◆情報社会の脆弱性とインターネットの有用性
東日本大震災は、近世において日本人が直面したことがない沿岸津波の大災害であり、それも過疎地域において壊滅と言われる程に市街地や小さな集落が被災した。阪神淡路大震災は数多くの人々が居住する都市の被災であったが、今回は福島から岩手に及ぶ広範囲の沿岸過疎地域の被災であった。
まず、情報が途絶した。釜石鵜住居地域は長期間停電し通常電話、TVはもとより携帯電話も通じなかった。福島原発の状況は雑音に混ざってかすかに聞える携帯ラジオだけが頼りであった。それも朝晩の電波状況がやや良い時にかすかに聞こえるだけであり、情報も断片的でしかなかった。原子炉建屋の爆発状況は1週間たった帰りのフェリーの中でTVニュース画像を見て始めて知った。驚愕した。原発が危機的な大事故を起こしていることは、被災地の大多数の人々は知る由もなかった。あの状況下で放射能が北へより拡散していたらと考えると戦慄すら覚える。
物資があまりにも不足していたので、3/16に被災を受けていない内陸の遠野市へ連携を求めに灯油で燃料を薄めた車で1時間かけた。探し当てた現地NPO事務所は市街の大型スーパーの2階の一角にあった。スーパーは営業をしており、食料品の棚こそは空であったが、衣料品コーナーにはたくさんの衣類が並んでいる様を見て目を疑った。避難所には食糧は自衛隊が配送し確保され始めていたが、生活必需品類は下着すらまだ届いていなかった。「すでに割引セールをしている」と呑気な回答をする売り場責任者に被災地現場の様子を説明しても埓があかないので、持ち合わせたお金でありったけの下着を購入した。現地NPOからは「現場では今何が必要だ!」と即座に質問を受けた。「衣類、とりわけ下着や靴下、トイレットペーパー、歯磨き・・」など様々な品目を伝えた。まさしくアナログな伝令であった。彼らは物資支援の要望品としてインターネットにすぐさま書き込んだ。すると、5分もたたないうちに、「歯磨き5,000本」「下着も大量に送る」と言う回答が続々と全国からメールで寄せられた。インターネットは相手の顔が見えないままにも社会に協働意識を育んだ道具であったことを見せつけられた瞬間でもあった。
その後の市職員からの聞き取り調査によると、3月末頃までは市災害本部と鵜住居地域の間での情報のやり取りは車の燃料もこと欠いていたので、行政ですら時には人が歩いて自ら届ける伝達だけであり、極端に情報が不足していたことがわかった。現代社会の情報のやり取りが携帯電話やパソコンにあまりにも頼り過ぎていることに気づかされた。通信手段が途絶する広域災害に対して情報社会はあまりにも脆弱であることが露呈された。
大災害の最中にあると、人は自らの身体を動かして情報を獲得、伝達することすらできなくなってしまうのかもしれない。