

 では、次へ行きましょう



 2024・6・11・6・35
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徳島県上勝町、生実久保「久保の大杉」です!!

2024-07-24 06:30:06 | 巨樹・大木
 生実久保地区は、上勝町役場(海抜250m附近)の西約2kmのところですが、山中腹(海抜500m附近)です

 上勝町役場前の県道16号徳島上那賀線を南へ、約350mで生実橋を渡って直ぐ鋭角に右(北東)へ入ります

 約200mで鋭角に左(南西)へ坂道を上って行きます

 曲り角に案内図「野尻・樫原周辺ルート」が有りましたので確認しました、図の左に目的の「⑤久保の大杉」の名前が見えます

 約750mで三叉路は案内板通りに左(西南西)上(写真の右上)へ進みます

 道成に坂道をどんどん登り約1.6kmで右(北)へ

 約150mで、ここも道成りに右(北)へ

 約150mで、牧場の所に有んない場です間も無くです

 道路左側に階段が有ります

 すぐ先の道路の広い所に車を止めさせて頂きました

 伝説説明版です
  久保の大杉(伝説)
    樹齢1500年・樹高60m・幹囲8.40m
 その昔、大杉周辺に100本の杉、浅木があり、百姓吾作と言う人が開墾しようと、まず浅木を伐り炭に焼いたが、最後の炭窯は火が20日も消えず、出来た炭は非常に堅く、天秤棒にしたとか・・・・・
 残りの大杉を伐りにかかったが、三日伐っても四日伐っても「へび」が木から落ちてきて伐れず、ついに十日でも伐れなかった。ノコギリ溝は翌日繋げていたいたと言う。
 そこで他の人が「おら」が伐ると三日伐っても前と同様伐れなかったので、山の神を祀る様になり、旧暦7月25日、現在(8月25日)に七つ道具を揃えてお祀りしている。
 現在は山の神、長寿の神として信仰する人がふえている。

 階段登り口に、平成2年4月建立の「久保の大杉」の標石です

 太い幹が見えました

 東側から見上げました

 山の神様の祠ですね

 説明版にあった、いわゆる「七つ道具」です、七種類ないようですが・・・

 南側から

 西側から

 離れて西側から

 北側から見上げました

 車を止めた所から少し入って木々の間に大杉を見ました

 もう一枚の説明版です
   白山大権現(伝説)
 現在、野尻大杉荘の南約70mの地に大岩がある。昔、この大岩の周囲が池であり、大白蛇が住んでいたと言う。その大きさは大岩の七巻半であったと言う。
 ある人がこの池を埋め水田にしたため、大白蛇は住めなくなり、久保の地に池を作ってくれるなら水には不自由させんと言ったが、池を作る人が無く、大白蛇は殿川内の綾の淵へ行ったが、お祀りだけはと白山大権現として祀る様になり、当時は御殿みこし、だんじり、舞台等もあり、、現在舗装が出来ている処が馬場である。
 其の後、野尻八幡宮(最初の図の④)に合祀されたが、此の地に不幸が続き、再びここに祀り10月14日にお祭りをしている。
 無病息災の神として参拝される者多い。

 この日の取材はここまでとしました

 約37km(約1時間半)移動し阿南市の「道の駅公方の郷なかがわ」で車中泊させていただきました



 2024・6・10・17・15
 

 
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徳島県勝浦町、生名鷲ケ尾「四国八十八ヶ所第20番・鶴林寺(かくりんじ)」です!!

2024-07-23 18:30:19 | 四国八十八霊場
 生名鷲ケ尾地区は、勝浦町役場(標高約30m)の南南西約2kmのところっですが

 第20番札所の鶴林寺は標高480m程の山の上ですので距離的には約5kmの距離があります

 勝浦町役場前の県道16号徳島上那賀線を東へ進みます

 約400mで「第20番鶴林寺・6km」の標識に従って斜め右(東南東)へ

 約250mで「鶴林寺⇒」の案内板を右(南)へ

 道成りに約2.9kmの「鶴峠」で、「鶴林寺⇒2km」の案内板を右(北西)へ

 道成りに約1.6km坂道を上っていくと鶴林寺の駐車場に入ります

 駐車場まで上がって来ました

 参道の先に山門が見えて来ました

 山門の仁王門です

 「四国第20番 別格本山 鶴林寺」です

 もう一枚石碑です

 日本遺産プレートです
    日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第20番札所 鶴林寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第20番札所の鶴林寺は、霊鷲山(りょうじゅざん)と号する真言宗寺院で、弘法大師が老杉に雌雄2羽の鶴に守られた黄金の小さな地蔵菩薩を発見し、喜んで自ら地蔵菩薩を刻み、そこに黄金の菩薩を納めて本尊としてと伝える。 

 山門を入ると六角堂です

 参道を進みます

 参道の苔がきれいです

 お地蔵様です

 参道杉並木です

 一番大きな杉です

 手水舎です

 四国自然歩道の案内板です

 遍路マップです、第12番焼山寺に次ぐ厳しい遍路道だそうです

 石段の上に本堂が見えました

 お不動様です

 本堂です


 本堂前には狛犬ならぬ「狛ツル?」です

 ここのもお地蔵様です

 本堂北側には三重塔です

 三重塔の額です

 案内板です
   鶴林寺の丁石
 南北朝時代に建立されたもので、現在11基が残っています。
 丁石には年号が刻されており、本県では最古の丁石であるとともに、昔の鶴林寺への参道を知る資料としても貴重なものです。
      昭和33年11月25日県指定
   鶴林寺三重塔
 三重塔は、江戸末期に再建されたもので、各層はその様式がことなり、和様、唐様の手法が見られます。
 塔は江戸末期における代表的建築物であり、藩政時代に建って残っている県内ただ一棟の三重塔です。
      昭和27年6月25日県指定
        四国のみち 環境省 徳島県

 石垣の上にも御堂です

 参道石段の脇を南へ入って大師堂です

 大師堂北側に附属した御堂です

 では、大師堂隣の納経所に寄って次へ行きましょう





 2024・6・10・16・00 
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徳島県小松島市、櫛渕町太田「櫛淵八幡神社の楓(県指定)と大楠」です!!

2024-07-23 12:31:00 | 巨樹・大木
 櫛渕町太田地区は、小松島市役所の南約7kmのところ

 小松島市役所北側の「小松島市南小松島」信号を西北西へ、県道178号線を進みます

 約600mで信号を左(南南西)へ、県道33号線でがJR徳島線の踏切を越える県道216号線となります

 約1.1kmで「⇐室戸・国道55号線」の標識に従って、時差式信号を左(南東)へ、徳島南バイパスです

 約4.7kmの信号を右(南)に入ると、県道28号阿南小松島線です

 約500mでJR牟岐線の踏切を渡って、約800mで立江寺山門手前を斜め右(南)へ、県道を進みます

 約3kmで県道右手に大なクスノキが見えました

 境内入口です

 鳥居の南側に徳島県指定天然記念物の「フウ」です

 境内北側に目的のクスノキが見えます

 境内に車を止める事ができました

 手水舎です

 鳥居です

 北側からフウを見ました

 「天然記念物 櫛淵のフウ」の標柱です

 「楓(フウ)」天然記念物石柱です

 説明版です
   天然記念物 櫛淵のフウ
     昭和29年1月29日県指定
 フウの木は、中国、台湾などに自生するマンサク科の落葉高木で、わが国へは、江戸中期に移されたものである。
 この境内に植えられたのは大正の始め頃で、成長が早く、葉の先が朝顔の葉のように三つに分かれている珍奇な植物である。
 秋頃から、葉の色が緑から黄色、紅色へと変わる様子がとても美しいものである。
     徳島県教育委員会 小松島市教育委員会

 西側から見上げました

 フウの実がたくさん落ちています

 西側から

 鳥居下からクスノキです

 南西側から

 西側から、幹には大きな傷(枝が折れたのか?)があり、プレートで塞がれています

 北西側から、樹高20m、目通り幹囲8.4m、推定樹齢700年の巨木です

 北側から

 櫛淵八幡神社の社號標です

 櫛淵の名勝と旧跡の説明版です、左側中ほどに・・・
 八幡神社:石清水八幡宮の別宮として平安中期に勧請。
 祭日に流鏑馬の行事を残す。
 境内に県指定天然記念物:楓(ふう)と樹齢700年の大楠がある。

 長い石段を上ってお参りしましょう

 石段上からフウです

 クスノキも見下ろしてみました

 石段際に拝殿です


 本殿です

 本殿北側に葛城神社です

 葛城神社の由緒書きです
     由緒
 當葛城神社は、文久3年本村岡崎国蔵に見岩吉数・延徳衛・徳山重豊・浜田栄治の諸氏信仰に依り、板野郡瀬戸村阿波畑の葛城神社に詣で、之が分霊を乞い五ツ山連峯に西端岡崎国蔵氏方の山頂に遷宮したりき。后明治22年現地に移す。
 当社は霊験最も著しく、又徳山神官に埼為可なるため、朝に夕に信者激増し其数を知らず、現在純氏子に列せる者遂に60有余名の多きに達せり、子々孫々相互に信徳を重ね、以て其霊顕に浴せられん事を祈願す。
    昭和8年9月5日

 五角柱の五神名地神塔です
 *徳島藩では、五神名地神塔を祀る信仰が藩の主導で広まった。徳島城下にある富田八幡宮の祠官・早雲古宝が寛政元年(1789)に藩主蜂須賀治昭に進言したのが始まりとされ、各村浦では五角柱の地神塔を奉斎し、庄屋が斎主となって春秋の二回、五穀豊穣を祈願した。塔の造立と祭儀は大江匡弼の『春秋社日醮儀』に従って行われたと考えられている。
      (以上、ウィキペディア一部抜粋です)

 本殿南側の境内社です


 では、次へ行きましょう



 2024・6・10・15・15
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徳島県小松島市、櫛渕町油免「櫛淵天満神社のクスノキ」です!!

2024-07-23 06:30:38 | 巨樹・大木
 櫛渕町油免地区は、小松島市役所の南約6kmのところ

 小松島市役所北側の「小松島市南小松島」信号を西北西へ、県道178号線を進みます

 約600mで信号を左(南南西)へ、県道33号線でがJR徳島線の踏切を越える県道216号線となります

 約1.1kmで「⇐室戸・国道55号線」の標識に従って、時差式信号を左(南東)へ、徳島南バイパスです

 約4.7kmの信号を右(南)に入ると、県道28号阿南小松島線です

 約500mでJR牟岐線の踏切を渡って、約800mで立江寺山門手前を斜め右(南)へ、県道を進みます

 約2km道成りに進むと「櫛淵椎茸組合」の大きな倉庫のような建物の先(西側)を右(北)へ入ると

 遍路道の案内板の建っている、ここを右へ上って行きます

 前の道路と農道の分岐に車を止めさせて頂きました

 鳥居と大きなクスノキが見えました

 石段を上がります

 鳥居の額には「天満神社」です

 鳥居越しに見ました

 南東側から

 「巨樹 クスノキ」という標柱が建っています

 東側から

 北東側から、樹高約20m、目通り幹囲12.6mの巨木です

 北側から

 北西側から見ました

 手水舎です

 一段上に社殿です

 では、次へ行きましょう




 2024・6・10・15・00
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徳島県小松島市、立江町若松「四国八十八ヶ所 第19番・立江寺(たつえじ)」です!!

2024-07-22 18:39:09 | 四国八十八霊場
 立江町若松地区は、小松島市役所の南約5kmのところ

 小松島市役所北側の「小松島市南小松島」信号を西北西へ、県道178号線を進みます

 約600mで信号を左(南南西)へ、県道33号線でがJR徳島線の踏切を越える県道216号線となります

 約1.1kmで「⇐室戸・国道55号線」の標識に従って、時差式信号を左(南東)へ、徳島南バイパスです

 約4.7kmの信号を右(南)に入ると、県道28号阿南小松島線です

 約500mでJR牟岐線の踏切を渡って、約800mで立江寺山門前です

 立江寺駐車場は少し南東側の右です

 駐車場入り口から立江寺の土塀が見えます

 立江寺山門(仁王門)ですが、仁王様は入院中です

 高野山真言宗 橋池山 摩尼院「別格本山 立江寺」の寺号標です

 日本遺産プレートです
   日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第29番札所 立江寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第19番札所の立江寺は、橋池山(きょうちさん)と号する真言宗寺院で、行基が光明皇后の安産を祈願して小さな地蔵菩薩を刻み本尊とし、弘法大師がこの像を紛失を恐れ、6尺の地蔵菩薩を刻んで本尊をここに納めたと伝える。 

 第十九番立江寺の標柱です

 略縁起説明版です
   四国第19番霊場四国の関所 高野山真言宗 別格本山
     立江寺略縁起
 当山は、人皇第45代聖武天皇の勅願寺にして、天平年間に行基菩薩が光明皇后の御安産の念持仏として勅命により、閻浮檀金をもって一寸八分の本尊「延命地蔵尊」ーーー世に是を子安の地蔵尊称し奉るーーーをお作りになり、伽藍を建立開基されました。
 伽藍建立の地を卜とするにあたり、一羽の白鷺が何処ともなく飛び来たり、九ツ橋(現在の白鷺橋)の上にとまり、行基菩薩に仏天の暗示として霊域を示したと伝えられています。
 弘仁6年(815)に弘法大師にが、四国霊場御開創のおり、当山に御留錫なされ、一寸八分の小像のみにては後世に紛失のおそれありとして、自ら一刀三礼6尺の大像を刻まれ、小像をそのお胸に秘蔵安置され「立江寺」と号し、第19番の霊場とされました。
 なお、当山は元、清水奥谷山麓(現在地より西へ500m、現在の立江寺奥の院)にあった巨刹でしたが、天正年間に長曽我部の兵火にあい、御本尊を残して灰燼に帰しましたが、当時の藩主蜂須賀家の初代蓬庵公の御信仰が篤く、現在の地に移転再興され、世に「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と称され、西国巡礼御詠歌集に高野山・善光寺などとならんでとりあげられている程、全国の善男、善女の信仰の篤い名刹です。
 また「四国のお関所」として四国八十八ヶ所の根本道場としても有名であります。
   本尊 延命地蔵菩薩(伝行基菩薩作)
   脇仏 不動明王
   脇仏 毘沙門天
   国指定重要文化財 釈迦三尊画像
   寺宝 肉付鐘の緒
 昭和49年10月28日未明、不慮の火災により本堂ほか諸堂を焼失しましたが、有縁の皆様方からの奏楽6億3000万円の浄財により、昭和52年12月3日落慶いたしました。
 本尊「延命地蔵尊」寺宝の「肉付鐘の緒」は焼失をまぬがれ京都国宝修理所に於いてみごとに修復いたしました。

 毘沙門堂です

 お地蔵様です

 手水舎です

 庚申堂です


 本堂です

 お大師様です

 大師堂です

 納経所へ寄って

 次へ行きましょう





 2024・6・10・14・30

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徳島県小松島市立、江町黒岩「立江八幡神社の巨樹クスノキ群生地」(市指定)です!!

2024-07-22 12:33:38 | 巨樹・大木
 江町黒岩地区は、小松島市役所の南南東約4kmのところ

 小松島市役所北側の「小松島市南小松島」信号を西北西へ、県道178号線を進みます

 約600mで信号を左(南南西)へ、県道33号線でがJR徳島線の踏切を越える県道216号線となります

 約1.1kmで「⇐室戸・国道55号線」の標識に従って、時差式信号を左(南東)へ、徳島南バイパスです

 約4.7kmの信号を右(南)に入ると、県道28号阿南小松島線です

 約500mでJR牟岐線の踏切を渡って直ぐを鋭角に右(北)へ牟岐線の線路沿いを進むと

 立江八幡神社入口の鳥居前です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 八幡神社社號標です

 一ノ鳥居です

 参道を進みます

 参道右手にクスノキです

 説明版です
   立江八幡宮御由緒
 当社は、往昔3丁程東岩戸の地田の中に大きな磐座あり、御神霊顕れ給ひ、暫時御鎮座霊示により当地往古四面海にて無人の霊域たり、八幡島に奉遷し鎮座す、文明年中約520年前。
 再建年代は、最古の棟札に慶長16年仲春小笠原兼幸重造公は、小笠原治郎左エ門と称し、立江領主にして天正年中に、中村より立江清水の居城し、立江椋の崎、西崎を領す。
 祖父長時天文年中に、信濃深志城主なりしが、武田信玄との戦いに敗れ、阿波三好氏の招きにより中村に居住す、其の子長幸二代中村に領主となる兼幸にいたり、立江に移りて立江城主となれり。
 当宮を特に崇敬され、小笠原家歴代の家運長久を祈願され、社殿を再建し檀鶴を造り、京より祇園囃を招き氏子民に習得せしめ、大祭に奉納し、以て神慮を慰め奉り、次いで、天保8・9年頃全国的に有名な煙火もこの時に奉納し、今日の如き盛大の基となりたるものなり。
 昭和27年秋大祭に、池田隆政公ご参詣、郷土に誇る祇園囃及び奉納煙火をご観聴。
 同51年中村獅子舞が百年目に復活し、御神威益々普く又遠く、源義経平家追悼の祈、愛妾静ご前当地に参り現今鳥居のあたりの老松に衣を掛け、憩いこれを静ご前衣掛けの松と伝へあり。
    茲に其の縁記の概略を記し江湖敬神探勝の士に示す。
  奥宮水神社
    仁寿3年創祀1130年前
 現地西新墓地まで馬場なり、藩主蜂須賀公もたびたびご観戦をされたと云ふ。
      昭和56年9月吉祥日  

 手水舎です

 伊勢・出雲神社です

 建物にはピアノが置かれているようです

 神馬像です

 太いクスノキです

 標柱です

 西側から見ました

 境内西側には、クスノキが根を共にして二本並んでいます

 拝殿です


 本殿です

 本殿北東側のクスノキの大木です

 境内北西端に大きなクスノキが見えます

 ここからは近付けそうに有りません

 本殿北側には石祠が並んでいます

 スダジイの大木です

 境内北側道路へ廻って来ました、一番太いクスノキは樹高20m、目通り幹囲5.5mの巨木です

 では、次へ行きましょう


 

 2024・6・10・14・00
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徳島県小松島市、田野町宮ノ下「天王社のクスノキ」です!!

2024-07-22 06:30:24 | 巨樹・大木
 田野町宮ノ下地区は、小松島市役所の南南西約3kmのところ

 小松島市役所北側の「小松島市南小松島」信号を西北西へ、県道178号線を進みます

 約600mで信号を左(南南西)へ、県道33号線でがJR徳島線の踏切を越える県道216号線となります

 約1.1kmで「⇐室戸・国道55号線」の標識に従って、時差式信号を左(南東)へ、徳島南バイパスです

 約1.3kmの信号を右に入って、国道に沿う様に南へ進むと、県道217号線となって更に南へ

 約1.1kmで右からの道路に合流して左(南東)へ、県道136号線です

 道成りに約400mの押し釦信号を斜め右(南西)へ入っていくと

 道路の三叉路のような所に東向きに鳥居が有ります

 すぐ先から右(北西)へ入るとニノ鳥居ですが

 神社の社叢が見える南側の道路脇に車を止めさせて頂いて歩いて行きました

 坂道を上がって行くと

 神社境内への石段です

 石段を上がりましょう

 石段左(南)側のクスノキです、この木の樹冠が南側の下から見えていたようです

 境内に上がりました

 右手(北側)に手水舎と目的のクスノキです

 手水舎です

 南西側から

 北西側から、注連縄が巻かれた御神木です

 北側から

 北東側から、樹高20m、目通り幹囲5.9mの巨木です

 お参りしましょう

 説明版です
   無形文化財 天王社稚児三番叟
     昭和50年12月23日市指定
     昭和53年 9月 8日県指定
 この稚児三番叟は、天王社の例祭行事の一つとして、室町時代頃から奉納されて天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を願う呪術的に舞踊され、戦後一時中断せられたが、連綿として現在に至る迄継承されている。
 この古い姿を伝える稚児三番叟は、全国的にみても稀なものであると、称賛されている。

 石段からクスノキを見ました

 石段の際に拝殿です

 拝殿前に立派な牛の像です

 明治34年建立の石碑です、漢文のような文面です
     御神牛之碑
 冨國之術以農為本故自古称吾國云瑒穂刕謹按
 八坂神社者人皇第四十五代 聖武天皇時悪疫
 大行民之罹災多・ 天皇深痛之毎國造迄一社
 而祈除共災是此社乃其一也故称一國一社牛頭
 天王所奉祭 素戔嗚尊大巳貴尊稲田媛尊之三
 神也抑三神之所守護者在五穀成就悪疫退散牛
 馬安全也故自古農民有所祈必奉納牛馬昔時用
 塑牛而巳近年其牛大破損於是村民・再造之牛
 官藤枝義・欲以銅製之村人井上才次郎聞之大
 賛其・・発願主郎率先喜捨数百金而邨内有志
 者亦同其志又東西奔走迄信者助力得千有餘金
 是固虽神霊所致又頼発願主之村内有志之力為
 鳴呼自是神威益赫々永世不滅・今也功竣属予
 紀其事以表後世之記此  沙門隆珪撰
 明治三十四年辛丑歳六月七日建之 島功甫書
 *読めない文字が数か所有りましたがなんとなく意味は分かったかな



 本殿です

 帰り際にクスノキを東側下の道路から見上げました

 では、次へ行きましょう





 2024・6・10・13・30
     
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徳島県小松島市、田野町恩山寺谷「 四国八十八ヶ所第18番・恩山寺(おんざんじ) 」です!!

2024-07-21 18:33:45 | 四国八十八霊場
 田野町恩山寺谷地区は、小松島市役所の南西約3kmのところ

 小松島市役所北側の「小松島市南小松島」信号を西北西へ、県道178号線を進みます

 約600mで信号を左(南南西)へ、県道33号線でがJR牟岐線の踏切を越える県道216号線となります

 約1.1kmで「⇐室戸・国道55号線」の標識に従って、時差式信号を左(南東)へ、徳島南バイパスです

 約400mでコーヒー店前の信号を右(南西)へ、県道136号線です、すぐ先の一時停止に「⇐恩山寺」の案内板です

 約500mで「18番札所恩山寺⇒」の標識に従って斜め右(南西)へ


 約300mで赤い欄干の橋の先右手に「恩山寺」の山門(仁王門)です

 寺号標です

 坂道を進んで駐車場に入りました

 お大師様です

 恩山寺境内入口です

 「四国第18番 恩山寺」寺号標です

 参道石段を上がります

 日本遺産のプレートです
   日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第18番札所 恩山寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第18番札所の恩山寺は、母養山(ぼようざん)と号する真言宗寺院で、弘法大師の母が当寺を訪ねたものの女人禁制であったので、大師が7日間祈念し、当寺に母を迎え入れたと伝える。
 唐木ビランジュはその記念に植えられたという。

 手水舎です

 こちらにもお大師様です

 石段を上がります

 お地蔵さまです

 鐘楼です

 塑像が並んでいます

 本堂です

 ソテツの大木です

 大師堂です

 では、納経所に寄って次へ行きましょう

 



 2024・6・10・13・00
 
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