NPO法人北海道NPOサポートセンターの20周年フォーラムが札幌で開催されました。 NPOが施行された、その日に、このサポセンと、富良野演劇工房と ねおす が北海道庁へNPO申請手続き書類を三者示し合わせて持参し、記者会見もしたものでした。
しかし、完全受理(すなわち提出書類が完璧)は演劇工房だけで、サポセンとねおすは正式受理はされなかったようです。 ようですと書いたのは、ねおすの提出書類の一部の理事捺印が必要な部分がコピーだったのです。(書類を求めた方が、そもそも行政職員だったので、??とは思ったが、コピーで出してしまった)書類を全部うけとり、「この一部は差し替えてください」という担当者の言葉で、「受理はされた」とかってに思い込んでしまい、後日再び未提出を指摘されるまで、正式受理が1週間ほど遅れてしまいました。 その遅れによって、認証もずれ込んでしまい、北海道で一番早生まれのNPOは富良野演劇工房となり、ねおすは道内二番目生まれとなりました。 ちなみに、演劇工房は富良野市拠点ですので、札幌市で一番早生れのNPOは「ねおす」なのです。 と・・、どうでもいいことをちょっと自慢気味に書いたあとで・・・本題。
フォーラムには100人ほどが集まりました。 顔見知りでない人が、もう半数以上かなあ。 北海道のNPOシーンも転換してきました。環境教育や自然体験活動業界と同様に世代交代がまったなしです。 テーマは「NPO1.5世代から見た1次世代」「2次世代が見る過去・現在・未来」というような設定があり、私は完全なる第一次世代に分類されているようです。 それは以上の経緯からまぎれもないのですが・・・、
1993-4年ころでしょうか、全国でNPOの法制化の機運が盛り上がっていました。当初「市民活動法案」というような名称でしたが、時の政権自民党が「市民活動」という言葉に反対して法案が流れたことがありました。 その後、阪神淡路大震災があったのではなかったか・・、それまでの福祉協議会など行政系の被災地支援でなく、民間の迅速臨機応変な支援活動が社会の注目を浴びて、非営利組織=NPOに関する法案が一気に成立したのでした。私は、このNPO法案設立にむけて力を尽くした人々こそが、第1次世代で、それをもって設立した私こそが、1.5世代だと思っています。
この1次世代の人たちはともかくも情熱を持っていた。 なにせ、あの団塊の世代の私より数年、お兄さん・お姉さんの世代です。若い頃は学園闘争で本機で社会を変えようとデモ行進をし、ヘルメット被ってセクト争いを演じ、大学の授業ができないようにもした人たちですが、それが沈静化させられると、ほとんどの人が転向して資本主義の高度成長時代の牽引者となったのでした。 それでも、社会の変革を平和的に求め実践的にめざした人たちが、このNPOの胎動期に全国各地にいたのです。このひと方こそが、第一次世代です。
環境教育・自然体験業界ほどに、ないにしろ20代30代が増えて来ています。活動の領域も広がり進化している感じはうけました。 が・・、先月の全国環境教育フォーラムの会場で感じたことと同様な感想ももったことも確かです・・・。
なんか・・・、根っこの部分が不安定というか、どっしりとしていないような・・。 これは人の世ですから、常に年寄りがわかものに感じてきたことでしょう。 そもそも、なぜNPOなの? 大切な言葉の概念は??? それらは、昔より「あたりまえに」なっているのだと思います。だから、活動の担い手も続いている。 しかし、次から次へと若い人たちが参画してくるからこそ、普遍的なことを問いかけ考える「そもそも論」は続けてゆかなければならないと思う。
まちとは社会とは? 公正とは? なぜ格差が生まれてはいけないのか? 使命とは?
混迷してゆく、むしろ より良くなるのではなkて、悪くなるような社会生活が背景にあるからこそ、NPO活動は、なぜなぜなぜなぜなぜやるの? WHYの五剩くらい問いかける必要があると思う。するとおのずとして、WHAT WHEN、WHO, WHOM,HOWの課程づくりができるのだと思うな。