昨日、偶然に国道を南に向けてサイレンを鳴らして走り去る
K大学病院の救急車をみかけた。
あ~どんな人がどのような状態で運ばれているのだろうか・・・
振り返ってみおくった。
話は遥か数十年前にさかのぼります。
原因不明の胃の激痛が続きT病院に3ヶ月入院、いろいろな検査でも原因わからなかった。
そんなある日、運よく大学病院から派遣されていたY先生のすすめで、熊本の大学病院行きとなった私は、当時56歳。
暮れもおしつまった12月25日、救急車にのせられて
これからどうなるのだろうと不安に駆られながら、一路初めての大学病院へ。
第2外科病棟、部屋に落ち着いてから窓の外を眺めた。
目にはいったのは・・・
一面の黄色い落ち葉、黄色の絨毯・・・銀杏の木が立ち並んでいた。
そのあまりにもきれいな落ち葉は強く胸に目に焼きついた。
その時ふと
「もう、家には帰れないかもしれない」涙がこぼれた。
当時、長女が高校3年生、次女が中学3年生の受験生だった。
父親は三交代で夜間も1週間は不在になる。
炭坑勤務の父親の特別な弁当作りは長女がひきうけてくれたが
慣れぬことで泣きたい気持ちであったろう。
母親のいない数ヶ月をどんな思いでどのようにして
過ごしたのだろうか・・・
数十年経過した今も胸がいたい。
黄色でも これはありがたいのです。爺やの行きつけの床屋さんから
手つくりの辛子レンコンをいただきました。