高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

Oh~! 黒ねおす!

2013-07-01 19:53:58 | 日記
我愛車だった黒ねおす...石狩にいるらしい。会いに行きたいぜ! 廃車の運命らしい.

が、ホント、あたしの浮き沈みを共にした。楽しいときもあれば、車の中で泣いてた俺をじっ
と抱いててくれたこともあった!

お前、最期なのに、お日さんに耀いてカッコいいぜ...

ホント、感謝してるぜ...

俺はお前を死んでも忘れんぜ! 
あの世でまた、一緒に旅をしようぜ!

Ohoo~!!! 黒ねおす、おさらばだ!
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震災支援をふりかえって(4) なぜ即初動できたか。

2013-07-01 16:58:10 | 震災支援・脱原発・環境問題
◆なぜ初動できたか、なぜボラセンを独自運営できたか。
 3月11日の発災時刻は私の次女の結婚式で、ニセコの小さな教会の地下にある待合室で式を待っていた。揺れは全く感じなかった。式に続く披露宴、親族との二次会もあり、事態をしったのは深夜のTVニュースであった。 発災し本州に渡る交通手段が途絶えた状況下で、翌12日から支援活動を始めた。

 支援活動を初動できた直接的な要因は四点ある。第一は釜石出身の職員、柏崎未来の存在であった。発災後、釜石の状況はなかなかTV映像では流れなかった。3月12日の昼頃、初めて釜石市街地に流れ込む濁流が画面に映し出された。同時に刻々と事態が悪化する福島原発事故も伝えていた。出動するか否か暫し逡巡したが、ねおすというコミュニティ全体が彼女と彼女の郷里を心配している、「通常業務はできない」と直感した。出動以外の選択肢はなくなった。 
 第二点は、野外行動技術を有する私達はテントと寝袋、マッチと鍋があればどこでも生きてゆけるとの自信があり、装備もある。被災現場は想像を越えていたが、そこに向かうことに大きな不安は覚えなかった。
 第三点は、ねおす自体がネットワーク型組織であったことだ。例えば、函館に居住するスタッフが本州に渡るフェリーを押さえ、車両燃料を確保した。札幌本部では多くの人が住む大都市の利点を活かして即座に資金集めを開始した。私が直轄している黒松内ぶなの森自然学校はワゴン車両を複数台保有し、装備や食料の備蓄があった。異なる地域に拠点を持つ個別の事業体がそれぞれの特徴を一気に発揮した。
 そして、第四点は、NPOの定款に「災害支援」を書き込んでいることにある。これは阪神大震災時に初動できなかった反省の上に立って明文化した。災害支援は定款上で、ねおすの本来活動であり、理事会や正会員の意向を聞くことなく理事長判断で迅速に行動を起こすことができた。

私達の本業とする野外活動では、スタッフは刻々と変化する自然環境の状況や参加者の状態の中で、スタッフ間で活動目標は共有するが、その到達へのプロセスは各自の判断で臨機応変に対処する力が求められる。今回はそのノウハウが活かされた。初動では監督の指揮命令が優先する野球型ではなく、実働者に瞬時の判断と行動を任せるサッカー型のチームプレーを行った。

 第2陣以降は、スタッフの個性と特性を考えて人材を投入する監督が私の役割であった。「自主・自律できる人材の学び場づくり」、「地域ツーリズム = 学びと交流の場づくり」がねおすのミッションであり、職員は常日頃から北海道の各地域拠点で地域住民と関わりを持ち、かつ地域内外とのネットワークづくり、交流創出を展開している。これらの経験があったからこそ、緊急事態の中でも初動からボランティアセンターの立ち上げまで職員同士が連携し、現場での自己判断と臨機応変な行動により一気に走りぬけることができた。
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ウエットスーツ

2013-07-01 12:22:51 | 自然学校の日常

 本年度は日本財団より水活動の装備購入の補助を得ることができました。ありがたことで、ウエットスーツを大小合わせて60着ほど入手しました。 すでに使い始めていますが、北海道の水は冷たいので、夏の始まりが早くなり、夏の終わりが遅くなりそうです。

 嬉しい限りであります。
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ローガンズ

2013-07-01 00:23:22 | 自然学校の日常

スタッフは合同催事事業のため苫小牧方面へ出かけた静かな土曜日。 成り行きで冷蔵庫に余ったもので今晩もBBQと相成りました。 近所の重さん、川向こうで果樹栽培を始めている渡辺さんも合流して大人な宴会。

 夜は・・、北斗とほっしーのギーター、自然と歌会となり、深夜遅くまでカホーンも叩きながらの宴(うたげ)と化しました。 ひところ、昭和キッズ歌の会と称していましたが、最近ではゴーガンズと名乗っております。

 夜暗闇で、焚き火の明かりの中で歌うのは、ストレスの発散方法として健康的であります。
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蛇と格闘 Battle vis Snake

2013-07-01 00:02:32 | English diary
今日、札幌からきた若いNPOスタッフと自然学校の校庭で打ち合わせをしていました。 すると、そこへ一匹の蛇が後ろからテーブルの下にやってきました。驚きましたが、蛇嫌いの私は叫び声はあげませんでした。 蛇には獲物の狙いがあるようでした・・・・。 体長は1m以上あった。
 Today, I had a meeting with a young NPO staff from Sapporo at our nature school garden. At the same time, a snake was coming to under the table from the back. I much dislike the snake. I was suprised but without a scream . The snake looked like to have the victim(target).
The length of body was over the one meter.

 じっと見ていると、蛇は鶏小屋をめざしているようでした。 獲物は玉子らしかった。
We watched fixedly, the snake would look like to approch to Chiken(Hen) house・・・・The victim maight be the egg.

蛇はフェンスを通り抜けてついに鶏小屋にj徐々に近づいた!!
 The snake passed through the fence and coming to the Hen house closer and closer.

鎌首を上げて入口を探し・・・、ついに蛇は壁に空いた小さな隙間から中へ入り始めた・・・!!
 The snake was looking for the entrance to the hen-house, lifting his head....., At last he had found the small hole on the wall and beginig to raid into the Hen-house!!!!!!!!!!

あたしは迷った・・・どうするべきか・・・、 若者のが見ている・・。 しかたなく、意を決して、壁際に走り、あと、20cm残っている蛇のしっぽを掴んで、引っ張った。

 I wondered whether I help or not......., the young also watching...., I had no choice, I had decided to help and run to the wall of hen-house. I had gripped the last 20cm end of the snake and pull at strongly.

綱引きは10秒位だったでしょうか。 私が勝ち、引っ張り出した蛇をハンマー投げのように振り回して塀の向こう側に投げ捨てたのでした。
蛇を掴んだのは、生まれて二度目でした。

The rope play continued for around 10 minutes and I got the win!!!! I swung the snake around like the hammer throw and threw away over the fence. This is my twice experience to grip the snake!!!!!!!

長い文章を読んでくださって、ありがとうございます。
Thank you reading my long sentence・・・・・Please correct the mistakes.
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