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計画停電で塞ぎこみそう

2011-03-14 21:21:00 | 雑事つれづれ


▲白いクロッカス咲く。ベランダで次々と咲いている。

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 東北の地震の影響で、首都圏でも計画停電が実施された。私の居住地域や職場地域は計画から外れていたので安堵したが、よくよく見たら大変なことだ。
 支社と連絡が取れないではないか!? 今どきの電話って、停電になると使えないのよね…。クライアントも電話受付が主体なので、果たして対応できていたのだろうか…。

 というか前日の夜の発表で、朝場所によっては電車動きませんって、凄く周知期間不足のような…。





 ということで、計画停電を経験してきたわけだが、「ぐだぐだだな」っていうのが印象。これが1月以上続くとなると気が滅入りそうだ。
 
 まず朝。私の乗る路線は、昨夜の段階では通常ダイヤで運行のはずだった。ところが、駅に行ってみると減便されていて、朝のラッシュに7割の運行状態。
 そこに、JRなどの運行減を聞いてこちらに流れてきた客が加わり、駅は大混雑。やってくる折り返し電車も猛烈な混雑でタイムテーブルからずれてやってくる。その分、待ち人数も増えるわけで、どこに乗り口の列があるのだか判断に困るほどである。
 乗ったら乗ったで、非常な混雑。皆、どんどんどんどん圧縮されていく~。まだ私は始発駅だから座っていくこともできるが、立っていくのは大変な苦痛だ。途中駅では乗るのにも一苦労。一列車見送ったって、次の電車に乗れる保証もない。
 
 そして夕方。今度は通常の4割程度の運行とのこと。こちらは途中駅からの乗りこみだから、もう隙間がないんだよね。それでも乗り込まなくてはならない。だって、次の電車を待ったって乗れる保証はないんだから…。今日は何度もコートがドアに挟まってご迷惑をかけてしまった(ーー;)。
 朝のラッシュ並みの帰宅ラッシュ。終点に着くころにはヘロヘロである。

 朝も晩もこんなヘロヘロ状態が用意されるのであれば、そしてそれが1月以上も続くのかと思うと、少々憂鬱になる。
 会社で残業をして電車が復旧するまで待つことも考えたが、会社も節電モードでビルごと残業不推奨。結局、ビルを追い出されるようにして会社を出るわけである。

 ちなみにビルではエレベーターホールの消灯、共有スペースの暖房カット、トイレの便座&ウォシュレットの暖房カット(長い時間いると、お尻がしもやけになりそうだ。そして、洗浄ボタンを押すと、冬らしい冷たい水がかかるので飛び上がりそうになる)。

 最寄駅では夕飯材料が買える商業施設が早々の閉店。24時間スーパーもコンビニも商品在庫が少なく、気持ちが非常に貧しくなる。当然店の看板は消灯。

 そりゃ、国民的危機であるから節電の協力は惜しまない。でもこんなのが続くとすっかりモチベーションが下がってしまう。
 貧しいのと清貧の精神は違うものであって、今日の状態は貧しくて心がひもじい。
 そう考えるのは、私がバブル世代で物があるのが当たり前の状態で育ってきたからだろうか…。

 せめて電車の運行がもうちょっと多ければ楽なのだが…。
 駅の電灯を半分にして、車内電灯も半分にしていいから(そういえば昔の丸ノ内線や銀座線は一瞬停電するものだった)、もうちょっと運行数を増やしてもらえないものだろうか…。
 電車が朝走らないからって、会社のこれない人も少なくない。


 町はすっかり深夜11時の顔(明かりが消えているから)。自宅に帰ったらまだ8時前だったことに驚く。たぶん、世のお父さんたちもそうやって会社を追い出されてきたのだろうな。一杯飲み屋がいつも以上に混雑していたような気がする。


ありし日の気仙沼

2011-03-13 13:10:00 | 雑事つれづれ
 PCの画像フォルダを見ていたら、気仙沼に取材に行った時の画像が出てきた。
 2006年3月16日のことである。
 フカヒレの取材で港の高台にある気仙沼プラザホテルさんにお世話になった。本当に港のすぐそばに建っているのだが、かなりの高台なので津波の被害には遭っていないと思われる。12日のテレビ映像にもその白い建物は立っていた。


▲ホテルから気仙沼湾を望む。左の方にあるのが大島である。




▲ホテルの屋上にはNHKのリモコンカメラが常設されているのだが、一帯は停電(およびすべてのライフライン途絶)らしく現地からの情報は現在入ってこない。


▲津波被害および火災被害が大きかった辺り。気仙沼駅はこの左手奥方向にある。正面の高台にあるのは東稜高校だろうか


▲港に面した魚市場へ取材に行った


▲気仙沼は近海産の生マグロが上がる基地である
 フカヒレの取材で行ったので、サメもズラーッと並んでいたのだが、すぐヒレを切り落として血まみれなので掲載を自粛する。


▲マグロは尾を切って、脂の乗りを見る


▲競り落としたマグロはこうやってズルズルと引きずられていくことにびっくり


▲マグロ・サメ以外は種別ごとにかごに入れて競られていく。左手にある事務所に希望価格を入れて入札するシステムだそうだ。


 この魚市場は立地的に明らかに津波に襲われている。これらは朝6時半ごろから7時ごろにかけて撮影したもので、おそらく午後にはここは閑散としているのだろう。この時は専業カメラマンが同道していたので、私の撮影はあくまで記録である。 
 こちらに写っている人々が無事であることを願ってやまない。

こっちの情報が足りない!

2011-03-13 11:45:00 | 新潟県中越大震災
 東北の地震・津波被害の深刻さは十分わかっている。だけど、明らかにこちらの情報が不足しているのが気になる。

 「震災、他人事だと…」震度6で村民9割避難 長野・栄→http://www.asahi.com/national/update/0313/TKY201103120600.html

 かつて新潟県中越地震の際、その3日前に発生した兵庫県豊岡市の台風23号被害の報道が食われてしまった。その結果、豊岡市にはボランティアの申し込みも少なく復興には大変苦労されたと聞く。

 この長野県栄村は、新潟県中越地震の際に小千谷が経験した震度6強の揺れを受けている。一帯は小千谷をはるかに上回る日本有数の豪雪地帯である。
 今回比較的被害が集中しているという青倉地区近くには、駅における最高積雪量7m85cmを記録したJR飯山線・森宮野原駅がある。
 テレビではその飯山線の線路が宙づりになった様子が流れた程度だろう。
 あの飯山線は、超赤字路線。それでも廃線を免れているのは(廃線対象に上がったことはあるそうだ)、ほかの代替路線も道路もないからである。並行して走る国道117号も飯山線と同じような環境を走る。今回の地震で雪崩を避ける「スノーシェルター」が崩落している個所がある。
 かつて厳寒期の1月に発生した北海道・釧路沖地震では、春になり地面が溶けることによってさらに被害が拡大していったと記憶している。ならば、この豪雪地帯が春を迎えた際、雪の重みによって抑えられていた地盤災害が一気に表面化するのではないかと危惧する。

 飯山線の復旧は春以降に手を付けることになるだろう。でも工事機械を置くような場所がなさそうなのが気になるが(もともとこの一帯は千曲川[新潟県境を越えて信濃川となる]が山間を縫って走ることで作られた歪狭な地形である)…。

 栄村の南部には「秋山郷」と呼ばれる鄙びた風景がある。
 写真家などが好んで訪れる美しい地である。また、信越国境の苗場山(日本百名山)の登山基地でもあり、山歩きの人も多く訪れるだろう。しかし、かつて鈴木牧之が『秋山紀行』で記した独自の文化を古くから持っているところだ。平家落人の里との言い伝えもあるらしい。
 栄村の中でも豪雪度が酷く、豪雪の際によくテレビに取り上げられるところである。今のところ顕著な被害情報はないようだが、単に見落とされているのではないかと気になる所だ(アクセスが新潟側からという僻地だし…)

日本はどうなったの

2011-03-12 04:48:00 | 新潟県中越大震災
 一体なんなの! 今度は信越国境で震度6強(長野県栄村)! あの辺りは3mを超える積雪があると思われるのだが、大丈夫なのだろうか…。被害が雪で見えない可能性も高い。雪崩情報が出ているらしい。
 4時前の1回目は小千谷の辺りでも5弱。ウチの弟は出勤体制に入ったころと思われるが(母も起床)大丈夫だっただろうか…。


 昨日の東北の余震も相変わらずのようだし…。
 連絡が取れないというローカル線も心配だ。


【追加】
 実家の方は6時過ぎに連絡を取りました。さすが新潟県中越地震経験者、震度5弱程度では落ち着いたものです。1歳児の甥っ子も落ち着いて朝ご飯中でした。

無事に帰宅

2011-03-11 21:28:00 | 新潟県中越大震災

 会社から1時間半ほど歩いて先ほど帰宅しました。明日の帰省のために早く帰りたくて会社を出たのですが、途中、週末の試験の延期の連絡が入り(新潟清酒達人検定の事務局の皆様、ご連絡ご苦労様です。あ、「新潟酒の陣」も中止です)、目的喪失。それでもまぁ、タッタカタッタカ歩いてきましたよ。
 もともとこういうことを想定して、会社から一駅二駅と歩くテストをしていたのですから、実際に役立つ場面に出くわして、正直複雑な気持ちです。



 新潟県中越大震災(の余震)、中越沖地震の震度6弱を実家で体験して以来、地震には非常に敏感になっている。
 今日の地震も最初に感じたのは小さな縦揺れだった。その後、それが小さな横揺れとなり(この時点で、プレート型地震と認識)、徐々に揺れ幅が大きくなっていき(震源は遠い、おそらく東北沖と推定)、やがて椅子に座っているのが危険と判断するようになった。仕事の書類が積み上げられているデスクからはなだれのようにそれが落ち、ビル全体からミシピシといった音とともに激しい揺れとなった。
 その揺れの中で、ネット経由で上記の推測が当たっていたことを知る。
 大きな揺れは収まり、でも揺れ(長周期振動)がまだ続いているうちに辺りを見回すと、天井パネルが落ちかけており、あわててビニールひもで立ち入り禁止状態に。仕事に使う特殊デスクの足が一つ折れている。書棚からは本がこぼれ、重いコピー機も動いた後あり。ビルの管理室からエレベーター停止の放送が入る。それらを片付けているうちに第2の揺れがやってきた。
 この揺れの後、会社のスタッフはみなビル外に非難してしまった。私は、上記のような判断で、自己責任でオフィスに残った。その判断は功を奏し、やってきたクライアントのリスク管理の初動手配を行う。
 聞けば、同じビル内にいるクライアントも部長以上はビル外に避難させたそう。ウチの部長クラスは本日は関東外に出張中で難を免れた。

 外を見ると、ビルのガラスに隣の高層ビルが映っていることに気付く。しかもそれがユラユラと明らかに揺れている。あの時間、西新宿の高層ビル街にいた人はさぞや恐ろしかったであろう。


 後片付けをしているうちに猛烈に時間が過ぎる。眼下には、早くも自宅に向かって歩き始めたと思われる人の列。バス停には長ーい列ができる。
 クライアントさんはお客様の安全確認や明日以降の催行の判断などで忙しく、今日の私の進行は断念せざるを得ない。定時を待って早々に会社を辞することにした。
 JRはすでに動かず、メトロもおそらく8時過ぎまでは動きそうにないだろうという判断で、歩くことにする。まだ私は会社から家まで8キロなので楽勝だが、遠くから通勤している人は、早々に会社に泊まる決意をしていた(そんな中、埼玉の奥にお住まいの人も歩き帰宅を決意)。
 私のような考えの人は多く、幹線道路沿いは結構な人の行列となる。隣の車列は動かず…。

 道中、コンビニや飲食店はどこも大盛況であった。もっとも、郊外に行くにしたがって、早々に閉店というパターンが少なくなかったが…。
 居住区に入り、区役所前を通ったら、災害対策本部のテントがあった。そこでは徒歩帰宅者向けに水を無料提供していた。
 自宅に到着。案の定エレベーターは停止しており、非常階段から家に入る。

 何が大変かって、進行方向から吹いてくる冷たい北西季節風。なんだかんだとウチにたどり着いた時にはほっぺたがプチしもやけ状態であった(もう治ったけれど)。