高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

旅は終わり

2008-04-04 22:08:55 | 日記

夕食は皆さんのお奨めで毎晩堪能、楽しく過ごさせてもらいましたが、宿の朝食がダメやねえ・・。お世辞でなく、手前味噌ですが、MRKさんが作る自然学校の朝食はいいですよ。ほんとに。

道中で地物の春野菜やらを仕入れながら山形空港へ。東北の蕎麦が食べたいのにタイミングが合わないままに最終日となってしましました。帰りの飛行機は昼前、それもギリギリとなってしまいお蕎麦は、結局、空港のレストランになってしまいましたが、それでもまあまあおいしかった。

千歳に到着。なんか・・帰るのがもったいなくて、空港近くの大きなショッピングモールでブラブラし最期の散財してしまった・・・。支笏湖・ニセコ経由で黒松内へ。途中、未確認だった真狩村の細川たかしの歌う銅像を探し出し、歌ってもらいました。

あーあ・・・、再会と旨いものを食べる旅は・・終わっちゃいました。

                     

明日からは、♪ 北のぉ~ ♪♪ 人生の「こうかい」を再び続けます。
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喜多方から山形

2008-04-04 08:06:26 | 日記

会津若松の夜は日本酒をかなりやりましたが、さすが ふくすまの地酒、朝から快調。

本日は味噌や日本酒をたんと買い込んでから、喜多方経由で山形へ。

喜多方は高校山岳の合宿で飯豊山脈を縦走し下山した町でそれ以来36年ぶり。当時の他校山岳部は北アルプスが一般的な夏の合宿先でしたが、私の時代の千葉高校山岳部は、福島、山形、新潟、栃木などの県境の登山道もあやしい山地ばかり歩いていました。人生のベースとなる価値観を3年間の高校のクラブ活動でたっぷりと培った感があります。しかし、もう36年たったなんて信じられないなあ。時間の経過を感じるなあ・・・。

あの頃、下山路の川の渡りは何箇所も橋がなかった。渓谷の空中に張られたケーブルに滑車がついた籠があり、それに乗り込みスリリングな滑空を楽しんだ鮮烈な思い出があります。わが青春だった・・・。

駅には汽車が来ていたし、随分と山奥だったのですが、今は黒松内よりかなり都会な町になってました。喜多方ラーメンなど当時はありませんでしたが、全国的に有名になった縮れ太麺は旨かった。 ただ、まーぼーラーメン、あんかけ野菜ラーメンと変化球な味を頼んでしまいちょっと失敗。

峠越えは運転疲れで 今日も何度も仮眠しました。

                 

夕刻、山形の同志HSYさん行き付けのイタリアンな居酒屋でKさん一家も合流。店にあるビールの銘柄8種類を飲み続けました。上手に管理された生ビールです。ビアグラスもそれぞれ異なるサービスとおいしい料理を堪能。

二次会に山形の日本酒と蕎麦のお誘いがありましたが、ビール飲みすぎで残念ながら余裕がなかった・・・。

飲み歩きみたいな旅はあっという間におしまいだあ。
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山形の朝

2008-04-04 07:16:24 | 日記
宿の窓を開けて寝てました。適度な冷気が心地よし。今朝の目覚めに感謝します。これは我が心の師ガネーシャの教えです。起きると同時に祈るのです。

今日も命あること、妻や子ども達が無事であること、スタッフや私と関係のある人達を思いうかべ、その皆さんと共に、今生きていることに感謝するのです。

起きた瞬間って、自分が存在している、生きていることを実感できる、つまりそれまで寝ていて外界を内なる意識が認識できない状態から『認識できる』状態にスイッチを入れた瞬間なんです。

この時って、一日のうちで精神が最も純粋で邪念がなく落ち着いているはずなのです。起きた瞬間に『会社に行きたくないなあ、学校を休みたいなあ』と感じるならば、相当疲れてますから、何か気持ちが好くなることをして良いエネルギーを取り入れましょう。

昨夜は珍しくビールのみ、それも、随分と飲みましたが、快調に目覚められました。なんと言っても、山形の同志HSY、IKKさん、KTOさん、生後5ヶ月?の晴太郎君に感謝します。

そしてビール党のMRKさんの飲みっぷりにも感謝だなあ。なんでビールばかりあんなに飲めるのか不思議だ。
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