花韮が梅雨空にひっそり咲いています
救急士の動きは素速い。
ひとまずホッとしたものの、これからどうなるのだろう・・・
テキパキとわかれてそれぞれの処置がなされて 車は救急病院のT病院へついた。
ストレッチャーの揺れが頭にひびいて、また吐き気が襲った。
「今から検査室へいきますよ、だじょうぶですか」看護師さんの声が耳元で、
私は「ハイ」と手をあげた。
「2~3分でおわりますからね」ベルトで体をとめられて頭部のCT検査。
処置室へ移動、両手にそれぞれ血圧計と点滴の針がくいこむ。
血圧138と聞こえた。 高いな・・・と思った。
母と妹がクモ膜下出血症になり、母は当時60代だったが
奇跡的に後遺症は残らず97歳まで生き延びた。
妹も60代で発症したが、現在もわずかではあるが後遺症とたたかいながら
小康状態をたもっている。
同じ血をひくわたしも、もしや最悪の場合は肺炎よりもクモ膜下出血を
おもったのだった。
ひどい頭痛と吐き気、めまいで・・・
おそらく午前0時ごろの入院だったとおもうのだが、どれくらい時間が経過したのかを
聞くのがためらわれて、ベットのうえで吐き気と頭痛が一秒でも早く収まるのを
ひたすら待った。
処置室の蛍光灯の光が強くまぶしい。
くの字に近いからだの横たわり方で次第に背中と腰痛がおこり
どうしょうもなくなってきた。
・・・・・・
先生の姿がチラリとみえた。
「杏子さん、吐き気はおさまりそうですか? 頭痛は?」
「はい、すこし収まってきました・・・」
「CTの結果は、心配はないようですが・・・耳の異常がありますね。
もう家にかえっても大丈夫ですから、早目に耳鼻科を受診されることを
おすすめします」
と、先生の言葉に少しホッとなった。
「そっと起きてみますか?」と看護師さんに肩を支えられ
いわれるままにゆっくりと体をおこしてみる。
「あ、目眩はよくなったようです。頭痛も・・・」
「あ~それはよかったですねぇ。先生から退院許可は下りていますよ」
「じゃ、帰ります・・・」
看護師さんのえんじ色の服がみえた。
「これは使い捨てですから、どうぞ」と白いスリッパを用意してくださった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/66/09b3a29eb1b354220e73a510175f76b3.jpg?random=c4cc55c09ce4814e63c01beb00eeaa75)
行きは救急車でもちろん靴なんかはなし、「帰りは裸足かぁ~」とおもっていたときだったので、グットタイミング。
使い捨てスリッパなんておもいもしなかったから、病院の心使いがうれしくて
ありがたかった。
じいやがそっと部屋にはいってきた。「ちっとはよかかね?」心配そうに聞いた。
「うん、もうヨカごたる、帰ろうか」
車椅子で玄関口まで看護師さんが送ってくださり、タクシーに乗った。
看護師さんんが手を振ってあり、わたしは笑顔で頭をさげた。
8日の早朝、午前3時すぎに無事に家についた。
「今日は、耳鼻科にいくね」
「うん、そりがよかよ」
冷たいお茶をひとくちのんでベットに横になったが、また吐き気が少しでてきた。
もらってきた吐き止めの薬をのんだ。
なかなか眠れそうにないが、夜が明ければなんとかなるから・・・
救急病院医師の診断では
「良性発作性 頭部目眩症」といわれ早目の耳鼻科受診をすすめられた。
夜が明ければネットでしらべてみたら
耳の内耳はとても複雑、耳石が頭の動きにより移動する。それが位置、ゆれの
おおきさにかかわり、高齢化とも深いつながりあるとか…なんとか
訳がよく分からないところだが・・・
ぼちぼち元気でてきて、
じいやのガイドでのお弁当は、毎回家で作るおにぎり2個
じいやは塩昆布が好物なので簡単ですが、
ついでにわたしも小さめのおにぎり食べてみたら
なんとおいしいこと。
おにぎりに梅干し、お塩パラリ、新生姜の土佐煮がぴりっ!とおいしいのです。
新生姜でつくりました。「土佐煮」
土佐煮は、くりまんじゅうさん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/19/b3f1edec571f9ed0dfb8263fc3817e4b.jpg)
ジンジャーエールは、ようさんからのレシピで合作です。
ピリッ!としていい香りです。
続きます・・・