ばあやの のんび~り日記  

還暦をむかえてからパソコンの勉強を始めて
傘寿も越えてしまいました。
いつまでパソコンできるやら・・・

”ベンチャーズ” いいね! 

2013年09月04日 | 思い出

秋めいて・・・彼岸花がきれいです

  今年も期待の八朔の実、ただいま直径10センチぐらい

先週土曜日の夜、テレビでドラマ、 『夫婦善哉』  第3話を見た

あまりに強烈な内容にひきこまれ、その余韻でなかなか眠りにつけない
ひとりで、そのままテレビを消すこともできずに、動けないまま・・・

あッ!ガラリと変わった画面には、エレキギターの世界が広がっていた!!

”ベンチャーズ”
 
テケテケテケテケテ~~~~~~
   テケテケテケテケテ~~~~~~

    

ドラム、エレキギター、なつかしいメロディが流れてきた

グループ4人は、かなりの年齢になっていたが
元気で、陽気な姿は変わらず、リズムにのって実に楽しそうな演奏

全盛期には、ほとんど興味を持つこともなく、青春時代を過ごした私
なんということか、
今!ギターの音色にとりつかれたように、リズムを取っている私がいて驚いた!!

「これ、いいね!!」 独り言

チョッピリ目覚めた、青春時代が!!

 思い出して、検索してみました (拝借いたしました

京都慕情     渚ゆうこ

http://www.youtube.com/watch?v=NkSEp7-8wk4

どうぞごゆっくり、お楽しみください~

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夏休みに船小屋温泉へ

2013年08月24日 | 思い出

もう、いらん!!」 わ~ん わ~ん・・・

   長女

こどもたちが、まだ幼かった頃(長女が5才ぐらい)
わたしの姉妹弟のうち、3家族と母、弟妹達も含めて真夏のドライブへ。

目的地は、筑後地方の船小屋温泉。
清流矢部川の中の島公園のほとりで、川遊びのプランが出来上がっていた。

 http://www.funagoya.org/

 まだ、わたしたちは運転免許もなかったが、3女夫婦の協力でマイクロバスをチャーター。
なにしろ車で自由にドライブなんて、夢のまた夢だったから
早朝からのはしゃぎようは珍風景。

子どもたちの数多数で、大人も姉妹弟 そしてわたしの母も元気いっぱいでの大所帯、
前日からウキウキ、そわそわ・・・

帽子は、水着は?浮袋は?
水筒、弁当、おやつを作るのも大わらわ、でもそれがまた楽しみのひとつだった。

いよいよ出発!!ギラギラ照りつける太陽もなんのその
車にエアコンは、まだついていなかったと思うが、そんなことはおかまいなし
流れる汗も元気の素、約1時間半ぐらいかかったろうか?
車は目的地、筑後川温泉(船小屋温泉)に到着した。

行く先は、筑後川温泉沿いの 矢部川の公園 
子どもたちもまだ幼くて、わたしの長女が一番上
当時5才位だったろうか・・・

 次女

はじめて冷たい川の中へ、恐る恐るちいさな足を流れにつけてみる
「ヒャッ!冷たい!!いやいや!」と足をちじめてパパの手を離さない!

それぞれが子どもを抱っこしての水遊びだった
川面に反射する陽がキラキラと光り、暑さも忘れての数時間のにぎやかなこと

思い切り楽しんだ後のお昼ご飯が、いつもよりおいしかった

おやつには、近くのアイス氷屋さんに寄り、手作り荒削りのテーブルを囲み
アイス蜜かけを数杯たのんだ
長女の前にもそれがならんでにっこり、スプーンをいれたばかりの時だった

  『キョンキョン、それはちょっと多いよ、わたしに分けてね』と、
新婚の妹が手を伸ばした
わたしも「そうよね、ちょっと多いから、わけようかね」

長女の目の前で、みるみるうちに氷の山が削られ、 うらめしげに見ていたが
ついに怒った!!  「もう、いらん!」

  足をばたばたして、スプーンを放り投げて泣きだした。

一人前がほしかったのに、次々と大きな腕が氷に伸びてくる
スプーンが余ほど憎らしかったにちがいない・・・

約40余年ほど昔~ 遠い夏の日の思い出。 

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戦争がなかったら

2013年08月13日 | 思い出

鈴なりのミニトマトは、 庭の一部に作った約畳1枚ほどの 
マイガーデン・・・ ばあやの作品でした


夫の末の妹、○●ちゃんは、S20年8月7日 七夕様の日に生まれた。
そして、今年68回目の誕生日を元気でむかえた。

おとなしい長男(わたしの夫)に似合わず、元気モンで活発、愛想がいい
ひとつ年下のお婿さんとは仲良しで、女の子2人のお母さんになっている。

孫も4人に恵まれて、目下のところ娘の自宅、玉名市まで出かける事が多くて、
何と広い畑を代わりに耕すほどの健康で、羨ましく思っている。

         
                               これは、トウモロコシの花と実の頭

夫と、義妹の丹精の作物の一部から~
そんな義妹にも、ひとつだけ悲しみの思いがあった。

義妹は、お父さんを知らない・・・
もちろん抱っこされたこともなく、3人の兄姉と共にすくすくと成長した。
父親は、義妹が産まれる直前の6月に、フイリッピン・ルソン島で、壮絶な戦死。

そして、その2ヶ月後、8月15日に終戦。

なんと、残念な戦死であったろうか。
あと2ヶ月、戦争が早く終わっていたならば、おとうさん!!と呼べる人が、
今日も、明日も、いつも傍にいてくれただろうに・・・


8月12日 次女達と一緒に、
福岡県 大刀洗飛行場跡を見学に。

     http://tachiarai-heiwa.jp/  この青い空から・・・飛び立ったであろう・・・      鹿児島知覧飛行場から、特攻として飛びたった                        国旗                       二度と還らなかった隊員たちの憩いのひとときが・・・

改めて戦争のむなしさ、二度と起してなるものかと
こころより祈り、いまの平和の礎となられた特攻隊員の思いを胸に
暑い一日を終えて、帰ってまいりました。                   合掌。
 

 

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終戦記念日・68回目の・・・

2013年08月10日 | 思い出

 間もなく、終戦68年目を迎える  8月15日

昭和20年7月、私は満6才のころ大牟田市内に居住。 
                      

大牟田空襲 (インターネットより、一部を抜粋しました)

大牟田空襲の記録

昭和19年11月15日

午前10時頃、有明海北西より飛来したB29爆撃機7機が、市の東北部工業地帯及び農耕地4ヶ所に焼夷弾・250kg大型爆弾を投下。

罹災面積17,000坪、罹災戸数33戸、罹災人数182人、死傷者33人。

昭和20年 6月18日

午後11時、60機のB29編隊が天草方面より飛来、市街中心部の家屋密集地帯を目標に油脂焼夷弾・黄燐焼夷弾・爆弾を4時間にわたり波状攻撃。
罹災面積355,000坪、罹災戸数2,551戸、罹災人数12,700人、死傷者360人。
 

昭和20年 7月27日

午後11時、60機のB29編隊が天草方面より飛来、
市街全域に油脂焼夷弾・炸薬エレクトロン焼夷弾を3時間にわたり
投下。

罹災面積728,700坪、罹災戸数8,230戸、罹災人数41,088人、死傷者867人。


昭和20年 8月 7日

午前11時頃、B29及び戦闘機約40機の編隊が島原方面より飛来、工場地帯を目標に
重爆撃を行った。高射砲で敵一機を撃墜したが、その積載弾の誘爆により被害が拡大。
罹災面積1,200坪、罹災戸数245戸、罹災人数1,320人、死傷者23人。 

昭和20年 8月 8日
午後6時頃、市東北部の一修集落に爆弾投下、
他都市空襲の帰途に残存弾を投下したものと推定される。
罹災面積2,400坪、罹災戸数23戸、罹災人数120人、死傷者8人。

 

泣き叫ぶ赤ん坊を抱いた母を、疎開先のおばさん(嫁さん)が怒った。
「S子さん! 赤子ば泣かすんな! 飛行機に聞こゆっぞッ!!」

火がついたように泣き続ける、空腹の赤ちゃん(弟)
農家の床板をめくり、畳を屋根のように2枚合わせ、床下の穴に入る。
防空壕代わりにもぐった複数の家族たちは、
息を殺して敵機の通り過ぎるのを待った。

その時に、同じ防空壕にいた私の家族は、父母、私(6才)と妹(4才)、
産まれたばかりの6ヶ月余の弟、
それに父の母親(67才)の6人が一緒だった。

屋根すれすれに飛ぶ、大きな眼鏡がついた帽子をかぶったアメリカ兵の乗った操縦席が
丸見えのB29敵機襲来は、
私たちを恐怖のどん底に落としいれていた。

静かになった・・・
空襲警報解除!の知らせがはいると、ようやく蒸し暑い防空壕から怖々と首をだして・・・



68年過ぎ去った今でも、このときの光景が脳裡から消え去ることはない。

 住んでいた我が家を空襲で焼かれて、
熊本の遠い親戚に疎開していた私たち家族。
あの時、着の身着のまま、空腹をかかえた大家族を
親戚の農家は、決して快くは受け入れてはもらえなかったことを、子ども心に私は知っていた。

ただでさえ食量難の時代、しかし田舎になるとそうでもなかったとは思うが、
それでも一家6人は、気がねしながらの疎開生活だったと思う。

そんな時、親戚の当主の妻  (嫁さんの姑女にあたる) 
やさしかった◎◎お婆ちゃんは、畑仕事の途中で
「ほら、杏子ちゃん、ひだるかろ? これば食わんね」
紺色の広い前掛けでなすびを拭きながら、ちぎったばかりのなすびを手わたしてくださった。

ずんぐりした、濃い紫色のなすび
 

 (パソコンを習い始めたころ、画像加工処理の  ”なすび”) 

すぐにむしゃぶりついた
6才になったばかりの私の空腹を満たしてくれた
太くて甘い、生のなすび

そのおいしかったこと! 真夏の太陽をいっぱい浴びた、生のなすび

私は、大人になった今でも茄子は、生で食べる方が好きだ
なすびの季節になると、一度は生のままでかじってみる・・・

戦争は、もうイヤだ!! 戦争は、してはいけない!

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雷さんには、

2013年08月08日 | 思い出



    とうもろこしも、何本もやられた・・・

雷さんには、もうひとつ ほろ苦い思い出がある。
  この頃の夏の出来事だった。

夏やすみのある日の夕方のことだ。
親戚に、お中元をとどけるからといって、二人の娘には
「ちゃんと留守番をしていてね、すぐに帰ってくるから」といいきかせて、
バイクに二人乗りで、夫とでかけた
長女が6才、次女が3才の頃。

あ~、いつまでも忘れることなく、雷さんがゴロッとなるたびに、
「あの時は、ごめんね・・・」
娘二人に怖い思いをさせたことが、いまでも悔やまれてならぬ。

どれほど詫びても詫びきれない、これからも、絶対に忘れられないだろう。

 実は・・・
”親戚にお中元をとどけるから”というのは口実で・・・
夏休みにはいつも子どもたちを、市営のプールにつれていって楽しんでいたが、
一度でいいから、ゆっくりと二人だけでプールへ行ってみたいなぁという思いもあった。

その頃に、ようやくテレビを買うことができた。まだ白黒のテレビだった。
子どもたちは、毎日テレビ番組のマンガを喜んで見ていた。
その時も、丁度好きなマンガを観ていたので、いまがチャンスとばかり 
バイクで、ちょっとだけとプールへ出かけたのだった。

ところがプールに着いたころに、雲行きが怪しくなり始めて、
「これは、もしかしたら
ひと雨くるな」と思いながらも、水着にきがえてプールに入ったときだった。
突然、ゴロッ!ときた

 「あ、雷!帰ろう!!」
子どもたちが家に残っている!!急いで着替えた。
途中から雨もふりだし、雷もいっそうひどくなってきた。
あ~悪いことした・・・ 急いで帰らなきゃ!早く早く 走ってと心の中で叫んでいた。

「ただいまッ!!、ごめんね!!」
「ママ~ッ! こわかったよ!!」 泣きながら二人とも飛びついて来た。

子どもたちは、テレビはそのままで家の隅の方で、
二人とも震えていたのだった
「・・・・・・ごめんね、ごめんね、怖かったやろ? ごめんね・・・」

ようやく雨も雷も止んで、静かになった時だった。
なんとバックの中の、濡れた水着をみつけた長女が・・・

「ママたちは、プールに行ってきたね!  なんで私たちを置いていったの?」

あのときの顔が今も忘れられない、ちいさな胸を恐怖にかられた精いっぱいの抗議だったろう。

心から恨んだことだろうなぁ・・・ 
あれから40余年が過ぎた
長女は、この事を覚えているだろうか・・・

若き日のほろにがい思い出  

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雷、怖いよ!!

2013年08月05日 | 思い出

近くの蓮掘りで・・・

            

久しぶりにポツポツ雨が降りだしたと思ったら、見る見るうちに大粒に変わり
雷がピカピカ、光った途端にゴロゴロ

あっ!これは近いぞ!!
あわてて電気のブレーカーを落した。丁度煮ものをしていたときで、「あれぇ~生煮えか?」

じいやは、朝から近くの温泉にいって留守
さすがにわたしも怖くなり、なんにもせずに居間の真ん中あたりで、大人しくしていた。

今年は異常気象、各地で経験したことのない局地的豪雨で、大きな被害状況を
テレビで見るたびに、自然の恐ろしさを知らされた。

ところが当地にも、昨日(4日)雨が、雷が鳴るほどの荒れように・・・

玄関前の排水用の雨樋から、ザーザーと雨が流れ、車庫まで乗り越えて噴き出していて
ゾッ!とした。

「じいやは、帰ってこられるかな?」と心配していたら、
いつのまにか、雨が静まりはじめて、ホッ!

しばらくして 「ただいま~」
「あら!雨にあわなかった?」
「うん、丁度バスの中で、降りた時は小止みになって・・・」

しばらくして笑いながらの、じいやの一言に 

「あんねぇ、俺の母ちゃん、なんでん怖いもの無しやったばってんが、
雷さんだけは、ゴロッ ときたら 震えよらしたたい!!」

「それで?」
「急いで蚊帳ひっぱりだして、中で手を合わせておらしたったい!」
「あらぁ、怖かもんが、一つだけはあったのよねぇ、さすがのお義母さんにも!」

なにしろ、終戦直前に夫の戦死の知らせ。
それからは、死に物狂いであったろう、4人の子どもを女手一つで立派に育て上げた
女丈夫の義母でした・・・


 母は強し 路傍のニラの花  一輪清々しく咲いて・・・

ちなみに、私が結婚して同居したとき 義母は45才・・・  私25才。

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赤いカンナの花咲けば

2013年08月02日 | 思い出

 1  カンカン カンナの花咲けば
    赤いカンナの花咲けば
  
海からそよ風 吹いてくる
  
廻燈籠は くるくるくるり
   おしゃべり風鈴 ちんちろりん

 2  カンカン カンナの花咲けば
   赤いカンナの花咲けば
   空にはぎんぎら 天の川
   誰か呼んでる お星の中で
 
  なんだか 母さん みたいだな 

 3   ンカン カンナの花咲けば
   赤いカンナの花咲けば
   知らない港を おもいだす    
   船の汽笛が ボンボン ボンボロロン
   涙が落ちてた ポロポロリン

 

   黄色のカンナの花  散歩道で・・・


夏休み、いよいよ8月に

子どもの頃は、宿題がいっぱい。
早く片つけて、後はジャンジャン遊ぼうと初日に決めた。
しかし、明日やろう、今日だけはいいやと、ダラダラと過ごした、夏の日々・・・


8月にはいり、日記帳は順調に書いていても、工作は何をつろうか、不得意な図画がまだ!
あ~どうしょう・・・

今はもう、懐かしい思い出になってしまった74才の夏
ちょっと動いても汗をかくから、いっそのこと運動して汗かいた方がいいやん・・・

午前5時過ぎに、いつもの散歩へ
陽は、まだ昇ってはいないから、なんとも涼しい風に吹かれて気持がいい。
「おはようございま~す」と声をかけながら
すれ違う二人連れはご夫婦で、私と
同年配と思われるが、とても元気がいい。

時々逢う、犬をつれた老婦人とも、すっかり顔なじみになった。

やがて道は、すこし細くなる
早朝でも、スピードを出して走り抜ける車が多いから、気をつけてゆっくりと歩く

家に寄り添うようにして咲いている
、黄色いカンナの花が目にはいった。
きれいだなぁ・・・
みどりの葉にかこまれて、ひときわ鮮やかだ。

カンナの花を見ると、なぜか思い出すのは
小学生のころに見た、「赤いカンナの花咲けば」という映画。
名子役といわれた、松島トモ子さんがその主人公で、涙を誘う母もの映画だった。

http://www.geocities.jp/yujirok11/akaikanna2.htm

最近はテレビでも、顔をみることもないが、今はどうしていらっしゃるのかなぁ
そんなことを思いながら、約30分ほどで家に帰り着くと、もう汗あせ・・・

さぁ、今日も暑くなりそうだわ…

ご心配をおかけしました。
夏休みをいただいて、少し元気に・・・ 
やはりブログが、恋しくなり・・・ 

 のんびり続けます、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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思い出 ”さるすべりの花”を見るたびに

2013年07月21日 | 思い出

 思い出すなぁ~ 幼かった弟


この夏も、さるすべりの花が咲いている
やさしいピンクの花
   毎日散歩する細い道
    ほほえみかけてくれる さるすべりの花 (百日紅)

 わたしが、たしか中学生だったころ
そう 弟は小学生1~2年生ぐらいだったかなぁ
近くの植え木屋さんで、1本のさるすべりの木に、弟がしがみついて
 『姉ちゃん見て、ボクがこの木をさわるから、ちょっとでも揺れるかどうか見ていてね』

と言って、そろりそろりと木の肌を小さな手で撫ではじめた
わたしも、じ~っとその木をみつめていた
揺れるかどうか・・・
でも、ちっとも揺れることはなかった

本当に揺れると、信じていたのだろうか、弟は・・・  

  きっと揺れると思って、なんどもその木を撫でている小さな弟の姿
                 小さな学生服に学帽姿、かわいかったなぁ・・・
   さるすべりの花を見るたびに思い出す 遠い遠い昔の話。 

http://taminami.exblog.jp/8688576

 弟がさるすべりの木を撫でて揺れると、信じている訳が今・・・わかった。

   (木の肌を掻くと、くすぐったそうなので ”クスグリノキ”という別名もある   )  

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火の用心!!

2013年02月14日 | 思い出

 

新聞の投稿欄に、かわいらしい絵をみつけました。
M新聞投稿欄に掲載の

兵庫県加古川市 Mさんの絵を拝借いたしました。
悪しからずお許しくださいませ。

 

 月、節分もすぎて庭の小梅は白い花が満開
紅梅のしだれ梅もそろそろ咲きはじめて 甘い香りがただよい、春近しを思わせるが

   朝夕の寒さはまだ厳しい。
   早朝のジョギングには手袋、マスクをつけて出かけるが
   手がかじかんでくるし、眼鏡はくもり、寒さはまだまだ・・・

  
時折り、けたたましい消防自動車のサイレンを耳にすると、
「あ~火事はどこだろうか・・・」と空を仰いでしまう。

幼いころの思い出がふっと浮かんできた。

 小学校の頃、”子ども会”というのがあって夏休み、冬休みには
そろってラジオ体操や、遠足、そして寒い冬の夜には近所の父兄と一緒に
手編みのマフラーと手袋、拍子木を持ち、毎晩 「火の用心!!カチカチ」と、
町内を夜回りしたものだった。

父から、お得意の腕で拍子木をつくってもらい、力いっぱい打ち鳴らし、
下駄の音もカランコロンと、暗い町内をゆっくりと一回りするころには、
体がポカポカとなっていた。

夜回り詰所の七輪のやかんからは、白い湯気がシューシューとあがり
熱いお茶と温かいだんご汁を少しいただく。
「あ~うまかねぇ・・・」 子ども心に、夜回りが楽しみのひとつでもあった。
   もう、60余年も前の、なつかしい冬のひとときを思い出す・・・  

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初恋

2013年01月29日 | 思い出

初恋の一つ位? 
もう半世紀以上も過ぎ去った、セピア色の初恋

初恋は実らないから美しい
その人は、夢なかばにして数十年前に急死されたとの風便り・・・

夢で思い出させるなんて
若々しくて、二人の男の子の父親になっていた夢の中
そんなことは、あるはずないのに・・・








http://blog.goo.ne.jp/himawari_008_may/e/3f6e83df94f0715e0fb2d528286d57e7

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