この春、若者二人が花火の道に入ることを知った。
今、ネットやSNSなどを通じて情報が集まり、思いがある人はそれを通すことができる。それは幸せなことだし、ホントがんばってほしい。
私が就職活動をする頃はまだインターネットは一般的ではなく精々パソコン通信が一部のエリアで行われていたというレベル。
当然、花火や醸造関係の仕事なんて見つけることはできなかったし、そもそもそんな就職先があるなんて思いもしなかった。
ましてや時代は男女雇用機会均等法であり、上野千鶴子などがもてはやされ、女性も総合職で頑張る時代という大きな流れだった。
新潟の田舎から出てきた長女としては、実家周辺に4年制大卒女性の就職先はなく、新潟県でそんな条件を探すのなら新潟市まで行かねばならず、それは東京と同じような心理的距離感だった。
そんな中、小さな出版社でクローズド媒体を作る仕事を得た。その後、編プロを経て今の会社体に(いろいろ形態は変わったが)に入ったのが30歳近く。この会社に入って数年でWindows95が導入され、IEなどで情報が得られるという環境になった。そこからさらに10年、激務から体を壊し、一旦閑職に引き取られたことで、花火と醸造の情報を得るようになった。
そしてその両方とも、数は少ないけれど、女性が切り込んでいっているのも知った。
あれからさらに一回り。今、遠く見上げていたその職業は一般的な就職先として(とはいえまだかなり特殊だろうが)、毎年知人や知人の知人が入るようになってきた。
どちらも職人気質の仕事だ。
特に酒蔵は女は汚れているからと長年蔵に入ることすら禁じるところもあったほど。
かつては安定して醸すことができる冬季の仕事だった酒蔵も、機械などによる温度管理ができるようになり、昼夜発酵の様子を見ていなければならなかった手法も近代的になってきた。その過酷さ故にある程度の地域が固まった職人集団によって守られてきた醸造技術は、ある程度平準化され、機械化され、今は徹夜して樽を見守るということも少なくなったようだ。唄半給なんて言葉も過去のものになっているだろう。
そういった変遷を経て一般への門戸が開かれ、今は女性杜氏も珍しいものではなくなった。
花火も皮張り○年星掛○年込め○年と段階を踏んで一人前になる世界。
それでも、打ち上げプログラムにコンピューターは欠かせないし、調合には化学知識が必要になる。火薬という危険物を扱うのだから、さまざまな資格も必要になる。職人の勘に頼る部分がまったくなくなったというわけではないだろうが、ずいぶんと仕事内容がオープンになってきたと思う。
おかげで私たちもただ花火を見て楽しむというだけではなく、花火師の話を聞いたり、さまざまな情報公交換をしたりと、かなり限定的な世界ではあるが、昔に比べたらはるかに様々な情報を得ることができるようになってきた。
そんな中、新たにこの世界に飛び込む人が確実に見えてきて、頼もしい限りである。
好きなことと仕事を一緒にするのは楽しいし辛い。でも、好きだからできることもあるだろうしそうでないこともあると思う。
壁はいつでもどこでも立ちふさがる。それは己の写し鏡であったりそうでなかったり…。挫けたって逃げ出したっていい。縁があるならまたきっと戻ってくるものだから…。
だから、新しい世界へ進む君たちへエールを送ろう。
君たちの未来は君たちのものだ。がんばれ、あがけ、苦しめ、笑え!! すべてがいずれ糧になる、君という人と作る糧になる。
何年かして少し経験を重ねた君たちと会うのが楽しみだ。