『東京の坂、日本の坂』その127。昨年12月以来の坂巡り、荻窪の光明院を出て、西に歩く。
少し広い道が出てくるのでこれを左に曲がると右への緩いカーブとなり、下り坂となっているが、これか『兼吉さん坂』。坂を降りると本村庵という老舗の大きな蕎麦屋がある。私も数多くの坂道を歩いてきたが、人の名前が付いている坂道は偉人・軍人(乃木坂、鳥尾坂)や外国人(ジェームス坂)など確かに幾つかある。
しかし、この坂道は鳶職の小張兼吉氏の前を通ることが由来であることが面白い。さらに小張家は今も近くに居を構えているとのことである。
歩くと善福寺川があり、『置田橋(おきたばし)』が架かっている。この由来も面白い。線路の北側にかつて水車小屋があり、名主・平井家のお婆さんが北側にある宇田川家のことを『お北さん』と呼んでいた。そのため、いつの間にか、橋を『おきたはし』と呼ぶようになり、次に『置田』の字を当てて今の名前になった。この近くには文士たちが多く住み、井伏鱒二がこの端から釣り糸を垂れていたとの話もある。
橋を渡り、川沿いの道を下流に向かうと次の橋、本村橋がある。ここを右に曲がり、次を左に行くと緩やかに上る坂が出て来る。
この坂が稲荷坂、坂の下にはたんぽぽ公園という児童公園がある。坂は緩やかに登っているが、坂の途中に穴稲荷があったためにこの名前がついたらしい。
今度は少し戻り、本村橋から善福寺川沿いを上流に向かい歩く。川幅が広い割には水の量は少ない。まだ、北に旅立たないのか、カルガモの姿も見える。(以下、次回)