『気まぐれ酒蔵散歩 その4』。今回は大分県が誇る銘酒『西の関』を取り上げる。西の関といえば昭和の時代は『東の横綱は越の寒梅、西の横綱は西の関』と言われたほどの酒である。製造しているのは大分県国東市に本社を置く萱島酒造有限会社、場所は大分空港から国道を5キロ程度いったそれこそ日本の原風景の真っ只中にある蔵である。訪れたのはもう3年ほど前の夏休み、どっしりと構えた昔ながらの酒蔵で明治~昭和にかけて建設された煙突などは国の登録文化財にもなっている。
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東京から朝一の飛行機で大分空港に到着、レンタカーを借りて最初にここに向かった。前もって見学のお願いもしていなかったが、親切に従業員のベテランの方が建物を案内してくださった。『今の時期は酒造りもないから暇なんだよ』といって外は照りつける太陽で暑い中、ひんやりとする蔵の中を見学させていただいた。その方の説明では、この蔵で作る酒の大方は地元で消費するためのものでコメも大分産のヒノヒカリが中心。とにかくここは両子山や文殊山の伏流水で水は豊富、だから良い酒ができるそうである。
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1873年の創業で萱島家が代々当主を務めるが、明治20年ころ2代目の萱島米次郎が西日本を代表する酒の銘柄にしたいと『西の関』と名付けた。その後、戦争の混乱もあったが、戦後法人化し、さらに1963年にはまだ吟醸酒が一般的でなかった頃に販売を始めた。今も看板商品の『美吟』はその一つ。製造も東京向けには八反錦や山田錦などのブランド米を使い丁寧に作っている。
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見学が終わり、女房が試飲をするのを横目に見ながら色々とお話を聞かせてもらい、記念にとワンカップを2本づついただいた。もちろん、東京みやげとして酒を5本買ったことは言うまでもない。そして後日飲んでみると地元用は確かに昔ながらの酒臭いお酒、ただ、東京用に作った吟醸はやや甘めながらしっかりした旨みの強い酒であった。
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酒はもちろん暖かい素朴な人たちでいっぱいの酒蔵に感動。
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東京から朝一の飛行機で大分空港に到着、レンタカーを借りて最初にここに向かった。前もって見学のお願いもしていなかったが、親切に従業員のベテランの方が建物を案内してくださった。『今の時期は酒造りもないから暇なんだよ』といって外は照りつける太陽で暑い中、ひんやりとする蔵の中を見学させていただいた。その方の説明では、この蔵で作る酒の大方は地元で消費するためのものでコメも大分産のヒノヒカリが中心。とにかくここは両子山や文殊山の伏流水で水は豊富、だから良い酒ができるそうである。
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1873年の創業で萱島家が代々当主を務めるが、明治20年ころ2代目の萱島米次郎が西日本を代表する酒の銘柄にしたいと『西の関』と名付けた。その後、戦争の混乱もあったが、戦後法人化し、さらに1963年にはまだ吟醸酒が一般的でなかった頃に販売を始めた。今も看板商品の『美吟』はその一つ。製造も東京向けには八反錦や山田錦などのブランド米を使い丁寧に作っている。
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見学が終わり、女房が試飲をするのを横目に見ながら色々とお話を聞かせてもらい、記念にとワンカップを2本づついただいた。もちろん、東京みやげとして酒を5本買ったことは言うまでもない。そして後日飲んでみると地元用は確かに昔ながらの酒臭いお酒、ただ、東京用に作った吟醸はやや甘めながらしっかりした旨みの強い酒であった。
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酒はもちろん暖かい素朴な人たちでいっぱいの酒蔵に感動。
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