晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

晴徨 大原・猪鼻・加用(2) 7/14 

2012-07-14 | 晴徨

2012.7.14(土)曇

 本日は日本一周自転車旅行スタート記念日である。2006年の今日は異常に暑かった。ところが途中から夕立があり、その後連日の雨となり、19日に傷心の帰京となる。そして本格的スタートは8月の1日となるのである。従ってこの時期の気象状況は身に浸みて解っている。北近畿の梅雨末期の集中豪雨はこれからが要注意だと思うのだが、梅雨前線は日本海に上がっているのである。太平洋高気圧が強くなれば、以外とすんなり夏になるかもしれない。
 さてこの記念すべき日に傷心の帰京をしたルートと同じルートについて書いているのは奇遇としか思えない。
 質志トンネルのある峠は如何なる名前なのだろうか。国土地理院地形図では榎峠とある。ちょうどトンネルの真上にあるようだ。わたしが中学の頃質志鍾乳洞探検に行った道も、母と二人農協のトラックに乗って故郷川合を出た道もこの峠道である。狭い地道の曲がりくねった道であった。P1020181

階段や照明が付けられた鍾乳洞には何の魅力も感じられない。


 トンネルを抜けると右に質志鍾乳洞への道を眺めて、三宮の信号まで一気に下る。三宮のお寺の手前を右下に降りて行く。自信は無いのだがこの方が近道だろう。下りきったところに左手に酒治志神社がある。延喜式内の古い神社だが実はこのよみが解らない。スジシ、スチシ、シュジシ、シュチシ、スズシなど様々に言われるが質志(しづし)という地名とかかわりがあるのではないかと思う。P1020183_2 P1020182

大杉のある社殿と案内の看板。「シュチシ」はアイヌ語で麓という意味があるという説もあるとか。



 神社の前の橋を渡ると猪鼻(いのはな)に向かう府道への近道となる。この冠石峠(かむろいしとうげ)に至る坂道には道の脇に古い地蔵さまがある、きっと過去の街道筋なのだろう。峠を越えると左手に産廃処理場が現れ、その先に目的の猪鼻岩が見えてくる。P1020184_2

大事にされている地蔵さんだが、木の枝で作った籠のようなものは一体何だろう。


 昨年6月にこの地を訪れたときは、猪鼻の左の穴には畑に使う資材などが保管されていたが、今回は随分きれいに掃除されており、中まで入って観察することができる。ざっと見た後、その向かいにある西山さんのお宅を訪問する。
 「猪鼻岩についてお聞きしたいのですが」といきなり妙な格好の人間が訪問したにもかかわらずご主人は親切にお話し頂き、「この本にいろんなことが書いたるから読んでみな」と一冊の本を貸して頂いた。P1020186
 
西山さん宅から見た猪鼻岩。府道ができる前までは岩のあたりまで田んぼだったそうだ。元の街道は家の下を通っている1m余りの小道、進駐軍のジープもここから上へは入れなかったそうだ。


 「産土今昔夜話」(うぶすなこんじゃくやわ)という本は地元の西山柿風と言う方が1986年に猪鼻村の歴史や昔話などについてまとめて自費出版されたもののようである。門外不出のものを特に一部公開するとあり、差し障りの無さそうな部分のみ後日紹介したい。猪鼻岩の顛末とこの本の中身については、別項で紹介の予定である。つづく

今日のじょん:久々にユキちゃんが来たので、「出してくれい」と騒がしい。出しちゃると当座頑張って遊ぶのだが、やがてしらっとしてしまい、今度は「入れてくれい」と言う顔でドアからのぞいている。冷めてしまった恋人同士を見ているようでつらいものがある。P1020215

当座は仲良く遊ぶのだが、、、、。

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晴徨 大原・猪鼻・加用(1) 7/13

2012-07-14 | 晴徨

2012.7.13(金)曇、俄雨

 雨の日は読書に勤しみ、晴れた日には彷徨うというのがわたしの生活のコンセプトである。ところが雨の日はともかく、晴れの日、特に休日は生活に追われてバタバタと過ごしている。
本部ブログのカテゴリーも雨読は充実しているが、晴徨はカテゴリーも無い状態であった。体重も増加してきたことだし、ここは一つ健康対策も兼ねて晴徨を実践することにした。

 じょんのび村スタート 11:45
 阪鶴街道質山峠分岐 12:40
 台頭グリーンロード休憩所 13:20~13:30 昼食
 大原神社            13:40~13:50
 酒治志神社       14:26
 猪鼻岩          14:50~15:00
 加用            15:31~15:48        
 上川合           16:12
 じょんのび村       18:00
 
 走行距離 61Km 峠数大小7個

 今回の目的はとにかく走ってみること、雨が降りだしたら帰ってこという気楽なものだったが、必要備品は行方不明だし、自転車の整備はできていないし大慌て。
 最も準備不足なのがエンジンで、広域農道の峠ですでに息が上がっている。ギヤはとっくに最ロウギヤで情けないったらありゃしない。上谷厄神社から西原を通って27号線に出るのが最短なんだが、昼飯のおにぎりを購入するところが無い。やむなく綾部まで出てミツマルで購入する。怪しげな87円のおにぎり3個買って再スタート。
 わたしの晴徨ライドのやり方は、なるべく旧道を走ることである。車で走るときは新道で良いのだが、自転車の場合は旧道に限る。遠回りになることあるが、必ず嬉しい発見がある。新道には全国どこにいっても同じ景色のチエン店が展開しているだけである。綾部から京都方面に向かう道は今でこそ国道27号線だが、かつては由良川左岸の阪鶴街道(阪鶴鉄道沿いの街道という意味だろうか)を使っていたそうである。P1020160
 



 27号線から、旧綾部大橋を渡り、左折すると古い街道沿いとなり、すぐに質山峠から大原に向かう道に出合う。「右 大原ゑ 左 わち」の古い道標に出合う。右に道をとりすぐに国道173号線に出る道と旧の質山峠の道に出合う。ここも旧道を通りたいのだが、クリーンセンター下まではともかく、その先の通行が不安なので173号線を通ることにする。何ヶ所か国道から眼下に旧道が見えるが、草ぼうぼうで走る気がしない。草の無い冬か春のシーズンに再度挑戦してみたい。P1020162 P1020164_3
 
173号線から旧道が見え隠れ。



 台頭のロードパークで休憩し昼食をとる。ここはわたしのバイク初恋号で3回通過しているのだが、2006.7.19はチエン切れで傷心の通過、2007.5.21は日本一周達成記念日で喜びの休憩、そして今日は単なる晴徨というところだ。
 昼飯を食っていたら捨て猫だか寄ってきた。尻尾が切ってあるので飼い猫だったのかなあなどと想像するが、おにぎりをやっても食べないので、近所の猫かもしれない。P1020168_2




P1020171 Img_5893


おんなじ場所で日本一周達成時(右)。
えらい肥えてるで。 

 早々にスタートし大原神社に向かう。もし天候が崩れたら蛇ヶ谷に向かい、持つようだったら三宮から猪鼻、加用から上川合に出て、質山峠から帰ろうと決めていた。どうやら天気は持ちそうなので、奉納絵馬や大原志(おばらざし)の投句を見て大原神社をあとにする。
P1020173
わたしの句は今月の発表では無かった。


P1020174 P1020178 P1020179


 

 古い絵馬がいっぱいあって圧巻、大原八景も巡ってみたい。


今日のじょん:昨日のじょんだが、パトカーや消防署のサイレンに反応する。救急車にはときたまで、何が違うのか何かあるんだろう。「え~こえ」と囃すとアンコールが聞ける。P1020156 
ウオ~~ン
え~こえ


P1020157ウオ~~ン



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続・節電 7/12

2012-07-12 | 日記・エッセイ・コラム

2012.7.12(木)曇

 週刊誌の見出しに「頭に来る妻の節電、お前は東電の回し者か」と言うようなのがあった。中身は読んでないので定かでは無いが、世の主婦達が政府や電力会社の口車に乗って過剰に節電するので、夜勤明けでも暑くて寝られないご主人が怒っているというような光景が目に浮かぶ。確かにマスコミでも煽っているふうがあり、異常な節電ブームが起きているようだ。また、それを利用して一儲けしようと企んで、高価な節電用具が販売され宣伝されている。
 また大変奇妙なことだが、潤沢な電力=原発、節電=脱原発という風潮があるようだ。よくよく考えればまるで脈絡のないことだが、脱原発のために節電しようという考えは根拠がない。
 関西電力から電力使用のポイント制を中断すると通知が来た。じゃんじゃん電気を使ってポイントを貯めようというのが節電要請をしている現状と矛盾するためだろう。その代わり節電をすればクオカードをあげましょうと言うキャンペーンが始まった。「節電トライアル」というキャンペーンだが、節電の程度に応じて最高2,000円のカードがもらえると言うものだ。これは節電おたくの主婦にも大受けだろうと思うが、申込み登録が随分大変である。
 我が家では「節電トライアル」と「はぴeみる電」に登録した。なーんだ電力会社の口車に乗ってるのじゃないかと言われそうだが、そうではなくてクオカードが欲しいだけだ。つまりそれらの経費は所詮利用者が電力料として支払っているわけだから、取り返さない法は無いという考え方である。
 そして節電についても、電力会社の意向には関係なく大切なことだと思っている。わたしたちは必要以上に光熱水料を使って、それが文化的な生活だと思い違いをしていた部分があるのでは無いだろうか。必要なところには惜しまない、無駄なところは省いていくというのがこれからの生き方だと思う。
 エアコン室外機のネット付カバーが完成した。店のエアコンは絶対必要品である。南向きの室外機は昨年まで簾をかけたり、水を撒いたりしていたが、これからは手間が要らない。緑のカーテンが自動的に冷やしてくれるだろう。
 1×4が4枚で712円、ボルトが二本で100円、あとはあり合わせのものでつくり、昨年種を採ったフウセンカズラを植えつける。エコですねえ。P1020158
 



 ベランダにはいつもどおりのゴーヤのカーテンを設置する。これは食用にもなるので随分役立つ。もちろん採種しているので苗代は無料、エコですねえ。
こうやって節約、節電するのは電力会社のためでなく、実に自分たちのためである。P1020159





【作業日誌 7/12】
室外機カバー設置

今日のじょん:「きゃーヘビ」という声が二階でする。えらいこっちゃ二階にヘビがでたんかいなと思いきや、逃げるヘビを追いかける姿を二階の窓から見ていたようである。じょんは興奮して追いかけていたが、草むらの木の下に逃げ込んでしまった。P1020154

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続・ジャガイモの怪 7/11

2012-07-11 | 違いのわからん農学士

2012.7.11(水)曇

 先日最後のジャガイモ収穫をしたが、どうも腑に落ちないことがある。最後は自家種芋のキタアカリと思っていたのだが、どうも芋も大きいし、収量もぐんとあるのだ。これはどう見てもキタアカリではない。と言うわけで一番最初にニシユタカだと思って収穫した芋を見てみる。数は多いのだが小ぶりで芽のところが赤い。ありゃあ、ニシユタカだと思っていたところがキタアカリで、キタアカリだと思っていたところがニシユタカだったのだ。
P1020145_2  
最終収穫はニシユタカの豊作、一株分だけキタアカリの残骸があった。右のミーの下端あたり。


 前回収穫時にはアンデスレッドとシンシアの位置が違っており、訂正記事を出すハメになったが今回も間違っていたとなると考え直さなければいけないことがある。
 能も無いのにいろんな種類を作らないこと、植えたところにはしっかり表示をしておくことなど反省するばかりである。P1010897
 



手前の白い花がニシユタカ、向こう半分がキタアカリ。すっかり逆に考えていて、まさに違いの判らん農学士となった。(1012.6.5)

しかし今回のテレコが発見され解ったことがいくつかある。
 花の咲かないのがキタアカリ。
 ニシユタカは白い花、アンデスレッドは赤い花、花が咲く前に落ちるのがシンシア。
 一番先に茎葉が枯れるのがキタアカリ。
 種芋の大小と収穫芋の大小は余り関係なさそう。
 芽かきした苗からできた小芋でも充分に収穫がある。
 夏採り、秋採り、市販される品種は違いがあるようだが、栽培としてはあまり関係なさそう。むしろ用途別に選ぶべきか。
 というわけで、四種の種芋を用意するが何を植えようか迷っている。一種類はニシユタカに決めているのだが、、、、。秋採りはイノシシの害も考えなくてはならないし、頭の痛いことだ。

【作業日誌 7/11】
室外機カバー完成、設置後披露予定。

今日のじょん:毎日ぽんぽこぽんやってると妙なことに気づく。おとーが投げると、すぐに取らないで探している振りをしたり、見つけたとしてもボールを取る努力をしないで助けを待つのだ。かみさんが投げると少々草深いところに入ってもすぐに見つけ、手を使って取ってくる。これってなんだろう。京大に犬の行動などを研究されている研究室があるそうだが、今日のじょんを見たら調べてよね。P1020150

おとーが投げるとすぐそこにあっても探す振りをして助けを待つ。
ナサケナイ


P1020151
おかーが投げるとさっさと取ってジャンプもこのとおり。
カッコイイ
なんだこの差は???

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雨読 騎馬民族の道はるか(2) 7/10 

2012-07-10 | 雨読

2012.7.10(火)晴れ

 本書の基調には江上波夫東大名誉教授の「騎馬民族征服王朝説」の検証ということがある。こういう仮説が存在することは知っていたが、一体どういうものかは知らなかった。考古学者原島礼二氏の文がよく理解できると思う。
 「江上氏はまず、三世紀末にツングース系騎馬民族(夫余
族)の高句麗が朝鮮半島を南下し、それと同系統の百済王が出現することに注目する。やがてかれらは四世紀の初めに九州の地に上陸し、一世紀足らずの後、すなわち四世紀の末から五世紀のはじめにかけて近畿地方を征服し、強大な王権を確立したとみ、この王家こそ天皇氏だったのだと説くのである」(本書原文のまま)
 つまり天皇家の先祖は騎馬民族であったというのがその主張である。この説が提唱されたのが1948年、記録として世に出たのが1949年ということだ。終戦が1945年だから、この説は戦中から練られていたのに違いない。これは凄いことである。
 そしてMHK取材班が江上氏や森氏などの学者とともに高句麗(北朝鮮)の遺跡の取材に行く。1992年当時でも取材のための入国は厳しいものがあっただろうけど、日本の占領下時代以来初の調査だろう、画期的なものがある。その時の様子はNHKで放送されたのだろうが、本書には極一部の影像しか掲載されていない。文中では詳しく説明されているのだが、一見にしかずの影像が少ないのは、政治的な制限によるものだろうか。
 高句麗の古墳壁画や遺品が日本の高松塚などの古墳のものと実に共通する点が多い。そして遂には日本独特のものである前方後円墳の元祖がこの地に有ることがわかる。そして謎の古墳積石塚(つみいしづか)と四隅突出型古墳である。これらの源流が高句麗、騎馬民族にあるようだ。そして日本では一見大和王権とは無関係な様に存在する。四隅突出型古墳は出雲地方など中国山地に多く、最古のものは一世紀末といわれる。王権成立以前の古墳なのである。そして積石塚のように葺石や貼石がなされていたのである。Img_4725
 
三次盆地で発見された殿山三八号墳(四隅突出型)が弥生時代後半の築造とされている。写真は三次市。


さてわたしが知りたい鉄と馬、牧の関係だが、本書では牧や馬具、馬に関する民俗的な事柄など多く出てくるが、直接製鉄との関連は書いていない。ただし、騎馬民族が製鉄の技術をもって渡来していることは確実で、暗に関連のあることを示している。

【作業日誌 7/10】
ジャガイモ収穫(最終)ニシユタカP1020145
種芋準備
室外機カバーグリーンネット用作製



 今日のじょん:今日は定休なのでサンショウウオ君を見に行く。先日までの雨で水が多く姿が見えない。諦めかけていたとき足下の瀬にでかいのが居るのを発見、鯉が餌に寄って来るように岩にしがみついている。何も持っていなかったのだが、竹輪でもあれば、食べるんじゃないか。 P1020144 P1020143
P1020142



いつものとこは様子が見えない。
いたいた、何かくれいと言ってる見たい。
でかいなあ。7,80cmはありそう。じょんは?
忘れてた、帰ってからパチリ。

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市民新聞に電話せい 7/9

2012-07-10 | 日記・エッセイ・コラム

2012.7.9(月)晴れ

 梅雨の中休みで一転の良い天気となった。野菜も草もおそろしく成長している。夏野菜三種の神器も出そろって食卓を賑やかしているのだが、今年はヒスイナスの出来がすこぶる良い。収穫しようとしたら、なななんと珍々付のナスができているではないか。P1020139




 「市民新聞に電話せい」とはこういう珍野菜が採れたり珍花が咲いたときの合い言葉で、本当に電話するわけでは無い。でも本当に電話する人も沢山おられるようでよく掲載されている。情報提供者や編集者には申し訳ないが、生物学的には特段珍しいことでも無く、新聞記事にするほどのことではないかと思うのだが、ローカル新聞のらしいところかなと思いつつ読んでいる。
 我が家の白ナス君は紙面を賑わすことも無く、夕食のお膳に並んだ。ゴチソウサマ。
 三年前、市民新聞をはじめ、朝日新聞にまで載ったものがある。ご存じキヌガサタケだ。
今年は気温が低いので出てこないかなと思っていたら、きっちり第一号が出て来た。朝のじょん散歩の時は気づかなかったが、二階で洗濯物を干していたらチラリと白いものを見つける。慌てて見に行くとしっかりとレースが開いていた。年々数も減り、大きさも小さくなっていくのが心配だが、とにかく咲いてくれればいいかと思う。P1020129_2 P1020130
 
今年度第一号、昼には萎んでしまう。



 今回第一回なので、処理法なども紹介しておこう。
 キヌガサダケは壺と呼ばれるゼリー状の卵から伸びてくる。壺は地中にあって見つけにくいが、たまに二三個出ているときもある。いつでも出るわけで無く、ある程度気温の上がったときに出てくる。出るのは朝で、毎日庭を注意深く見て回るのだが、出て来たときは鶏糞のような臭いがするので見つかることもある。
 昨年あたりからレースや茎を食する甲虫が出るようになって食い荒らされるので、バケツを被せておいた。
 それでも二匹の甲虫が入っていたが、いずれにしても昼頃には萎むというか溶けるというか無くなるので事前に収穫する。P1020132 P1020134
 
収穫と蛍のでかいような甲虫。



 収穫すると、帽子の部分とレース、壺を外して茎の部分を天日乾燥させる。
帽子の部分には黒いグラバという粘液状のものが着いており、水に溶かして撒いておく。これで増えるらしいが、撒いたところから出て来たことは無い。竹に関係あるそうなので竹の生えているところに撒いているのだが、、。
 乾燥できたらすぐにポリ袋に入れて冷凍庫に入れておく。放っておくとまた湿気を吸って、季節柄あっという間に黴びてしまう。P1020136 P1020137_2
 
バラバラにして串に刺して天日に干す。



 中華料理の三大食材としてツバメの巣、フカヒレと並ぶそうだからきっとゼラチン質のスープとなるのだろう。

今日のじょん:ヘイヘイとこにモリアオガエルを見に行く。沢山孵ってちちこ(おたまじゃくしのこと)がうじゃうじゃと泳いでいる。ヘイヘイは遊びたがってるが、じょんは置いてある樋が恐くて近寄れない。モリアオガエルは田んぼの岸や道路の溝などどこでも産卵しており、下水のグレーチングにもぶら下がっていた。こんだけいると面白くも何ともない。P1020123_2 P1020125

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雨読 騎馬民族の道はるか(1) 7/8

2012-07-09 | 雨読

2012.7.8(日) 曇、雨

 雨読が連続するのは梅雨で読書がはかどっているということもあるが、大体三冊ぐらいの本を同時に読み進めているからである。つまりメインの読書とお風呂や買い物に出かけたときに読む本と、寝る前や起きたときに寝っ転がって読む本とを順次読んでいるので、読了が重なることがままあるわけだ。
 古代製鉄遺跡や金属関連の地を調べていると、牧(馬の牧場)に突き当たる。最初が胡麻(ごま・南丹市)で、老富町の胡麻峠の由来を探るべく調べていたら、どうも胡麻は金属に関連する土地らしいと気付く。それは地名、神社、鋳物師の存在、マンガン鉱採掘の隆盛などからであるが、実はかつて官牧が存在しているのである。Img_3295
 
胡麻駅周辺、牧はどの辺にあったのだろう。


 次が長野県の須坂(すざか)であり、この地も古代の製鉄と牧が同居しているのである。
 極めつけが「古代日本の鉄と社会」で紹介した尾崎前山遺跡(茨城県)の発掘と同時に官牧の遺構も発見され、官牧と古代製鉄の結びつきが証明されていることである。
 なぜ牧と製鉄が結びついているかと言うことについて、馬具には鉄が使われているからということと、牧に対する租庸調の税の中に馬具や鉄製品が含まれていることの二つが知り得た理由である。馬具の三点セットは轡(くつわ)鐙(あぶみ)鞍(くら)だということだが、蹄鉄は馬具には入らないのだろうか。入らないのである、わたしは以前に蹄鉄は鉄を沢山必要とするだろうという風なことを書いたことがあるが、少なくとも古代の馬には蹄鉄は使っていないようである。馬が家畜化することによって蹄鉄が必要になってくるのであって、野生同様の放牧では必要が無く、日本では本格的に使われるのは近代になってからだそうだ。となると馬具には鉄は絶対に必要ではあるが武具や農具のように量的に必要なものでも無さそうに思える。
 また後者の理由、税に鉄製品が含まれているということは、牧に製鉄施設があるという結果のことであって、牧と製鉄が結びついている原因とはならない。
 牧を経営するのは特殊な技術が必要で誰でもできると言うものでは無く、いわゆる騎馬民族がその技術を日本に持ち込んだと思われるが、かれらが同時に製鉄の技術を持っていたとしたらどうだろう。そう考えると牧と製鉄の関係がすっきり理解できる、騎馬民族に関する本を読んでみようとした理由である。
 未読の書架をのぞくと多くの関連書が出て来た、第一に読んでみようとしたのが本書である。P1020122
 「騎馬民族の道はるか」高句麗古墳がいま語るもの 森浩一・NHK取材班著
 NHK出版 1994年3月第一刷発行 定価1,600円 古書購入

【作業日誌 7/8】
室外機カバーグリーンネット用作製

今日のじょん:雨上がりの朝は野菜畑ウオッチング。近所の畑は最高の野菜の先生だ。ジャガイモはすっかり終わっている、我が家も早く収穫を終えねば。カボチャはどこも爆発している、好き放題伸ばしとけばいいみたい。トウモロコシはネットが絶対。トマトだけは我が家が一番早いみたい、こんなこと初めて。今日はキャベツの収穫をして、野菜だけは自給となった。P1020120 P1020121_2
 

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雨読 金属と地名 7/7

2012-07-07 | 雨読

2012.7.7(土)雨

 雨が続き雨読がはかどっている。地名に関する書物は数多く読んできたが、こと金属に特化して扱っているものはそう多くない。そういう意味で研究者にとっては人気があるのだろうか、市場に出回っている数が少なく値段も高い。というわけで図書館で借りたのだが、これも数が少なくて山科図書館からお借りした。
 借本の場合重要事項をノートにとったり、表などは複写したりしているのだが本書の場合は内容が多岐にわたっておりノートするのも大変である。というのは「金属と地名」をテーマに全国地名研究者大会で発表されたものを加筆訂正されたものであるということだ。
 「金属と地名」谷川健一編 三一書房1998年5月発行 定価3,200円

 研究会やシンポジウムで発表されたものをまとめた本は数あるが、読みやすいことが利点である。一定の時間内に参加者に解るようにまとめるのだから当然そうなるが、逆に内容的に浅いという欠点がある。もちろん発表者は深く研究されているのだろうが、発表するのはそのエッセンスということになるのだろうからやむを得ない。
 また、今回のようにテーマがマクロなものであると、実に多くの方が多岐の分野にわたって発表されているので読者としては焦点が合わしづらい。P1020119
 
本書の他にシンポジウムものがこんなにもあった。



 一応次の四テーマに絞って、3~5名の発表がある。合計16名の発表だ。
1.中国地方の金属地名
2.東北地方の鉄生産と地名
3.産金にまつわる伝承
4.各地の金属伝承

 概して従来から金属地名と言われてきた地名と現実の鉱山、遺跡などを結びつけ科学的に証明しようという傾向が見られる。このことは当然の流れとは言え、興味深いことである。地名研究が進んだ人にとって「何々は銅の古語である」とか「何々は朝鮮語で鉄を表す」などということは既に解っていることで、知りたいのはその地名が現実に金属と関連があったかどうか、人間の生活にどう関わっていたかということである。
 金属地名から金属関連遺跡や鉱脈を発見された例が多く出てくるのだが、それとて確率の問題である。100の内30出て来たら良いと言うものでは無いだろうし、残りの70の地名はどうなるのか。一歩進んでそのあたりまで研究されれば素晴らしいものになるのだがと思う。つまりおよそ金属と無縁と思われるところにもいわゆる金属地名は存在する。その地を深く調査すれば金属と関連があるかも知れない、いや地名そのものに他の意味があるのかも知れない。わたしはその地名を付けただろう人間、あるいはその集団に思いを馳せている。
 例えば豪族や領主が新たな地に居を移したときに前居住地の地名などを新しく付けるというケースがよくある。綾部市の犀川などもそうらしい。
 金属関連の人間、集団は移動性の強いものと考えられる。新天地で農耕民となるケースもあるだろうし、金属を求めて発見できないケースもあるだろう。そういった場所でかつての金属地名を付けることってありえないだろうか。
 話が飛躍してしまったが、金属地名に興味のある方にとっては多くのエッセンスの中から好みのものをつまんで読むことのできる有意義な書である。

【作業日誌7/7】
雨でなにもできないが、本日トマトの初収穫があり夏野菜の三種の神器が出そろった。


 今日のじょん:先日おかーの長布団を狙っている記事を掲載したが、なんかの拍子に座椅子を退けたらすかさず座っているのを発見する。油断も隙もあったもんじゃ無いと座椅子を置いておいたらその横の窮屈な場所に寝てやがる。ここまでやるか。P1020106

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古民家カフェ 7/6

2012-07-06 | 日記・エッセイ・コラム

2012.7.6(金)雨

 雨の定休日は為す術も無い、山中さん親子が七百石町で古民家カフェを開店されたので訪問してみる。じょんのびに来られた四年前頃からカフェを開店される夢を語っておられ、いろいろ変遷はあったけれど、当地に素敵なお店を開店された。

 カフェ デコ  水、土曜日定休 11:00~17:00
          0773-44-0783

 開店準備をされているときにお伺いしたが、その後店内も見違えるようにおしゃれに仕上がっており、レトロな雰囲気が好きな人にはたまらないだろう。もともとはお菓子を製造しておられた家だそうで、家具調度も残っており、店内に飾ってある。薬や雑貨も販売されていたらしく、古い商品も展示され、よくぞ残っていたものだと感心する。P1010989 P1020113
 
古民家の黒の基調に赤いポストがよく似合う。


 コーヒーなどの飲み物の他に自家製のスイーツなどもあって、友達同士で出合うのにはもってこいという感じだ。おいおい軽食なども考えておられるようだが、お酒も雰囲気に合いそうだ。
 実はここに来る前、志賀郷の竹松うどん店さんでお昼を戴いてきたのだが、街道沿いに蕎麦の花さんやイワンの里さんなどがあり、落ち着いた風情で食事や喫茶が楽しめる街道となった。
 午前中には十倉志茂の轍(わだち)さんにも寄ったので、朝の我が家のコーヒーとあわせて3杯以上飲んでいる。コーヒー自体は身体に良いかと思うがさすがに胃はむかむかするし、頭痛までしてきた。コーヒーは一日二杯ぐらいが良ろしいようだ。P1010994

こちらは轍さんの看板、府道からよく目立つ。




 今日のじょん:朝の散歩時にたまにはこちらに行こうよと言うので(モチロン態度で示すのだけど、、)隣地との間の道に入る。そこで驚いたのは、猪の襲来である。我が家の倉庫のすぐ裏の畑をしっかりと耕していた。P1020109 P1020110
 



 今少し行くと周囲のミョウガの葉っぱがすっかりやられている、これは鹿の仕業だ。今年は獣害が無いなあなーんてのー天気なことを行っていたら、家の周囲では相変わらずの活躍をしているのだ。アナ怖ろしや。P1020111

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上林たんけん隊  7/5

2012-07-05 | 上林たんけん隊

2012.7.5(木) 雨

 カテゴリー上林界隈(AKB)を上林たんけん隊とすることにした。まずはハイキングのご案内を。

「鳥垣渓谷からシデの山へ」(樹木の名を学びながらの山登り)

2012年7月22日(日) 9時 鳥垣小野田橋集合  雨天中止Img_3347


小野田橋からシデ山方面を望む。


P1010937
シデ山頂から長老ヶ岳方面。



コース:小野田橋~獅子鼻(車で)~おりとの滝~鳥垣渓谷~みと~シデ山頂~かみ   おりと~獅子鼻
      
服装:歩きやすい服装、登山に適した履き物
持ち物:弁当、飲み物、雨具など

 先回、コース中の40種の樹木に札を付けられたとか、これは勉強になりそう。
申込み連絡先は 鳥垣渓谷を整備する会
            桜井 克彦  0773-55ー0263まで


 木々の名前は解りそうで解らないものである。図鑑でみても要領を得ないで、山に入ると何が何だか解らなくなる。今回樹木の名前を学習しながら登れるという優れもの。現物を見るのが一番で、あなたも樹木博士になれるカモヨ。

今日のじょん:先日の長布団争奪戦については、画像が無くて何のことか解らなかったという意見が寄せられなかったが、気を使って画像を紹介しよう。P1020096 P1020097 P1020098
  


 


「あれっじゃまなもんが置いたるなあ」
「よっこらじょんと、どーも落ち着かんなあ」
「おとーこれどけてくれよ、寝られへんやないけえ」
「あほっお前の場所と違うんじゃ」

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防獣柵その後 7/4

2012-07-05 | 日記・エッセイ・コラム

2012.7.4(水)曇

 防獣柵が完成してどうなったか、念道では効果があるようだ。というか鹿と猪の害はでていないようだ。耕作地の中の畑にあった個人的なネットやフェンスはあらかた取り払われて、防獣柵のお蔭という思いがひろがっているのだろう。
 しかし冬が来て山に食糧が無くなったり、どんぐりが不足になったりしたらどうなるか解らない。現在はそれなりに食糧があるのだろう。なぜなら防獣柵に関係の無い我が家の畑も隣地の畑も獣害はまるで起こっていない。過去に見られた侵入の痕跡も皆無だ。従って防獣柵の効果が現れているという考えは成り立たない。ただ、絶対不可能と言われたジャガイモ栽培も3シーズンこなしているし、鹿猪の直接被害が無いことは確かである。
 防獣柵と無関係の猿被害も様子がおかしい。ユキちゃんの猿追い事件は昨年のことだろうか、あれ以来猿が現れないのだ。まさかユキちゃんが原因とは思えないが、現れていないのは事実である。瀬尾谷の中尾さんも猿が現れないと言っておられた。「あれだけ腹立たしい猿も現れないとなるとどうしたんだろうと心配になるのよ」だって。
 ただ地域によっては猿害が強烈なところもあって、今年は野菜が全滅なんて話も聞いた。奥上林など行くと府道に日常茶飯事の如く猿が居て驚く。
 弓削に行ったとき、防獣柵が出来て今まで作れなかった野菜が作れるようになったとエンドウ豆だったか沢山作っておられたが、猿の害はどうなんだろう。P1010758

弓削は集落全体を柵で囲われたそうで、田畑は広々としている。 



 防獣柵の雑草も問題が残る。刈払い機で草刈りができないからだ。予想どおり除草剤が活躍することとなった。よくぞここまで枯らしてしまうものかと感心するが、ベトナム戦争時の枯れ葉剤なども同様の薬剤なんだろうか。遠い他所の国のことでも問題にしたのに、すぐ目の前に同じようなものがあっても気にもしないという感覚は妙なものである。
 困ったことはついでに草刈りの可能なところまで撒かれることである。上林に来て良いなあと思ったところは、川沿いの野芝の堤防道である。
 犬にとっても最高の散歩道なんだが、犬が除草剤で死んでしまったなんて話も出ている。茶色く変色した地域には連れて入ることもできない。
 きれいだった堤防もこの四年間で随分変わった。除草剤で芝が枯れ石ころとイシクラゲの道になってしまったのだ。高齢化で草刈りの手間が大変になってきたのかも知れないが、枯れてしまった芝を元に戻すのはもっと大変なことである。
 「上林川を美しくする会」という素晴らしい団体がある。本当に美しい川にするためには何をすべきか聞いてみたい。道端に幟立てるだけでは美しくはならない。 Img_3085  

P1020100 ビフォア(’11,6)アフター(12、7)






Img_3666P1020086_2 P1020103
収量は三品種中(シンシア、アンデスレッド、キタアカリ)一番



今日のじょん:堤防写真に出場なのでお休み。

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雨読 綾部地域の地質 7/3 

2012-07-03 | 雨読

2012.7.3(火)雨

 シデ山のすず岩事件以来地域研究もやる気がなくなって新しいアイデアも浮かんでこない。現地訪問を予定している猪鼻(いのはな)、多門院(たもんいん)、生畑(きはた)なども腰が上がらないし、書きかけの原稿も一向に先に進まない。イライラがつのるばかりだが、幸か不幸か今朝から雨が降っている。実は「綾部地域の地質」という研究書を府立図書館から送って頂いていたのだが、館内閲覧書で持ち帰ることが出来ないので綾部図書館で閲覧しなければいけない。一ヶ月の期間があるのだが、こんな機会で無くては読書なんて出来ないなと思い昼過ぎから出かける。将に雨読である。

「綾部地域の地質」木村克己、牧本博、吉岡敏和著 地質研究所発行 平成元年

  全国各地の地質図の地域についての研究が網羅されており、地域の地質を知るには最適な研究書である。おそらく筆者はその地質図を作成された方なのだろう。
 専門家で無いわたしが図書館で閲覧してすぐに理解できるようなしろものではないが、古書店でも扱っているので必要ならば購入することも可能だ。
 ただし綾部地域といっても綾部市全体が対象では無くて5万分の1地質図綾部の地域が対象であり、上林は口上林以西となる。つまり中上林、奥上林は舞鶴地域となるわけだ。逆に三和町、日吉町、和知町、瑞穂町(旧町名)などは範囲内で参考になる。従ってこの範囲には和知の鐘打鉱山、和知鉱山、白土鉱山(いずれもタングステン、錫等)や日吉、美山の層状マンガン鉱床、三和町の炉材珪石鉱床、質志の鍾乳洞、石灰岩など興味ある鉱床があって参考になる。これら鉱物が地質とどう関連するのか、歴史的な事柄や民俗学的なことと地質が如何に関連するのか、わたしの知りたいところでもある。もちろん本書では人文的な事項については一切語られることはなく純粋に科学的、物理学的、地学的に記述されているばかりであって、人文的な要素と混合するのはわたしの脳内で行うことであって、それが読書の楽しみの一つでもある。
 例えば古文書に三和町大身(おおみ)で江戸時代には石灰(いしばい)が焼かれていたというのがあったが、はたしてこの地に石灰岩が産したというのは聞いたことも無いといぶかしがっていたのだが、本書文中にレンズ状に石灰岩が存在するという風にあって、納得した次第である。
 また三和町上川合のわたしの生家の向かいの山に有った珪石鉱山はこの地域でも最大の鉱山で山の神鉱山、小谷鉱山、加賀山川合鉱山などと呼ばれていたそうだ。毎日否が応でも眼に入り、子供時代の探検の対象であった鉱山が実はこういうものであったのかというのがよく解った。例えば地元の人でもあの鉱山で何が掘られていて、それが何に使われたのか知っている人は少ないだろう。そんなことが川合とは何の所縁も無い人がしっかりと書いているのだ。これって面白いことだと思う。Img_3459
 



 わたしの生家から正面の山を見たものである。現在は木が生い茂って解らないが、山頂直下に大きなハゲがあって坑道が数本有った。麓の府道までケーブルが設置され、鉱石を運んでいた。坑道附近、ケーブル周辺はガレ場となり長い間木々は育たなかった。竹藪の左下に山の神があり、山の神鉱山と言われたのはこの鉱山だろう。Img_5884

府道脇にある山の神、この上部にもズリがあったように思うのだが。



 山の右奥にも鉱山がありこれもケーブルで深山林道に降ろしていた。これが加賀山鉱山だろうか。
Img_0195_2ケーブルの終点、ズリの中にワイヤーなど残っている。




ただ、図書館で幼稚園児の喧噪の中でいくら集中してもメモを取っても理解することは難しい。超丹波帯と鉱床の部分だけは写しを取って図書館をあとにする。なんかまたやる気が沸いてきた。

今日のじょん:白い長座布団を取られないように常に折りたたんでいたが、面倒なので夏の間はしまうことにした。するとかみさんが欲しいというので上げたのだが、座椅子を置いて取られるのを防いでいる。真ん中に置いているときは効果があるようだが、ちょっとずれておいているともうちゃっかり座っている。



  

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梅雨の晴れ間に 7/2

2012-07-03 | 日記・エッセイ・コラム

2012.7.2(月)晴れ

 梅雨の合間といってもこの地方では本格的な雨期とはなっていないのだが、とにかく雨の合間の晴天に庭木の剪定をやっつけてしまおう。
 その前に晴れてる間にジャガイモ、アンデスレッドを収穫しよう。といっても種芋9個だから10分もあれば済んでしまう。アンデスレッドは名のとおり赤い色をしており、丸いさつまいものようなものだ。キタアカリよりも大きく、収量もそこそこだ。
 アンデスレッドはしっかり花が咲いたので、畝の南側は総てを摘んで、北側は花を残して栽培実験をしてみた。地元の方もジャガイモの花については摘むべきだ、いや摘まなくても一緒だと意見がわかれているところである。そこで分けて実験してみたのだが、結果は不明というところだ。差異が認められないというより、個体数が少なすぎて比較のしようがないという感じだ。雰囲気としては余り関係ないようだ。P1020093
 
土付でイマイチだが、洗うときれいなレッドになる。


 ただ花摘み派の理由の中に、サルに見つからないようにするためというのがあった。ジャガイモの出来具合を花で判断しているとは思えないのだが。
 
 昨年の雪には耐えて復活したシマトネリコが今年の雪ではすっかりやられてしまって枯れ枝ばかりになってしまった。これも刈り取るように仰せつかっていたのだが、枯れ枝を切り取り、周囲の草をかき分けると、何と小さな新芽を出しているではないか。
南国の植物がこの地の雪と低温では無理かなと諦めていたのだが、どっこい生きているのに妙に感激する。隣の株は新芽は出ていないが、茎の緑の部分が少し残っており、これも復活するかもしれない。P1020091
 



 次に白樺の点検をする。これは剪定の必要は無いが虫が着くので手で取っている。とその時、根の部分にカミキリムシ様の甲虫が食らいついている。こんちくしょうと捕まえて瓶に入れる。根の部分は大丈夫だったが、隣の白樺を点検して愕然、根の中心に1cm大の穴が開いている。ピンセットを突っ込むと3,4cmは入るだろうか、やられた。なにがショックたって、この白樺が我が家で最も高価な木なのである。一本2,000円の苗を3本買って、一本は既にやられてしまった。同様に根に大きな穴を開けられて枯れてしまった。
 スミチオンで消毒しコーキング剤で塞いだが、おいおい枯れていくだろう。オリーブといい白樺といい、なんで高価なものばかり狙われるのだろう。P1020082 P1020084
 
かんべんしてよん。


 いよいよメインの白樫の剪定に移る。しまだやさんに言われたとおり、木の中の枝を切り払う、昨年は中途半端だったのでバンバン切り落とす。続いて周囲を形よく仕上げるのだが、届くところはいいが、上の方はどうしようも無い。庭木用の三本足脚立が無いので限界があるのだ。しかも南側は傾斜があり危険きわまりない。やむなく中からよじ登って飛び出た枝を切り落とす。枝葉の先を揃えるので無く、根元で切ってしまうので形は凸凹してくる。樹頂も切り落とすが、中から切るので丁度噴火口のようになってしまった。見えないのでまあいいか。春にパックンと開いていたところは雪で枝が折れていたようだ。裂けてはいるが生きているようなので、麻縄で吊って補修する。納得はいかないがこのくらいにしといちゃら。P1020080 P1020092 P1020094

 


ビフォア(6.29)、右半分終了、完了


 夕飯にアンデスレッドを食する。ちょうどジャガイモとサツマイモの中間みたいで濃い味である。

【作業日誌 7/2】
本文のとおり

今日のじょん:朝の散歩から帰ってきたときは水遣りなんかしているおかーを後ろから驚かすのが楽しみ。時々逆にワッと驚かされて仰天したりするが、今日はおかーが草むしりに夢中で気がつかない。あれー気ーつきよらへんなあ、おもんないなあっと言ってるところ。P1020088_2

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訂正二件 7/1

2012-07-01 | 日記・エッセイ・コラム

2012.7.1(日) 雨

 作日、キタアカリ、アンデスレッド、シンシアの花について記事を書いたが、同じ事を6月4日に書いている。読み比べると矛盾があるのだが、正当は作日の記事である。つまり、畝の手前から、キタアカリ、アンデスレッド、シンシアという順に植わっているのだが、6月4日の記事ではキタアカリ、シンシア、アンデスレッドの順になっている。従って花が咲き誇ったのはアンデスレッドということだ。
 実は記事を書くときに間違ったのでは無く、植えつけたときからそう思っていたのである。先日キタアカリを収穫した際に隣にアンデスレッドの赤い芋を見つけて誤りに気付いたという次第だ。P1010896
 
手前がキタアカリ、花の咲いているのがアンデスレッドだ。



 6月4日の記事は、「ピンクの花が咲くのがアンデスレッド、花は着くが落ちてしまうのがシンシア」というふうに訂正して頂きたい。

 6月24日の記事の「佐々木さん手作りの西瓜」は「千葉から送ってきた西瓜」と訂正する旨佐々木さんの言である。これは完全にわたしの勘違いであった。そういえば昨夏も千葉の西瓜を戴いたような気がする。P1020043


これは志古田産では無く、千葉産だった。志古田産はまたいつか食べられるかも、、、、、。


 訂正記事はこれでおしまいとして、先日雨読で紹介した「老人の獨り言」を発行された中村さんご夫妻が来じょんされた。政雄さんの生前のことや発刊に至る経緯などをお聞きする。お父さんの供養のためにと発刊された「老人の獨り言」は余部があるので、読んでみたいという方に差し上げてくださいと数冊をお預かりすることとなった。じょんのびに置いておくので是非ご覧になって頂きたい。

 【作業日誌 7/1】
庭木剪定後片付け

今日のじょん:フロントラインを処方する。フロントラインというと予防線を張ってサークルの中にすっこんでしまうので、隠語を使ってフリーダイヤルと言ってるのだが、これとて気付いているみたいで、今日はうまく散歩前のベランダでやって成功、まずは一ヶ月安心。  

 

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