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何年かぶりの小千谷まつりだ!

2019-08-27 01:25:00 | 花火

▲信濃川にかかる旭橋を渡る万灯行列。これと花火も撮りたいが、毎年行っていないとさすがにチャレンジする気になれないのだよね…。場所も検討つくし…。


 往時を知っている身としては、しんみりしちゃうんですよね。

 今は2トントラックに万灯を載せているけれど、私が子供のころは4トントラックの万灯を載せ、電線に引っ掛かるほどの大きさだったんですよ。専用のさすまたで、電線をひょいと持ち上げる専門スタッフがいたんだよね(ウチの亡とーちゃんがやってた)。
 社会人になると盆とまつりと両方帰るのは厳しかったので、行かなくなり、転職したらお盆に休める会社ではなくなってそれは祭りだから帰れるってわけでもないということで、気が付いたら2004年まで十年ぐらいブランクが空いたんだよね。その間に父も身罷った。
 2004年は市制50周年ということで、小千谷まつりで三尺上げちゃうよ!!ってことになり、それじゃぁ、見に行くかって行ってみれば。まさかの山寺山で打ち上がったという…。遠い、遠いよ…。

 そして、その年の10月に震度6強が小千谷を襲った。

 あれから15年。
 今年はカレンダーの並びがよく、小千谷まつりを見に行くことができた。

 前日夜に小千谷に入り、花火観覧席を確認しているうちに、花火が数発上がる。
 前夜祭は東小千谷の駅前通りを閉鎖して行われ、民謡流しやコスプレ大会が行われていた。でも今はもう「おじゃれ踊り」は踊らないんだね。市内企業の大規模な民謡流しはいつ潰えたのだろう。まぁ、駅前のシャッター通りを見ればむべなるかな…。

 翌朝、早起きして8時の場所取りより早く花火現場に行く。
 とはいえ、自分が狙う場所はそれほど競争率が高くないので、まったりのんびり。8時になったら「ハイとっていいよ」って市の人が言いに来たけれど、市の管理って階段部分だけだったんだw 自分は最初階段に場所を取ったのだが、どうも記憶の中の風景とおしり具合が違う…ということで少しずつずれていって、以前自分が座っていた場所を再発見する。
 カメラマングループもいた。おそらくこのブログも見ていたんじゃないかとも思ったんだけれど、おれ最近引きこもり気味なんで多分「地元のカメラばばあ」ぐらいにしか認識されてなかったと思われたw

 実家に帰って、昼万灯を家の窓から眺め、夕食を食べてから花火に向かう。
 以前より万灯パレードのスタート時間が遅いので、中央通りで万灯を撮ると多分花火に間に合わないなぁと思い、神明様の通りに行く。と、その前に本町を引き万灯が練り歩き始めたので、そちらもチラリと…。


▲花火開始より少し前に、本町通りに引き万灯が登場。

 そこから勝手知ったる裏道で、神明様のところに出ると、ちょうど万灯行列が見え始めたころだった。坂道万灯が上がって来る。


▲万灯行列はイオンから出発し、旭橋を渡って東小千谷を一回りし、戻ってくる。本町通りが引き万灯で閉鎖されているので、昔とルートが変わっているな。先頭は「令和おじさん」w


▲我が町内の万灯


▲チコちゃん、悪い顔すぎw


 万灯を見送った後、確かこの辺りに下に抜ける階段道があったはずだな…って記憶をたどっていくと、あったあった何とか坂という階段(なんか歴史があった記憶)。そこを下って、花火会場へ急ぐ。開始5分前ぐらいに到着。

 ほどなく打ち上げ開始となる。


▲越後のスタンダード錦冠。なお、正面は山崎醸造というみそ&醤油や。懐かしCMでご存じの方もいるかもしれない。中越地震で壊滅的な被害を負った。この右隣に通っていた中学校がある。


▲打ち上げはもちろん小千谷煙火興行。当然スライド変化なども初っ端からぶち込んできます。


▲ほらほら


▲おらおら


▲彩色千輪。コクのある発色の小割が割と大きく、その分数は少ない。


▲ここ数年思うのは、小千谷のレモン色ってきれいだよなぁってこと


▲そして、青もきれいなんだよ。おれの幼いころの記憶も青い花火だったんだよね。ただし分砲千輪。青い線が走った先の黄色がきれいだったなぁと子供こころに覚えている。なお今ではほぼ見ないので、先代(まだ現役です)のころの職人さんの仕事なのかなぁって思っている。


▲ヤシ芯入りのスライド変化


▲スライド変化スターマイン


▲もちろん越後ですから錦冠の量が少ないわけありません


▲ということで、ヒムグループの2尺3連発より。昼に筒場を遠望して正面にあることは分かっていましたw はみ出るってわかっていて、そこから引かぬのが花火好きの心意気だ!!!(ちょっと何言っているのか自分でも不明)


▲スライド変化三色スタマ


▲これは確か日本ベアリング創業80周年の花火だったかなぁ。

 皆さん、ベアリングというとNTNばかりになりますが、たまには日本ベアリングのことも思い出してあげてくださいね。亡父の勤め先だったし、父がなんかやらかした際(結構やらかしていたらしい)になぜか高校生の私が始末書書いて提出したからさ~。確か2回は書いたぞ! とーちゃん何しでかしたねん…思い当たる節がありすぎてわからん…。


▲小千谷名物、鯉の滝登り! ナイアガラが明るすぎて、錦鯉が埋もれ気味なんだが、赤いのがそれです(滝登り切った)。なお、鯉が昇るのは思いっきり手動ですw

 小千谷の東山地区は隣接する旧山古志村・旧川口町などと併せて二十村郷と称され、牛の角突きなど同じ文化を共有し、錦鯉発祥の地とされています。私の同級生は鯉関係の会社を経営し、『月刊錦鯉』で「錦鯉会のプリンス」と称されていましたwww バックナンバーでプリンスの結婚記事を見た時はさすがに吹いた。


▲八方×八方


▲泳ぐクラゲまたは泳ぐキノコ


▲クロスリングとスライド変化。スライド変化を始める前はクロスリングが主役級だったな…。


▲フィナーレは市民一同花火。〆の〆は錦冠で当然ですが、何か!?


 ということで、単発&段打ち系(そしてサイズは尺)が多いですが、全部で140ぐらいはプログラムはあるので結構満腹感。


 ただ、マニアの目として見た時の独り言。

 もうちょっと玉のバリエーションを増やした方がいいかなぁ…とは思うのよね。
 そういえば、花の型物とかあったよね、以前。
 量産体制の違いはあれど、片貝煙火のバリエーションにはかなわない。無理に対抗せよとは言わないけれど、そして来年すぐにそうしろとは言わないけれど、長い目で少しずつ玉の種類をもう少し増やしていけるといいなぁと思ったんだよね。(片貝だって、玉の種類は今のように最初から多かったわけじゃないしね)

 あと小型煙火に関しては、某大御所が私に苦情を申し立ててこられました。いや、私に言われてもなぁ。

 一応一般市民だからねっ!キリッ!