ばあやの のんび~り日記  

還暦をむかえてからパソコンの勉強を始めて
傘寿も越えてしまいました。
いつまでパソコンできるやら・・・

勉強、忘れないように

2019年10月15日 | じいやの本棚

世界遺産・万田坑

(荒尾市観光協会から発行のファイルより)

 

昨年の11月3日・万田坑フェスタから (以下は杏子撮影)

 

夜間のアップライトに浮かび上がる 万田坑の雄姿  

 

かわいらしい”炭坑ガールズ”と 地元の小学生のダンス

その他、いろいろおもしろいイベントもありました。

 今年も11月3日に開催されます。
どうぞお遊びにおいでください。
 



 は今日一日、図書館にいってくるね。
     昼ご飯はいらんよ 何か一人で食べるけん

 

  ふ~ん、なにか また調べもの?



  正確に答えんとでけんし うん、三池炭鉱のこったい。 
     いろいろ質問のあるけんねぇ。
俺もこのごろフッ!と 答えの出てこん時もあるし・・・

      そりから 10月16日(水)に 
    『間 寛平さん』の来らすよ、
万田坑見学に・・・。 

「え? あの寛平さんが? いってみようかなぁ」

「行ってみるなら 時間はねぇ、9時から~10時半までたい」



爺やは、得意そうになって自転車でいそいそと
市の図書館へでかけました
16時まで帰りませんでした。

                        (10月14日)


ある日のガイド風景から

熱心に、メモをとる小学生のみなさん達です


 

 

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父の日に 久しぶりに~ じいやから

2018年06月19日 | じいやの本棚

こぼれ種からたくさん繁ったピーナッツの花 

カラスのお土産、ピーナッツから芽をだして
こんなに繁りました。


6月17日、第3日曜日は父の日、母の日よりも少し陰の薄い
父の日のように思うが・・・

日頃の労苦をおもうと、おかしなすれ違いも忘れるほどに
こころから感謝をしなくてはなりません。


 ひさしぶりにじいやの更新です。

昭和20年6月21日 フイリッピン・ルソン島で・戦死
間もなく亡き父親の74回忌をむかえます。

「小学2年生の夏、俺は一人で荒尾駅に父の遺骨を受け取りにいった・・・
小さな木の箱には、遺骨はなく丸い石ころがカタカタと音がしていた。
白い布に巻いた木箱を胸に抱いて帰った。


部屋の窓から南方に見える万田山は、今日は雨雲に霞んで
あまり見えません。
世界遺産万田坑のガイドとして今日も元気にでていきました。

こんにちは~

 父は世界遺産となった万田坑の採土所で働いていました。
地盤沈下防止のため石炭採掘した後の空洞に充填するためです。
当時は子供3人との5人家族で普通の生活ができていました。

しかし太平洋戦争で父は招集されフイリッピンで戦死しました。

母から後日、「出世前夜、四つ山神社にお祈りに行った」と聞かされた。
無事に生還できるように祈ったにちがない。

私は今、万田坑のガイドをしています。歴史がこれからも戦争のない世の中を照らしてくれることを望みながら、崖になった万田山を見ています。

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母の日記を読んで

2012年01月11日 | じいやの本棚

  今日は、ひさしぶりに 「じいやの本棚」です。



母の直筆による日記の一部 (昭和19年8月9日、次女出産の2日目)

 


3年前に亡くなった母(享年91歳)の日記を読んでみた。(当時、長男の私は6才)
 昭和19年3月頃、戦時下日本の敗色が濃くなっているのが
敵機襲来の頻度が増していることで読み取れる。

 前年に父が出征、その時、母は26歳で私を頭に子供が3人、お腹には4人目がいた。

母の実家が小作農であり手伝って生計を立てていた。
作物は主に蓮根、毎日の様に蓮根掘りと記されている。

女ながらに馬で田を耕し、また月に何日かは軍事工場にて義務的に働かなければならなかった。
6才のわたしも、少しでも母が楽になればと子ども心に、冷たいレンコン掘りに入り、
もくもくと手伝いをした。 

農作物の米、唐芋は強制的に国に供出させられ、農家といえども配給を受けていた。
特に驚いたのは、戦地に送る家族の写真を撮り、出来上がるまでに1ヶ月半もかかったと。 

近所の男達は、次々に出征して行く。仕事の手をやめて見送りに駅の近くまで行き、旗を振ったとある。 

雨の日は、子供の縫い物。夜になると敵機襲来防空壕に避難している。 

よくもこんなに、毎日日記がつけられたと思う。
必ず帰ってくるであろう夫に、見せようと思ったのかもしれない。
 

 しかし、とうとう父は帰ってこなかった・・・ 

 出征前に父が働いていた”万田山”を今日も二階の窓から一人みつめている。

 

      

上の冊子は、じいやの弟が簡単な製本にして兄姉妹に配ってくれたもの  

セピアいろに変色してしまった、切ないほどの日記帳の表紙。 

 

上の写真は、戦地の父に送ろうと思って撮った写真の一枚

 

☆ 読後感想 (杏子)

 わたしの父は幸か不幸か、病弱と目の病気のために、通信兵の仕事ができなくなり
短期間で復員してきたが、おそらくは周囲の悲国民扱いの気配を痛烈に感じながらの
苦しい毎日を送ったのだではなかろうか・・・(当時の私は4才)

 

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あぁ、上野駅

2011年04月03日 | じいやの本棚

雨あがりの菜の花

今、東北の町は大地震で一変した
春の訪れを告げる菜の花は、咲いているだろうか・・・



「あぁ、上野駅」

先日、NHKテレビで 「あぁ、上野駅15才の上京、金の卵は今」の放送を見て涙が出た
今迄も何度か上野駅での集団就職の場面を見たが、今日ほど感動したことはない。



都会の人手不足に東北の中学を卒業した15才の少年が上野駅に降りた


・・・あれから50年の歳月が流れている。
自分の出発点、そして節目ごとに心のよりどころとなってきた上野駅を、
いま一人の老人が見あげていた
 私の人生も、そこに加えてもらっている気がしてならなかった。

♪~どこかに故郷の香りをのせて・・・


「あぁ、上野駅」  いつ聞いても涙を誘う歌だ
                                  ~ じいやの本棚より~

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東日本大震災-3

2011年04月01日 | じいやの本棚

~じいやの独り言~

ちいさなメジロでさえ、足をふんばって生きています。


我慢強い被災地の皆さん方に、少しでも力になれるように
しっかり見守っていますよ・・・

 


 専門家でさえ想定外という程の大きな災害となった『東日本大震災』は
住んでいた人々の生活を根底から破壊してしまった。
 

 

しかも、そこには原子力発電所があった。
破壊された箇所からは、
放射性物質が検出されて日増しに不安は拡大している。


 私たちの住んでいる筑後地方も決して他人事ではない。


この災害経験を必ず今後に生かして
想定外を無くさなければならない。

災害に遭われた方々の一日も早い復興の為には、今私たちに何が出来るのか、

自分がそうなったら、どうしてほしいのかを改めて考えている・・・

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サイクリングで 石炭産業科学館へ・・・

2011年02月11日 | じいやの本棚
石炭産業科学館

石炭の父  団 琢磨氏



寒い日が続く毎日だが、久しぶりに暖かったので妻と自転車でサイクリング
今春、開店するイオン・モール建設現場を見にいった。

駐車場の広いのにはびっくりした。
入口はどこになるのかとなと周辺を見回していると、石炭産業科学館が目にはいった。

ここには出来て間もなく見学していたが、もう一度見ようと入ってみた。
入場料、大人400円

石炭産業科学館は歴史を感じながら、石炭と大牟田の歩みを映像を交えて
見ることができた
やはり石炭は、大牟田の宝だと思った。



館内は綺麗で展示物も大がかりになっていて、改めて驚き感心した。
借り物の坑内用具があり、自由に着用できる
現役時代を思い出してキャッランプ付きのヘルメットをつけてみた・・・


石炭採掘の技術がこれほどが進歩していたのに、
コストの面で外国産に太刀打ち出来ずについに廃坑となり 
残念でならない。

今日は
坑内員だった私には懐かしく、妻に自慢げに説明してやることが出来て
幸せを感じ、充実した一日を過ごすことができた。

 ☆ 今日はひさしぶりに、『じいやの本棚』でした。

    写真 2枚は、ばあやがカメラを忘れていたので携帯電話で撮影
      ばあやのパソコンに送信してアップしたものです
      これは 初体験!! 思いの他 きれいな画像で ホッ!

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これが ? ・・・かもしれない   

2010年03月16日 | じいやの本棚
  残っていた秋じゃが芋から新芽が、でましたよ。


昨年の秋に収穫した じゃが芋です。
表面が赤い(右)のが珍しいでしょう?
初めて見た時は、
サツマイモと思いましたが、味はやはり、じゃが芋でした。

レンジで数分間のチンで、ほくほく、熱々で美味しいですよ
バターをつけると、もう抜群  にも、あいますね。
朝食前に食べると、ダイエットにも効果ありと、某新聞に掲載ありでした。

これをまた植えつけて5~6月頃には、あたらしい大きなじゃが芋ができます。
そろそろ、かわいらしい芽がでています。
喜んでいたら、この頃の霜で、葉が枯れています。心配していたら、
「な~に、また出てこらすけんヨカヨカ」 と     
  
   

 火の用心    (春の火災予防週間=もう終わりましたが)

 入院していると、家の事がいろいろと頭に浮かんでくる。
その中で、いちばん気になることは、火の始末である。
日ごろ妻がしている家事が、なんとなく不安に思えるのはなぜなのだろうか。

最近は、テレビニュースなどで火事と聞けば、必ずといっていいほど
老夫婦の焼死を伝えている。
火事は怖い。  さっそく妻に電話した。
「な~んね、だいじょうぶよ」と明るい妻の声が聞こえた。

ほっとしたものの、やはり気になった。
家の畑には、もう菜の花がさいているだろうか。
早く退院したい・・・


 じいやが、M新聞に投稿、”はがき随筆” に掲載されたものです。

左腕に出来たのは「力こぶ」と本人は思っていたようでしたが
天敵、脂肪のかたまりだった。

手術中は恐怖?と緊張で血圧が180まであがり、ドクターもこれはイカン
思われて、「血圧降下剤のんでいますか?」と不安げに聞かれたそうな。
もちろん「いいえ・・・」と。

どうりで車椅子にのって戻ってきた術後の 顔色は、
キャベツ色だったものね。

細胞検査結果はOK、一時的な血圧上昇で「心配はないでしょう」
といわれて はホットしていますが、
年齢からするとおかしいことでもないと思います。

もう、すっかり元気になり、2つのサークル、畑も耕しています。
今回の入院は
 から  への初めてのラブレター かな?

粋な神様のお計らいだったと思うことにしました。
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金峰山

2010年01月23日 | じいやの本棚
じいやもときどき新聞に投稿、掲載されると子供のようにニコニコご機嫌です。
から、「一寸みて・・・」といわれ少しだけ添削加筆、一応は目をとうします・・・
二人でいつ掲載されるかと毎日じっくりと新聞をみています。

ある日、
「のっとるよ~」
「あ、のったかね?アハハハ


投稿掲載されたものです。

 熊本の金峰山(665m)に初めて登山した。
登山と言っても七合目辺り迄バス、それでも頂上付近は急な坂で、
登頂までは約1時間かかった。

頂上にはNHK始め各局の電波塔が立ち並び、見晴らしは最高
西に有明海・南東に熊本の市街・北にミカン山が連なり感激。
「あぁ、登った甲斐があったな・・・」

いつもは、車で下の道路から眺め、一度は登ってみたい、その思いが叶えられ幸せだった。

バスで七合目迄の道のり、これがとても長く感じられ、狭い道は離合に徐行の連続、
道路沿いには点々と住宅があって、こんな山の中にも人が住んで居るんだなぁと感心した。
帰りに、夏目漱石の草枕に出てくる「峠の茶屋」をバス内よりチラリ。

「お~い」とよんでみた。



の投稿記事を読まれた読者の方から、うれしいお年賀状をいただきました。



読者の方(じいやより先輩のお方のようです)が、若い頃(中学生時代、70年も前だそうです)

岩石の散在した急斜面の金峰山を一気に登ったこと
7人の兄姉がつぎつぎに老いて亡くなり、いまは自分一人になり寂しくなったが
この記事をよんでなつかしく昔のことが思い出された。
「お~い」とエールをおくってくだされてありがとう、あなたもお達者でとこだまします。


と結んでありました。
なんとうれしいお年賀状でありましょうか、「こちらこそありがとうございました。」
と伝えたかったのでした。
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お年玉、談議

2010年01月08日 | じいやの本棚
あざやかに咲く山茶花、まさに  山茶花は冬の華 といえましょう。

吉永小百合さん主演の『 華の乱 』 映画を観てきました。(杏子)



今日は じいやの です。

1月4日に、床屋さんにいきました。

床屋のオバチャンの言う事にゃ~
「正月に孫がきたので、お年玉をやったら孫がじわ~っと手を出した。
年齢は25才。」

(もういい年じゃなかね・・・杏子の陰の声)

娘が言う事にゃ~
「もう、おばあちゃんに、やらなん年なのに」とあきれていたそうな。

ところがおばちゃんの言う事にゃ~
「孫の喜ぶ顔がみたくてねぇ~」だとさ

(さて金額は?・・杏子の陰の声)
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寝ているので・・・

2009年07月03日 | じいやの本棚

 奇跡の回復をした、夫妻で見守る愛犬。
深い愛情をこめて描かれた一枚の絵、その写真をいただいた。

 かねてから、水彩画に親しみもってあるとは聞いていたが、
これほどの絵は、今まで見たことがない。お許しをいただいて
ご披露いたしました~



起こしに行くと、
「うん、寝る寝る」といって
その場でPCマウスを、握ったままでまた寝てしまう。
「このごろちょっと眠りすぎじゃ~なかつ? 
パソコンの前で・・・」

ベットに寝せるために、起こしに来るじいや。
ごくろうさま~

「がんばりすぎる」
私の最大の欠点だ。

親友からの愛情こもったお見舞いの手紙と上の写真をいだだき、おおいに反省。
 
「杏子さんには、落とし穴があるよ」といつも先生からの注意を、
怠りつつあるような、このごろだ。
 
わたしへの赤信号とみた。
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