長坂橋(ちょうはんきょう)のもう一人の英雄と言えば趙雲(ちょううん)だ。
趙雲は身長八尺(約184cm)、←これがよく分からないね。日本の一尺は確か30cm。だからそれでいくと2m40cmだよね。中国の尺貫はちょっと違うのだよね。そう言えば「一日千里を走る」とか「負けて千里を敗走した」とかあるけど、ちょっと、想像がつかないぞ。でもこの位な体格でないと、重い武器を振り回して、相手を討ち取る事なんか出来ない。
趙雲は姿や顔つきが際立って立派だったらしい。故郷の常山(じょうざん)郡から推挙され、官民の義勇兵を率いて公孫瓚(こうそんさん)の配下に入った。
公孫瓚が袁紹(えんしょう)と戦っている時、援軍として劉備を派遣した際に随行し、騎兵隊長となった。
後に趙雲は劉備と久しぶりに目通りし、劉備の配下となった。
呉妹君(ごまいくん・孫権の妹)との婚儀で劉備のお供で随行した趙雲ですが、その席で呉の皇太閤が「あそこに控えているのは?」。「趙雲子竜です」。「おお!、あの劉禅阿斗を助け出した勇者ですか」と、彼の武勇は遠く呉の国にも響いていたのだ。
チッチャクテ、どれが趙雲だか分からないって!?。た、多分真ん中の左の白馬に乗っているのがそうだと思う
仁徳の人、名君の劉備のもと、万夫不当の関羽、張飛、趙雲、馬超(ばちょう)、の他、魏延(ぎえん)、黄忠(こうちゅう)、その上、臥龍(がりゅう)事、諸葛孔明、鳳雛(ほうすう)事、龐統(ほうとう)の両軍師を得て、蜀の国を平定し、理想の国家を作ったが、魏賊(ぎぞく・皇帝を僭称していると言う意味。勝手に名乗ると言う事だよ)を討って、天下統一は出来なかった。
図らずも、水鏡先生が「君、臥龍鳳雛を得ると雖も、その時を得ず」と言う予言が当たってしまうのだ。
魏の国の曹操が「天の時」。呉の国の孫権が「地の利」で国の体制を維持しますが、蜀の国は「人の和」で立ち上げたのだが、その人の和が崩れて、国が崩壊してしまった。
関羽が魏の捕虜となって首を刎ねられ、張飛も大酒を飲んで就寝中に首をかかれ、義兄弟の契りをもって劉備が出兵しても、大敗をきしてしまう。劉備の死後、魏延が傲慢になり、孔明の軍令にも逆らうようになる。
ある歴史家の書では、趙雲はわざと魏延よりか低い地位にいたといっている。魏延は劉備の配下になった頃から、自分は関羽張飛に匹敵すると、思っていて、超雲以上と思い上がっていた訳で、趙雲は孔明と図っていて、その後、孔明の策で「俺を倒せる奴がいるか!?」「おう、ここにいるぞ」と言われて背後から、魏延は討ち取られてしまう。
息子のトモも言ってましたが、「全身是肝の人なり」と言われてまして、位の上下なんかにこだわらなかったとも言われています。これこそ絵に描いたような将軍・人物でした。今でも民衆に人気があって、京劇でも趙雲が主役の演目が多いのがその証拠だね。関羽、張飛の批判をする人がいても趙雲はあまりというか、そういう時に名前が出てこない。
美髯公、関羽、燕人張飛、常山の趙子竜。タイムマシンに乗ってこの時代に行くことが出来たらどんなに、いいか!。行けないならせめて、映画で勇猛さを再現してもらって、当時を思い起してみたいものです。
でもタイムマシンで着いた途端に、戦いの真っ最中に飛び込んでしまって、あっと言う間に、首を刎ねられたら嫌ですからね、映画で見ているのが安全でいいやー。(笑)