『宿場町を歩く』その11。幸手宿①、今回は杉戸宿のお隣、幸手宿を歩く。日本橋から数えて6番目の宿場であり、日光街道の脇往還で将軍の日光社参専用道である『日光御成道』(中山道本郷追分〜岩淵〜川口〜鳩ヶ谷〜岩槻)との合流地点にあたる。
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幸手駅は大手町駅から半蔵門線・東武日光線で1時間強、東武動物公園駅から2つ目。駅のホームに立つと目の前に今後開発される見込みの空き地ばかり見える。
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ただそれは西口。町の中心は東口側で幸手市観光協会が行っている貸自転車(1日400円)を借りることにする。本来は歩いて回りたいのだがあまりの暑さに少し日和る。
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自転車で駅前の道を行くと日光街道との交差点に出る。向かい側に大きな古民家が見えてくるが、これが国登録有形文化財の岸本家住宅母家である。古民家カフェも併設されているが、残念ながら休館日で中には入れず。何となくどの古民家カフェにも振られている気がした。
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岸本家は元醤油醸造業を営み、上埜屋の屋号で1900年パリ万博に出品、銅メダルを獲得をしたことがある老舗である。
向かい側には明治天皇行在所跡の石碑。明治9年(1876年)6月奥羽巡幸の際、またその後の2回の行幸の際のもの。宿泊は元本陣の知久屋であった。
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先には神明神社(田螺不動尊)、江戸時代には高札場も設けられていた。田螺不動尊の由来は幕末、地元に住む小林善平が眼病を患っていた。何とか治したいと思っていた時に夢枕に成田不動尊が立った。善平はその勧めに従い、越後の菅谷寺に参詣すると不思議なことに眼病は完治した。
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小林はこのことを岸本に話し、2人で神明神社の中に成田不動尊を造ったところ眼病に効くと民衆の信仰を得た。その方法は田螺の描かれた絵馬を奉納すると眼病が治るというものである。
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また、田螺不動尊の案内板の隣に灯籠の基礎の石があるが、側面に『不』の記号が刻まれている。これは几号高低標といい、明治7年東京〜塩竈間でイギリス式の測量が行なわれた際に設置されたものである。
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さらに行くと橋が見えてくるが、倉松川にかかる南橋、その先の交差点は右から日光御成道が合流してきている。また、この辺りが幸手宿の南端である。(以下、次回)
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