ばあやの のんび~り日記  

還暦をむかえてからパソコンの勉強を始めて
傘寿も越えてしまいました。
いつまでパソコンできるやら・・・

さらに オッチョコ・チョイだったのよ~

2010年07月26日 | ばあやの本棚


昨年、挿し芽していたアジサイ、今年は 純白のアジサイが見事に咲いてくれました。


じいやから23日(金)に 退院決まりの報告電話あり
「よかったね~」
そこまではよかった  ところが
次の日が大事な日だったことを 2人とも忘れんぼ



20日は海の日、もう夏やすみだなぁなんて思いながら 安心して昨夜は
午前6時までスヤスヤ

梅雨もあけたし、天気もいいので思いっきり洗濯物して ホッとして時計を見ました
11時です

あら、もうお昼かと 予定表と時計を見た瞬間
  20日 熊本 T病院受診日

「えぇっ  今日は? あ~忘れていた」

あわてて T病院へ電話
「すみません、今日の予約受診を忘れていました
いまから行きます 1時間ぐらいで着きますが…」

「あらら 受付時間は11時半までですので・・・」
申し訳なさそうな 受付の係さん  明日は、先生は 学会ですのでおられませんし・・・」

「あ~ わたしが忘れたのが いけないのですから・・・
次回の予約日には、必ず受診いたします 今日はキャンセルにお願いできますか?」

「はい、いいですよ  わざわざ お電話をありがとうございました」


大事な受診日 忘れるなんて、調子がよいという証拠??と 思うことにしました。
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その頃は~

2010年07月22日 | ばあやの本棚

今年は  とうとう 七夕さまのお飾りも 忘れていましたが
8日の誕生日には かわいいプレゼントが来ました。



ブログはじめたころから、登場している ”あ~ちゃん”からです
4年生になり、将来は婦人警官になるのだと しっかりと決めています。

「  ありがとう 」 といったら すぐに
「どう いたしまして・・・」と 返ってきて わたしのほうがあわてました。  

     

  車の免許証、ゴールド 何回目か もう忘れましたが、
しっかり更新してきました

”あ~ちゃん”に捕まらないように、車の安全運転に気をつけよう」

えぇっ、そのときまで運転してるの?って  

さぁ、わからんよ?いるかもよ   蹴ったりして・・・

ア・ハハハハ~

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退院 決まりました

2010年07月20日 | ばあやの本棚
ひとりでは やはりだめだなぁ

どうやら梅雨もあけたようですね




2回目の手術が15日に終わり ようやく退院の目安がついた。
「洗濯物があるよ」「歯磨き粉残りがあまりないから」「トレーニングシューズも」 
なにかと電話をよくかけてきましたねぇ

すぐに病院に行くが 帰りの言葉は「火の用心」だ。

今朝は、びっくりさせてやろうと 6時に自転車で病院へ
ひさしぶりに乗ったので足がビリビリ、

は ひとり起きていて なにやら書いていました
遺書でないことは確実ですが  一体なんでしょうかね。

 もらってないからね~



途中で、国道208号線の横、歩道に大の字になった男の人が倒れて?
いるのを発見 て仰天

近くで草取りしているご婦人に

「あの人、見ましたか?」
「えぇ、わたしもびっくりしましたが、いびきをかいていて 気持よさそうでしたから・・・」

帰りに、もう一度 傍を通ってみたら まだ寝ていました

「もしもし、大丈夫ですか?」

声をかけてみましたが なんのそのです
そばには 100円玉が5~6枚ちらばり、携帯電話も開いたまま、
腰の下あたりからのぞいていました。

もうが昇っているのに、なんの夢見ているのでしょうか?

「たんなる 酔っぱらいさんでしょうよ」
さっきのご婦人が まだ草取りしながら笑っていました。

あ~ぁ 心配ご無用か? 



朝風の爽やかなことで ス~イス~イと帰りました。
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後日へ タッチから  続きます

2010年07月19日 | ばあやの本棚
7月8日  17才?の でした
中1のS君(孫)から、こんなメッセージが来ました  
サッカー部です、「先輩、先輩」と ことばも中学生らしくなりました。
さぁ、わたしも元気をださんとでけ~んね。




いつも、石橋を叩いて渡るような用心深さですが この頃少々くたびれたか?

あわてんぼうの私を、証明する出来事が起こりました。

じゃがいもをむいている時に、チカッ
包丁がすべって、手首にツルリッと 包丁が・・・

「アッ 痛ッ 切れたッ

急いでリバテープを貼っても、すぐに真っ赤になり なかなか止まらない

あ~どうしょう  
手首を頭の上にあげて 右手で傷口をおさえていた・・・

もういいかな?
5分は経過したから・・・
そっとテープをはづしてみた  赤く染まってはいるが、血は止まっていた。

あ~あ


これは、さておいて…
続きます~

  「 救急車を お願いします」
食堂の女性に かぼそい?声でお願いした。
「すぐ呼びますから、和室で横になっていてくださいね」とやさしい声をかけてくださり
バタバタと走っていく足音が遠のいてゆく・・・

 10分ぐらいして 到着

「脈拍94、不整脈あり、  血圧140、下が84・・・保険証ありますか?
  誰か知人が市内にいますか?
  迎えに来られる方ありますか?
  病院はどこがいいですか?

矢継ぎ早やの救急隊員の質問に、ゆっくりとしか 答えることができない。

つい最近、日赤病院には検査を受けたばかりなので カルテは、あるはずだからと思い
「日赤に お願いします」といった。



「救急病棟へ 着きましたからね」
待機中の看護師さんたちが、「自分で移動できますか?」

「はい」と自分でストレッチャーに移った
ごろごろと廊下を急ぐ音が、はっきりとわかり、 少し落ち着いてきたようだと思った。

すぐに問診、治療にかかる  一応 血液検査して1時間後には結果がでますから・・・
テキパキと Drの指示、点滴がはじまった。

「しばらく やすんでいてくださいね、もう大丈夫ですからね」の声を私は
ぼんやりと耳の奥に残したまま・・・

どれくらい時間が経過したのか?
時計を見た  そして脈を探した ここへ来てから 約2時間ぐらい経過しているようだ。

動悸は、おさまり 普通の状態にもどっていた。


救急室のはりつめた空気がびんびんと伝わる
赤ちゃんの泣き声が激しく耳を裂いた
2人の赤ちゃんの、絶叫に近いその泣き声に わたしの胸の鼓動がまた激しくなってきた。

「あの赤ちゃんは、どうしたのですか?」思わず聞いてみた
「ええ、点滴の針がなかなか入らなくてね、いつものことですから・・・」と看護師さんは落ち着いて言われたが・・・

Dr「検査の結果は、いまのところ異常はありませんが、これからは 充分に気をつけていてくださいね  再発はありますから・・・」

「ゆっくり起きてください、しばらくして落ち着いたら
支払いを済ませて 気をつけてお帰りください」と看護師さん。
つぎつぎに運ばれてくる患者さんのところへ 足早にいってしまわれた。

先生と看護師さんに厚くお礼をいって 無事に我が家についたのは 午後8時半
特急 JR列車は、熊本駅から大牟田駅までノンストップ、30分たらずで着いた

わが町の灯りを目にした時、「あぁ 着いたな」大きく息をした。

今日は、朝6時にタクシーで家を出てから 
なんと 14時間余の 長くて辛く切ない一人旅であった。

留守電には入院中のと 次女からの伝言が 詰まっていた
あまりに遅い帰りに 不安をかかえていたに違いない。

ごめんね・・・
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おかあさんは強い!!

2010年07月15日 | ばあやの本棚
ご本人さまのお許しをいただきましたので、そのまま掲載いたしました。



題名のとうり、
元気なおばあちゃんに 日赤病院で出会います。

右手麻痺の緊急検査で、6月初めに 日赤病院へ行った日の帰り、ロビーでのことでした。

おんぶされて眠っている男の子は、生後約8ヶ月あまり
右側の若いお母さんは、12月に出産予定の娘さん。

  もう大変で・・・」と
でも、うれしくてたまらんとでもいいたげなこの様子

やはり、母は強しのお手本です。

追伸
後日、写真をお送りいたしましたが早速にお礼のお葉書をいただきました。
達筆の毛筆文字、さらにすばらしい お母さんだなと感激でした。

ここで少し話しは変わります~
心配な事はばかりではなかった・・・

いつもの熊本の病院へ、夫が入院中なので 一人
T先生の治療は無事に終わりましたが
心療内科のK先生の一言は

「また、鬱の入り口にたっているよ、今の杏子さんは・・・
ご主人が退院されたら、すぐにダウン、今は気でもってるようだけどね」

え? そんなことはないよと、内心では思ったのが運のつきでした。


ちょうど Tデパートで絵画展の開催中、案内状をもらっていたので、
ひさしぶりに S先生(武蔵野美大卒)に逢えるかもと 寄り道をしました。

残念ながら S先生には逢うことはできませんでしたが、水彩画 油絵など数十点を堪能して、「さぁ~昼食を」と 食堂へ。

今日は、イタリアンでもと思い スパゲティとホットココアをいだだきました。

お薬のんで お手洗いすませて席に戻る途中・・・

早鐘を打つような 人にも聞こえはせぬかと思う程の突然の動悸
イスに倒れこむようにして 落ち着かねばと目をつぶった

時計をみながら左の手首、脈を探すが これがわからない
やっとのことで指にドキドキと脈が伝わった
「アッタ

数えてみる  1・2・3・4・・・
1・2・3・4・・・
止まって、また弱々しく1・2・3・4・・・ 1・2・3・4・・・

あ~ こんなことは、産まれて71年 初めてだ
不整脈だ~
の二の舞かも・・・

「後はどうなるの



 後日にタッチ、疲れた
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あ~ 黙とう・・・

2010年07月09日 | ばあやの本棚
水彩画、大好きな絵手紙に癒される
友人M・Oさんが、時々送ってくれるから楽しみにしている。



「明日は、病院へくるのは ちょっと遅いからね・・・」とにいっておいた。


一人で留守番も、もう10日余を過ぎた。
もう、大丈夫だの目安ついてがホッ!!


今日は朝食抜きで、肝臓のエコー検査に行く日、わたしの肝臓のご機嫌は?

もう、見つかってから30年ぐらいかなぁ・・・
直径40ミリ位の血管腫が2ヶある。



別に今のところ悪さはしていないから
心配はしてはいないが・・・

「はじめから見ると、1センチ位大きくなっていますな  今40ミリ程です
あと1ヶが今日は、見つからないですが、同じぐらいでしょうから、
キチンと毎年1回は受けていてくださいね」といわれた。

もう脾臓を摘出後、30年ぐらい経過。
今もK大学の研究室で、研究用として静かにしているはずだ。

人さまは1ヶしかないのに、わたしのは小さなおまけつきの2ヶ、珍重なる脾臓だった。

原因不明の脾臓のう腫、摘出後からいろいろな病気の発生となった要因のひとつだろう

五臓六腑・・・

あるべきものは ちゃんと残していた方がいいのではないかと、今しきりに思われるのだが・・・
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大丈夫ですか?

2010年07月06日 | ばあやの本棚
と、きたもんだ。

少し頭を冷やさねば、わたしも心筋梗塞になりそう・・・



~ピンポ~ン
「ハイッ!」とモニターで答える。

「どなたさまでしょうか?」
「コンチワ~  今、お菓子の宣伝で廻っているもんですが・・・」
「せっかくですが、いりませんよ
「ハァッ!!大丈夫ですか? 失礼しまぁ~す」

門扉から出て行ったのは、まだ若い人だった。 

なにが大丈夫?なの? 要りませんよといったら こんな答えが帰ってきて・・・

「あなたこそ 頭は大丈夫?」といってみたくなった。





たまの外食で、ある日、サークルの懇親会へ出席した。
とある居酒屋さんだ。

まず部屋に案内される  隣どうしが、膝すれすれの畳の部屋で
さて、一体ご馳走は? なにが出るのかなぁと待っていると

「こちら、お絞りになります」   なにから、おしぼりになるの?
「こちら、おビールになります」  お水が、おビールになるの?
「こちら、オンザロックになりまぁ~す」 ~監獄ロックというのが昔あったな

「こちら、おソバになります」 キツネ?がおソバになるのを待っていたらのびてしまうよ~


途中で アルバイトらしい店員さんがやって来て
部屋の入り口に立ったまま

「こちら、オシメイタシマスカ?」  
「おシメなんか 誰も注文しとらん

 もうッ  戸を閉めておきましょうか?でしょ



店の方針かもしれないが、
もう少し言われる方に、立って考えてみてくださいな。

小手先ばかり、気持のこもらない、マニュアルどうりの丁寧語氾濫で、
訳分からんことばかり言ってから、もうッ・・・

梅雨まっただなか、大抵、容認派のこのおばあちゃんも
いい加減  頭にきましたわ
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自然におとずれるもの ・・・2

2010年07月02日 | ばあやの本棚



胸をおさえて、「救急車よんで、くれ・・・」
かぼそい声で、いまにも倒れこむような夫の青白い顔・・・
6月26日(最後の日曜日)午後8時半ごろのことだった。


その朝は、元気だった。
「朝市に行こうか」という夫に
「雨がまだ降りよるよ、止めた方がよかよ」と言葉をさえぎって、
「あと一眠りしたら・・・」といって時計をみた、午前3時だ。


お昼前ごろに今度は「温泉にいってくるよ」と一人バスででかけた。

夕方、ご機嫌で帰り「ほら、杏子が好きやろ?」

ふわふわのメロンパン1ヶをテーブルの上におくと、
「ひと眠りするねぇ・・・」といって2階へトントントン・・・


もしかしたら、この会話が最後の「別れのことば」になっていたかも・・・


救急車のなかで隊員の冷静なはずの言葉が胸にささった。
「心筋梗塞、呼吸脈拍弱の状態 いまからT病院へ搬送します。」

「心臓の動脈、大きな3本のうち、2本を血栓がふさいでいます。すぐに手術にはいります」

当直医のDrと2人の専門医が駆けつけてくださり、4時間余手術はおわった。
ICU室へ運ばれるじいやの表情は・・・

唇は固く閉じられていたが、目はうっすらとあけていて
少しうるんでいるように見えた。




まさに”九死に一生”を得たその瞬間だった。

昭和20年6月20日に戦死した父親
今月、7月16日に3回忌をむかえる母親
その姿にひかれるようにして死線をさ迷っていたのだろうか?

そう思うと、「まだ迎えには来ないでください、お義父さん、お義母さん、お願いですから…」と私は祈った。 

軽いひと眠りが、永遠の眠りになっていたかもしれないのだ・・・・・・


救急車手配の私は、妙に落ち着いていたのが不思議だった。

火事場の馬鹿力とでもたとえようか
しかし、入院用具を取りに家に戻った時からの私は放心状態だったようで、
荷物は、次女が手際よくそろえてくれたので助かった。

夫は今、ひたすら回復への道を歩いている。

一昨日はベットの上で上半身を起こす練習、
昨日は、つかまり立ちが出来たとよろこんでいた。でも体の真ん中には、まだ道尿の管が
ついているので、自由がきかないらしいが・・・

そして今日も、ICU室へ行こうとしたら、
「あら、もう普通のお部屋ですよ~」と看護師さん

「え?もうですか?」

4人部屋でニコッ!!として、ベットに座っていた
ひげずらだ。
「これは似合わないナ・・・」

3~4週間の入院だといわれたが、体力回復後に、あと1回の手術が待っている
複数の動脈狭窄分の手術を受ける予定だ。

畑のことが気になるらしくて、次女の婿に「からいも苗の植え付け」を頼んでいたようだ。

もう、丈夫だなと思った。



突然にやってくるかもしれない異変を見逃さないように、
「普段の健康志向を大切にしないと行かんなぁ」と、
はベットの上でつぶやいていた。

「ネ、わたしの言っていること、やっとわかったやろ?」
「うん、うん杏子の辛さがしみじみわかったタイ

そんなら、よかったたい~、もう~」
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