なんとも懐かしい写真を頂きました。(が、プロの写真家のものだと判明したので、削除しました・・、)
昭和30年代でしょうか・・。 ちなみに前の東京オリンピックは昭和39年、東海道新幹線や東名高速道路もそれに合わせて造られた経済高度成長期でした。 写真は比較的都市の住宅地のようです。 私は千葉県船橋市のとある神社境内に隣接する住宅地に住んでいたので、遊び場はもっぱら境内でしたが、写真のように広くはないが、車が一台通れるか通れないくらいの道路は、土が出ていたので、釘や木の枝で地面で図形を作ってゆくような遊びやビー玉もしました。
子どもたちが異学年で群れていたのは、写真と同様で。幼稚園児から中学生くらいが集まって、神社境内では三角ベースの野球(一塁と二塁とホームしかない)や神社森を走り回るドロジュン(泥棒と巡査)という集団鬼ごっこが放課後の日常でした。 隠れ家・陣地づくりも流行った時代も有り、隣の地区の集団と覇権争い(相手陣に集団で出撃してを壊して、相手が集めていた物を奪い合った)もしたなあ・・。
今の時代、子どもたちは、同学年しか友達づくりをしないし、群れることはない・・・。 子どものコミュニティの中での弱者と強者は当然いたが、集団遊びの中では、年長者が幼い者をかばうということはあたりまえだった・・(そうしないと 敵?に負けてしまう) この経験は大人になる過程で必要不可欠だと思うな。
しかし、こういった「場」は、今や大人が関わって作り出さないとならないと思う。 別に戦い遊びを奨励しているわけではない、子どもが群れることができる場だ。 私たちは、夏休みなどに異年齢集団となるような体験活動を提供しているが、もっと日常的にこういった場を出現させねばならないと思う。
そこに、プレイパークという子ども遊びばづくりの概念と実践例が都会に出現してきている。 これは都会だけでなく、子どもがいる小さな地域でも必須の社会課題になっていると思う。
来年は、黒松内町でも生み出したい・・・。